お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*平和の琉歌



*うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」


*the world is coming to an end



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2003年12月31日水曜日

大晦日に思うこと

 雪と雨と曇が繰り返された大晦日である。
 20日前後の大雪のあとは、目立った雪降りがなかったし、素手のまま外に出てもあまり寒さを感じない。 ヤフーのページなどで、今年を振り返ってみたが、喜ばしいことや楽しいことより、災いや悲惨や辛いことばかりである。 文明が進化し便利になっても、人間は未だ過去を清算し学習しないのか、そんな疑問符に苛まれてしまうのである。

 映像文化やインターネット文化の中で、過去の規範は通用しない。 バーチャルな世界の中で心を失い、本能のままに異性を漁り、略奪や人を危めるのが日常茶飯事になってしまっているのが、今の世。 人それぞれの信念や規範や拠り所をいかに持つことができるか、有象無象の事象に適切な判断ができるかが、きちんとした人格が持てるかの岐路であろう。
 それを育てるのが家庭であり、親子、兄弟の関わりである。 小さな共同体から、将来の日本を支える若者を育てたいものである。 そんな思いを抱きながら、2年参りと称して、古間神社と行善寺を参詣してきた。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月30日火曜日

黒姫でオーロラが見える

 町の広報誌「しなの」の12月号を見たら、10月31日午前4時50分前後に黒姫山山ろくでオーロラが見えたと写真が掲載されていた。
 北極圏で見られるような大きなものでなく尾根に沿った空の部分が赤く光っているような感じではあるが、黒姫で見ることができるなんて新しい発見であろう。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月24日水曜日

真に平和を願う人は

 今日はクリスマスイブである。 まぁ、誰でも知っていることだが、つまりキリストがベトレヘムの星のもとに生誕した日である。 しかし、2000年を経た現代のベトレヘムはテロと殺戮の街と化している。

 かたや日本の街角を見ると、さすが千鳥足のサラリーマンを見ることは少なくなったが、粗悪な油脂や素材で数ヶ月前に作って冷凍保存していたデコレーションケーキの店に行列をしている様子があちらこちらで見られる。 平和といえば平和な光景だろうが、はたまた日ごろ家庭を顧みないサラリーマンのせめてものエクスキューズなのかもしれない。 でもこの時とばかりケーキを買っても普段から贅沢をしている子供達には嫌われるばかりかもしれない。

 この国には何でもある
 本当にいろいろの物が有る
 だが、希望だけがない


 先日、日光街道を歩いたときに栗橋宿の顕正寺で見た言葉である。
 500兆円以上の借金を負っている国の来年の予算では、更に30兆円も市中からの借金でまかなうという。 そして自衛隊はイラクの人道支援という銘文のもと海外派兵を行う。 この目的は隊員に戦地での実体験をさせること、憲法9条のなしくずし解消を図るものであって、決してイラクを援助するための美辞麗句ではない。 真に助ける気が政府にあるならもっと的確な手法を模索しているはずだ。 与党に組する政党の委員長だか知らぬが、3時間ほどアメリカ軍に警護されたイラク視察が行われたという。 3時間で何が分かるのだと子供だって知っている。

 この国に希望がないのは、政界、財界、宗教界の有象無象が自己の利益に走って、日本の遠い将来を見据えていないからであろう。 クリスマスはキリスト教徒でなくとも、平和と平安の象徴であることは誰でも知っている。 日本列島沈没どころか地球が沈没する所まで近づきつつある今、世界の平和を一人一人が考えなければいけない時に来ているのである。 自分に何が出来るか、イブの日の一時だが、そんなことを考えて過ごしたい。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月11日木曜日

石川文洋さん、日本列島を縦断す

 ベトナムやアフガニスタンなどの戦場を撮り続けてきた報道写真家の石川文洋さんが、宗谷岬から那覇市までの3300Km149日で歩き、撮影の旅を終えたと日本経済新聞の社会面に記載されていた。
 題して、「平和願い徒歩で列島縦断」。

 以前、日本海側を南下中の石川さんを、テレビ画面で見たことがあるが、旅する先々で行き交う人々と話し、その会話の中から暮らしを写す姿に感じ入った。 自分も半年前からカメラ撮影の仕方を学び始めたが、景色を単に綺麗に撮るのではなく、時空に交差する人々の生活や喜怒哀楽を写せたらと願うばかりである。 そこで、石川さんを”カメラの師”としたいと勝手に思ってしまったのである。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月10日水曜日

思慮のないイラク派兵

 時の日本政府は、聞く耳や見る目を持たないのか、アメリカのいいなりに自衛隊のイラク派兵を決定したという。 先進国として、政治的にも経済的にも困窮している国を援助するのは当然であることは誰もが承知している。
 しかし、軍服を着て武器を携帯した姿は軍人そのものだし、イラクの人々からすればアメリカ軍の影に見え隠れする日本の軍人を侵略者と見るのは当たり前だ。 今回の決定の裏には、政治的にも経済的にも恩恵を受ける有象無象の輩がうごめいていたのであろう。 しかも憲法9条の非戦の誓いは、見事に崩れ去り、間もなく軍需産業の台頭と国民皆兵の時代に入るのか、今世紀の日本は非法治国家の道を邁進するのであろうと感じられる。
 日本独自の判断で、白い制服で白いトラックに物資を載せて、彼らが独り立ちできるような手立てで援助活動を行えば歓迎されるであろうが、もはや諦め感しかない。 またもや日本が世界のオピニオンリーダーとなれる機会を逸してしまった。 最後は、隊員達が殺戮されず、また殺しもせず無事に復興支援にあたってほしいと願うのみである。

 しかし、日本の不良資産を海外の企業に売り渡し、社会保険の負担増、給付金の減額など国民への配慮はなく、国の負債額は500兆円を越えているという。 こんな日本に作り上げてしまった政治家の所業を精査せず、政治的に無知を押し通す人間がこの日本を構成しているのだから止む無し。 砂の一粒ほどの意見でも大変な重みを持つのだが、これに耳を傾ける政治家は全くいない。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月6日土曜日

優先席に関して

 昨日、神戸で優先席に座っていた高校生らに対し年寄りに席を譲るよう注意したが、無視されたので殴ったという20歳代の男性が逮捕されたとニュースで知った。
 現場に行き合わせていないので何も言うことはできないが、高校生にとって優先席の意味も注意されたことの意味も全く分からずに、諫言を無視したのであろう。 10歳そこそこの年代の違いでも認識の差は大きいのである。
 このように勇気ある行動が理解されないことは多くあるし、もう我々のような年代になると、はなから注意してもダメだと諦めてしまっている所にも問題がある。

 長野駅から乗る信越線も短い車両だと時間帯によってはかなりの乗客がおり、高校生1~2名がボックス席に荷物を置いて占有していることもしばしば見られる。 それを我々は注意できないのである。
 今月から、横浜市営地下鉄は全席を優先席にしており、落語家やミュージシャンを起用し優先席の活用を再三アナウンスしている。 市政の方向としてはうなづけるが、こういうことまでしないと年寄りや障害者をいたわる気持ちが湧いてこないのは何とも嘆かわしい。

 戦後の教育や企業の中で勝ち抜くことしか教えず、真に他人を思いやる理念を持ち続けてこなかった所作の結果なのであろう。 同時に体力のない若者は、年寄り以上に年寄りになっているのかもしれない。
 バブルや右肩上がりの経済の時代が終わり、ひそかに海外の巨大資本に日本を売り渡すような場面が見え隠れしている今日、戦前を含め過去をきちんと清算し、人が生きること、人々と共存していくことの意味をもう一度整理して日本人の理念として確立しなければならないと思うものである。 しかし、議院や官庁にそういう意識を持った人材がどれだけいるのか、最後は諦めのため息しか出ないのである。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月4日木曜日

日本酒は外国人にもブーム

 去る土曜日の夜、東京・有楽町の居酒屋に外国人が数十人、続々と集まってきた。 お目当ては、えりすぐりの日本酒と、一人の米国人の話だ。
 本日の日本経済新聞(夕刊)はこのような件から始まって、アメリカ人の間にひそかに日本酒がブームになっていると紹介している。

 英語教師として来日したアメリカ人が、日本酒のとりこになって日本酒ジャーナリストの道へと進み、在日外国人向けの日本酒セミナーやニューヨークでのセミナーを開くまでになったという。 飲用ばかりでなくフルーツケーキやアイスクリームの香りづけなど、日本では考えられなかった使われ方もしているらしい。
 信濃町近くの小布施町にある小布施堂では、セーラさんというアメリカ人女性が役員となって色々なアイディアを出し活躍をされているというのもよく知られた話である。

 信濃町にも造り酒屋や味噌屋もある。 昔から営々と続いている食文化と特産である野菜をからめ、こういった新しい創造ができないかと思った次第だ。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月3日水曜日

野尻湖周辺の発掘土器

 野尻湖周辺の遺跡の一つである貫ノ木(かんのき)遺跡で1999年に出土した土器片を、県埋蔵文化財センター(千曲市)が放射性炭素測定した結果、縄文時代草創期にあたる約1万5600年前のものであることが分かった、と3日付の”しんまい”は報道している。

 この方法で測定されている土器の中では、国内最古とされる大平山元1遺跡(青森県)の無文土器(約1万6500年前)に次いで古いとのこと。
 土器片は1999年10月、地下2~3mの直径1m程度の範囲内で見つかり、復元すると、口径、高さとも約20cmの底がすぼまった形の器となり、外側に隆起した線状の模様が施された「隆起線文土器」だという。
 1999年から2002年の間の発掘では、このほかに旧石器から縄文時代前期の石器や土器約3500点が出土されたとのこと。

 このような話を聞くと、厳寒の地で生きながらえていた古代人の生命力の凄さとか、ナウマンゾウを含め信濃町の歴史の古さ、更にはそういった学術的な重要さも感じられ、ついつい散歩中の足元が気になってしまうのである。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月2日火曜日

過疎地の活性化対策

 アサヒコムのページで、熊本県境にある福岡県の立花町鹿伏(かぶせ)地区の、55世帯(202人)のうち54世帯が「田中さん」だと伝えている。
 姓だけでなく名前まで同じ(同姓同名の)町民もおり、特に嫁いできた女性には同じ名前が目立つとのこと。 シズコ、マサコ、ミチコ、ミエコ、ミツエ、チズル、ヨシコはそれぞれ複数おり、同じ呼び名の場合は「カズオさんちのミチコさん」といった具合に、夫の名もつけて区別して呼び合っている由。

 この鹿伏地区はミカン、キウイの産地だが過疎地の例にもれず、若者が流出して後継者難を抱えているが、このような殆ど同姓ばかりの特徴を生かして6年前から「歓交農園 DO(ド)KO(コ)MO(モ)田中さんちの農園」を開き、なかなかの人気を集め、近郊からの観光客誘致や人事交流に役立っているとのこと。

 くしくも現在、信濃町でも地元活性化への取り組みを町民とともに行うためのアイデアが練られているようだが、こんな取り組みは実に楽しいし意義深く感じられるものである。

(旧徒然日記から転記)



2003年12月1日月曜日

悲しみは繰り返される

 とうとう、イラクで日本人の犠牲者が出てしまった。 イラクに向かう親族の姿を写すテレビ映像は”悲しみ”そのものである。
 カンボジアの国連ボランティアに従事していた中田氏の時もそうであったように、為政者の無策による人々の悲しみはかように繰り返されている。 鬼畜米英を真としてきた日本は、戦後は一転翻って、占領軍であるアメリカに盲目的に隷従することが美とされてきた。 朝鮮動乱から始まった色々な事象が日本経済の繁栄を形作ってきたという効果を否定することはできない。
 しかし、見えない脅威から保護されているというだけで、日本の土地や税金を米軍に垂れ流しするのはいい加減にやめるべきだ。 石油資本に盲従したブッシュやブレアの言いなりになって、イラク貢献を叫ぶのは愚の骨頂。 事前調査だと、軍服を着て米軍の指導のもとにイラクに行けば、誤解であれ銃弾の的にされるのは当たり前だ。
 企業や政治に還流するようなODAのような支援ではなく、本当に国際社会の一員としてイラクの復興を願うなら軍艦や軍服に頼らずイラク人が真に望んでいる復興案を実施すべきである。
 今回の犠牲者の発生を自衛隊派遣の理由にしては決してならない。 それは、再び、悲しみを見ることになるからである。

(旧徒然日記から転記)