お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*the world is coming to an end*



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

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2003年12月31日水曜日

大晦日に思うこと

 雪と雨と曇が繰り返された大晦日である。
 20日前後の大雪のあとは、目立った雪降りがなかったし、素手のまま外に出てもあまり寒さを感じない。 ヤフーのページなどで、今年を振り返ってみたが、喜ばしいことや楽しいことより、災いや悲惨や辛いことばかりである。 文明が進化し便利になっても、人間は未だ過去を清算し学習しないのか、そんな疑問符に苛まれてしまうのである。

 映像文化やインターネット文化の中で、過去の規範は通用しない。 バーチャルな世界の中で心を失い、本能のままに異性を漁り、略奪や人を危めるのが日常茶飯事になってしまっているのが、今の世。 人それぞれの信念や規範や拠り所をいかに持つことができるか、有象無象の事象に適切な判断ができるかが、きちんとした人格が持てるかの岐路であろう。
 それを育てるのが家庭であり、親子、兄弟の関わりである。 小さな共同体から、将来の日本を支える若者を育てたいものである。 そんな思いを抱きながら、2年参りと称して、古間神社と行善寺を参詣してきた。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月30日火曜日

黒姫でオーロラが見える

 町の広報誌「しなの」の12月号を見たら、10月31日午前4時50分前後に黒姫山山ろくでオーロラが見えたと写真が掲載されていた。
 北極圏で見られるような大きなものでなく尾根に沿った空の部分が赤く光っているような感じではあるが、黒姫で見ることができるなんて新しい発見であろう。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月24日水曜日

真に平和を願う人は

 今日はクリスマスイブである。 まぁ、誰でも知っていることだが、つまりキリストがベトレヘムの星のもとに生誕した日である。 しかし、2000年を経た現代のベトレヘムはテロと殺戮の街と化している。

 かたや日本の街角を見ると、さすが千鳥足のサラリーマンを見ることは少なくなったが、粗悪な油脂や素材で数ヶ月前に作って冷凍保存していたデコレーションケーキの店に行列をしている様子があちらこちらで見られる。 平和といえば平和な光景だろうが、はたまた日ごろ家庭を顧みないサラリーマンのせめてものエクスキューズなのかもしれない。 でもこの時とばかりケーキを買っても普段から贅沢をしている子供達には嫌われるばかりかもしれない。

 この国には何でもある
 本当にいろいろの物が有る
 だが、希望だけがない


 先日、日光街道を歩いたときに栗橋宿の顕正寺で見た言葉である。
 500兆円以上の借金を負っている国の来年の予算では、更に30兆円も市中からの借金でまかなうという。 そして自衛隊はイラクの人道支援という銘文のもと海外派兵を行う。 この目的は隊員に戦地での実体験をさせること、憲法9条のなしくずし解消を図るものであって、決してイラクを援助するための美辞麗句ではない。 真に助ける気が政府にあるならもっと的確な手法を模索しているはずだ。 与党に組する政党の委員長だか知らぬが、3時間ほどアメリカ軍に警護されたイラク視察が行われたという。 3時間で何が分かるのだと子供だって知っている。

 この国に希望がないのは、政界、財界、宗教界の有象無象が自己の利益に走って、日本の遠い将来を見据えていないからであろう。 クリスマスはキリスト教徒でなくとも、平和と平安の象徴であることは誰でも知っている。 日本列島沈没どころか地球が沈没する所まで近づきつつある今、世界の平和を一人一人が考えなければいけない時に来ているのである。 自分に何が出来るか、イブの日の一時だが、そんなことを考えて過ごしたい。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月11日木曜日

石川文洋さん、日本列島を縦断す

 ベトナムやアフガニスタンなどの戦場を撮り続けてきた報道写真家の石川文洋さんが、宗谷岬から那覇市までの3300Km149日で歩き、撮影の旅を終えたと日本経済新聞の社会面に記載されていた。
 題して、「平和願い徒歩で列島縦断」。

 以前、日本海側を南下中の石川さんを、テレビ画面で見たことがあるが、旅する先々で行き交う人々と話し、その会話の中から暮らしを写す姿に感じ入った。 自分も半年前からカメラ撮影の仕方を学び始めたが、景色を単に綺麗に撮るのではなく、時空に交差する人々の生活や喜怒哀楽を写せたらと願うばかりである。 そこで、石川さんを”カメラの師”としたいと勝手に思ってしまったのである。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月10日水曜日

思慮のないイラク派兵

 時の日本政府は、聞く耳や見る目を持たないのか、アメリカのいいなりに自衛隊のイラク派兵を決定したという。 先進国として、政治的にも経済的にも困窮している国を援助するのは当然であることは誰もが承知している。
 しかし、軍服を着て武器を携帯した姿は軍人そのものだし、イラクの人々からすればアメリカ軍の影に見え隠れする日本の軍人を侵略者と見るのは当たり前だ。 今回の決定の裏には、政治的にも経済的にも恩恵を受ける有象無象の輩がうごめいていたのであろう。 しかも憲法9条の非戦の誓いは、見事に崩れ去り、間もなく軍需産業の台頭と国民皆兵の時代に入るのか、今世紀の日本は非法治国家の道を邁進するのであろうと感じられる。
 日本独自の判断で、白い制服で白いトラックに物資を載せて、彼らが独り立ちできるような手立てで援助活動を行えば歓迎されるであろうが、もはや諦め感しかない。 またもや日本が世界のオピニオンリーダーとなれる機会を逸してしまった。 最後は、隊員達が殺戮されず、また殺しもせず無事に復興支援にあたってほしいと願うのみである。

 しかし、日本の不良資産を海外の企業に売り渡し、社会保険の負担増、給付金の減額など国民への配慮はなく、国の負債額は500兆円を越えているという。 こんな日本に作り上げてしまった政治家の所業を精査せず、政治的に無知を押し通す人間がこの日本を構成しているのだから止む無し。 砂の一粒ほどの意見でも大変な重みを持つのだが、これに耳を傾ける政治家は全くいない。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月6日土曜日

優先席に関して

 昨日、神戸で優先席に座っていた高校生らに対し年寄りに席を譲るよう注意したが、無視されたので殴ったという20歳代の男性が逮捕されたとニュースで知った。
 現場に行き合わせていないので何も言うことはできないが、高校生にとって優先席の意味も注意されたことの意味も全く分からずに、諫言を無視したのであろう。 10歳そこそこの年代の違いでも認識の差は大きいのである。
 このように勇気ある行動が理解されないことは多くあるし、もう我々のような年代になると、はなから注意してもダメだと諦めてしまっている所にも問題がある。

 長野駅から乗る信越線も短い車両だと時間帯によってはかなりの乗客がおり、高校生1~2名がボックス席に荷物を置いて占有していることもしばしば見られる。 それを我々は注意できないのである。
 今月から、横浜市営地下鉄は全席を優先席にしており、落語家やミュージシャンを起用し優先席の活用を再三アナウンスしている。 市政の方向としてはうなづけるが、こういうことまでしないと年寄りや障害者をいたわる気持ちが湧いてこないのは何とも嘆かわしい。

 戦後の教育や企業の中で勝ち抜くことしか教えず、真に他人を思いやる理念を持ち続けてこなかった所作の結果なのであろう。 同時に体力のない若者は、年寄り以上に年寄りになっているのかもしれない。
 バブルや右肩上がりの経済の時代が終わり、ひそかに海外の巨大資本に日本を売り渡すような場面が見え隠れしている今日、戦前を含め過去をきちんと清算し、人が生きること、人々と共存していくことの意味をもう一度整理して日本人の理念として確立しなければならないと思うものである。 しかし、議院や官庁にそういう意識を持った人材がどれだけいるのか、最後は諦めのため息しか出ないのである。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月4日木曜日

日本酒は外国人にもブーム

 去る土曜日の夜、東京・有楽町の居酒屋に外国人が数十人、続々と集まってきた。 お目当ては、えりすぐりの日本酒と、一人の米国人の話だ。
 本日の日本経済新聞(夕刊)はこのような件から始まって、アメリカ人の間にひそかに日本酒がブームになっていると紹介している。

 英語教師として来日したアメリカ人が、日本酒のとりこになって日本酒ジャーナリストの道へと進み、在日外国人向けの日本酒セミナーやニューヨークでのセミナーを開くまでになったという。 飲用ばかりでなくフルーツケーキやアイスクリームの香りづけなど、日本では考えられなかった使われ方もしているらしい。
 信濃町近くの小布施町にある小布施堂では、セーラさんというアメリカ人女性が役員となって色々なアイディアを出し活躍をされているというのもよく知られた話である。

 信濃町にも造り酒屋や味噌屋もある。 昔から営々と続いている食文化と特産である野菜をからめ、こういった新しい創造ができないかと思った次第だ。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月3日水曜日

野尻湖周辺の発掘土器

 野尻湖周辺の遺跡の一つである貫ノ木(かんのき)遺跡で1999年に出土した土器片を、県埋蔵文化財センター(千曲市)が放射性炭素測定した結果、縄文時代草創期にあたる約1万5600年前のものであることが分かった、と3日付の”しんまい”は報道している。

 この方法で測定されている土器の中では、国内最古とされる大平山元1遺跡(青森県)の無文土器(約1万6500年前)に次いで古いとのこと。
 土器片は1999年10月、地下2~3mの直径1m程度の範囲内で見つかり、復元すると、口径、高さとも約20cmの底がすぼまった形の器となり、外側に隆起した線状の模様が施された「隆起線文土器」だという。
 1999年から2002年の間の発掘では、このほかに旧石器から縄文時代前期の石器や土器約3500点が出土されたとのこと。

 このような話を聞くと、厳寒の地で生きながらえていた古代人の生命力の凄さとか、ナウマンゾウを含め信濃町の歴史の古さ、更にはそういった学術的な重要さも感じられ、ついつい散歩中の足元が気になってしまうのである。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月2日火曜日

過疎地の活性化対策

 アサヒコムのページで、熊本県境にある福岡県の立花町鹿伏(かぶせ)地区の、55世帯(202人)のうち54世帯が「田中さん」だと伝えている。
 姓だけでなく名前まで同じ(同姓同名の)町民もおり、特に嫁いできた女性には同じ名前が目立つとのこと。 シズコ、マサコ、ミチコ、ミエコ、ミツエ、チズル、ヨシコはそれぞれ複数おり、同じ呼び名の場合は「カズオさんちのミチコさん」といった具合に、夫の名もつけて区別して呼び合っている由。

 この鹿伏地区はミカン、キウイの産地だが過疎地の例にもれず、若者が流出して後継者難を抱えているが、このような殆ど同姓ばかりの特徴を生かして6年前から「歓交農園 DO(ド)KO(コ)MO(モ)田中さんちの農園」を開き、なかなかの人気を集め、近郊からの観光客誘致や人事交流に役立っているとのこと。

 くしくも現在、信濃町でも地元活性化への取り組みを町民とともに行うためのアイデアが練られているようだが、こんな取り組みは実に楽しいし意義深く感じられるものである。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月1日月曜日

悲しみは繰り返される

 とうとう、イラクで日本人の犠牲者が出てしまった。 イラクに向かう親族の姿を写すテレビ映像は”悲しみ”そのものである。
 カンボジアの国連ボランティアに従事していた中田氏の時もそうであったように、為政者の無策による人々の悲しみはかように繰り返されている。 鬼畜米英を真としてきた日本は、戦後は一転翻って、占領軍であるアメリカに盲目的に隷従することが美とされてきた。 朝鮮動乱から始まった色々な事象が日本経済の繁栄を形作ってきたという効果を否定することはできない。
 しかし、見えない脅威から保護されているというだけで、日本の土地や税金を米軍に垂れ流しするのはいい加減にやめるべきだ。 石油資本に盲従したブッシュやブレアの言いなりになって、イラク貢献を叫ぶのは愚の骨頂。 事前調査だと、軍服を着て米軍の指導のもとにイラクに行けば、誤解であれ銃弾の的にされるのは当たり前だ。
 企業や政治に還流するようなODAのような支援ではなく、本当に国際社会の一員としてイラクの復興を願うなら軍艦や軍服に頼らずイラク人が真に望んでいる復興案を実施すべきである。
 今回の犠牲者の発生を自衛隊派遣の理由にしては決してならない。 それは、再び、悲しみを見ることになるからである。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月25日火曜日

車行政のこと

 信濃町インターから黒姫高原に向かう道路も整備され、真っ直ぐ柏木立まで車を走らせることができるようになったが、あまり道が良すぎて冬にはスピードを出しすぎて事故になるのではとちょっと心配になった。
 インターのETC据付工事も28日の開業にむけだいぶ進んでいるようで路面の表示塗りも終わっていた。

 今日は雨天でしかも平日のため高速道路は車両が少なくて走りやすく、制限速度の2~3割増しでついつい走ってしまいがちであった。 そんな中、山梨県内を走行している際、山梨33ナンバーのグレー色のスカイラインを追い越した所で、二人の黒い頭がチラッと見えた。 ひょっとしたらと思い、ただちに走行車線に変更しほどほどの速度で走っていた所、やがて速度を上げていた車を追尾して行くスカイラインが目に入ったと思ったら赤色灯が点滅し始めた。
 現代の車の性能から見ると制限速度で走れというのは所詮無理だし、速い車に合気するのも人間の特性であろう。 パトカーにつかまらなければいいという話でもなく、渋滞もなく気持ちよく整然と走行できるような道路行政ができれば、速度取締りなど不要のものだと自問してしまった。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月20日木曜日

偏見

 ハンセン病患者の宿泊を拒否した九州のホテル事件は、何十年と続いてきた日本人の偏見意識が、いまだ残り何も変わっていないことを明らかにした。
 人権にかかわる問題は、被害者の立場にならないと分らないであろうが、教育や司法の世界のみならず巷でも往々にして在ることが露見されたのであった。 ホテル側は、当初は宿泊拒否の正当性を表明していたが、法務省まで巻き込むこととなり一転態度を変えてきた。

 単なるミスや誤解ならまだ解決の策もあろうが、このホテルの実際の経営はある化粧品会社で、しかも学校経営や独自の政党、宗教団体とあらゆる面で組織の多角化を図っているのである。 自民党を支えている公明党の母体宗教団体と同じような動きをしているようで、こういう団体は利権をむさぼるカルト集団として認知されるべきだ。
 このような国の組織や体制を専制しようとする動きの中に国民は知らない間に取り込まれようとしているのである。 そういう危険性をはらんでいることを、日常の生活の中で誰もが意識していかなければならないのだが、そこまで考える人がどれほどいるのか憂慮の一言である。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月16日日曜日

一茶の「父の終焉日記」

 今日の”しんまい”には、”一茶の「父の終焉日記」の素原稿発見”と題した記事が掲載されている。 信濃町立一茶記念館で、一茶の自筆句稿「しら露」の、袋状に折られ、つづられた紙の内側に下書きが記されているのを発見したというもので、同時に未公表の句が10句も見つかったとのこと。
 さぞかし19日の177回目の一茶忌は賑やかなことになるであろう。 この一茶忌だが、土日に重なったのはこの10年で3回しかなく、実際に会場に行ったのは1回のみである。 まぁ、そのうちまとまった時間が出来るまで待つことにしよう。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月12日水曜日

役場から居住調査の依頼

 信濃町役場から居住調査の依頼が届く。
 住居用建物で所有者が住民登録していない場合に、その居住状態により固定資産税課税について階段を設けるものらしい。 毎月1日以上町内で生活していれば住民登録していなくても居住者として判断するらしく、来年1年間について生活を証する領収書等を添付して翌々年初頭に報告してほしいというものである。 別荘等の利用に対し一定の上乗せ課税を行うものなのであろう。

 建物があることで上下水道やゴミ処理など町の恩恵にあずかっているので、それなりの負担を求められるのは仕方ないことである。 しかし、我が家のように別荘のつもりもなく、冬には除雪した雪の捨て場として畑を提供し、わずかながらも町政に協力している身としては一律に処理してほしくないという思いでもある。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月10日月曜日

衆議院議員選挙の結果

 衆議院議員選挙の結果は予想の範囲であった。 ”おらが村”の代官や庄屋におもねる国民性は何ら変わっていないし、大塩平八郎のような人材が輩出することもないのであろう。
 投票所に行かなかった人の半分でも与党以外の政党に投票すれば、一時期は混乱するかもしれないが、拮抗した政治体制の中で国民が本当に必要としている新しい知恵が生まれたと思う。

 自衛隊の海外派兵で戦争の現実、社会保険料の負担増や給付金の減額、増税といった具体的な現象が現れないと分からないという、国民の多くは自分たちの将来を見据える力がないのである。
 しかも、テレビのドタバタ番組で笑いを誘い物事を考えさせない生活の影で、経済や宗教の覇権を握ろうとほくそえんでいる人物がいることを多くの人は気づいていないのである。 韓国や中国、インドなど東南アジア諸国にとって代わられる日がそのうち来るかもしれない。 その時に悔やんでも遅いのである。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月7日金曜日

iBookG4

 iBookG4を購入した。
 漢字トーク7以来のマックでかなり操作にまごつくが、iTunesやiPhotoに加え、マック上での本HPの見え方を確認していきたいと思っている。
 ウィンドウズ・フリークには笑われそうだが、バーチャルPCをインストールし、XPを同時に使えるようにした。 G4とはいえバーチャルPCはかなり重く二世代前のPCを使っているような感がある。
 OSXのSafariで本HPを見るとかなり崩れるし、Javascriptも動かないものが散見される。 Mac用のIE5.2だとウィンドウズ版IEと同様に見れたが、この徒然Newsはウィンドウが開くもののテキストが表示されない。 どちらにしてもマックでもきちんと表示されるようページ作りにこのiBookを役立てて行きたい。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月6日木曜日

癒し事業と環境条例

 今日の”しんまい”には、都会から自然を求めて町を訪れる人に「癒し」を与える、「森林メディカルトレーナー」の養成講座を信濃町が中旬から開くと掲載されていた。
 講座の定員30人に対して80人もの応募があり、関心は高いらしい。 その関心の高さは喜ばしいが、数日前もこの欄に書いたが「癒し」という言葉に、現代人の心の軽さをどうしても感じてしまうのである。
 「心が和む」というのは、与えられるものでなく自ら感ずるもの。 その下支えになるものを整備しようというなら結構なことだ。 自然や観光、農業で町をイメージアップしていこうするなら、まず鳥居川へのゴミの不法投棄や空地に置かれた建築廃材の山などを解決し環境条例を施行するなどの対策からはじめることが肝要だと思う。

 それにしても日本の為政者は、居心地の良い椅子に座ると、正常な思考力や判断力を失うようだ。 神奈川県知事が今回非常識な発言をしたと聞いた。 発言を撤回し謝った所で、本人の見識の無さは解消されないことを自覚していないのであろう。
 自己の考えをはっきりと強く言うことはリーダーにとって必要なことであろうが、きちんとした歴史認識や論理立てがなければならない。 小泉や中曽根、麻生、石原...等、 ものの考え方の基本から教え込まなければいけない輩が両手の指だけではおさまらない現実になさけない思いがする。 本多勝一氏の著書「貧困なる精神」が書かれてから何年も経っているのに..

(旧徒然日記から転記)



2003年11月5日水曜日

一茶記念館のHP公開

 町の広報誌「しなの」の最新号には、「黒姫の四季」と題して、町内を写した写真を募集する記事が掲載されていると聞いた。 入選すると賞をいただけるようだが、単なる風景ではなくて人々の暮らしや生活が見えてくるような写真を撮るとなるとなかなか難しいものだ。 募集期間に余裕があれば応募したいものである。

 そして、一茶記念館のホームページが本日より公開された。
 また、天望館の下側から黒姫ゲレンデに向かう柏木立までの道が通行できるようになっていたと観光協会ページの掲示板にアップされていた。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月3日月曜日

戸隠奥社の早朝参拝

 早朝から雲っていたが、古池や鏡池の紅葉が撮れればと思い出かけたものの、間もなく雨がパラつきはじめ撮影を諦めることとなった。 どちらの池も水位がかなり低く一部は水底が見え初めていた。

 先日、戸隠のあるお蕎麦屋さんが「今年は水が普段と違う」と言っていたのを思い出したが、山から湧き出る水量も含め自然の中で何かいつもとは違う変化が起きているのかもしれない。 例年であればもっと気温も低く山頂には白いものがしばしば見えるはずだ。

 時間が空いたので奥社参拝に出かけた。 時折雨で登山を諦めた人達に行き交うだけの静かな参道を歩くのは自然と心が洗われる感じである。 特に隋神門からの杉木立の中は、神の領域に近づく雰囲気が十分だが、帰りにはツアー客が次から次へと参拝に訪れ、一瞬にして現実に振り戻されてしまった。
 帰りにいつもの水汲場に寄ると、こちらはいつもと変わらない沢山の水量が流れており、4L程のペットボトルを数十本と持って汲んでいる人がいた。 立ち話をすると、品川から来た人が調べたら半年は水質に問題がない水だったと言っていたとのこと。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月2日日曜日

インターからゲレンデまでの道完成

 毎朝6時から黒姫山のカメラ映像を配信しているが、この所早朝はレンズが濡れているような姿しか見られない。 今日も朝から濃霧が発生し、8時頃になってやっと日差しが出て山が見え出していた。

 今朝、仁の倉から赤渋、アスティー、ゲレンデとカメラ片手に動き回ったが、紅葉はやや色褪せてきたもののゲレンデの大山桜の紅葉は綺麗であった。 柏小立から信濃町インターにつながる新しい道は既に完成しており、開通は間もなくのようであった。
 また午後からは苗名滝へ向かったが、一週間程前かNHKの天気予報の時間に、苗名滝の紅葉が放送されたとかで、すれ違いができない道でしばしば車が立ち往生し、駐車場も満杯であった。 こちらの紅葉も既に終りかけていたが、信濃町に戻る途中で妙高大橋から見えた西日を浴びたカラマツ林が綺麗であった。

 昨日に続いて再び農協祭へ行き、信濃町消防団ラッパ隊の演奏を聞き、その勇姿をカメラに納めた。 このラッパ隊はいくつかの競技会にも出て優勝しているとのことで、単調な感じの中でも良く響き渡る音色を聞かせてくれていた。 従来は4月29日の出初式で我々の目にふれるのみであったが、農協祭という新しい発表の場を見つけたようだった。
 この演奏の後に、商業高校の学生さんだというセミプロ級と思われる方の奇術が披露され、更に黒姫竜神太鼓、午後からは一茶踊り(だったと思うが、こちらは見なかったので不明)と地域に関連したイベントが披露されていた。 従来は演歌歌手などを呼んでいたが費用削減の折、このような地元に密着した企画になったようだが、地元を知る良いチャンスになったであろうと思う。

 いつも思っていたことだが、信濃町の田畑から産まれた農産物が、地元農協の店頭に新鮮で値段が安い状態でなぜ並ばないのであろうか。

(旧徒然日記から転記)



2003年11月1日土曜日

ETC専用ゲートが新設

 上信越道・信濃町インターを通ったら、28日正午からETC専用ゲートが出来ると掲示されていた。 これで通行券による手間がなくなった。
 他のインターでも設置工事が進んでいるようで同じような掲示を何度か見た。 人員削減効果として首都高の夜間割引だけでなく一般高速道路についても料金の下げを期待したい所だが、件の総裁劇に見られるように道路公団内部はドロドロした建直しにやっきで利用者への還元などは何も考えていないのであろう。
 今日と明日は、ながの農協の”農協祭”が柏原(信濃町支所)で開かれていた。 早速、浜岡農協の生姜やお茶を買い求める。 昨年は渋柿で干し柿を試みたが失敗に終り今年は止めることにした。 雪降りに備え、長靴を3足も購入。

(旧徒然日記から転記)



2003年10月28日火曜日

町のプロジェクトチーム

 信濃町役場では、癒しの森事業の一環として森林メディカルトレーナーおよび信州信濃町癒しの宿という講習会を来月に行うと参加者を募集している。
 また、プロジェクトチーム町づくり委員の募集もアナウンスしている。 町づくりの項目としては、若者定住促進、元気な高齢者、福祉・介護、歴史と文化、花いっぱい、野尻湖に親しむ、癒し、おもてなし、魅力ある農業、ボランティアなどがある。 町民もしくは町内に勤務する人を対象にしているようだが、詳細は信濃町役場のページに掲載されている。
 「癒し」という時流に迎合したような安易な言葉には何か抵抗を感じるが、特に若い人たちがこのような企画に積極的に参加し信濃町の将来について語り展望を持つことは非常に大事なことだと思う。

(旧徒然日記から転記)



2003年10月27日月曜日

スノーパーク・カメラの配信再開

 コスモス園の休園に伴い、14日午後から配信を停止していた黒姫高原スノーパークのライブカメラが、27日午後から配信を再開した。
 写している方向は変わらず、以前のようにクワッドの乗客ではなく、コスモプラザ前に滑り降りてくるスキーヤーが見える映像になるであろうと思われる。 既にコスモス畑は跡形もなく綺麗に刈り取られ、あとは雪降りを待つだけのようであるが、紅葉した木々が美しい。
 また、本日の”しんまい”によれば、日本釣振興会県支部の呼びかけにより、神奈川県など県外も含む釣りファンや釣具店経営者ら約100人が野尻湖に集まり、水辺のごみを拾ったとのこと。 釣り人が残す餌や魚、針や糸が野尻湖の環境を汚していることへのエクスキューズなのであろうが、個人的にはブラックバスやソウギョなども清掃の対象にしてほしいものだ。

(旧徒然日記から転記)



街道歩き

 数年前から誘われるままに旧東海道歩きをはじめ、時間が空いた土日を使って一人歩きを続け、今春には東海道を完歩することができた。
 現在は、日光道中(街道)に挑戦中だが、信濃町を通る北国街道を歩くのはまだだいぶ先になりそうで、まずは五街道の走(歩)破が目標である。
 どこも都市化が進み、昔の街道の風情を残している所は非常に少ないが、風雪に耐えてきた石仏や馬頭観音に出会うと、我々の先祖がこの街道を行き来し、旅の安全を願い、その気持ちを受け止めてきたであろうこれらの路傍の石が非常に大切に思えてくる。
 そして、何も出来ないのだがそれらの石に触れ、これから行き交うであろう旅人の安全を願うことで、長い歴史の中の一時点にいる自分の存在が、意義あるものに感じられてしまうのです。
 わずかなことだが、現代人が忘れてしまった、こんな思いを持つというのは年相応になってきたということかもしれない。 でも、必要な意識だと思う。

(旧徒然日記から転記)



2003年10月26日日曜日

選挙ポスターに惑う

 町中を歩いていると政党党首のポスターが目立ち、これでもかと”脂ぎった顔”を見せられるのは苦痛だ。
 これは、衆議院議員選挙がはじまってからの候補者のポスターを貼るための壁の陣取り合戦がすでに始まっている由縁とのこと。
 どの政党も”ギョロ眼”で脂ぎった顔を見せ”ヤルゾー”と訴えているようだが、どうも唾を眉につけたくなる気分だ。 それだけでその政党に投票する気分が萎えてしまう。

 地縁とか組織とかで、考えもなく候補者を選ぶような選挙は本来の選挙ではない。 新潟の白川氏のような信念をもつ人材の輩出を願い、かつ、そういう人を見抜く目を、市民一人一人が持ってほしいと思う。 埼玉の参議院補欠選挙のように有権者の4分の1ほどしか投票せず、ある種の組織票で当選しているということは、戦後間もなくマッカーサーが言ったように、赤子から日本人は何も成長していないということなのであろう。

(旧徒然日記から転記)



2003年10月24日金曜日

マグダレンの祈り

 アイルランドの修道院を舞台にした「マグダレンの祈り」やメキシコの「アマロ神父の罪」といったカトリック教会の内部を暴くような映画に対し、日本のマスコミなどはこれを好奇な目で捉えているようだ。
 しかし、そもそも人間には、神父であれ高僧であれ誤謬などということは決して持ち合わせていないのだし、自分にとっての正義はある時は相手にとっての不正義になることは枚挙に遑がないのである。

 社会的地位が上がれば上がるほど、保身に走るのも洋の東西を問わずどこにでもあることだ。 オウムのようなオカルト集団が自分たちの正義を信じてサリンをまいたり、刑事が誤認逮捕した容疑者を裁判所に送致し、自分を正当化することもある。

 統一教会の集団結婚式やエホバの証人の輸血拒否なども、一方にいる者には奇異に写る。 宗教であれ政治であれ経済であれ、人それぞれの考えや信ずる所に拘泥するのではなく”ある種の寛容さ”を持ち合わせたいものである。 だからといって抜け駆けや人を踏み台にするような行為や小泉や石原のような強権発動には必ず”ノー”と言いたい。



2003年10月22日水曜日

衆議院議員選挙や政治に関連して

 いよいよ衆議院議員選挙である。
 以前、東京からの客人を迎えていた時に、羽田孜氏の子息が選挙カーに乗って町内を巡っていたが、その客人の息子さんが友達らしく、拡声器の声を聞いて追いかけたが結局会えず終いであった。
 今回はどんな選挙カーが走ってくるのであろうか? 1万人そこそこの信濃町には回ってきても、つかの間で過ぎ去ってしまうであろう。

 それにしても、自民党の定年制に反して、出馬しようとしている老獪な2人はどうにかならないものか?
 自民党が公明党に尻尾を振っているのも問題だ。
 先日都内の下町を歩いたが公示前というのに公明党のポスターがあちこちに貼られていた。 また、電車のつり広告には、母体の宗教団体の雑誌広告が目立つようになり、個人の家の脇には自由に持っていけと、機関紙が置いてある。
 宗教と政治の混迷は、将来に禍根を残すことはヨーロッパの過去を見ても明らかである。 真の宗教観を持たない日本人にはこういう組織に対しては甘い判断しか持たないのであろう。 そしてオウムのように社会的な犯罪として認知されるまでに組織はどうにもならない程に大きくなってしまうのである。 黒姫高原ニュースと題しているのに関係のない話題になってしまったが、日本社会には憂慮に堪えないことが多い。

 その憂慮の幾つかが、アメリカ大統領であるブッシュ、日本国総理大臣である小泉、東京都知事である石原、中曽根老害(老獪)元衆議院議員、そういった輩の存在である。
 強いイメージの中で、政治を動かしているような幻覚を彼らは民衆に与えているが、その実、国の将来の礎になるようなことは何もしていないのが事実である。
 しかも、憲法9条の形骸化をはかるべく、自衛隊の海外派兵をたくらんでいる。 税金や各種社会保障制度にしろ、改正とうたいながら制度存続の安易な手段として、国民への負担を強いているのである。 そういう実態を見ないで候補者を選んだり、投票所にいかなかったりする人がいるというのは、どういう見識なのか?

 そういう現実を見ないように、物事を考えないように、体制に迎合するように、国民を仕向けてきたのが戦後教育なのであろう。 その挙句のはてが犯罪やいじめなど、社会事件とした形で毎日の新聞紙面を賑わしているのである。 戦後政治にかかわってきた政治家の責任は与党にしろ野党にしろ重いはずなのだが、わかっている人は少ない。
 先日、亡くなった元環境庁長官の大石氏のようなすばらしい政治家が輩出することを願うばかりだ。

(旧徒然日記から転記)



2003年10月21日火曜日

町の観光行政について考える

 信濃町観光協会HPの掲示板に、長野県PTA研究集会が信濃町で開かれ、ニコル氏が講演されたとアップされていた。 その趣旨や講演の内容に対しては知る由も判断することも出来ないが、終わってニコル氏はサイン責めにあったとのこと。
 聞き(読み)流せばどうということもないが、このサイン責めというのが気になった。 参加者が著名人のサインを得ることで何かその人に近づいたような気分になるのか、また持ってない人に対する優越感なのか、そういう行動に拘泥するというのは、研究集会に参加し趣旨を考えることと相反するものと思えて仕方ないからだ。

 9月に、民主党の菅代表が黒姫に一泊して、ニコル氏と環境対策について話し合ったと民主党のHPで知った。 政治の世界に身をおく人たちが黒姫の自然の中から環境を考えてくれることは大事なことだし良かったと思う。 そういう意味でもニコル氏の功績は重要だ。
 だが、しかし、寄らば大樹というか、名声のある人の影響力で自分たちの身を立てようとか、信濃町の観光開発を進めようというのは間違っていると思う。 彼は脇役であって、主役は町民(ニコル氏は町民だと言うが彼の著名度からすれば一町民とするのは無理であろう)であり、観光に携わる人であり、信濃町の知名度底上げを願う人、そういう人達なのである。

(旧徒然日記から転記)



2003年10月3日金曜日

霊仙寺山を登る

 信濃町役場と信濃町観光協会が共催する”秋山登山”が行われた。 春は黒姫山のみだが、秋には飯綱山と斑尾山の登山が隔年ごとに追加されている。
 今回は、飯綱山の隣の霊仙寺山というので黒姫に代えて参加した。 参加募集が”しんまい”に掲載されたとのことで長野市内の方々の参加が多かったようである。
 

 高度900mの霊仙寺跡から登りだし、飯綱リゾートスキー場のゲレンデに沿ったような感じの直線の登山道で1875mまで一気に登るも2時間半もかかってしまった。 あいにく雲が多くて黒姫山をのぞむことができなかったが、山頂近くで見た”どうだんツツジ”の鮮やかな紅葉が綺麗だった。

(旧徒然日記から転記)



2003年10月2日木曜日

芋川用水の改修

 信濃毎日新聞によると、野尻湖ナウマンゾウ博物館は「芋川用水」の改修を前に、4日と26日、工事対象区間のホタルの幼虫と、えさのカワニナを用水内の保護区間に移す作業を行うとのことである。
 本作業は、3年前から始まった工事に合わせ随時移してきたが、かつて北信でも有数の生息地だったホタルは減少の一途という。

(旧徒然日記から転記)



2003年9月24日水曜日

町長、自立を宣言

 信濃町議会の9月定例会で、服部町長は「合併せずに自立の道を選択する」と宣言したと報道された。

 町長は、2022年まで20年間の財政推計では、行財政改革の推進により14年度から歳入が歳出を上回って、町単独でやっていける見通しと説明。 今後、「厳しい地方財政が予想されるが、町民と議会、行政が一体になり、町民自らが主体となる地方自治を推進したい」と述べたとのこと。
 どちらにしても組織や地域の壁を取り去って、町民全員の命運を分けるという気持ちを持った活動が今後も望まれることであろう。

(旧徒然日記から転記)



2003年9月15日月曜日

一萬度

 朝、荒瀬原方面を通ると稲穂が色づき頭をたれている所もあったが、夏の日照不足で半分程度の実りではないかという農家の方の話であった。 祭の献灯などに「一萬度」と書かれていることがあるが、これは稲の育成に必要な温度を累積したものだとのこと。
 となると、今年は差し詰め5000度か6000度の年なのかもしれない。 そば畑も白く輝いていたが、よく見ると茶色く実をつけはじめているようであった。

(旧徒然日記から転記)



2003年9月14日日曜日

秋祭り

 14日は柏原、古間地区の秋祭の日である。
 我が上町(かんまち)組も、午後からリヤカーに乗せた神輿が、笛、太鼓、鉦の音とともに組内を一軒一軒回り、「おめでとうございます」と挨拶し、ご祝儀を頂く。
 組内を回ることで、家々を再確認すると同時に各戸の情報交換の場にもなっているようだ。 主要な家では、無病息災などを願った神楽舞を舞ってもらうが、それぞれの役回りに酒や肴を振舞うのでそれなりの出費になるのであろう。

 夜9時になると古間商店街の真ん中で、舞が披露された後に、集会場に足揃いをし古間神社に集合する。 その頃になると柏原でも古間でも花火があがるが、残念ながら柏原の方が数多く色々な花火が上がっていた。 そのあと古間神社ではかわいらしい女性の神主(巫女?)さんの威厳のある祝詞の後に、各組の神楽舞が奉納された。
 ある組の舞の中で、ヒョットコ面の踊り手がちょっとした芸を披露した仕草に、神主さんが頬を崩したのが一層かわいかった。 例年この時期はしとしと雨が降って、自分の組の舞が待てないほど寒さを感じていたが、今年はまだまだ異常気象が続いているのであろう暑かった。 また組数が減ったのか、いつもは夜半まで各組の舞が続いていたが11時半過ぎには終演をつげる挨拶が聞こえていた。

(旧徒然日記から転記)



渋滞の中、コスモス園へ

 昼少し前に信濃町インターに着いたが、上信越道の本線から側道に入る所から車の渋滞の列であった。
 料金所の窓は二つ空いていたが観光案内も兼ねているのであろう、一件(車)一件(車)の取扱時間がいやに長い。 収受人に声を掛けると「こんな渋滞は初めてだ」と言う。
 早速、山に向かったが山桑の手前からコスモス園を目指す車の列がノロノロとつながっていた。 やっと駐車場に着くかと思えば、町営駐車場も一杯で前山ゲレンデ駐車場へ停めてくれと言われた。

 コスモス園には、たくさんのお客さんが来ており、コスモプラザ前のハーモニー演奏会にも聴衆がいっぱいいた。 コスモスをカメラにおさめようとしたが、40余種というわりにはピンク一色の花びらばかりだし、しかも盛りの色を出しているコスモスは少ない。 おまけに「畑に入って写真を撮らないでほしい」とアナウンスしていたが、写真撮影をしやすい植付けなどの工夫の方が先であろう。 リピータを増やすためのきめ細かい配慮がもう少し欲しいようにも感じた。

(旧徒然日記から転記)



2003年9月9日火曜日

信濃町議会の合併報告

 本日の信濃毎日新聞のHPによると、”信濃町議会の合併問題等調査特別委員会は8日、開会した9月定例会に「住民の英知と努力で自立(律)の道を」との最終報告を提出し、全会一致で採択した”という。
 「町の過疎化が進み、地域の活性化が減少することが心配」としながらも「自立を選択するのが賢明」とし、服部町長は「できれば今議会中に町としての最終方針を出したい」としている。

 一昨日、TBS系のテレビ番組で「じょんのびの里-新潟県高柳町」を特集していたが、あれだけ過疎を売り物に町の活性化に向けた”たゆまぬ努力”を重ねてきても、合併の渦に巻き込まれている実例を見ると、わが町”信濃町”でこの決断にどれだけの”ズク”があるのか町民一人一人に問うだけでなく、関係する人々皆の意識の掘り起こしから始める必要があろうと思った

(旧徒然日記から転記)



2003年9月2日火曜日

町民アンケート結果の詳細HP

 町村合併に関するアンケート結果については、8月22日の信濃毎日新聞でも報道されていたが、詳細は信濃町役場(信濃町オフィシャルページ)にもアップされている。
 このとき、町営信越病院に対するアンケートも同時に実施されていたが、結果は掲載されていない。 近隣の長野市民病院飯綱病院の方がいいと無造作に言う町民もいるが、地元施設を積極的に使わないということは病院経営の悪化を招き、ひいてはその負担が町民全員にかかってくるということを皆が知るべきである。

(旧徒然日記から転記)



2003年8月22日金曜日

合併アンケート結果

 ”しんまい”は、信濃町「自立」を、住民の55・5%と報道。
 7月に行った市町村合併問題について、聞いた住民アンケートの結果を21日、町議会合併問題等調査特別委員会が明らかにしたとのこと。
 自立に対し「賛成」が55・5%(3948人)と過半数を占め、「反対」の16・9%(1203人)を大きく上回った。 アンケートは18歳以上9072人を対象に行い、回収率78・4%(7113人)。

(旧徒然日記から転記)



2003年8月16日土曜日

苗名滝まで歩く

 以前から気になっていた信濃路自然歩道を歩いてみた。 黒姫高原スキー場の町営駐車場から杉の沢の”苗名滝”、さらには妙高の乙見湖に通じるハイキング路である。
 熊が出ると脅かされてはいたが、鈴をつけるなど体制は万全で、難なく2時間の行程を歩いてしまった。 しかし、復路では猿の一団に遭遇、ボスとおぼしき猿を遠巻きに目を合わせないよう足早に戻ってきた。
 路の一部には、昔伐採した木材の運搬に使われたと思われるトロッコ用線路の枕木がわずかに残っていた。

(旧徒然日記から転記)



2003年7月11日金曜日

信濃町のルバーブ紹介番組

 午後1時の日本テレビの番組で、信濃町のルバーブが紹介されていた。
 信濃町の人はルバーブをジャムやジュース、漬物などで食しているので、皆顔のつやがいいとホスト役は言う。 誰もがルバーブを生産し漬物など色々加工しているわけでもない状況を知っている身としては、随分といい加減な説明をするものだと、その無責任さを感じてしまった。
 一昨年、放送されたブルーベリーの番組と同様で、一過性の気を引くにとどまるのではないかと思われるが、全国の奥さん方には大変な興味を引かれたようで、その後、地元農協や町役場にどのようにすれば入手できるのかと問い合わせが続いたとのことである。

(旧徒然日記から転記)



2003年7月9日水曜日

合併町民アンケート

 全国的な町村合併の荒波の中で、自立方針をかかげている信濃町は、11日から町民アンケートを実施し、その是非を問うことになったと、今朝の信濃毎日新聞は伝えている。
 18才以上の9千余名の町民が20日までに回答し、その結果によってはこれまでの方針を再検討することもあるとのこと。
 今日の黒姫高原コスモス園のライブカメラを見ると開園準備が忙しくなってきたことが分かる。

(旧徒然日記から転記)



2003年7月4日金曜日

コスモス園の開園準備がすすむ

 ここ数日、黒姫高原コスモス園のコスモスカメラが真っ暗な画像を送っていたが、カメラ設置場所の変更工事を行っていたようで、本日午後から配信を再開した。
 クワッド乗り場があるイエローボックスの二階からリフト券売り場の建屋に移動したような画像で、クワッドリフトが見えなくなっているが、詳細はよく分からない。
 先月の山登りでクワッド降り場横を降りてくる道筋に、ウッドチップを敷き詰めた歩道が出来ているのを見つけたが、一層コスモスを楽しめるようにと、今年のコスモス園はかなり広く作られているようである。

(旧徒然日記から転記)



2003年6月8日日曜日

黒姫山登山

 昨日、町民登山に参加するため、黒姫駅に夕方8時に降り立った。
 電車から見る我が家の林には、偽アカシアの花が白く咲いているが、今回は食事の手間を省くため駅前の藤野屋旅館に泊まることにした。
 この時期、殆ど宿泊客はいなかったが、この旅館の昔の住所が「柏原停車場二軒目」だと知り古さを感じた。 でも、旅館のお孫さんはパソコンの画面でインターネットのjavaゲームを楽しんでいる。 柏原の昔と今を垣間見たわけだ。

 さて、昨夜一時雨が落ちたが、朝から晴れて黒姫山はよく見えていた。 7時に駅前の集合場所へ行き、受付を済ませてからバスで戸隠村との境にある大橋へ移動した。
 7時40分頃から登山道に入るも、古池から見る山頂は雲に隠れていた。 10時50分ガレキ沢に到着。 去年はよく晴れて新緑が楽しめ、今年もと期待していたのだが、今回は雲が出てしまい視界が良くない。
 11時40分頃に山頂へ、そしてすぐに七つ池に下りたが、途中には残雪があり道を失いそうになった。
 昼食後1時に出発し下山を開始しコスモプラザには4時に着いたが、今回も膝を痛めしんがりとなってしまった。
 営業をやめた第六リフトのゲレンデの草木は去年にくらべ、だいぶ伸びていて、来年あたりは藪になってしまうのではないかとも思われた。 それにしても女性は元気である。下山しながらも蕨を持ちきれないほど採っていた。

(旧徒然日記から転記)



2003年5月13日火曜日

町の財政シミュレーション

 信濃町は、周辺市町村と合併しない場合の財政シミュレーションを町議会全員協議会に示したと、”しんまい”が伝えている。
 これによると、地方交付税の減額に対応するためには、10年間で歳出15億円の削減を図る必要があり、水道料金の増額、福祉施策の見直しなど住民への負担増が必要だということである。

(旧徒然日記から転記)



2003年5月3日土曜日

虹鱒解禁と戸隠の式年大祭

 今日は鳥居川の虹鱒解禁の日なので、朝8時に我家の真下にある川辺で釣り糸をたれてみたが、今年は放流魚がどれも大きく、数が少ないとのこと(重量で放流する量が決められる)。 案の定にわか釣り師は何も釣れずに、釣れた人でも初めの数10分で3匹ほどであった。
 そのため、開始して30分も経つと釣れないと、皆次々のポイントへと移動を始めていた。

 午後からは気を取り直して、戸隠神社の式年大祭の見物に出かけた。 7年に1度行われている祭とのこと。

(旧徒然日記から転記)



2003年1月23日木曜日

市町村合併問題

 地域の特性を潰してグローバル化を図るためなのか、はたまた地方交付金を削減し国の負担を減らすことをねらっているのか、市町村合併の話題があちらこちらで喧しい。 隣の戸隠村は、村民アンケートの結果、長野市への併合で委員会が答申をまとめたと”しんまい”が伝えている。
 信濃町でも町民の意識を喚起するためなのか、町の現状をしめした資料が昨年配布されていた。 今後、町がどの方向に向うのか気になる所ではあるが、地域の特性や良さを抹殺し、地方の文化の火種を消してしまうような、金太郎飴のような市町村作りだけはやめてもらいたい。

(旧徒然日記から転記)



2003年1月12日日曜日

どんど焼き

 どんど焼き(松本地方では三九郎と云う)の準備を組総出でするというので、雪降りの中、カメラを片手に朝8時過ぎに現場に向った。
 どんどの周りの雪を掘り起こし、周辺を踏み固め、各戸で外された松飾りや達磨を飾るのである。
 そして、その夜、夕食を終えた7時にはどんどに点火され、ほど良く燃えた所で餅をくべるのである。
 日中、信濃町インター横の天望館では餅つき大会が行われ、無料の甘酒も配られていた。 この日に買ったお焼きと中華饅頭が大変うまかった。

(旧徒然日記から転記)



2003年1月5日日曜日

ブリザードのような雪降り

 長い正月休暇を終え、午後雪降りの信濃町を後にしたが、そのわずか2時間後に妙高高原・黒姫間で信越線の電車が10時間も立ち往生してしまい、警察や救急の車がしばしば行き交っていたとのこと。
 ご近所の方が、妙高高原から車で帰ってくるだけで大変怖い思いをしたと、ブリザードのような雪降りだったらしい。

(旧徒然日記から転記)



2003年1月1日水曜日

ADSL不調

 昨年8月、信濃町でもADSLが使えるようになり早速利用して来たが、地域の利用者が増えてきたのか、あるいは減衰率の高い地域にあるためなのか、とうとうリンクが立ち上がらなくなった。
 そのため黒姫山ウェッブカメラの配信には、通常の公衆回線を使わざるをえなくなってしまった。

(旧徒然日記から転記)