お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*the world is coming to an end*



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

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2004年12月31日金曜日

大晦日も雪降りが続く

雪降り

 25日からやっと里に降った雪は、日増しに降り続き、大晦日の今日も降り止まずにいる。
 というか、異常気象の一端なのか、東京など太平洋側で2度目の雪降りになっており、高速道路や首都高速が通行止になっていると聞く。

 いよいよ町のブルが動き出し除雪が始まったようで、我家の畑にも道路の雪が押しこくられている。  そのうち雪山ができることであろう。
 いつぞや、松の内の酒に酔いしれて、真っ暗な降り続く空に向って、”いい加減に降るのをやめろー”と吠えてしまったことを思い出してしまった。 つまるところ、スノーダンプで除雪しようとした揚句に、転んで取っ手に額をぶつけて我に返ったのであった。

 山古志村で雪下ろし隊が初出動したというニュースが流れていたが、本当に雪除け作業というのは大変である。 ドカ雪にならず毎日ほどほどに降ってくれれば問題ないのだがお天道様は人の都合までは考えてくれない。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月30日木曜日

カメラは順調に作動

 先月、ルーターを交換したことで、この一月間無事にカメラ映像を配信することができた。 現在配信中の映像は3つあり、系統だっていないので少し分かりにくく将来は見やすくしたいと思っている。

黒姫山ライブカメラ

 まず、1カメは、
 2004年9月に設置した所謂ライブ(ネットワーク)カメラで、今の黒姫をリアルタイムに配信しており、我家のベランダから見えるゲレンデなどの風景をプリセットで選べるようにしている。
 この映像はトップページの黒姫山写真をクリックすることで開くことができる。
 この1カメの快挙は、12月5日の黒姫山に虹がかかった景色であろう。 2分毎に保存してあるファイルをダウンロードしフラッシュで見られるように早速トップページにリンクさせた。

黒姫山ライブカメラ

 2カメは、
 2000年11月に設置した手製のカメラで、当初はアナログ回線を使用し、日に3回ほど配信していたが、マシンにウインドウズ98を使っていたためOSがフリーズしてしまうことが度々であった。 現在はウインドウズ2000に替え、トップページの私設・黒姫山カメラのボタンから開くようにしており、配信間隔も10分にした。

黒姫山ライブカメラ

 3カメは、
 パソコンショップにある安価なカメラで居間の窓に置いたもので、映像の質は良くないが雪や雨などの影響を受けない。1カメ、2カメの補助用のつもりなので先々では外すかもしれない。
 最近の携帯電話では大きな容量の映像も見れるようなので、これら3つの映像を携帯ページでも見られるようにしている。 但し、1カメは静止画のみ。
 また、1カメでは明るい夜間であれば山の稜線を確認することもできる。
 このように、カメラ映像もコンテンツも分かりにくくなっているので将来的にはもっと見やすくカッコ良くしたいと思っている。
 しかし、昨夜からの雪降りのように湿った雪がハウジングに付着し凍りつくと手立てがない。 風と気温の変化で融け落ちてくれることを願うのみだ。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月29日水曜日

大晦日に戸隠奥社に灯火を設置

 来年元旦にはなくなってしまう戸隠村の最後のイベントであろう、戸隠村商工会青年部が戸隠神社奥社参道に400本のぼんぼりを点すとのことである。
 深淵とした夜の静けさの中で、奥社へお参りし新年を迎えた時に感じるであろう”荘厳さ”に是非行きたいと思ったが今回は都合があってダメだ。

 それにしても戸隠村は長野市と合併し長野市の一部になってしまうというが、隣にあるものの地形的にも住民の生計も、雪の量も全く異にしている行政区が一つになって意味があるのか疑問に思えるし、村の特性が消えていくことに何か寂しさも感じる。
 今後、「戸隠」という名がどんな形で残っていくのか気がかりだ。 同じように飯綱町になるという牟礼と三水についても同じ思いがする。
 特に、「さみず」という名はりんご生産地としてのある種のブランド名にもなっていると思うからである。
 効率化、省力化という行政の体制立て直しという目的は分かるが、それぞれの地域に生きている、人々の心に残っている特性や歴史という火を消すようなことは絶対しないでほしいと切に願うものである。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月26日日曜日

広域農道

 信濃町役場のページを開いたら、トップページに12月24日に ”広域農道『北信五岳道路』が開通” と開通式の写真が掲載されていた。
 たぶん、千曲川の立ケ花から三水村を抜けて信濃町に出てくる通称「のうめん(農免?)道路」だと思うが、これが通行できるとなると中野からの移動が大変便利になり、上信越道を利用する場合も中野インターで容易に入れる。
 と云っても、スキーシーズンは志賀方面の車が中野インターで出入りするので混むし、信濃町戸草から三水村に下りる所はいまだ工事中で細い道のままだ。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月25日土曜日

九条の会

 九条というのは、もちろん日本国憲法九条のことであるが、日本の知識人の良識の府とも云えるであろう、井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の9氏が、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考え発足させた会が九条の会である。

 そこで、憲法九条を読み直すと、
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない

 会の発足以後、地域ごとの九条の会が生まれているが、今月初旬に信濃町町議会議員全員がこの九条の会に賛同されたということを聞き、”すごい!”の一言であった。 先日、信濃町の重(十)大ニュースについて書いたが、その一つにもなろうと思う。

 詳しくは知らないが、先の大戦では、信濃町から出兵したり開拓団として満州で辛酸を舐めた方もいたようで、そういった苦労の影に平和を希求する気持ちが党派を越えて今の議員達の心に残っていたのであろう。
 今の憲法を占領軍のお仕着せだと嫌う方もいるが、お仕着せであろうと古かろうと、平和や安念を願うのは時代を超えたものである。 信濃町の行政にかかわる方々の心の中にそういうものがあるということは素晴らしいことだと思う。

 ”国を守る=軍備”と考えるのは早計だ。 北朝鮮による日本人拉致問題にしても、戦後処理をきちんとしてこなかった日本政治の結果(不始末)であろうし、国家権力がもっと早く真摯に対応していれば犠牲者も少なかったであろう。 北朝鮮のミサイルから防備するために最新の兵器を装備するなどというのは、もっとも短絡的な発想で、それこそ日本丸の操船を誤るもの。
 アメリカはベトナムでの経験を生かさずに偽りの大義のもと、イラク社会を混沌の坩堝に落としめていると、同時にアメリカ社会にも深い哀しみを与えつつある。 そして憲法九条の精神を無実化し自衛隊をイラクに派兵、具体的な活動を国民に明らかにしないまま自衛隊員(国民)を危険にさらしているのが現実なのである。 更に、国民の税金が色々な形で占領軍(アメリカ軍)に湯水のごとく使われているのである。

 そんな意味のない国費の乱用に対し、洪水被害や中越地震被害などの復旧や被災者に使われる予算はわずか。 来年は増税の嵐になりそうだ。 こんなに国民を愚弄した政治はない。
 国を守る主張は大事だが、軍備増大だけでかなうものでないこと、国民の幸福とか安全がどうのような形で実現されれば良いか一人一人が考えるべきものと思う。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月21日火曜日

黒姫の十(重)大ニュースは?

 大晦日近くになると”今年の十(重)大ニュース”というタイトルで、1年間を振り返る記事が新聞紙上を賑わすが、黒姫に限って考えたらどんなことが上げられるであろうか。
 町政や町内の出来事については、黒姫での生活が少ないので分からないが、今年の自分としては、小林一茶のことを少し知ったことと、野尻湖の琵琶島で大鳥居竣工記念のコンサートに参加できたことの2点が大きなニュースというか出来事であった。

 以前にもこの日記に書いたが、東京大学名誉教授で浄土真宗の住職でもおられた早島鏡正氏の「念仏一茶」という本を読む機会に恵まれ、一茶のやさしさ、宗教性、精神性を知り、その人となりを知りたくなったのである。 それがきっかけで、一茶記念館の講演会にも目が向いたのであった。

 8月に、「一茶句のおもしろさとおそろしさ」と題した、宮沢賢治イーハトーブ館館長であり、30年前から信濃町の山桑に住まいを持つという原子朗さんの講演を聴いた。 当時の時代背景から一茶の生き様と一茶句を詳訳し、幕府直轄の天領であったこと、親鸞に詣でるために三河から北国街道を歩き、途中の柏原で居を構えた人々のこと、農業文化が栄えたこと、平均余命30数才の時代に65歳まで生きた一茶を支えたのは蕎麦であったこと、一茶の家庭環境のこと、等々 お話が多岐にわたり、その中で一茶句を解説されていた。

 9月には、「句にあらわれた一茶の社会性と政治性について」と題した、専修大学青木美智男教授の講演で、1.信州村落での民間教育の様子、2.江戸裏長屋での暮らし、3.信州人の江戸稼ぎ、4.一茶の異国観と自国観 とに分類され、数句ずつ実例をあげて解説し、一茶の句から時代像を読み取れるということであった。 65歳まで生きた一茶の、”生”に対する執着心や時代をきめ細かく見る目があったからこそ、晩年、小さな生物に対する優しさを詠う句が生まれてきたという結論であった。

 また11月の一茶忌では、「一茶と山頭火」と題した、「海程」主宰の金子兜太氏の話で、生活者であった小林一茶と放浪の俳人種田山頭火を判り易く比較されており楽しく聞くことができ、夏の明るさと冬の暗さという黒姫高原(信濃町)が持つ明暗の2面のうち、夏の明るさや喜びを謳歌したのが一茶であったということであった。

 他の講演会には残念ながら参加できなかったが、来年も機会があれば色々な話を聞いて一茶の人物像に対する自分の理解を深めて行きたいと思う。

 それにしても、黒姫には別荘を中心として著名人が沢山来られているようだ。 休みに来られているのに町の行事や観光に向けて出場願うのは難しいかもしれないが、何か役立ってくれれば町の活性化への一助にもなるのではと思われる。

 もう一つの重大ニュース(出来事)は、8月に野尻湖の琵琶島で大鳥居竣工記念のコンサートが聞けたことである。 初めて琵琶島に渡り夕方の深淵とした空気の中で何か数世紀の流れの一時点に自分が存在しているのではと思えるような時間であった。
 コンサートでの、ギタリスト辻幹雄さんの11絃と6絃ギターの演奏、松尾慧さんの篠笛・龍笛・能管とのデュエットも、野尻湖を渡る風の音とともに心地よく聞くことができた。
 町の活性化のためのプロジェクトの中に、”癒し”をテーマにしたものがあるが、琵琶島のこのような”場”こそが、自己免疫力を生み出す”癒しの場”ではないかと思う。
 自分自身は、安易に”癒し”という言葉が使われているようで、この言葉を聞くと逆に違和感を感じてしまう。 しかし、ナウマン象を含め、太古からの時代の流れの中に存在する自分を見つけ、確信することこそが自己治癒力を生み出す”癒し”効果ではないかと思う。
 宗教行事と中立的な観光事業に相容れないものがあるという考えもあるが、あのコンサートを単に神社の行事として片付けてしまうのは勿体無い。 来年8月に再び行われるかもしれない琵琶島の行事にはぜひ参加したい。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月19日日曜日

羽ばたけ、若い音楽家達

コンサート

 10数年前の黒姫での最初の春、野尻湖畔の東京大学寮近くで花を摘んでくれた可愛い女の子が成長し、音楽家としての道に励んでいるというので、彼女とその仲間たちが演奏するコンサート会場に出かけた。

 幼少の面影を残す彼女は、今年から音楽大学に在学し、音楽家としての新しい経験を沢山積みたいと、同級生達と木管五重奏の演奏を機会があるごとに開いているとのこと。
 今日の演奏曲目は、イベール、ライシャという一般的には知られていない(自分だけかも?)が、木管楽器にとっては大事な小品集らしい。 やはり門外漢には理解が難しく、いまだあどけなさが残る彼らの演奏でもあったが、逆にリラックスして聞くことができた。
 5人ともども、若者らしい清純さを残しており、こういった機会を積み重ねて行く中で、音楽家として大きく羽ばたいてほしいという思いで一杯であった。

 年末になると歳末助け合い運動として、中学校やYMCAなどの子供達が駅頭で募金活動を行っている姿を眼にすることが多くなる。 多くの人が通り過ぎてしまう中、大きな声をからしながら募金をお願いしている姿に何か留まざるを得ない気持ちになる。 彼等の真摯な姿や気持ちに少しでも応えてあげ、人としての思いを感じる大人に育ってほしいと願うのが我々大人の役目ではないかと思う。
 今日の音楽家の卵たちも育とうとしている矢先。 彼らのそういう思いに影ながら手を差し伸べることが共同社会を作りあげる大事な行為の一つであろうと思う。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月18日土曜日

マブソン青眼さん

 素人向けの俳句入門本がないかと、書店で探していたら、「NHK俳壇」という一冊が眼にとまり、手にとってパラパラと見たら、先月の一茶忌の会場で見かけたローラン・マブソンさんの写真が掲載されていた。
 「隣の俳人」というページで紹介されているもので、詳しくは書かれていないものの、俳句をキーに日本とフランスの文化の架け橋となっている姿に敬服。

   春の昼馬はポプラの影を食ふ (青眼)

 ネット検索すると、色々なところでその人となりを垣間見ることが出来るが、「KURA」という信州をテーマにした雑誌で俳句講座を掲載していることもその一つである。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月14日火曜日

「町民の森」問題が町会の議題に

「町民の森」問題を再調査すべきと、信濃町会で取り上げられたと信濃毎日新聞に掲載。

 信濃町が「町民の森」整備のために国から払い下げを受けた山林の現在の木の総体積量を調査するよう13日の町会一般質問で取り上げられた。 町議が対象面積の再調査を求めたのに対し、町側は「購入時は国が、(民間業者への)売却時は町が調査をしている。 費用もかかり現時点であらためて調査する必要はない」との考えを示した。 町は97年に国から払い下げを受けたが、99年に町内の業者に土地を貸し、業者が民間住宅を建設。 町民が「国への違約金支払い義務が生じた」とし、町への返還を町長に求める訴訟を起こし、9月に長野地裁が原告の訴えを棄却した。(以上転載)

 確かに再調査には多大な費用がかかることであろうが、従前の資料だけでも、関係組織や関係者が自ら公にする意思があれば解決する問題であろうと思う。
 不正といわないまでも、明らかにしたくない事実があるからこそ、納得しない住民や議員がいるのではなかろうか。
 以前にも書いたことがあるが、雪印乳業や三菱自動車などの例が示すように、企業の反社会的な経営活動は自滅を意味している。 行政にしろ企業にしろ、その社会性から見てきちんとした「説明責任」を果たす必要があると言われてから何年も経過した。
 裏工作の時代はもう終わったのではないか。 オープンマインドな姿勢こそが規模の大小にかかわらず行政には求められているはず。 そういえば町議会議員選挙は来年3月に予定されていると聞く。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月13日月曜日

野尻湖フォーラム33号が届く

 先日、戸隠で雪降り神事が行われたと新聞に出ていたが、黒姫周辺のゲレンデ・カメラを見ても分かるとおり、未だ雪が全くと云っていいほどない。 これまでも雪がなくて25日頃になってやっとゲレンデ営業ができるようになった年があったが、今年は度重なる台風の来襲などと同様に、気候の変化が顕著な年ではないだろうか。 冬の観光を生業にされている方々にとっては大変気がかりなことであろう。
 それでなくても中越地震の風評によるものか、近隣のスキー場関係の宿などへの予約キャンセルが増えていると聞く。

 そんななか、野尻湖フォーラムの33号が届いた。 今回も、野尻湖の水質保全計画や「野尻湖に親しむ町づくり」の提言など野尻を中心に記載されていたが、巻末に載っていた「お便りから」に一番納得し印象づけられた。
 そのお便りだが、20数年の間、毎年夏に妙高高原や野尻湖に遊びに来られている方が、最近の野尻湖で感じられたお気持ちをフォーラムへ伝えてきたというものだった。

 国道18号線のバイパスのこと、閉じたままの売店のこと、大型遊覧船のこと、バスフィッシングのこと、等。
 それぞれ素直な感想を述べられており、自分も常々思っていたことであった。 町民の意見には、どうしても地域のしがらみや観光関係者であれば自己の利益を優先してしまうから、どこかに感じていても口に出すことはしない。
 はたから見た、このような素直な意見こそを観光行政に生かすべきだと思う。 ”井の中の蛙”的な発想では、どんな企画を作っても斬新な発想は具体化しにくいと思う。

 観光協会の会議などでは、お互いの利益を確保するため議題が決定されないことが多いと聞く。 例えば、ブラックバスなどは相反するテーマの一つであろうが、双方しぶしぶ納得するような決着では、野尻湖だけでなく信濃町全体の観光行政にも影を落とすことは必定。
 全てに平均的に利益をもたらすような、おしなべたような政策では何も産まれない。 血肉を削ぐような覚悟がないと本当にいい企画は生まれてこないのではないかと思う。

(旧徒然日記から転記)



2004年12月5日日曜日

黒姫山に虹がかかる

黒姫山と虹

 昨夜から荒れ模様の天気になり、北海道では今朝から雪降りになって欠航している航空便もあるとのこと。
 そんな中、7時44分頃から9時15分頃まで、黒姫山に虹がかかっていた。 実際には見ていないが、順調に可動しているネットワークカメラのおかげで、いつでも何処にいても確認できるのである。(^_-)-☆

(旧徒然日記から転記)



2004年12月3日金曜日

小樽の飲み屋さんで

小樽にて

 所用があり、先週、北海道の小樽市を初めて訪ねた。
 どんよりとした雲に、いつ雪降りになっても不思議でない空模様と早い日暮れに、黒姫を思い起こさせるものがあった。
 そんな中、寿司屋通りに近い、嵐山新地にある、”かずべ”という飲み屋さんに案内してもらった。 店内に囲炉裏があり、薪ストーブは、我家のものと同じ製品。 石油ストーブまで同じものがあって何か嬉しくなってしまった。

 そして、店のお母さんの奨めで頂いた、かすべ、ほっけ、ニシン漬け、つぶ貝、トロイカ煮、皆々美味しくて、北海の幸を満喫してしまった。
 そこで、壁に視線をやると芸能人や有名人がたびたび寄る店のようで、色紙が所狭しと飾ってあった。そんな中から見つけたのがこの写真であった。(^_^)v

 帰り際に見つけたのは野茂選手の写真。 我が息子が野茂選手に似ていると、お母さんに盛んに売り込んできたのだが覚えてくれているかは分からない。 再び行きたい店であった。

(旧徒然日記から転記)



2004年11月30日火曜日

やっと初雪か?

初雪

 昨夜、天気予報で東北地方に雪が降ると放送されていたが、黒姫の里にもやっと初雪が降ったようだ。
 雪といってもみぞれまじりであろうし、間もなく晴れるということなのですぐに消えてしまうことであろう。 朝6時半頃に見た時とその2時間後では屋根の雪はだいぶ少なくなっている。 根雪になるのはまだまだ先。

 それにしても、今年は2~3週間も降雪が遅いのではないかと思うが、10年位前に殆ど雪がなく、元旦の夜からドカ雪が降ったことがあったので、天気のことは誰にも分からない。 雪に埋もれると早く消えてほしいと言いながら、降るべき季節に雪が降らないと逆に待ち焦がれるのは随分と勝手なものだ。
 今日の午後から、スノーパークのライブカメラも配信を再開したようだが、今朝の雪景色はもう消えてしまっている。

(旧徒然日記から転記)



2004年11月29日月曜日

寒くなった

 27日の土曜日、好天に誘われ神宮外苑のイチョウ並木を撮影しようと出掛けたが、沢山の人出と車の量にびっくり。 でも、紅葉したイチョウの葉を通して見える日の光が綺麗で、都会の中でも自然を感じる場所はいくらでもあるものだと思った。
 明けて日曜日、黒姫駅に降り立ったのだが、暗い雲に覆われ、時折しとしと雨。 寒いの一言。 手袋をしていない指先は冷たく少し痛い感じ。 冬が来たんだなという実感であった。 温かさにつられた駅ソバでどうにか暖を取ることができた。

 先週から止まっていたルータの交換作業を実施した。 不具合の要因が価格の差によるものでないであろうが、5千円ほどのものから4倍以上の値段のものに入れ替えたので、セキュリティや信号の輻輳にはそれなりの機能を備えているものと思っている。 しかし、ルータの設定というのはそう簡単ではない。 事前に機能を確認し、設定内容を特定しておいたのだが、それでも動作に不安が残る。 WANからの接続で正常のようなので良しとしたが十分ではない。 また急に止まるかもしれない。
 ルータの役目とか設定内容というのは、それほど多くはないのだが、設定項目の一つ一つが重要な意味を持っており、一つ間違えると思った動きをしてくれない。 参考書を購入してもっと勉強する必要があろう。 サイトやサーバ公開というのは、それなりの知識や情報の取得が必要であり、なかなか難しいものである。(~_~;)

(旧徒然日記から転記)



2004年11月26日金曜日

牟礼・三水は飯綱町に

 信濃町の隣村である牟礼村と三水村は、合併を前提に検討していたが、昨日の”しんまい”によれば合併後の新しい町名を「飯綱町」にするとのことである。

 牟礼、三水という名称には、名づけられたそれなりの理由や生きてこられた住民の歴史があると思うので、今後どんな形で残っていくのか気になる所である。
 それにしても、飯綱と聞くと、どうしても飯綱山麓地域に限って、誰もが意識してしまうであろう。 町民も町外の人も、慣れるにはしばらく時間がかかることであろう。

 信濃町も昭和31年に、信濃村、信濃尻村、古間村(直前に合併があり元は4ヶ村)が合併したわけだが、以前の村の呼称は、柏原、古間、野尻などと、区の名称として現在も残っており、日常の会話の中でも地域を示す称号としてしばしば使われている。
 今までの呼称がなくなることに一抹の寂しさがあるのはどの住民にとっても同じことだが、意外と時間が解決してくれるのかもしれない。
 ただ、合併というのは、行政の効率化を目指しているのであろうから、従前にも増して住民に篤い施政が実施されるよう期待したい。

(旧徒然日記から転記)



2004年11月24日水曜日

長野県知事の記事に思う

 「週刊金曜日」という一般的には”固い”と思われている週刊誌がある。
 ノーテンキな政治屋や市民がいる中で、今の社会や政治を偏らずに、きちんと見ようとする数少ない週刊誌である。
 この先週号に、長野県の田中知事の現状が記載されており、今まで支援されてきた方々から最後通告を突き付けられているとのこと。

 「脱ダム宣言」にしても具体的な構想も施策もなく、彼の案を推し進めると、同じような相応の額の土木事業が想定されるらしい。 当初は、県政に新しい風を吹き込むと、多くの県民や市民に期待されたが、結局は自己満足で終わっているのかもしれない。 今後の彼の行動を見守りたいが、疑惑をつまびらかにしない高知県の前知事の選挙応援に出かけるのも、何か合点がいかない。

 それにしても、多くの都府県や政令都市で学者、芸人、有名人などが知事や市長になってきたが、どんな功績があったのだろうか。 美濃部、青島、石原、横山などなど。 昨今、女性の知事も増えてきたが、官僚の言いなりで、所謂”お人形さん”になっている知事もいると聞く。
 奇をてらうのではなく、また自分の主張をごり押しするのではなく、住民の安全とか、幸福を第一に行政にあたってほしいとつくづく思う。 独りよがりの考えを押し通す”お喋り”は不要! 真摯に実行する知事がほしいのだが、中村敦夫さんのような人材が政治の場に出れないような人づくりが、戦後の教育の中で行われてきたためなのであろう。 ドイツなどのヨーロッパの国々が羨ましい。

(旧徒然日記から転記)



2004年11月21日日曜日

萬屋さんで黒姫・仁右衛門を試飲

黒姫・仁右衛門

 黒姫駅前の萬屋酒店さんに寄ったら、地元産の蕎麦で作った焼酎「黒姫」を試飲させてくれた。

 醸造元の佐久の伴野酒造が従来から製造している焼酎「仁右衛門」と飲み比べたら、風味も味も格段に違っていた。(値段も(~_~;))

 そば焼酎の風味がどんなものであるか自分としては全く知らないが、やや荒々しい感じもした。 普段飲んでいる米とか芋の焼酎のように舌の上にのせた時、”まろみ”とか”とろみ”といった感じがあったらもっと良かったかなと感じた。 1本購入したので、じっくりと味を確かめるつもりでいる。

 しかし、そばの生産量と醸造するための歩留率などを考えた時、商売として販売していくのはなかなか大変ではないか、好きだとか想い入れがないと出来ない仕事ではないだろうかと思った。
 ”しんまい”に載った記事の切り取りが店頭にあったのでコピーさせてもらった。 焼酎「黒姫」をもったご主人の写真が掲載され、奥さんは、これで悪いことが出来なくなったと冗談を言っていた。(>_<)

(旧徒然日記から転記)



2004年11月19日金曜日

一茶忌

一茶忌

 小林一茶の命日であるこの日、一茶記念館では、一茶忌と称した俳句大会が例年行われる。
 今回は178回ということで、久しぶりにイベント会場に行ってみた。 記念館で行われた講演会に8月と9月に参加したこともあって、この日の最後の講演を聞きたかったためである。
 講演の議題は、「一茶と山頭火」、講師は、「海程」主宰金子兜太氏

 会場は満杯で、10時少し前に行くと席もなく立ったままの聴講で、場内を見回すと年配者ばかりで、俳句というのは若者にはまだまだ浸透していないのかなという、まず初めの印象であったが、お名前を失念したがフランスの方なのか、外国の方も熱心に聴かれていた。(追記:マブソンさん)

 話の内容は、あまり脈絡がない感じではあったが、生活者であった小林一茶と放浪の俳人種田山頭火を判り易く比較されており楽しく聞くことができた。
 その中で、夏の明るさと冬の暗さという、黒姫高原が持つ明暗の2面のうち、夏の明るさや喜びを謳歌したのが一茶であったという。
 前回の講演でも聞いたが、「荒凡夫」という生き方にも非常に興味が湧いた。 一茶、山頭火ともども照らし合わせて見ると自分の人生にも何か近いものが見つかるかもしれない。
 この頃、作句するように言葉選びをするようにはなったが、まだまだ投句するには程遠い。 デジカメ映像と俳句を兼ね合わせた「カメ俳」サイトや、愛媛の俳句の里サイトなど、色々な体験の中から準備していきたいと思う。
 今日のイベントは、午前中の一茶忌法要、講演、新そば会、午後からは、構成吟(俳句を詠吟するものらしいが詳細は?)、俳句大会表彰式と続いていたが、新そばを堪能させていただいてから帰途に着いた。

(旧徒然日記から転記)



2004年11月7日日曜日

霧下そば焼酎 信濃の仁右衛門 黒姫

 昨日の”しんまい”に、信濃町でペンションを経営されている方が栽培した蕎麦で焼酎を作り、そば焼酎「黒姫」として1500本限定で販売を開始したと掲載されていた。

 信濃町の造り酒屋といえば「松尾」があるが、こちらは純粋の日本酒のみで、商品群の中に焼酎はあるが確か地元産ではない(と思う)。 今回初めての信濃町産の焼酎ということだが、こちらも製造は佐久市の伴野酒造ということだから半々の産ということであろうか。

 焼酎といえば、米・麦や芋が中心で、蕎麦を原料としているものは宮崎県の「雲海」など数は少ない。
 最近は、「森伊蔵」「魔王」といった、大吟醸酒よりも値段の高い焼酎があり、なかなか庶民の口に入らないものが多くなってきており、甲類についつい目が向いてしまうケースが多いだろう。
 最近、自分が飲むのは、安心院蔵、白玉の露、白金の露などが中心だがなかなか手に入り難くなっている。 こういう焼酎は味を損なわないよう水か湯で割るのが一番で、余計なものを一切入れずにその芳醇な香りを楽しむようにしている。 酒のつまみや食事などと一緒に飲むのは何か勿体ない感じだ。

 焼酎ブームと云われる昨今、昔から地元に息づいてきた蔵元の「こうじ」で作られた焼酎を庶民が飲めなくなるのは寂しい。 売れるからと口当たりをよくするために糖分を追加するものもあるようだが、これでは本末転倒だ。 体にいいと云われても度を越せば肥満の原因にもなるので注意したい。
 さて、そば焼酎「黒姫」がどんな味なのか気になる所でもあり、米・麦や芋とは違った、蕎麦の特性をどれだけ出しているか試してみたいとは思うが、各地の地ビールのように線香花火で終わってほしくはない。

(旧徒然日記から転記)



2004年11月6日土曜日

熊が再び現れる

 今日の昼前に、熊が現れ平岡で二人の方が怪我をされたとのこと。
 地元の猟友会のメンバーが富士里小学校の裏山でしとめたらしく、テレビの捕獲を知らせるニュースで聞き覚えのある地元の方の声が聞こえていた。

 今年8月の天望館近くでの事故、野菜直売所が連なる戸隠街道の農園での10年前の遭遇事件のほか、熊の影を見たとか、山に帰って行く音が聞こえた、という話を何度も聞いたが、もうこの時期になると畑にも食べ物がないから、どうしても人家に近づいてくるのであろう。
 特に、鳥居川に沿った地域に現れるようだが、山に近い住宅地域であれば、どこに現れても不思議ではないということなのでお互いに注意したいもの。
 それにしても、こんなに餌を探す熊では、貴重な薬になる「熊胆」などもまともな物が取れないことでしょう。 間もなく熊にとっても人間にとっても厳しい冬になる。

(旧徒然日記から転記)



2004年11月5日金曜日

立鴫の今にはじめぬ夕哉

鴫立庵

 昨日、一茶記念館から「一茶記念館だより」8号が郵送で我が家に届いた。 今年、記念館の講演会に2度ほど出席していたので送付されたのだと思うが、いつもパンフレットと一緒に見る時は流し見しかしていなかったが、このような形で届くときちんと読まなければという気になってしまう。

 この便りの中に、一茶短冊を寄贈という項があり、そこに
  「立鴫(たつしぎ)の今にはじめぬ夕哉(ゆうべかな)
という一茶の句を見つけ、すぐに神奈川県大磯に鴫立庵(しぎたつあん)というのがあったことが思い出された。

 そして、よく説明文を見ると、寛政・享和の時代に、東海道の大磯宿でよんだ作品で、俳諧道場「鴫立庵」があり、倉田葛三(かつぞう)が庵主をつとめていたとのことで、一茶が詠ったその場所に時代を超えて自分が奇しくも立っていたことに不思議な縁を感じた。

 少し調べたら、この鴫立庵は京都の落柿舎滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場であった由。
 昨年、旧東海道歩きをし、江戸・日本橋から京都・三条大橋まで完歩したのだが、その道中で見た鴫立庵が頭によぎったのであった。 色々な体験を重ねてくると、これらが有機的につながりを持ってくることに、何だか嬉しさが込み上げ、得をしたように気分になってしまう。 往時を訪ねる旅は今後も続けたいと思う。

(旧徒然日記から転記)



2004年11月1日月曜日

黒姫の紅葉写真

 黒姫の紅葉写真が、信濃町観光協会黒姫童話館のページのそれぞれトップに掲載されている。
 観光協会の方は、童話館近くの御鹿池のもので、童話館の方は黒姫山から妙高山までを俯瞰したものである。(見直したら童話館の紅葉写真はどちらかというとランドスケープで、隣の黒姫アスティから見た景色の方が俯瞰に近いかもしれない)
 どちらも紅葉が一番良い時に撮られているようで非常に綺麗である。

 もう少し日が経つと雪が山から降りてきて、雪混じりの紅葉がまた別の世界を見せてくれる。 そんな黒姫も素晴らしい。
 観光協会では、HPに掲載される写真を一般から募集しているようだし、信越病院のHPにも町内の写真グループの作品が掲載されている。 以前、ペンションの方だったか、黒姫の映像を八十二銀行の支店ロビーに展示されていたが、このような動きが高まると、町が動いているようで何か活性化の空気を感じることもできる。

 そういう連携を意識した観光を考えた時、10月1日に黒姫高原コスモス園がまだ閉園していないのに、スノーパークのページに変わってしまうのは早すぎるであろう。
 11月初旬までは紅葉の時期だし、実際に滑れるような降雪がゲレンデにあるのは12月下旬であろうし、黒姫では人工雪の設備はない。
 話が反れるが、先日スノーパークのHP内容がリニューアルされたと観光協会の掲示板にアップし、内容が見やすく綺麗になっていると、それも経営主体が変わったからであろうかとコメントしてしまった。
 ところが、ある方から会社が変わる前からの案件で、特段新しい発想ではないとお叱りをいただいた。
 言い回しに不用意な所があったかもしれないが、訂正するのは本意ではないし、一般の人から見れば、”良くなっている”という前向きであれば事足りることであろうと思っている。
 黒姫ファンが増えてくれること、リピータが増えてくれること。 そんな願いをこめたHP作りがされていることが必要であろう。
 信濃町観光協会の写真コンテストに応募すべく、見てもらえる、作品と呼べるような”黒姫”を自分も撮りたいのだが、その域に達するにはまだまだ道のりが長い。

(旧徒然日記から転記)



2004年10月27日水曜日

中越地震被災者へ篤い支援を

 23日に発生した中越地震では、信濃町の震度は4三水村では5であったそうだ。
 信濃町には活断層はないと聞いていたので地震は心配していなかったが、以前かなり大きな揺れがあって驚いたことがあった。 今回は信濃町で感じたであろう2度目の大きな地震であったが、幸いなことに出かけていたので地震の恐怖を味わなくて済んだ。
 発生後数時間してつながった電話で町の様子を聞くと、怖い思いをしたが実害はないとのこと。
 町のホームページでも被害の報告がないと掲載され安心した。

 ただ、神戸、三宅島、普賢岳など大きな災害が起きるたびに思うことだが、国レベルの援助体制が非常に遅いし、援助物資も少ない。 未曾有の災害に遭われた方々に国の金を使うのは当然であろう。 アメリカの要望に応えた自衛隊のイラク派兵に金を使うよりもっと大事なことではないだろうか。
 首相の現地視察に対し、パフォーマンスは要らないと発言した被災者がいたらしい。 売名行為でもいいから、政党であれ宗教団体であれ企業であれ、全ての被害者にすみやかな篤い援助活動をされることを期待したい。
 3日、4日して未だ車の中で生活している映像は文化国家の姿ではない。 年老いた方々に希望の微笑みが早く戻ることを願いたい。
 一市民として出来ることは、僅かな援助のお金を送ることだけだが、それでもテレビの映像で対岸の火事と傍観しているより、まだましであろう。 このような災害は自分の周辺でいつ起こるか分からないからである。

(旧徒然日記から転記)



2004年10月25日月曜日

卒煙について

 長野県庁が全面禁煙を実施した時、田中知事は随分と思い切ったことをするものだと、愛煙家の職員が県庁周辺の道路で肩身狭そうにタバコを吸っている映像に何か同情したくもなってしまった。 そして、信濃町役場のホームページには、来月から「卒煙クリニック」が長野市内で開かれると掲載されている。

 タバコは”百害あって一利なし”という定説が行き渡りつつあり、日本人の喫煙率が30%台になったということだが、若い女性の喫煙は逆に増えているように感じるし、信濃町でも喫煙者は多いように思われる。
 女性のオジサン化なのか、街中でよく見られる、女性の加えタバコの運転や、人ごみでも頓着せずに火のついたタバコを指にはさんで歩いている女性の姿だけは見たくないものだ。

 長年の習慣を変えるというのは難しいものだが、食後の一服はニコチンの吸収率が一番高いそうだし、喫煙時は血液中の酸素が減少するらしく、体中の細胞を窒息状態にしているのであるから、特に妊娠中や幼児をかかえる女性の喫煙は決してあってはならないであろう。
 かくいう自分も30年前は喫煙の習慣があったのだが、止める気になったら卒煙はそう難しいものでない。 いまや、喫煙車には乗らないし、我が家の客人にも冬であろうと外で吸ってもらってるし、タバコを吸ったばかりの人が来ると臭くてたまらない。
 国民の健康増進を図るということなら禁煙(分煙)を促進する以上に、葉たばこ農家の収入問題もあろうが、タバコの製造販売という過程から国が考えなければいけない問題であろう。 しかし、まだまだ道のりは長い。

(旧徒然日記から転記)



2004年10月20日水曜日

ここ数日の新聞記事

 この徒然日記には、信濃町と周辺地域に関連した情報を自分のメモ用にと思って記していることが多いのだが、先週から今週にかけて信濃毎日新聞には次のような記事が掲載されていた。

1.少子化による児童数減少が予測される中、信濃町の教育関係者や保護者らでつくる「町立小学校適正配置検討委員会」は、11月に町内の全5小学校で将来の在り方について父兄らと話し合う懇談会を始める由。
2.飯山市と野沢温泉村の合併協議会は19日、同村で6回目の会合を開き、新市名を「飯山野沢温泉市」に決めた。
3.戸隠村が出資する第三セクター戸隠総合開発公社が、解散を検討していることが、15日までに分かった。 村営戸隠スキー場で経営するレストランがスキー客の減少に伴い不調で、約2100万円(2002年度末)の累積赤字を計上するなど経営が悪化していた。
4.牟礼、三水両村でつくる法定合併協議会は14日、三水村内で開き、両村の合併期日を来年10月1日とし、新自治体の役場は、現在の牟礼村役場に置くことも決めた。 新自治体の名称は「飯綱」「いいづな」「鳥居川」の3つに絞った。

 このような記事を見ていると、人口のみならず児童数の減少、冬場の観光事業の低迷、市町村合併など、周辺市町村が抱える問題の数が非常に多いことが分かる。
 田舎回帰や農業従事など部分的に地方が脚光を浴びることもあるが、地方の歴史とか独自性を消し去り、金太郎飴のような行政が全国津々浦々に行き渡るようなことだけはあってほしくない。

(旧徒然日記から転記)



2004年10月18日月曜日

志賀で紅葉を楽しむ

 先日、関越自動車道を通ったら、谷川連峰に雪がおりたような白さが確認できた。 黒姫に近い火打や焼山も白くなっていたと聞き、黒姫山に雪が落ちてくるのも間もなくかもしれない。
 そんな中、秋山郷から志賀高原へ向かう林道を走ったが、かなり紅葉が進んで赤味は少ないものの綺麗な風景があちらこちらで楽しめた。 キノコ採りより風景撮りの方に夢中になっている人達が多く、三脚やカメラを担いだ一団が場所に寄っては鈴なりであった。 今週末あたりは、ちょうど盛りであろうから人出・車出がさらに多くなることであろう。

 黒姫周辺の紅葉までは見られなかったが、畑のブルーベリーの葉も一週間でかなり赤くなってきたので、そろそろいいかもしれない。 誰かが云っていたが、20日が一つのポイントかもしれない。
 それにしても随分と気温が下がってきたものだ。  陽射しがあるうちはいいが、そろそろ暖房も必要だ。 台所の床に素足を置いてみたが冷たく、我慢の限界に近づいてきたなという感じである。

秋山郷から志賀へ秋山郷から志賀へ秋山郷から志賀へ秋山郷から志賀へ

(旧徒然日記から転記)



2004年10月13日水曜日

神戸元気村のこと

 ブックオフで見つけた、神戸元気村代表山田和尚著「いのちの力をつかまえろ」を読み終えた。

 早朝、神戸で大地震が発生したのは1995年1月17日。 大変なことが起きたと、出勤後も会社の会議室でテレビに釘付けになってしまったことを昨日のように覚えている。
 生まれてこのかた経験したことのない惨状が、日々伝わってくる中で、家内は居たたまれないと、2月に入ってからリュックと寝袋を持って、長田区に食事の世話をすると一週間あまり出かけた。 勤めのある自分として出来ることは笑顔で送ることしかなかった。

 そんな中で、地震発生直後に埼玉から一人神戸に入り、火災で少女が焼死する場面を目のあたりにしたことをきっかけに、生き残った人々を助けようと立ち上がった人がいたのである。 それが、この本の作者である山田和尚(明)氏であった。
 神戸元気村という名称は耳にしていたものの、こんなに純粋な心を持ち、行動力のある人物がいたことを知り、大変な感銘を受けたのである。
 山田氏は、旅行ガイドやカヌイストを職業とする中で自然とのかかわりに大きく心を動かし、オゾン層を守るためのフロン回収運動を全国の市町村に向け行ってきた。 そして、その運動の成果が出始めた時に大地震が起きたのである。 ご家族の理解と応援もあったのであろう、ただちに神戸に飛んだのであった。

 復興が進む中で、5年を越え、その役割を終えたのであろうか、神戸元気村は2年程前に解散したが、山田氏はニューヨークの911問題についての真相を伝えるべく全国を現在は回っているという。(詳細はオープンジャパンのページで)
 氏に一貫しているのは、自然の大切さ、人の命の大切さ、地球の生命の大切さであろう。
 この本の中で書かれている「静けさに学べ」というフレーズに感じ入った。

 「人間には静けさに戻る場所が必要です。 それから私は(静けさに学べ)と、事あるごとに口にするようになり、スタディ・トウ・ビー・クワイエット....静けさのなかで、水と風と光のなかで、自分のなかに眠る本当の心の声を聞いてほしい。 地球の声に耳を傾けてほしい。 そして、原始の脳を開いて、いのちの声に触れてほしい。(Study to be quiet)

 信濃町では昨年から役場が主体となって町の活性化のためいくつかのプロジェクトチームを組成し、新しい運動を始めようとしている。 その手始めなのか、観光客を呼ぶ目玉として「癒し」をあげている。
 これには、観光会社の安っぽいキャッチフレーズの受け売りをしているようで、何かしっくり来ないように感じている。 色々な業界で随分と前から「癒し」をテーマにしており、今更という感もあるし、所謂流行廃り(はやりすたり)で早々に飽きられるかもしれない。

 今年の8月に、野尻湖の琵琶島でギターリスト辻幹雄氏の演奏を聴いたが、深淵とした宇賀神社の境内であのような演奏を堪能し、野尻湖の湖底に眠る古の人々を想い、そういう人々の歴史の中に自分の存在が感じられたら、それこそ自己免疫力を高める「癒し」そのものではないかと想う。 演奏を終え、「雅」などという文明の器を使わず、余韻を残しながらボートに乗ってゆっくり岸に戻ってくるなどというイベントがあったら素晴らしいと思う。
 山田氏の「静けさに学べ」というような、もっと生命体としての根源から始まったコンセプトの方がもっと強く訴えることができるし、永続きもするであろう。 根源志向、真実志向が大事だ。
 目先の売り上げ増を期待して、ありきたりのテーマを決めてもどれほどの効果があるのか、門外漢の身であるものの気になって仕方がないテーマなのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年10月12日火曜日

熊にあったらどうする?

 8月に、信濃町でも熊による死亡事故が起きているが、この所、熊による被害というか、人里出現の話が毎日のようにテレビで放送されている。 しかし、何故こういう事態が頻繁に起きているか、その理由まで解説していることは殆どない。
 先日の信濃毎日新聞には、信濃町役場で今年度分として用意していた熊除けの鈴が、小学生などに携帯させ在庫がなくなったという記事が載っていた。

 ところで、熊は大きく獰猛だという概念が日本人には植え付けられてしまったようだが、実際にはドングリなど木の実を食べる草食が中心で、非常に警戒心の強いものの、動くものには関心を持つ動物なのである。
 しかし、針葉樹を中心にした植林政策のおかげで、山には落葉樹がなくなり、ひいては熊の餌になる植物が育たなくなった。 そして、川釣りや山菜採り、川遊びなど、人間の自然との楽しみ方が山の奥へ奥へと変わってきた。 その結果、人間が食べ物やゴミを放置したり、単に埋めただけでは、熊は簡単に見つけるし、自然の実より味の濃い食べ物を舌で覚えてしまうのである。

 今年のように高温の夏が続き、山に餌となる実が育たなければ、人里の畑でトウモロコシや果物を餌にするのは自然の成り行きだし、畑に餌がなければ人の住い近くに出現することにもなる。
 射殺した熊の胃袋を見ると、餌になるものが何もなかったと話している映像も見た。
 小熊は母熊と3年は生活を共にし生き方を学ぶのだが、母熊が殺されれば、自分の住処や山に戻ることもできず、人里に戻ってしまうことも考えられる。

 こういう熊の生態について書かれた本を今回読むことができた。
木楽舎刊:「クマにあったらどうするか」
副題:アイヌ民族最後の狩人 姉崎等
聞き書き: 片山龍峰

 70歳近くまで北海道で熊獲りを業とし、一人で40頭、グループで20頭を捕獲したという姉崎さんという方に熊の生態などをインタビューして書としたものである。
 この本を見ると、人間は被害者ではなく、人間こそが熊や山の自然への加害者であることがよく分かる。
 熊を単に恐ろしい害獣とするのではなく、日本の国土そのものの生態まで考えるきっかけとして、熊出現の報道を見てほしいと思うのである。
 この本の中で述べられている、熊にあったらどうするかの10ヶ状を掲載したが、その真意をこの本からぜひ学び取ってほしい。

(旧徒然日記から転記)



(まず予防のために)
1.ペットボトルを歩きながら押してペコペコ鳴らす
2.または、木を細い棒で縦に叩いて音を立てる

(もしもクマに出会ったら)
3.背中を見せて走って逃げない
4.大声を出す。
5.じっと立っているだけでもよい。その場合、身体を大きく揺り動かさない。
6.腰を抜かしてもよいから動かない。
7.にらめっこで根くらべ。
8.子連れグマに出会ったら子グマを見ないで親だけを見ながら静かに後ずさり。

(その前に母グマからのバーンと地面を叩く警戒音に気をつけていて、もしもその音を聞いたら、その場をすみやかに立ち去る)
9.ベルトをヘビのように揺らしたり、釣竿をヒューヒュー音をたてるようにしたり、柴を振り回す。
10.柴を引きずって静かに離れる(とがった棒でつかない)

2004年10月11日月曜日

停電対策を実施

 6日に、古間地区では長い時間にわたって停電が発生したらしく、そのため当サーバーも停まっていた。
 従前から停電を予想して無停電装置(UPS)を置いているが、老朽化で数分しか対応できず、瞬断なら問題ないが数時間にわたると完璧にダメになってしまう。

 と同時に、グローバルIPアドレスという、所謂ネット網から接続するための番地が、一旦停電になると、復旧した時点では別の番地が自動的に割り振られてしまう。
 ネットからは旧来の番地で接続しようとするのでサーバーが見つからなくなるのである。 番地が変わったことを検知しネットに知らせるソフトがあるのだが正常に機能していなかった。

 今回、いくつかの対応をしたことで、今までよりは安定した運用ができるとは思うが、素人の寄せ集めの知識で動かしているのでトラブルの種がどこに潜んでいるかは分からない。

(旧徒然日記から転記)



きのこ会

 2~3年前から我が居住区では、この時期に”きのこ会”が開かれているが、なかなか日程が合わずに参加できない。 我々が10数年前にこの地区に住いを構えた時にも、実施してたことがあり、我々にとっては初めての地域への挨拶の会として参加したことがあった。
 広っぱに側溝の金属蓋などを持ってきて火を焚き、きのこを焼いたり、きのこ汁を作ったりして楽しいひと時を過ごした。 ”しもふりたけ”だったかホイル焼きにしたものを燗酒に入れ、ひれ酒のように風味を楽しむのを憶えたのもこと時であった。
 以降、機会あるごとに鳥居川の虹鱒解禁だとか理由にしては食事会を開くことがあり、親交を深めるには非常に良いチャンスになっていた。 その後はあまりこういう機会がなかったが、住民の顔も若返り”きのこ会”という形で復活したようだ。

 どちらにしても、黒姫の自然の中で収穫したものを楽しむには、そのスジの専門家がいないとかなわず、山の中に入り込んだからと、山菜、キノコ、タケノコなどをそう易々と誰もが手にすることはできない。
 山の生態を知り、収穫の喜びを味わえるのは、こういった山に詳しい人達がおられるからである。
 今日11日は、コスモス園の最終日でもあった。 この所雨降りばかりであったが、雲はあるものの晴れ上がり、園内には最後のコスモスを楽しむ人影を見ることができた。

コスモス園

(旧徒然日記から転記)



2004年10月10日日曜日

台風22号

 今年は、熊の人里への来訪に加え、台風の日本列島上陸が多く、昨日も台風22号が関東地方南部を足早に通過して行った。
 午後4時に伊豆半島に上陸し、東京でも大雨になって浸水被害などあちこちで起きていたとテレビは伝えていた。
 それにしても、いざ台風の襲来で懐中電池や携帯ラジオを探そうとするが見つからない。 普段からの心構えが必要と同時に、長時間にわたる停電で電力のありがたさを感じた日であった。
 そんな時間帯にあって、黒姫はこんな写真の情景であったとのこと。

黒姫山

(旧徒然日記から転記)



2004年10月7日木曜日

きのこ

 10月は実の秋!
 熊も冬眠前の体力作りに、山に食べ物がないため里で餌探しに必死のようで、あちこちで遭遇事件が跡を絶たない。
 この時期、畑作では米や蕎麦の収穫が中心で、この作業を終えると冬支度になろうが、山ではキノコの収穫が楽しめる。 といっても、マツタケなどはなくイッポンカンコとかシロシメジなどが中心。

 以前、古海の林の中で見つけたカンコに奇声をあげたことを憶えているが、今週末の9日~10日には富士里支館で毒キノコを見分けるためのキノコ展が開かれるとのこと。 特に10日は鑑定もしてくれるそうだ。 詳細は役場のページに掲載がある。
 また、ナウマンゾウ博物館では11日(月)に飯綱山麓を歩き、キノコを学ぶイベントを催す。 こちらは前日までに申し込む必要がある。 来年からはこういった企画にも是非参加して行きたいと思う。

(旧徒然日記から転記)



2004年10月1日金曜日

職業紹介ページに関連して

 青島氏が東京都知事になった時、ハローワークという言葉を知らないと揶揄した都議会議員がいたことを思い出してしまったが、信濃町で仕事を探すにしても職業紹介所が今までなかった。
 しかし、今年8月に役場の商工観光課に無料の紹介所が新設され、9月からはホームページにも求人内容が掲載されるようになった。

 どこの求人でもそうだが、募集対象年齢は、比較的若く高齢の人達の求職はなかなか難しい。 しかも、時間給と通勤費自分持ち(マイカー通勤)を考えると、なかなか期待通りの収入ではないかもしれないが、こういうふうに紹介という場があることは住民にとってもありがたいことであろう。
 あと、以前から思っていたことだが、北信濃の自然を求めて信濃町に居住したいと思っても、建物賃貸売買情報がどこにもなく戸惑うことが多い。 知り合いを通しての情報収集とか中野や牟礼の不動産業者に聞くしか手立てがない。 我々もリゾート雑誌を参考に信濃町に来たのだが、知人と役場の方から情報をいただき、今の場を手にすることができた。

 住民の所有不動産にかかわる情報というのは個人情報の要素もあり、公開するのは難しいとは思うが、不動産売買・賃貸情報が役場で取得できれば、新居住者にとっても大変助かるのではないかと思う。 更に、居住のみならず、新規就農やそこまでいかなくてもほどほどの規模で畑作をしたいと考えている人もいるだろう。 この求人情報に加え、不動産情報を概要でもいいから役場のページで一覧したいというのは自分だけでないだろう。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月30日木曜日

ストーンさんの子息が野尻へ

 今日の信濃毎日新聞には、「信濃町に尽力の宣教師の息子が講演」と題して次の記事が掲載されていた。

 第2次大戦前、信濃町で農業振興などに尽くしたカナダ人宣教師A・R・ストーンさんが没後50周年を記念して29日、ストーンさんの息子、ロバート・ストーンさん(66)が同町野尻湖小学校を訪れ、講演した。 ストーンさんは戦前、布教のため訪れた同町で、農業改良や地域おこしに尽力したが、1954年の「洞爺丸」海難事故で亡くなった。 ロバートさんは、現在もストーンさんが町内で親しまれていることに「父自身が一番驚いているでしょう」と喜んでいた。(以上、しんまいHPから)

 ストーンさんが、ルバーブ栽培古間鎌製造などに貢献された話は町民であれば誰でも知っていることであろう。
 上高地では、毎年夏山開きにウインストン祭が、上越高田では近代スキーを広めたレルヒ祭が2月に行われている。 ストーンさんについては宣教師という立場を除いても信濃町には多大な功績をされた方である。 同じようにメモリアルデイが信濃町にあってもいいように思うし、観光イベントやキャッチの一つにもなるのではなかろうかと考える。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月29日水曜日

自治(町内)会費

 信濃町に住いをもつようになって、自然と町内会(区)費の支払いが始まった。 都市部で町内会費というと月300円程が相場のようだが、こちらでは毎月ではないが区費、組費、街灯代、浄化槽代等の名目で相応の負担がある。
 更に、共用施設の維持のための清掃作業に出れない場合は出不足料、寺院以外の墓地を所有する(借りている)場合にはそちらの維持費も必要になる。
 これらをまとめるとかなりの金額になろうが、地方の町村ではそもそも住民が少なく財政規模も小さい。 信濃町でも社会保険や病院の維持、冬場の除雪等にかかわる費用が財政を圧迫していると聞く。
 そういう中で、区や組が町政の下部組織としての一端を担わざるをえず、住民への負担が増えるのはやむを得ないことだろうと思う。

 ところが、我々の地域の中にはそういう負担をしたくないと考えておられる方がおられるらしい。 高齢の所帯では一部免除するような決まりもあるようだが、はなから支払いを拒絶しているとのこと。
 色々な会合が終わると酒が入る懇親会は確かに多いが、これらの会計とは一定の線引があるようで、支払拒絶の理由にはならない。
 地域には連綿と続いてきた習慣とか絆のようなものがあるし、足らなものについては相互に補っていかざるを得ない状況にあると思う。 それを煩わしいとか勝手にやってほしいと拭い去ってしまうと住民同士の繋がりとか相互扶助の良さもなくなってしまうであろう。 役員方は色々苦労されていると聞く。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月28日火曜日

自治会入会金

 静岡県内のある地域で、中古住宅を購入し入居したら、その地域の自治会から入会金10万円を請求され、断った所、自治会が管理しているからと、住民税を払っているにもかかわらず、収集場所へのゴミ出しを断られたと、あるテレビ番組で放送していた。

 入会金10万円の根拠は、町内会館設立資金にかかわる住民への相応の負担だというが、その建設費は既に完済しており、自治会には既に数百万円の余剰資金があるということであった。(その住宅の前の持ち主が町内会館建設資金を負担していたかどうかというコメントはなかった)
 確かに共用する施設に同じ負担をしてほしいという考えは分かるが、居住した時期に応じて負担の増減が出るのは仕方ないのではと思う。
 逆に、この例のように不要な余剰資金を増やしていることの方が先々での使いみちなどトラブルの元になるのではないかと危惧されてしまう。

 我々も信濃町に来た時に、通常の町内会費(区費)に加え町内(区)会館建設資金を返済中だと、各戸と同様の負担を云われ、この地域に自分の家屋がある以上は、負担するのは当然であろうと了解したのであった。
 幸いにも、間もなく完済時期に来ていたので、数回の支払いで済み、それまで数年に亘って先住の方々が負担したと同様の額を請求されることはなかったし、以降新しく住まわれた方々に請求したという話は聞いていない。

 この静岡県の例について、先住の方の考えが正しいのか、新たに入居された方の考えが正しいのか分からないが、地域には将来にわたって何で厄介になるかもしれないので、普段から応分の負担はしたい。 でも、町内会館の修理費程度の積み立ては必要であっても、数百万円もの多額な余剰金を置く必要はないとも思われる。 そんな所から解決策が見出されることを期待したい。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月26日日曜日

パン雑感 その2

 善光寺前の通りに、パン屋さんを集めたビル「リプロ表参道」が出来るというのは、KURAという雑誌で知ったのだが、あちこちページを見ていると既に開店しているが、1階だけがパンの店舗で、2階以上は展示ルームや住居になっている由。

 市内を中心に25~30ヶ店のパン屋さんのパンが並んでいるということだが、柔らかくて、フワフワして、甘くて、(人工的な)香りのあるパンが美味しいと思っている人が殆どだし、そういうパンを売らないと商売にならないから、2~3歩引いて見ていた方がいいかもしれない。
 粉だけでなく、どんな水や酵母、油脂を使っているか、そこまで言及してパンを食べる人は少ないであろう。
 イギリスの列車内で買った製粉しただけの粉で作ったパン、バースで食べたサーモンサンド。 本当に味のあるパンだった。 あんなパンに出会えるのは、日本では乗鞍だけかもしれない。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月25日土曜日

「町民の森」訴訟で原告敗訴

 信濃毎日新聞のページに次の内容が記載されていた。
 

 上水内郡信濃町が「町民の森」整備のために国から払い下げを受けた山林に、国との契約に違反して民間住宅が建っていた問題で、同町野尻の肥塚正さん(72)ら町民10人が、国に違約金の支払い義務を発生させた-として、町長が町へ約9千万円を返還することや原状回復することなどを求めた訴訟の判決が24日、長野地裁であり、辻次郎裁判長は、原告の訴えを棄却・却下した。(以上、しんまいより転載)


 敗訴の理由は分からないものの、契約違反があっても町民には直接の被害がなく告訴理由がないということなのであろう。
 でも違約金9千万円というのは、町の財政にとっては大変な金額だし、その辺りの説明責任を町が町民にきちんとしているのか、自然に疑問が湧くものの、当初の事情や経緯も分からないので判断のしようがない。

 ただ、あの場所は黒姫山表登山道の入口で、白樺の若い木が沢山植えられていて、将来はいい森になるのではないかなとは思える。 住環境としても今は良いが、仁の倉線が延びてくるようだと車の往来が多くなるかもしれない。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月23日木曜日

パン雑感

 信濃町でパン屋さんといえば、柏原信号脇と八十二銀行信濃町支店前の2ヶ所だと思うが、どちらも町中の普通のパン屋さんである。 戸隠奥社の駐車場に行くと大井の方が、草餅やお焼きなどを軽ワゴンで販売しているがこれはパンではない。

 先日、JAながのの広報誌を見ていたら、三水村赤塩で、30才代の方が民家を借りてパン屋を始めたと載っていた。 信濃町でも古海で以前パン屋をされていた方がいたが、理由はわからないものの長野市内へ移転された。
 ある雑誌を見たら、善光寺山門近くにパンをテーマにしたビルが出来て色々なパン屋さんが入るとのこと。 乗鞍に工房を持ち石窯で焼くル・コパンも出店するということなので是非行ってみたいと思う。
 しかし、有機とか天然酵母とかを御旗にパンで経営していくのは至難の業であろう。 食生活が変わりつつあるというものの、いまだ味噌・醤油の文化がどの家庭でも残っている。 パンといえば100円程度の菓子パンで子供の副食のような感覚の人がいまだ多いし、美味しくても500円、600円出して固いパサパサしたようなパンに見向きする人は少ないと思う。
 また、パンを主食にすると、どうしてもバターなど油脂や肉食料理中心となり、ひいては肥満など成人病の要因にもなる。

 我が家でも時折パンを焼くことがあるが、信濃町の水道水、さらには山で取水した天然水で生地を捏ねると発酵具合が良く、香りのある大変美味しいパンができる。
 ここには、パンを作る環境が十分にあると思うのだが、これを商売として仕事にしていくのには更に知恵や情報が必要ということなのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月20日月曜日

秋の祭礼

 昨日は、古間地区の秋祭の宵宮の日であった。
 戸隠から4時頃戻ってくると、”祭”と背中に大きく書かれた法被を着た子供達が10数名、神輿を”わっしょい、わっしょい”とやって各戸を回っていた。 その子供達だが、それぞれの役回りが不満なのか子供同士で喧嘩する風景も見られた。
 大人の場合と同じように、各戸で祝儀をあげるそうだが、500円程でいいようだ。 街中だと、山車を子供達が引っ張る姿が多く、町内会館に戻るとお菓子やジュースなどが褒美として配られるが、こちらではどうなのかよくは分からない。

 そして、しばらくして大人の神楽が笛や太鼓、鉦の音とともにやってきた。
 こちらも各戸を回るが祝儀は2000円ほどでいいようだが、商売をしている家では各組の神楽が寄るので大変な出費であろう。
 以前、この神楽を引く役目をしたことが何度かあったが、なかなか大変なもので、神社での奉納舞が終わって帰る時は、皆気が抜けており、一番慎重を要する時だ。 10を越える年月が経つと、もうだいぶ代替わりが進んだのか、顔ぶれが若返って、篠笛を吹く人達は20才代から30才代が中心で、若い女性も加わっていた。 こうやって古からの習慣が新しい世代に引き継がれていくのであろう。

 各戸を回る神楽は、新しく住まわれた家や新築された家でその繁栄を願い、神楽舞いを舞われることが多い。
組内を回った神楽は一旦区の会館に戻り、9時頃になると国道脇の元スーパー前の駐車場に集結すべく商店街をにぎわせながら次から次へと通って行く。 夏の盆踊り大会に匹敵するほどの賑わいである。
 そして10時、数発の花火を合図に古間神社の坂を上り、神殿での奉納舞と続くのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月18日土曜日

再び、一茶記念館講座へ

 再び、一茶記念館の講座を受講した。
 今回の題目は、「句にあらわれた一茶の社会性と政治性について」で、講演者は専修大学青木美智男教授である。
 先生は、近代史が専門で、百姓一揆などを勉強されてきたが、小林一茶の句の中から、一茶が生きた時代と一茶自身の生き様が分かると解説されていた。

 一茶の句から時代像を読み取るということで、
1.信州村落での民間教育の様子
2.江戸裏長屋での暮らし
3.信州人の江戸稼ぎ
4.一茶の異国観と自国観
とに分類され、それぞれに数句ずつ実例をあげ解説。

その中で、

  •  御仏やエゾが島へも御誕生
  •  花さけや仏法わたるエゾが島
  •  江戸風を吹かせて行くや蝦夷が島
  •  来て見ればこちが鬼也蝦夷が島

などは文化文政時代のアイヌ同化政策の実態が分かるものであった。

 平均余命30数歳の時代に65歳まで生きた一茶の、”生”に対する執着心や時代をきめ細かく見る目があったからこそ、晩年、小さな生物に対する優しさを詠う句が生まれてきたという結論であった。
 前回の原子朗さんの講座と同様に今回も実りの多い話を聞くことができた。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月17日金曜日

和リンゴの栽培

 昨日16日の日本経済新聞朝刊文化欄に、信濃町に近い牟礼村で国内最後の「和リンゴ」栽培をされている方の手記が掲載されていた。
 和リンゴは、アジア西部からヨーロッパ東南部を原産地としシルクロードをたどって、中国から仏教の伝来とともに日本に伝わったとのこと。

 今、旬のフジや紅玉にくらべ、はるかに小さく直径4~5cmのゴルフボール大で、サクランボのように赤く鈴なりになるらしい。
 お盆の供え物や善光寺さんへの納め物として重用されてきたが、1955年頃腐乱病にかかり、ほぼ全滅していた所、牟礼村の米沢さんという方が再生されたと記載されていた。

(旧徒然日記から転記)



2004年9月15日水曜日

住民の名前トップテン

 町の広報誌「しなの」9月号を見ていたら、小さなコラムに「信濃町で多い名字ベスト10」という記事があるのを発見した。

 信濃町に初めて来た時から、小林さん佐藤さんという名が実に多いと感じ、ホームページ公開時に町内の電話帳から名字を数えて、所帯数としてランク表にし掲載して来た。 広報誌の記事の方は、住民登録数からカウントしているので数字は確かであろうが、9位と10位の名字は当サイトでは同数としていたので、広報誌と全く同じ順位という結果であった。
 当ホームページをヒントされていたとしたら、少し嬉しいかな(~_~;)

以下がその内容で、
順位・名字・当サイト記載・広報記載数
№1 小林   312    962
№2 佐藤   223    634
№3 中村   147    373
№4 池田   103    267
№5 北村    87    229
№6 竹内    69    191
№7 丸山    68    177
№8 高橋    51    152
№9 松木    49    148
№10 大沢    49    130

(旧徒然日記から転記)



2004年9月4日土曜日

ネットワーク・カメラのページを作る

 どこにいても、黒姫山のリアルタイム映像が見れればと思い、先月新しいネットワーク・カメラを設置した。

 ハードの設置はどうにかなったが、ルーター設定やページ作りに苦慮した。
 ネットワーク・カメラの仕様書を見ても、ページ作りの詳細までは載っておらず、実際に同じカメラで運用されている戸隠村やその他のページを参考にしながら、スクリプトの改造や作成をしてきた。

 夜間、暗い映像を写しても仕方がないので、日中の履歴映像を表示するように時間帯で切り替えたり、色々工夫してきたがブラウザによっては動作しないかもしれず、まだまだ隠れたバグ探しが必要であろう。

 このように手間隙かけたカメラだが、9月は意外と雨降りの日が多く、快晴の山が見られることは少ない。 10月後半からの紅葉の変遷や初冠雪などの景色を今から楽しみにしている。
 なお、この映像は携帯電話でも見ることができる。 携帯でのアドレスは、http://www.kurohimekogen.com/i/http://kurohime.homeip.net/i/)

(旧徒然日記から転記)



2004年9月3日金曜日

環境計画策定委員会委員募集

 信濃町の環境を一緒に考えないかと、信濃町役場のページでは環境計画策定委員会委員の募集公告を行っている。
 町に環境条例なるものがあるのか知らないが、野尻湖周遊道路を歩いていると、不燃物が投棄されている場面にたびたび遭遇することがあるし、その他の場所でもこんな所に廃材の捨て場が何故あるのか疑問に思えることがある。
 例えば、長水赤渋藤田観光別荘地の入口などで、廃車や古い建築資材や錆びた機材などが所狭しと大きな山になっているのが見える。
 所有者から見ればリサイクル資源という認識であろうし、一般人にはゴミの山と見えるものを観光客の目に触れないようどこかに隠せばいいという問題でもないが、でも、信濃町に来たお客さんはガレキの山を見れば楽しさは半減するであろう。
 信濃町が観光や農業で食べていく町であることを考えると、住民全員が町の自然や環境について積極的な認識を持つ必要があり、そういう中でこのような事象も解決されることを願いたい。

(旧徒然日記から転記)



2004年8月27日金曜日

ネットワークカメラを設置

ライブカメラ

 2000年秋から、秋葉原で購入した中古のCCDカメラをアルミシャーシに組み込み、ベランダに設置して黒姫山の映像を写して来た。 やはり中古のパソコンからレンタルサーバーへFTP転送して、ホームページに貼り付けていた。

 しかし、リアルタイム映像でないばかりか、一方向しか見えないので、製品版のネットワークカメラを探していた。
 そんな中、隣の戸隠村役場のページを見ていたらキャンプ場やゲレンデを撮影しているカメラが更改され、リアルタイムの戸隠の様子が写されていた。
 ページのスクリプトなどを解析する中でメーカーを調べ、ページ作りなど自分で対応できるか確認した。 その上で、通販からカメラとハウジングを購入し、このお盆休みの間に設置工事を行い、現在は公開すべくスクリプトを作成している。

ライブカメラ

(旧徒然日記から転記)



2004年8月23日月曜日

ほほえみ読本

 先日、黒姫和漢薬を訪ねた際に、狩野さんからいただいた小冊子「ほほえみ読本」(制作途中のHPがあります)を読んだ。
 

 だれでも、うまれたときから、ほほえみさんはいつもあなたといっしょ。
 くるしいときは勇気を、かなしいときは元気を、さみしいときは励ましを。
 でも、歳月(とし)と共に、風雪(かぜ)に吹かれて、ほほえみさんはいつのまにか消えてゆき、苦虫(にがむし)くんがだんだん増え、たった一度きりの人生をくもらせてしまいます。
 どこにいったの ほほえみさん
 どこにいるの  ほほえみさん


狩野氏の名刺には、
 

 童心草魂
 草の根のようにしっかり 草の花のようにやさしく 草の実のようにつよく
 ・ほほえみいっぱい
 ・みどり いっぱい
 ・活力  いっぱい
 ・ふれあいいっぱい


 人生も、仕事も、すべて理念がないとダメだし、限られた人生の中で、共同社会を形作るための行動や発言は絶対必要なことだ。 先日、講演会でお会いした原子朗さんともども、今年の夏は、黒姫のすばらしい人たちを知ることができ、非常に意義のあるものであった。

(旧徒然日記から転記)



2004年8月21日土曜日

宇賀神社大鳥居竣工記念コンサート

 知人から、野尻湖の琵琶島でコンサートがあると紹介され、初めて島に渡ることになった。
 信濃町に来て15年が経過したが、野尻湖周辺の喧騒になじめず、初めて観光船乗り場に来て、中勘助が執筆したという琵琶島がこんなに近い所にあるとあらためて認識した次第であった。

 コンサートは、ギタリスト辻幹雄さん11絃と6絃ギターのソロと、松尾慧さんの篠笛・龍笛・能管とのデュエットである。

 今年、世界遺産に登録された熊野古道と熊野三山でイメージされたという「TAKERU」を公開の場で初めて演奏された由。 琵琶島を渡るそよ風とギターの音色が相まって、深遠な世界をかもし出していた。

 新しい大鳥居横の湖面野外ステージで演奏されたものだが、舞台と聴衆とが少し離れていたのが残念であった。 できれば湖面ではなく、参道途中の神殿手前の階段付近で聞けたら、もっと良かったかなと思った。
 で、初めて知ったギタリスト辻幹雄氏は、チェルノブイリ事故後10年に鎮魂コンサートを開いたり、松本・神宮寺の曲を作られるなど、音楽を心から心へ、 魂から魂へと繋いでゆくことを信念に、活動を続けておられると敬服。
 会場で買い求めたCDを家に帰り聴くと辻氏の演奏のすばらしさ、人となりを感じ入ることができて、心の充実を得た一日であった。
 コンサートが終わって、乗ることがないと思っていた「」に初めて乗り、大鳥居前で留まった所で花火が10発ほどか上がった。 例年7月下旬に開催されている野尻湖花火を未だ見ていないのだが、野尻湖の湖底にあるという御霊への鎮魂でもあった。 夏の終わりを告げるような、こんな一瞬の小さな花火にも感じ入ることができた。

野尻湖コンサート 野尻湖コンサート


 

野尻湖コンサート 野尻湖コンサート


 

野尻湖コンサート 野尻湖コンサート

(旧徒然日記から転記)



一茶記念館第三回講座を聴く

 「一茶句のおもしろさとおそろしさ」と題して、宮沢賢治イーハトーブ館館長であり、30年前から信濃町の山桑に住まいを持つという原子朗さんの講演を一茶記念館で聴くことができた。

 2時の開演に間に合うように行くと駐車場は満杯、二階研修室もほぼ満席の盛況で、講演者もあまりにも沢山来られたと驚いていた。
 講演の内容は、当時の時代背景から、一茶の生き様と一茶句を詳訳したもので、

  • 幕府直轄の天領であったこと、
  • 親鸞に詣でるために三河から北国街道を歩き柏原に居を構えた人々のこと、
  • 農業文化が栄えたこと、
  • 平均余命30数才の時代に65歳まで生きた一茶を支えたのは蕎麦であったこと、
  • 一茶の家庭環境のこと、等々

お話が多岐にわたり、その中で一茶句を解説されていた。

  • 松木姓のこと、
  • 中村与平さんのこと、
  • らくや食堂、
  • しなの書房を秘書箱代わり(気付)に使われたこと、
  • ノーマンさんのこと、などを

今の信濃町の情報とからめて話され、非常に面白く興味を持って聴くことができた。
 最後に、一茶を支えた蕎麦の原産地はイラン・イラクであり、蕎麦がきを焼いたようなパンをあちらでは食すとのこと。
 兄弟の多くを先の大戦で亡くされ、その分自分は長生きして憲法9条を守るのだという、イラク派兵など、とんでもないと真摯に発言される80歳の若さにも敬服。
 本当に実りの多い講座であった。 この新しい一茶記念館の建築デザインに少し違和感を感じ、今までは足が遠のいていたのが少し残念であった。

(旧徒然日記から転記)



2004年8月19日木曜日

黒姫和漢薬(延命茶)を訪ねる

 黒姫和漢薬というより、延命茶韃靼(だったん)蕎麦茶という商品名の方が名の通りが良いが、先日、遠方からの客人を戸隠などに案内し、信濃町に戻ってくる所で、黒姫和漢薬の狩野さんを見かけた。
 以前、大病を患っていたという客人は、その際いろいろ励まされたといい、ご挨拶申し上げたいというので、仁の倉の交差点から戻って、街道脇のお店に寄ったのであった。

 以前は、車庫になっていたように思うが、工場前面に開店して一週間しか経ってないという喫茶店に入って、齢80を越えられているという狩野さんに挨拶するも、かなり昔のことで記憶にはなかったようだが、喜ばれ記念に写真を撮っていただいた。 また、現在社長をされているご子息や奥様にも色々な製品の効能などをうかがったのである。

 健康志向の市井の中で、黒姫の自然が育んだ野草を製品化されていることは、非常に意義深いことだが、値段も含め、誰もが手軽に利用できるようになることが一番大切なことではないかと思った。

(旧徒然日記から転記)



2004年8月7日土曜日

水穴の黒田邸のこと

 信濃町水穴にある江戸時代の旧家「黒田邸」で、俳人・小林一茶の俳句資料や、一茶と同時代に活躍した葛飾北斎、歌川広重らの浮世絵版画を展示した「一茶と同時代の文化展」が始まったと、「しんまい」に掲載された。
 一茶の句文集「まん六の春」の直筆本とされる資料も初めて一般公開されているというが、期間は5日から8日まで。

 以前、この黒田邸について話を聞き、伺ったが留守であった。 いつもは長野に住まわれているとのことなので、見学できる機会がなかなかない。
 場所は、古間駅から野尻方向に進み、水穴方面に分かれたあと高速道路の下を通り、針ノ木から荒瀬原に向う道と交差する十字路の少し手前の左側の細い道を入った突き当たりである。

(旧徒然日記から転記)



2004年7月30日金曜日

野尻湖フォーラム8月号が届く

 野尻湖フォーラム8月号が昨日届いた。
 掲載記事によると、1994年9月に創刊準備号を発行してから、10年を経たとのこと。 十年一昔とはよく云うものの営々と活動(発行)を続けて来られたことに敬服する。

 野尻湖の桟橋条例に違反した大型観光船問題を知ったのは、インターネット以前の時代であったニフティーサーブのパソコン通信の掲示板で、野尻湖を救いたいという内容であったと記憶している。 あの「」問題は記載されているように、なし崩し的に存在が事実とされてしまい、湖を巡っていると聞く。

 小さな町の行政も国レベルの政治も五十歩百歩。 要領良く、しかも強引に事実とさせた者が勝ちなのあろう。 共同体って、そんものじゃないだろうと声高に言いたいが、一市井人は全く無力である。
 その後、水の会や委員会諮問など、昨年からはプロジェクトチームを組成し、町の再生に向け真摯な取組をしていると聞くが、10年経っても未だスタートラインに立ったまま船出をしていないように思えてならない。
 町の自立を恒久的なものにするためにはもっと強権的であってもいいと思う。 それが出来るのは行政機関のみなのである。 変な平等意識や横断的な公平さばかりを意識していると、理想の町の姿を創り上げることはできないであろう。

(旧徒然日記から転記)



2004年7月24日土曜日

さぁ、夏休みだ!

 町の広報誌をあらためて見直した所、7月から8月にかけて、観光イベント以外にも色々な催しがあることを知った。 童心に帰って参加したいものばかりだが、あと数年は仕方なし。

7月25日(日)
・野尻湖ブルーギル釣り大会・試食会:9時~昼頃:野尻支館(事前申込)
・歴史散歩「北国街道と川東道をあるく」:9時~13時:一茶記念館前(事前申込)

7月31日(土)
・野尻湖花火大会・サマーフェス
・氷河時代の昆虫化石をさがそう(野尻湖サマーフェス):10時~12時:ナウマンゾウ博物館(事前申込)

(旧徒然日記から転記)
 



8月 1日(日)
・野尻湖探索 野尻湖のまわりを歩こう(野尻湖サマーフェス):10時~12時:ナウマンゾウ博物館(事前申込)

8月 1日~6日
・ナウマンゾウ博物館ミニ講座:13時~15時予約不要:石器づくり、昆虫化石、火山灰

8月 6日
・やまなみ大学「日本の温泉を考える」-温泉の現状と問題点-:19時30分:総合会館:関西学院大学商学部教授 保田先生

8月 7日
・夏休み工作教室(公民館事業):総合会館

8月 8日
・やまなみ大学「形から解き明かす神経細胞の不思議」-生命を科学するということ-:13時30分:総合会館:東京大学大学院医学部助教授 金井先生

8月 9日~16日
・ナウマンゾウ博物館ミニ講座:13時~15時予約不要:石器づくり、昆虫化石、火山灰

8月12日
・やまなみ大学「水生生物からみた環境について」-鳥居川のホタルなど-:13時30分:大学村セミナーハウス:県自然観察インストラクター 宮入先生
・陸上教室:9時50分~12時:柏原小学校体育館・グランド:駒沢大学駅伝部

8月14日(土)
・しなの黒姫夏祭り:15時~21時:黒姫駅前一茶ふるさと広場

8月15日(日)
・氷河時代の昆虫化石をみつけよう-第2回-:10時~12時:ナウマンゾウ博物館(事前申込)

8月14日(土)~15日(日)
・古間盆踊り大会本サイトのScreenSaverのページで盆踊り会場の映像が見れ、音頭が聞こえるスクリーンセーバーのダウンロードができる

8月21日(土)
・一茶記念館講座「一茶句のおもしろさとおそろしさ」:14時~16時:講師 詩人・文学博士 原子朗さん
詳細は、信濃町役場野尻湖ナウマンゾウ博物館のページを参照。
 


2004年7月21日水曜日

ブルーベリーの産地

 今朝7時台のNHKニュースで、茨城県つくば市のブルーベリー園を放送していた。
 芝を作付していた畑にブルーベリーを植えた所、4年で実をつけるようになり地域の特産になりつつあるらしい。
 以前に、兵庫県淡路島でみかん農家が、価格低迷に喘いでブルーベリーに切り替え順調に生産を伸ばしていると報道されていたが、このようにブルーベリーは信濃町だけのものではないようだ。

 ただ、雪がなく寒暖の差が少ない気候が果実の味にどの程度影響を与えるか、検証の必要性はあると思う。
 因みに、日本ブルーベリー協会という団体があり、調べていくと下記のように生産地は全国に広がっていた。
 作付面積から見ると、長野県、群馬県、茨城県の順のようだ。

[生産地一覧]
北海道:仁木町・砂原町・南幌町・伊達町・赤井川村
 

(旧徒然日記から転記)



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青森県:中里町・南郷村・五所川原市・田子町・柏村
岩手県:岩手町・胆沢町・盛岡市・岩泉町・一関市
秋田県:本荘市・雄和町・大館市・鹿角市
山形県:羽黒町・天童市・寒河江市
宮城県:富谷町・若柳町・鳴子町・宮城蔵王町・南郷町
福島県:郡山市・双葉町
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茨城県:つくば市・常北町・八郷町・霞ヶ浦町・土浦市・
     千代田町
群馬県:川場村・赤城村・中之条町・吾妻町・富岡市・
     沼田市・前橋市・鬼石町
栃木県:今市市・茂木町・小山市・宇都宮市・足利市
埼玉県:江南町・さいたま市・美里町・所沢市・
     毛呂山町・川口市
千葉県:木更津市・君津市・佐原市・流山市
東京都:小平市・国分寺市・日野市・町田市・青梅市・
     練馬区・世田谷区
神奈川:横浜市・相模原市・小田原市・川崎市
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山梨県:河口湖町・長坂町・明野村・鳴沢村・大泉村
長野県:大町市・信濃町・長野市・大鹿村・佐久市・
     松本市
新潟県:白根市・妙高高原町・栃尾市
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静岡県:小笠町・裾野市・清水市
愛知県:豊根村
岐阜県:荘川村・多治見市・川上村・各務原市
石川県:柳田村
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滋賀県:マキノ町・大津市・米原町
京都府:南山城村・井根町・木津町
大阪府:南河内郡
奈良県:大宇陀町・免田町・都祁村・室生村・新庄町
和歌山:熊野川町
兵庫県:出石町・猪名川町・宝塚市・淡路島
-------------------------------------------
島根県:大田市・匹見町・赤来町
岡山県:川上村・奈義町・八束町・東粟倉村
鳥取県:大山町・名和町
広島県:大崎町上島・大和町・油木町
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香川県:国分寺市
愛媛県:内子町・宇和町・砥部町
高知県:土佐郡
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福岡県:浮羽町・星野村
大分県:湯布院町・九重町・玖珠町
長崎県:美津島町
熊本県:蘇陽町・免田町
宮崎県:児湯郡
鹿児島:大口市・鹿児島市
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2004年7月12日月曜日

果汁に規格外添加物 須坂の業者JASマーク付け販売

 須坂市中島の食品卸売「信濃興農」が、日本農林規格(JAS)の規格外の添加物を混ぜた業務用の濃縮リンゴ果汁を製造し、JASマークを付けて販売していたと、9日信濃毎日新聞ほか食品関係紙を中心に掲載されていた。

 農水省によると、信濃興農は三月、中国から七倍濃縮のリンゴ果汁を仕入れて一・五倍濃縮に薄め、リンゴ酸やリン酸、液糖などで成分を調整。「五倍濃縮」と偽って、加工業者などに販売していた。
 JAS法では、濃縮リンゴ果汁の添加物は品質を保つための最小限度とし、酸化防止剤と香料以外は認めておらず、リンゴ酸などは規格外。同社は六年ほど前から同様の不正を行っていたと話しているという。

 JA関係のジュース等製造販売会社に「長野興農」という会社があるが、この会社との取引有無等関連があるのかは分からない。
 製造年月日や添加物など食品の安全性については誰でも注視していること。 食品全般に対する信頼性を失うようなことは、どんなことがあってもしてはならない。
 信濃町でも農産物を生産し、ブルーベリー農園やジャムの製造販売を生業にしている方々もいる。 消費者の信頼を失うようなことは決してしてはならない。 地域全体の死活問題にもなるからである。

(旧徒然日記から転記)



2004年7月5日月曜日

野尻湖トライアスロン

野尻湖

 都合がつかず、昨日行われた野尻湖トライアスロンを観戦することができなかったが、芙蓉荘の野尻湖ライブカメラを注視していた所、8時40分にスイミングから始まった競技開始の映像を見ることができた。

 野尻湖マリーナ(ルアーフライパラダイス)のHPのライブカメラだともっと詳しく見られたかもしれない。

(旧徒然日記から転記)



2004年6月28日月曜日

田中知事の住民登録問題

 田中長野県知事については、これまでの知事と違って、自ら歩き自ら発想し、良いと思うことを率先して県政の場で行っていることに、概ね賛意を持っていた。 そして、過疎の村を支援したいという熱情も分かるし、これほどのことを行う知事はどこにもいないと思う。

 しかし、村長の家に間借りという形のみで、実際には住んでおらず、しかも県庁のある長野市への通勤も時間的に無理とのこと。 日々の生活の実態は長野市にあるわけである。
 そんな中、下伊那郡泰阜(やすおか)村選挙管理委員会に、田中知事の選挙人名簿登録の決定取り消しを命じる長野地裁判決が出たのにもかかわらず、昨日、知事は投票所入場券が必要ない期日前投票という手段を使って、泰阜村での参議院議員選挙の投票を決行した由。

 ユニマットという、事業所にコーヒーメーカーを置く形で高収益をあげている企業がある。 この高橋社長は営業戦略から西表島に住民登録をし、億単位の住民税を島にもたらしていると云う。
(こちらの住民登録は、リゾート開発をスムースに実施するための餌であり、田中知事とは異なって意図は悪賢く感じるのだが)
 しかし、実際には住んでおらず島の選挙管理委員会は選挙人名簿登録を抹消したという。 島の税収入の半分以上を担っている人に対してすら、このような決定をしたのである。
 田中知事のこのような行動には一種の強権発動に近いものを感じた。 現実に、誰でも無理と思える住民登録ではなく、もっと県民が納得できる形で、泰阜村への田中知事の個人的な援助が出来ないものかを考えてほしい。 あまりに固執していると知事への支援そのものを失いかねず、墓穴を掘ることにもなるのではと憂慮してしまうのである。
[7/4追記]
 アサヒコムのページに、都道府県の長の支持ランキングが掲載され、長野県知事は不支持No1とのこと。 調査結果を全面的に信じることはできないが、知事の主張も大事だが、市民感覚から乖離した行動には相容れないものを感じた結果なのであろう。 東京や大阪など歴代知事に学者や著名人が選出されていたが、結局は在任の効果が評価されないままで終わっているケースが殆どである。 このようなことにならないよう思慮のある行動に出られるよう切に願いたい。

(旧徒然日記から転記)



2004年6月23日水曜日

JTBがスキー場経営から退く

 黒姫ゲレンデを経営する黒姫観光開発に、JTBが資本参加し人材も送り込んでいたが、営業権を譲渡し黒姫から撤退すると先月発表されていた。
 既に、人伝に聞いていたものの、詳細不明なので敢えて発言しないようにしていたが、本日、こちら(NIKKEI NET 地域経済ニュース)のページで発表されていたことを知ったので記しておこうと思う。

 営業権の譲渡先は、ゲレンデのすぐ下にある黒姫ライジングホテルを経営するライジングサンホテルズとのこと。 譲渡先はニチメン日商岩井の合弁会社「双日」系の不動産会社ということだが、双日は本年4月に両者が合併したもの。
 譲渡先企業の姿がよく分らない今、黒姫ゲレンデの経営がどういう姿になるのか、隣の飯綱なども経営的に苦しいと聞いており非常に気になる所であるが、夏のコスモス園は例年通りに開園し、新しい経営の姿が見えてくるのは次のスキーシーズンということになろう。
(6/28追記)
 5月14日の信濃毎日新聞の信州スキー場だよりのページに既に掲載があった。
(以下、日経記事5/22)
 

JTB、黒姫のスキー場をホテル運営会社に売却
 JTBは21日、黒姫高原(長野県信濃町)で運営しているスキー場などの営業権を、信濃町のリゾートホテル「黒姫ライジングホテル」を運営するライジングサンホテルズ アンド リゾーツ(東京・港、岡田正夫社長)に譲渡することを決めた。 売却金額は数千万円とみられる。 黒姫ライジングはホテルとスキー場の一体運営で集客増を目指す。
 JTB子会社で長野電鉄(長野市)、信濃町も出資する黒姫観光開発(信濃町)のスキー場やコスモス園などの営業権をライジングサンホテルズに売却する。JTBは長電と町から株式譲渡を受けた後、11月までに営業権を売却、同社を解散する。JTBは特別損失数億円を見込む。
 ライジングサンホテルズは総合商社、双日(ニチメンと日商岩井の合併会社)系不動産会社が所有する黒姫ライジングホテルを運営。 岡田社長は「宿泊パックの充実や顧客サービスの向上を図っていきたい」という。

(旧徒然日記から転記)



2004年6月22日火曜日

野尻湖ミュージックキャンプ

 野尻湖畔の国際村に住むカナダ人が、アイリッシュケルトなどトラディショナルな音楽を演奏する「ミュージックキャンプ」を開くとメーリングリストが届いた。
 昨年も同様の主催があり、参加の打診をメールでしたが、プライベートな催しのようだし楽器が弾けることが条件らしく諦めたことがある。

 7月下旬に野尻湖花火大会と併せて、サマーフェスティバルと銘打って色々な催し物が開かれるが、このようなイベントと同時に行われると、もっと色々な人たちがこの音楽を楽しめると思う。
 こちらに、野尻湖ミュージックキャンプの詳細がある。

(旧徒然日記から転記)



2004年6月8日火曜日

タケノコ

タケノコ

 先日の山登りでは、早朝からタケノコ採りに入山しリュック一杯に詰めて降りてくる人達にたびたび会ったが、比較的山の上の方で採ってる人も多かったので、そろそろ旬も終りに来ているのかもしれないと思った。

 今頃のタケノコは根元がやや緑がかっているものもあり、軟らかさも少なくなりつつあるので、それだけ料理に工夫が要りそうである。

 この写真は先日戴いたものだが、これだけにするには大変な作業が必要で、本当に”ズク”がないと味わえないものであり、感謝の一言(^o^)丿

(旧徒然日記から転記) 



2004年6月6日日曜日

黒姫山 登山

 今日は、信濃町役場と信濃町観光協会共催の登山会に参加した。
 前日まで快晴が続いたのにも関わらず、本日は下り模様であったものの、登山中は薄日がさすほどであった。 しかし、12時少し前に山頂に届くやいなや、雨が降り出し、七つ池への分岐の笹の陰で昼食。
 濡れた小泉山道は滑って危険だと、登った道を戻って降り、大橋林道入口に3時過ぎ無事に到着することができた。

黒姫山登山 黒姫山登山


 

黒姫山登山 黒姫山登山


 

黒姫山登山 黒姫山登山

 雨は一時降っただけで、林道を歩く間、黒姫観光開発のNさんと町のことや観光のことなど意見を交換する中、意気投合し下山することができ、新しい知己に感謝。
 押されて登れてしまう、この登山会はいい企画だと思い、しばしば参加させていただいているが、いい企画を企画だけに終わらせず、次の企画への橋渡しができるような事ができないかと思った。 また、八方美人のプロジェクトは何も産まないし、痛みや膿を出す覚悟での町の活性化を図らないと意味がないというのが本日の感想であった。

(旧徒然日記から転記)



2004年6月5日土曜日

黒姫駅に583系列車

 長野駅のホームで、直江津行きの快速電車を待っていた所、ホームに塗装がはげた古い列車が止まっており、車内の片側に寝台、もう片側に座席がついた少し変わった仕様であることに気がついた。
 この回送列車が出た後、信越線に乗って黒姫駅に降り立ったところ、この列車がホームの反対側に止まっており、定時列車の合間をぬって回送しているようであった。 何か特別な列車のようで鉄道ファンらしい人たちが写真を撮っており、その間に割り込んで早速カメラに収めてみた。

アップロードファイル 37KB

 あらためて鉄道ファンのページを見たら、この583系列車は、昭和40年代に電車型で寝台と座席を兼ねた珍しい車輌とのことで、特急はくつる、雷鳥、つばめなどに使用され一世を風靡した列車とのことであった。

(旧徒然日記から転記)



583系 583系 583系

2004年6月2日水曜日

戸隠牧場で遭難騒ぎ

 今朝6時半過ぎのNHKテレビのニュースで、信濃町に近い戸隠牧場付近で学生が行方知れずになったが無事発見されたと報道されていた。
 戸隠牧場入口の案内所や奥社入口の鳥居の映像が見えていたが、詳細は聞き逃してしまい不明で、他局や他紙のHPに掲載されているかなと見たが午後3時の段階で何も掲載はなかった。

 今の時期、熊が、毒おろしをしたという水芭蕉の茎が広く倒れている事象を、奥社植物園で見ることができるし、黒姫童話館にも以前熊が現れたと聞いたことがある。 無事で何よりであろう。

(6/3:Yahooニュースやしんまいのページに記載があり、横浜の中学生だったとのこと。)

(旧徒然日記から転記)



2004年5月31日月曜日

ブランド農産物

 先日、小布施町の農家が生産した小豆や黒豆などの農産物を、小布施ブランドとして売り出すという新聞記事を見つけた。

 信濃町でも、ブルーベリーやルバーブトウモロコシやそば等、高地の利を生かした美味しい農産物は多いのだが、街道筋での販売や観光農園、ジャムなどの加工といった形の販売が多い。
 また、インターネット全盛時代に通販業をされている方々もおられるが、自らの生産物を販売するというよりは、生産者から商品を卸してもらって販売しているケースが殆どである。

 このように販売体制がバラバラで、品質についても規格がないようだが、小布施町のように、一定の基準を設けて信濃町ブランドもしくは黒姫ブランドとして売り出せないかと思ったのである。 素人の発想ではあるが、一定の規格以上の生産物をブランド化することで、信濃町そのものの知名度もあがるし、観光客増加などの相乗効果が期待できるのではないだろうか。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月29日土曜日

ニセアカシアの花

 定時に発信している黒姫山のウエブカメラだが、最近の映像の左下に何やら白っぽい点が見えている。

黒姫山 これはニセアカシアの花なのである。
 戸隠街道の脇でもよく見ることができるが、なかなか可愛いい花だし、これを天ぷらにすると甘味があってなかなか美味しいのである。

 HP検索で、アカシアを探すと色々種類があるようだが、この花たちを何故ニセと付けたか、説明しているページにはまだたどり着かない。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月28日金曜日

笹のお守り

 「黒姫高原で見つけた笹のお守り」と題した記事を信濃毎日で見つけた。

 熊笹の葉っぱに小さい穴が規則正しく8つ、9つ付く状態を言うらしい。 葉っぱが縦に細く丸まった状態の時に昆虫がかじり、葉が広がると規則正しく連なった穴が現れる現象とのこと。

 戸隠村では、伝説の地の神、「九頭竜」がかんだ「お歯型」と呼ばれ、虫よけのお守りとして伝わっている由。
 ワラビやフキを採りに行く時に、よく熊笹が生えている地域を通るがそんなことがあるなどと気にしたことがなかった。 次回には是非見てみたいものだ。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月26日水曜日

竹の子が届く

 いよいよ根曲竹の季節に入ったようで、早速、山に入った方から初物を戴くことができた。

 根曲竹の調理は、鯖缶と煮込んだ味噌汁が一般的だが、他にも茹でた筍をスライスにした刺身牛肉との炒め物牛肉をまいた焼き物、ホイルで蒔いて単に蒸し焼きにしたもの、等さまざまである。
 中でも、ジャガイモとタマネギを入れた味噌汁が味が淡白で美味しく、何杯でもおかわりしてしまう。

 この旬の食べ物は飯綱、黒姫から妙高にかけて採れるようだが、黒姫の場合は、採取料(山菜組合へ払い、林道維持などに使われる)を払う必要があるし、戸隠側は竹細工の用に供するため採取が禁止されている。 志賀高原でも全面的に禁止されているため黒姫周辺に採りにくる仕事人が多いらしい。

 どちらにしても、竹やぶに分け入り、太い竹の子を見つけるのは至難の技だし、蒸し暑さや足場の悪さにも難儀する。 そんな中で採取された竹の子だから非常に貴重なのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月24日月曜日

念仏一茶

 以前、田辺聖子の「ひねくれ一茶」を読んで、一茶の人間臭さにどうも近づき難い印象を持っていたし、俳句そのものにも全く興味がなかった。
 しかし、10年ほど前にNHKのラジオ談話室で流された内容を書物にされた、東京大学名誉教授で浄土真宗の住職でもおられた早島鏡正氏の「念仏一茶」という本を読む機会に恵まれ、今まで持っていた一茶像を根本から拭い去ることができた。

 「そのやさしさの秘密」と副題が付けられた本書で述べられているように、柏原を出てからの人生経験や病床の父親の介抱、自らの結婚や子の死などを経る中で、晩年には深い宗教観や精神性を持つに至ったとのこと。
 短い十七文字の語句の中に、深い仏教的な観念が内在していることに、一茶の偉大さがあるのであろう。 このように、単に句の旨さではなく、一茶の精神性を解説してくれるような書籍がないか探し、もうしばらく一茶の人間性に触れてみたくなった。
 本書の中で解説のあった句の一例を残す。

  • 春立つや愚の上に又愚にかへる
  • みだ仏のみやげに年を拾ふ哉
  • 寝すがたの蝿追ふもけふがかぎり哉
  • 露の世は露の世ながらさりながら
  • なむあみだ仏の方より鳴蚊哉
  • 柳は緑花は紅のうき世かな
  • やれ打つ蝿が手をする足をする

(旧徒然日記から転記)



2004年5月21日金曜日

だから一茶が好きなんだ

 黒姫に通うようになって15年程が経ち、これまで信濃町(柏原)は小林一茶の里くらいの認識しか持っていなかったが、先日、一茶の宗教性・精神性について書かれた本を見て、単なる俳人としてでなく人間としても素晴らしい人であったことを知った。
 2万点以上作句されているという数の点でもすごいが、五七五の短い句の中に軽妙さだけでなく人間の霊的な世界をも表現している精神性は大変なものであろう。

 八十二文化財団の頁に、一茶記念館の館長でおられた清水哲氏と金子兜太氏の対談が載っているが、こういう中でも一茶の人間性に触れることができる。 しばらく、一茶に触れられる文献を探したくなった。
(追記:現在は、対談頁は削除され、機関誌「地域文化」の目次PDFの中でタイトルのみ残している)

(旧徒然日記から転記)



斑尾ジャズ中止

斑尾ジャズフェスティバル中止の記事を数回にわたって記した。

2004.5.1
 土曜日の日本経済新聞朝刊には、プラス1という別刷がつくが、今日のこの一面に、音楽評論家などの専門家が選んだ野外音楽祭のベストワンに斑尾高原ジャズフェスティバルが選ばれたと、掲載されていた。
 毎年7月末に行われているこのジャズフェスティバルであるが、経常的にスポンサーがつかず開催が危ぶまれているらしい。 以前にも一時中断し、東京で開催してたこともあった。
 我々も10年以上前に、2~3度聴きに行ったが、草原に座り込んだり寝転んだり、あるいは音楽に合わせ踊る人たちもいて、すがすがしい爽やかな一時を過ごしたのであった。
 しかし、斑尾高原は我々にとっては少し遠い感じある。 このようなイベントが黒姫高原でも開くことができたら是非参加したいものだ。
 フィル・コルターのハイランド・カティードラ! こんな雰囲気の演奏会があったら、黒姫の碧の高原を最高に感じることができると思う。 コスモス園のカルテットでは少し寂しい。

2004.5.10
 斑尾高原開発のHPを見たら、今年の斑尾ジャズフェスティバルは中止とアナウンスされていた。 大手企業などのスポンサーがなかなかつかないのであろう。

2004.5.14
 信濃毎日新聞に、斑尾ジャズフェスティバルが、協賛が集まらず休止になったと、次の記事があった。

 真夏の斑尾高原(飯山市)の風物詩として、音楽ファンに親しまれてきた「ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン斑尾」の休止が11日決まった。 今年で通算20回目を迎えるはずだったが、予定の協賛が集まらず断念。 来年以降の「20回目」に向け、仕切り直しに入った。 フェスティバルは、82年スタート。 一時中断後、98年に再開。 ディジー・ガレスピーやB・B・キングらジャズ界の大御所に加え、国内外の新鋭も出演するなど、白熱したセッションが楽しめた。

2004.5.21
 日本経済新聞の最終頁に、斑尾ジャズフェスティバル中止のコラムが載っていたので切り抜いてみた。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月20日木曜日

一茶愛用のナルコユリ

 今日のしんまいのHPには、「記念館に一茶愛用のナルコユリを寄贈」というタイトルで次の内容が記載。
 

 俳人・小林一茶が愛用したとされる薬草ナルコユリ(黄精)を栽培している小布施町の農業芋川五作さん(77)が18日、ナルコユリ2株を信濃町の一茶記念館に寄贈し、同館の庭園に植えた。 江戸時代に滋養強壮薬として愛用され、一茶の「七番日記」にも登場する薬草。「来館者に一茶が好んだ薬草を知ってもらい」と期待している。

 そこでナルコユリがどんなものか検索したら、イー薬草・ドット・コムというページにナルコユリの写真が載っていた。 アマドコロという花と似ているということだが、黒姫山の山頂付近で見たオサバグサの閉じた花びらの形とも似ているように思われる。 来年の今ごろに一茶記念館に行くとこの白いかわいらしい花に会えるかもしれない。
 なお、一茶記念館では7月11日まで版画展が、また一茶にかかわる講演会が暫時開かれている。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月19日水曜日

野尻湖ライブカメラ

 野尻湖畔にある宿芙蓉荘から伝えている野尻湖の映像が数週間前から変更になっている。

今日の野尻湖

 たぶん夏の観光シーズンに合わせ、レジャーを楽しんでいる姿を伝えたいと、ボートやヨットを接岸する桟橋方向に向いているのであろう。 沢山の観光客に来ていただきたいという気持ちが、こんな所にも現れているのだと思う。
 遠くに黒姫山が入ってはいるのだけど、やっぱり琵琶島が入ったあの深遠な湖の姿が私は好きだ。 数あるライブカメラの中でも一番の映像だと思っている。 シーズンが終わったら、レンズの方向を戻して欲しいと願っているのだが..._(._.)_
(追記 : 偶然なのか、はたまた、こちらの徒然日記をご覧になったのか、野尻湖ライブカメラの映像が琵琶島が入るような方向に少し変えられたようだ。
 黒姫山が入るのは嬉しいけど桟橋の煩雑さが興を削がれるので、この方向が一番良いかもしれない。)

野尻湖ライブカメラ

 因みに、世界の窓のページから 世界の窓の窓というウィンドウズ版のフリーソフトをダウンロードしてパソコンにインストールすると、パソコンのデスクトップ(画面)上に、一定時間毎に変化する野尻湖や黒姫高原の映像を貼り付けることができて(ADSLなど常時接続が前提だが)非常に便利である。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月12日水曜日

童話館の新聞記事を見る

 家内の知人から、黒姫童話館のことが記事になっていると、今週の「新婦人しんぶん」という新聞をいただき、童話館のことが細かく記載されている紙面を見ることができた。

 この紙面には、野尻湖に住んでいた童話作家「坪田譲治」に師事し、「龍の子太郎」など民話や童話の仕事を続け、国際アンデルセン賞優良賞を受賞するなどされてきた「松谷みよ子」の作品がこの4月から童話館に常設展示されること、童話館前の黒姫や妙高のパノラマ風景がすばらしいことなどが細かく書かれていた。

 「龍の子太郎」という話は、20数年前に自分の息子達にも読み聞かせたことがあったのでタイトルだけはよく憶えていたが、龍に乗った姿はネバーエンディングストリーと似ているように思える。 「龍の子太郎」は1979年に東映からアニメーション映画として作成されたらしい。

 松谷みよ子さんは、32年前東京のご自宅の庭に「本と人形の家」を作られ、地域の子供への本の貸し出し、人形劇や紙芝居の上演、日本民話の会研究会を開いている由、こちらのページで作品の紹介をされている。
 また、野尻湖近くの本道には、坪田譲治の「花静かなる田園あり」という詩から名づけたという、花静庵という住いでネイチャーガイドや里山教室を開かれている方がいる。
 さらに、黒姫高原には「竜の子」というペンションがあるが、この「龍の子太郎」から名づけられたのかは知らない。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月7日金曜日

大山桜が満開に

 黒姫童話館のページや信濃町観光協会の掲示板を見ると、ゲレンデの大山桜が満開になったらしい。 里の桜の開花は、一週間以上も早かったが、こちらは例年と同じ位だ。
 大山桜は八重桜のようにピンク色のもっこりとした花だが、黒姫のは非常に上品で美しい。
 日記用の良いスクリプトを見つけることができたので、本日より入れ替えてみた。
 この写真は、昨年写した大山桜。

黒姫高原の桜

(旧徒然日記から転記)



2004年5月6日木曜日

無言館で成人式

無言館 信濃毎日新聞の連休中の記事を読み直そうとウェブ版を見ていたら、上田市の前山寺近くにある戦没画学生慰霊美術館「無言館」が29日に、第2回成人式を開いたと載っていた。

 志半ばで戦地に散った画学生の絵の傍らで、気持ちを新たにしてもらいたいと企画した式に、県内外から新成人ら希望する20人が参加。 式で、命の尊さを訴える作家の澤地久枝さんが、自筆の手紙を1人ひとりに贈るなど、各分野の「人生の先輩」たちも、人生の門出を共に祝った。 とあった。

 自衛隊のイラク派兵、憲法9条の問題など最近の報道を見ると、闇雲にどれも「是」とするような雰囲気があるように思われるが、画学生のみならず自分の人生や思いを完成させることなく、また悲しい試練の中で生を終わらせた沢山の人々がいたという事実から、これらの問題を考えてほしいと切に願うものである。

 先の大戦のような過ちを繰り返さないという視点の上で、国の安全を維持するための最低の体制というものを考えてほしい。 我々の子孫に同じような辛酸を舐めさせるような愚行だけはしたくない。
 無言館独自のページはないようで、上田市役所の無言館案内ページ信泉会(信州の温泉を訪ねる会)を見ると参考になるかもしれない。

(旧徒然日記から転記)



2004年5月3日月曜日

大山桜の開花は一分

桜

 連休と快晴の天気に誘われたのであろう、古間から柏原にかけて、たぶん野尻までの国道の渋滞が久しぶりに発生していた。
 ゲレンデ前の駐車場も車が一杯で、童話館に向かう専用バスにもお客さんが随分と乗っていた。 高沢の手打ちそばも多くの人に知られているのか、駐車場が溢れそうであった。 我々の目的はまだ旬に入っていないタケノコの初物を見つけることであったが、そう簡単には見つからない。

 ゲレンデの大山桜は、やっと開花を始めた所であった。 この感じだと5日頃には、あるいは週末頃には開花した綺麗でかわいい花を楽しむことができるであろうが、今回は残念ながら機会がない。 前山に向かう道の脇で花見の宴を催したらさぞかし楽しいだろう。

(旧徒然日記から転記)



2004年4月21日水曜日

ゲレンデで蕗を取りながら思う

 18日、快晴の天気に誘われゲレンデへ行ってみた。
 だいぶ雪はとけていたが、それでも第三リフト降り場直前で残雪があり、その先へは車では近づけなかった。
 雪解け水があちこち流れている中、早速、蕗玉探しにコース内を歩いてみた。 クアッド・リフトの下を上がって行くと面白いように採れたが、3月頃に比べると玉の固さがなく軟らかい。
 雪解けの際の枯草の中に取られまいと潜む蕗玉を探し、これをひねるようにして採ったのが香りもあって美味しい。

 蕗玉は、てんぷら蕗味噌で食すのが一般的だが、蕗味噌を作る時にたっぷり味噌を入れる方がおられる。 しかし、それでは蕗の香りを台無しにしてしまう。 蕗を細かくしたものをつなぎとめる程度の僅かな味噌でまとめると、蕗の風味が残って美味しいのである。

 我々以外にも蕗採りに奔走されている方々がいたし、まだ蕾のままの大山桜の下で寝転がっている人もいたが、このオフシーズンの間、施設が全部閉じているのは非常に不便である。
 特にトイレと水洗場が下の(町営)駐車場だけでは遠すぎる。 レストランかイエローボックスのトイレが昼間の一定時間でも使えるのが良い。

 観光地の名称にもブランド性があって、地名を聞くだけで、その特性や雰囲気をイメージできることが多い。 この”黒姫”についても自然に富み、黒姫伝説やナウマン象発掘など広く知られていることから、一般人(もしくは観光客)が一定のイメージを持つ下地作りは出来ていると思う。
 これらを有機的につなぎ合わせ、シーズンを通して、トイレを一例として色々整備することで個性のあるブランドに仕上げることもできるのではないかと思う。 でも、ズクを出さない部外者が声しても仕方ないかもしれない。

(旧徒然日記から転記)



2004年4月20日火曜日

黒姫高原牧場の牛乳

 天望館や町内のスーパーなどで購入できる黒姫高原牧場の牛乳ビンの形状が、ズンドーからコーラビンのように真中がくびれている形に変わったのに気がついた。
 そしてビンの説明を読むとワンウェイと表示され、リサイクル・ビンは廃止されたらしい。

 以前は、天望館へ持って行くと100円(小ビン40円)で回収してくれ、それが次の購入への動機づけでもあった。 何か思い入れがなくなったようで少し寂しい。
 家内は天望館へ行くと、まずこの牛乳と豆腐を買う。 私は体質的に合わないので、あまり牛乳を飲まないがヨーグルトともども大変美味しい。

 で、その牛乳で作ったアイスクリームだが、先日食べてみて、美味しさは変わらないものの、何か味にコクがなくなったように感じた。 ビンのリサイクルも味も世の流れの中で変えざるを得なかったのかもしれないが、ぜひ”美味しさ”だけは変わらず追求してほしい。

(旧徒然日記から転記)



2004年4月19日月曜日

原の閑貞桜

原の閑貞桜

 日曜日の快晴に誘われ、原の閑貞桜を見に行ったが、まだ3分咲き程であった。 今日は一時突風が吹いたが、明日から真夏日のような天気だとのこと、意外と早いうちに満開になるかもしれない。

 それにしても閑貞桜は幹が年代を思わせるほど太いのに、枝の量が少なすぎる。 満開になったとしても年老いた姿で無理して虚勢を張っているようで何か悲しさがもよおされてしまう。
 ニコルさんか、古老が言ったか忘れてしまったが、もっと早い時期に養生しておけば、この歴史ある桜を後世に伝える確信を持てたろうに、これからも世話や手入れが大変だと思う。

(旧徒然日記から転記)



2004年4月18日日曜日

大人の国はいづこに

 昨日、久しぶりに信濃町インター脇の道の駅「天望館」へ行ったら、大きな醤油樽のようなものに桜の太い枝が生けられ3分咲きであった。 テントを張る準備もしており、店先にはフキ玉、コゴミ、コシアブラ、タラノメなどが並んでいた。 また駐車場から隣の水生植物園へ歩いていけるよう歩道も整備され、やっと黒姫も春の装いに変わりつつある。

 イラクの人質は5名とも救出され一応の解決を見たが、これまでの一連の費用を本人に請求しろと言い出した政治屋がいるらしい。
 そういう輩には、昨日フランスのルモンド紙の東京支局長が伝えた記事をよく読めといたい。 その内容を略記すると、

 彼らの行動は「軽率で無邪気すぎるかもしれないが、ネクタイ・スーツ姿と夜遊びギャルの間に、激変する社会に積極的にかかわろうとする者がいることだけは分かった。 彼らは自分なりに世界を変えたいと考えている」と。
 また「親の世代のように企業社会に服従することを拒み、新たな感受性を見つけた若者たち」を束ねる「10万の非政府組織(NGO)」の活動にも注目。「阪神大震災以降、人道・奉仕活動に身を投じる子供たちが増えている。 日本人の人質たちは、一つの象徴だ」

 という。
 フランスは実にバランス感覚を持つ”大人の国”だと感じいってしまった。 それに引き換え日本の政治屋はまるっきり”ガキ”の発想。 まっとうな民主主義が育ってない事実がこういう所にも現れてしまっている。 人質となった彼らの行動を全て評価するわけでもないが、ああいう姿が本来の国創りではないかと思う。

 救出費用の請求を論議するのなら、自衛隊のイラク派兵にかかわる経費のうち実際のイラク復興に使われている金は幾らなのか(僅かであるという情報もあり)、全国の警察機構に今だはびこる不透明な資金流用、元社会保険庁長官の賄賂問題など、国民を欺いているそういう所業をつまびらかにしてほしいものだ。

(旧徒然日記から転記)



2004年4月16日金曜日

古い袴は脱ぎ捨てよう

 イラクでの3名の人質事件は、一応の解決を見たが、未だ2名の日本人の消息が分からないという。 今後も同様の事件は起りうるだろうし、個人の責任とはいえ国家としての安全保障体制がきちんと行われる必要がある。
 今回の経緯を見ると、舞台の裏側でどんな交渉があったのか分からないが、あまりにも日本政府の情報収集や交渉能力に貧弱さを感じてしまった。
 ワールドピースナオグローバルウォッチピースボートなどのNGOやボランティアの方々の活動が際立ち、彼らの強力な支援や多大な努力があった結果だからである。

 軍隊の派遣を人道支援と言ったって、日本語が持つ曖昧さでは、日本人には通るかもしれないが、外国人には通用しないし、能面のような書類を読むだけの、外務大臣のメッセージでは全くといって、彼らには理解されないばかりか反感を買う可能性すらある。
 今回の被害者宅への嫌がらせの言動等は、発信者の顔は色々だが一定の形にはまっていたものだとのこと。 ということは与党や体制側に組する人物や団体が関わっていたと思われる。 ”井の中の蛙”的発想はこんな所にもあるようだ。

 親の言いなりになる子が社会に通用する成人に育つかといったら、そんなことには絶対にない。 自分の過去を振り返っても確信できる。 国民を一色に塗り固めようとするような発想は決してあってはならない。
 彼らのような個人レベルでの活躍や努力が世界における日本人の地位を高めている事実を理解してほしいと思う。 ”世界は一つ”などというCMのフレーズがあったが、真のグローバライゼーションが、個々人に求められているのである。 古い袴は脱ぎ捨てよう!

(旧徒然日記から転記)



2004年4月15日木曜日

非常なる仕打ち

 イラクでの人質事件が拡大する中、日本人の行方はようとして確認できないまま、さらに増えて5名となった模様である。
 家族の方々の心労や政府(外務省)担当者の疲労は大変なものではないかと察している。 しかし、傷口に塩をなでつけるように、嫌がらせの電話やファックス、非情な発言や掲示は一個人のみならず、テレビ番組に出てくる大学教授や知識人にまでも及んでいる。
 そして、週刊誌までもが、本人たちのマイナー情報をこれみよがしに掲載しはじめたようだ。 救出できないことのエクスキューズのためか、現政権の安泰を図るためなのか分からないが、権力機構から情報流出があったのではと疑いたくもなる。

 どんな立場の人であれ、日本人がイラクの人々を援助するため、また戦争現場の実状を我々に伝えるためにイラクに行ったのである。 ”救出”の一言だけが重要なはずだ。
 現代の人々は、老若男女を問わず自己顕示欲が強く、十分な知識や情報を得ないまま、石原や小泉のような強権発動の真似をすることで、自分のアイデンティティーを感じているのであろう。
 人間としての”卑しさ”を見せつけられ、何とも暗澹たる思いだ。 人質や殺戮は、民間人のみならず自衛隊隊員まで及ぶのは時間の問題であろう。 困惑しているブッシュの顔色を窺うのではなく、世界の中でイニシャチブを取るような発言と行動でイラク問題を解決するよう小泉首相には期待したい。

(旧徒然日記から転記)



2004年4月12日月曜日

人質事件

 イラクで人質となっている3名の日本人の解放の報せを誰もが今か今かと待たれていることであろう。
 既に解放時限の24時間を越えてしまい、家族の方々は、針の筵に座されたような思いで、我々のような部外者が察するに余りがある状況にある。
 それにしても、政府の発表は対面を重んじるだけのもので、昨夜パリから届いたメールによると、解放を踏みとどませてしまったのは、日本政府の発表が要因になっているという。
 ピースボートなどNGOの速やかな対応で、好転しようとしていた矢先の政府の発表で、逆戻りしてしまったそうだ。

 北朝鮮の拉致問題も同様に、被害者当人達を救出する気持ちが政府に本当にあるのか、疑問に思えて仕方ない。 アメリカに”いい格好”するより、日本としての立場をきちんと表明すれば救出は絶対可能なはずだ。
 自分たちの政党擁護や利権などと、救出活動を横並びに考えているのではないかと疑りたくもなる。 どんなことがあっても、拉致当事者を救うことが急がれているのである。 そういう難関を越えて日本という国の生存を図るために、代議士や官僚には高給が支払われている筈だ。

 こんなことをこのページに書いてみても何の役にもならないのだが、やたらな掲示板に書いても冷静に考えた反論もないし生産的でもない。 何か意思表示しないでは済まされないという、一小市民の思いなのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年4月9日金曜日

日本人拉致問題

 とうとう自衛隊(軍隊)のイラク派兵に起因して、日本の民間人が拉致されてしまった。
 3名のうち2名はイラクという国と国民を救おうと、市民の立場で援助活動されて来た方々らしいが、イラク人の正義の前ではそんなことも全く考慮されないようだ。 それが「戦争」ということなのだろう。

 韓国人の牧師達は解放されたと言うのに。 万一のことが発生した場合、政府はどのような形で責任を取るつもりなのだろうか。 イラク派兵をイラク援助だと盛んに言ってはいるが、本当の援助なら戦車も大砲も不要なはずだ。 軍服を着て銃を携帯していれば、援助ではなく侵攻だと子供だって思うもの。
 無策の派兵によって、民間人が困窮している姿は非常に悲しい。 そして、こんな非常事態になっても政府の無策に疑義の声をあげようとしない日本国民はどうなってしまったのだろうか。 自らの信念に基づき、活動する若者や派兵反対のビラ配りをして逮捕された者を嘲笑することしかできない民族に将来はない。

(旧徒然日記から転記)



2004年4月7日水曜日

黒姫の桜の開花時期

 今年の桜の見頃はいつになるのだろうか?
 ここ数年、信濃町で良い状態で桜が見れた日を日記から書き出してみた。

  2003年 4月28日
  2002年 4月16日
  2001年 4月29日
  2000年 5月 2日

 4月29日の祭日がひとつの目安だが、今年はどの地域でも一週間ほど早いと言われている。 閑貞桜など町内での地域差はないと思うが、ゲレンデにはまだ雪が残っており大山桜が見れるのはやはり5月の連休になるのか、我が家の居間から見られる山桜も含め気がかりなことである。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月30日火曜日

テレビ番組について

 年度が変わるこの時期には、どこのテレビ局も番組の編成替えがあり、ニュース番組も他局と競うように同じ時間帯に合わせ、顔の売れているアナウンサーやキャスターを登場させている。 ニュース番組がショー番組のようになって久しいが、視聴者に真実を知らせ、現実を考えさせるような姿勢で組まれているか非常に疑わしい。
 所謂「やらせ」報道や未確認情報なども度々あったからである。 視聴率誘導操作や「サブリミナル」という視聴者の心理や潜在意識に働きかけるテレビ番組の制作手法はほとぼりが冷めると再び登場する。 と同時に、タレントとかコメンテーターという称号?で出演する輩も非常に多いが、専門家でもない彼らにどんな優れた能力を持っているというのか、これも非常に疑問に思えて仕方ない。

 そう考えてくると、一方的に情報を与えることで、視聴者(=国民)に考える所作をさせないよう、新聞やテレビなどのメディアにより思想統制されていると思えてならない。 昨日、放送されたNHKの「警察機構内の裏金問題」を立ち見したが、核心には何も触れていなかった。 不透明な支払いによる犯罪情報の入手ではなく、もっと科学的な捜査ができるような体制に言及しないのだろうか。 以前、民放では、署長転勤の際には裏金が餞別金として払われ、2~3ヶ署を転任すると家が建つとも言っていた。
 確信を衝かず、既に知られている内容を集めただけのNHKの番組であった。 見るに値しない番組がかくも多いのである。

 極力、テレビ番組を見るのは止めよう。 見るだけ放送局などの思想操作の目論見に陥れられてしまうからである。 国民を馬鹿にしている映像を、赤子のお守りにしている親などは言語道断。
 アチャコや浪花千恵子の「お父さんはお人好し」(?)だったか昔のラジオ放送が懐かしい。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月29日月曜日

熊野三山を参詣して

 先日、日本人の精神世界発祥の地であると云われる高野、吉野、熊野という三大霊場と、その三角州の中心に位置する天河大辨財天社を訪ねる旅をしてきた。

 吉野山は、金峯山寺(きんぷせんじ)という修験道の総本山で、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が開き、蔵王権現を祭ったのが始まりとされている。 蔵王権現は吉野の神であり、桜はその神木らしいが、未だ開花しておらず堂を訪ねる観光客もまばらであった。

 奈良県吉野郡天川村にある天河(てんかわ)大辨財天社では、能舞台に腰を下ろし社殿に参拝、宮司さんから由来や背景を伺う。 祝詞の中に、経文「ハラミツ...」と同じようなくだりがあると思ったら、明治維新以前の神仏混交時代の名残だという。 昨年夏には七夕神事にスーザン・オズボーンの歌声が奉納されるなど、訪れる芸術家は多い。

 高野山では、宿坊別格本山「清浄心院」に宿泊したが、お坊さんから真言密教の話を伺い、天河神社での話と同様に、古来の信仰の奥深さを知ることができた。 翌日には、弘法大師御廟のある奥の院で朝の荘厳な読経に浸ったあと、金剛峰寺(こんごうぶじ)の堂内を案内していただき貴重な書画なども見させていただいた。

 熊野では、本宮、速玉、那智の三大社を訪ね、守り神である八咫烏(やたがらす)を知った。 2月の知床行きでワタリガラスの鳴き声を実際に聞いていたが、エスキモーの世界にも共通するものがあるらしい。
 古道歩きは、発心門王子から熊野本宮を経て大斎原(おおゆのはら)まで、更に中辺路では継桜王子から牛馬童子像などを見て大坂本王子までと、ほんの一部であったが、森深い古人の世界に浸ることが出来た。
 最後は、田辺市にある南方熊楠旧宅を訪ねたが、熊楠の稀有な才能の世界に触れ、野中の一本杉保存や一町村一神社とする合祀反対運動など、住民の心に立つ心意気に感じ入ってしまった。
 毎日早朝4時や5時起きの強行軍で食事の楽しみもなかったが、通常の旅では見聞できないような機会に恵まれた古道歩きであった。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月24日水曜日

平和を願う心はひとつ

 現在、増殖しつつあるウェブログのページを始めてみた。 できれば、黒姫日記のような形で、日々の自然や生活の様子を記載できれば素晴らしいのだが、今はそのようなことも出来ず気ままに記して行こうと思っている。 ページのタイトルは「はんぐろ徒然日記」、urlはhttp://hanguro.cocolog-nifty.com/ である。
 本日、オープンジャパンというメーリングリストからの配信で、スペインの3.11のその後の町と人々の様子を伝えてきた、イエズス会神父の私信を読むことができた。 その巻末の一部を記載すると、

 許し合うこころこそ暴力に打ち勝つ。 犠牲者遺族から、次のような手紙が届いた。 「私は3.11で息子を殺されました。 痛みで胸が一杯ですが、私たちと共に泣いてくれた人々を通して、神の慈しみを感じさせられました。 みなさんにもお祈りをお願いしますが、それは息子のためではなく(なぜなら、息子は天国にいるからです)、テロを実行した人々と、それを計画した人々のために祈ってください。 彼等がもたらした傷をいやすため、また、彼等を支配している悪を、彼等自身がそれを乗り越えるために必要な愛を見出すことができるように、祈ってください。 私たちは息子の遺体を前にして、暴力が世の中からなくなるよう全力を尽くすことを誓いました。 世界に暴力より愛を選ぶ人々が増えれば、いくらテロが起きても、愛が打ち勝つと確信しています」

 家族の非常な悲しみの中でさえ、平和を願う気持ちを失わず、世界を見る目を持っている人々。 これが共生する真の姿だし、本来の宗教観である。 そこにはイスラム教も、ユダヤ教も、キリスト教も、仏教も何もない。 そういう視点に立たないと、イラクやイスラムの問題は絶対解決しない。 政治や経済は裏の裏があるもの。 プロパガンダを鵜呑みせず、自分で判断し見る眼を持ちたい。 オープンジャパンのページに是非アクセスして考えるきっかけにしてほしい。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月23日火曜日

経済格差が紛争の根っこ

 我々の学生時代には、マルクス経済に対抗するサムエルソンの近代経済学を学び、南北問題の解決というのが大きなテーマであった。 今思うと政治も経済も二者拮抗状態を解決しようという、非常に単純なものであったように思う。 しかし、現代の国際政治や経済の舞台は半世紀の間に数倍も複雑になってきたと云える。
 その複雑さが、更に混迷の坩堝に落ちるような事件が一昨日起きてしまった。 パレスチナの過激集団ハマスの創設者を、イスラエル軍が銃撃したというニュースは、ニューヨークの9.11に匹敵する事件であろう。

 当事者のイスラエルは、当然の行動だと云うし、アメリカもこの事件を容認しているが、そんな単純な事件ではない。 これをパレスチナから見れば重大な犯罪行為であるからだ。
 スペインの3.11と同様に、今後もこのような悲惨な事件が繰り返されるであろう。 アメリカによるイラク侵攻理由がどんどん不透明になる中、ブッシュの不正義な行動に同調し派兵しているスペインやポーランドまで騙されたと認識し始めて来ている。 今後さらに混迷を深め国際間の緊張が更に増大していく中で単純な米国追従策ではない、日本としての明確な立場をきちん表明しないと、日本国内にも混乱を招くことになろう。

 アイルランドのIRAもそうだが、地域紛争を単なる部族争いや宗教戦争と簡単に言ってはならないと思う。 人は誰でも美味しい物を食べたいし、いい家に住みたいし、安全な生活を過ごしたいと思うもので、生き物としての自然な摂理なのである。 誰だって搾取されれば怒りもし、取り戻そうとし、対抗策として武力闘争に出るのは必然なのだ。 IRAが長年の戦闘の停止を宣言したのは、イギリスによる搾取経済から脱却して、国内経済が豊かになり国際的地位も上昇した結果ではないだろうか。

 豊かなイスラエル人が居住地を増やし、パレスチナ人が貧民窟に押しやられば、不満が爆発するのは当然である。 アウシュビッツで未曾有の辛酸を舐めたユダヤ人は、逆にパレスチナ人に対し同じことをやっているだけと理解するのが自然である。
 こういったことを考えた時、四半世紀以上前に問題になった南北間の経済格差が未だもって存在していると容易に理解できるし、そういう視点に立った国際協力や支援を行うことが大事だと思う。 マルクスレーニン主義はとうに終わったのである。 形を変えた帝国(=大国=植民地)主義を繰り返すのは止めようではないか。

 単に自衛隊がイラクに行って、アメリカ軍がつぶした道路や橋の造成することが、国際協力でないことは少し考えれば誰でも分かることなのだ。 物質的に、そして精神的な安全が保証されれば、誰でも握手を求めてくるのだという単純な発想が、解決への糸口になるのではないだろうか。 そんな思考経路を政治家には持ってもらいたい。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月8日月曜日

寄付控除

 昨年の個人所得に対する納税額を確定するための申告期間が、残すところ一週間ほどになってきた。 国民の一人として、また道路など社会基盤の恩恵を受けている身としては、自分の所得に見合った税額を納めるのは義務であると思う。
 しかし、無駄な自衛隊イラク派兵、代議士秘書費用の詐取、公的資金の銀行投入、不良債権の海外資本へのたたき売り等々、どう見ても税金が適正に使われているとは思えない。 そんな思いで、税金を納付しなければいけないというのは国民の一人として非常に残念だ。

 以前、この欄にも書いたことだが、アムネスティー国境なき医師団あしなが育英会など、僅少な額だが寄付を重ねてきた。 今回この寄付控除を含めて申告しようと税理士さんに相談したところ、このうち1団体分しか控除対象にならないとのこと。
 それぞれ国内のみならず国外でも、よりよい社会の実現のために働いている団体であり、殆どの日本人は詳しくは分からないとしても、その活動を多くの人がおおよそ知っている団体なのである。 節税対策としての寄付行為が認められて、このような大事な市井の活動を認めないとは、いかに日本の税法等社会体制が貧困であるという証拠なのである。

 先日、来日したフランスの外相のインタビューをテレビで見たが、(フランス人の合理性や人間性、フランス車など自分の好みではないが)地球に生きる仲間として共生しようという考え方を基にした彼らの政策は何ともすばらしいと感じる。 人民の主権を勝ち取ったフランス革命を体験しているからこその発想であろうが、個人的にも文化的で豊かな知識を持った人が多いのは羨ましい限りである。
 それに引き換え日本の政治家の貧相な思考は何とも悲しい。 単一な発言しかできない者に、「バカの壁」を引用して揶揄した代議士が現れたそうだが、そう言わざるを得ないほど、日本の政治家は貧困の一途を転げ落ちているのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月7日日曜日

水中療法(アクア・テラピー)

 BSE、鳥インフルエンザ、自衛隊のイラク派兵、代議士の秘書経費詐取など、不愉快なニュースばかりで、テレビの報道番組を見る気にならないことが多いが、土日に放送される特集番組などでは普段知りえないことを知ることができ、役に立つことも多い。

 今日見たTBSの番組では、自らのリハビリ体験からプールを利用した療法を進める企業を起こした女性社長を紹介していた。 高齢者や障害者などが自分の障害に応じたプログラムで、生き生きと水中運動と水中療法(アクア・テラピー)をすることによって心と体の健康を維持しようとするものである。
 歳をとって水着を着るのは恥ずかしいと言っていた女性も参加することによって、楽しく明るく元気を維持されていることが、テレビの画面からも伺い知れた。

 いまや老人介護や老人医療にかかる費用で、市町村の財政を圧迫していると云われている。 このようなアイディアが財政を軽くし、老人が生き生きと外出できる機会が持てるということは何ともすばらしい。
 飯田市にあるらしい、この(有)ファインという会社のノウハウを活用した市町村は、阿智村など増えているようだが、国のお仕着せの事業ではなく、企業活動であれ地方行政であれ、このように住民のための知恵が働いている姿を見ると、何ともすばらしいと賛辞を送りたくなってしまうのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月6日土曜日

孫正義、学会組織を利用か?

 ヤフーBB顧客名簿を利用した恐喝事件の発生を聞いて、皆何故だろうと思ったことであろう。 あれだけの成長企業であり、しかもコンピュータ情報を業としている企業でありながら、情報セキュリティーへの対策が何故十分になされていなかったのかと、不思議に思うのが一般人の感覚である。
 十分な対策が施されていたとすれば、内部に近い者が関係していると言えるであろう。 と思っているうちに、とんでもない情報を週刊誌の広告で見た。 それは、恐喝事件の主犯は、公明党の母体である宗教団体の幹部であるということである。

 ヤフーBBは、首都圏を中心に、”無料お試しセット”と称して駅前や繁華街で盛んに売り込みをしているのは、周知の事実である。 人から聞いた話で、確証はないが、その営業活動にこの宗教団体の人的応援を得ているらしい。
 自民党が議会の絶対過半数を得るために公明党を利用しているように、孫正義も学会の組織を利用しているのかもしれない。
 それだけヤフーBBは、背水の陣にあるということであろう。 くしくも、社会保険庁職員が共産党機関紙を配布し、公務員の政治活動禁止条項に叛いたと逮捕されたというニュースが流れた。
 ひょっとして共産党系から首謀者情報が流されて、その報復に公明党が末梢的な公務員の政治活動を摘発するように検察に働きかけたのかもしれない。

 どちらにしても、我々の通常の生活の中でもスパイ活動のような動きがあるということだし、松本サリン事件の河野さんのように、司法機関から思わぬ嫌疑をかけられるかもしれない。 ヤフーBBのような派手な売り込み攻勢をしているものは、やはり”何かキナ臭いものがあるな”と感じる嗅覚を持つべきなのであろう。
 自分と自分の家族を守る手段を持つことをこういった社会事件から学ぶことが必要なのだと思う。

 なお、このヤフーBBだが、以前に我が家でも試してみたが、他の付加装置との関係か正常に動作せず利用を諦めたことがある。 他にもノイズが大きいとか、他人の電話との混信があるとか、急に切断されるとか、問題が多いように聞く。 NTTもIP電話の営業を行っているが、まだIP電話の技術そのものが成熟しておらず、営業戦略が先行しているようにも思えて仕方がない。
 ”安い、便利”という売込の裏をよく精査しないと、とんでもないことになるのが現代なのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月3日水曜日

一茶忌俳句大会の大賞取消

 「昨年11月の一茶忌俳句大会の大賞作品が過去の他の大会の入選作と全く同じだったことが分かり、大会実行委員会が授賞を取り消したことが、28日分かった」と29日のしんまいページに掲載されていた。

 応募数5586句の中から選者20人の審査により大賞に選ばれたのは、県外の女性が応募した「新米を真水のごとく掬(すく)ひけり」とのこと。
 早速、一茶記念館のページを見たが、大賞の欄が空欄になっているだけで、事の経緯など説明はない。 全国的規模で募集している以上、色々なケースがあるだろうし見抜けなかったのは残念だが、分かったからにはもう少し状況説明がほしいと思うのは自分だけであろうか?

(旧徒然日記から転記)



2004年3月2日火曜日

クレーム投稿に思う

 この所、信濃町観光協会HPの掲示板には、スノーパークの第6ゲレンデ再開を願うものや、レルヒ大会での子供向けイベントでの苦情などが掲載されている。 過去には、リフト係員の相応しくない言動などに対する苦情や要望などが掲載されているが、これら一つ一つに直接回答することは、組織上も難しいものと思うものの、何らかの形で投稿者の意向を収めるようなレス(回答)がないことに、いつももどかしく思っている。

 その原因が、どこにあるのかと自分なりに考えてみたのだが、経営主体の黒姫観光開発は、JTBや日商岩井など数社の出資で出来ている会社らしく、職員は殆ど出向者らしい。 そして、現場はパートタイマーが中心で、会社の軸となるプロパーな立場の人がいないと思われ、いつも繰り返される件の掲示の根っ子はそんな所にもあるのではと思えるのである。
 何も出向者が悪いということではなく、寄合所帯になると、経営方針や企画策定にあたって、どうしても出向元の意向を受けたものになりやすく、ほどほどの案で収まってしまい易い。 黒姫としての独自性を生かしきれず、トラブルなどにも速やかな対応ができないのではと推察するのである。
 独立企業として黒姫で経営していくのは至難の業だとは思うが、もしそうであればもっと徹底した計画案が出せるだろうし、効率化や経営の明確な方針も打ち出せるし、お客さんへのこまやかな対応ももっと可能になるのではないかと思う。
 現在のように、責任者というか中心的役割が役場にあるのか、観光協会にあるのか、スノーパークにあるのか、不透明で、しかも明確なビジョンが見えて来ないうちは、黒姫の観光開発に大きな発展を望めないのではないか。
 現在、町役場では町民参加のプロジェクトチームが発足したばかりであるが、前掲の掲示板の内容にも考慮した新しいアイディアが出て、色々な議論彷彿となることを期待したいものである。

(旧徒然日記から転記)



2004年3月1日月曜日

カルト集団のこと

 ”宗教はアヘンである”と言ったのは、マルクスだったかレーニンだったか、よく知らないが、麻薬摂取のような快感があるからこそ、入信者は疑問を持たずに苦行にも耐えるし、異様な行動に出ることもできるのであろう。
 オウム全盛期に、秋葉原界隈で異様な装いをした若者たちが、”安いよ!”とパソコンのチラシを配っていたのを思い出してしまった。 あのように、オウム教に類する新興宗教が規模を拡大するポイントは「人と金」であろう。
 どんな崇高な教義があろうと、布教活動の中では、より人間臭く、より経済的であり、より戦略的なのであり、その姿は企業運営と全く同じなのである。

 通勤電車のつり革広告でよく見る写真だが、ある団体のリーダーは、世界の著名な人物と一緒に写っている姿をたびたび掲載し、あたかもその著名人と心を一にしているんだと、見る人間に暗示をかけている。
 それだけ、ドロ臭く人間臭いのが、新興宗教の実態なのであって、そこに崇高さは微塵もない。 宗教であろうがなかろうが、信者にとっては組織に存在することの安心感が、確かに個々には感じられるのだろうが、反面、そういうドロ臭さの中で、組織的に利用されていることを分かってほしいと思う。

 そのような実態を知らずに、その教義が絶対唯一と入信する者が何と多いことか、非常に疑問に思えてならない。 八百万の神を信望してきた日本人は、頼る物は何でも良いのであろう。
 それが企業であれ商売であれ、自分の存在感を感じさせてくれる組織なら何でもいいのである。 逆に言うと、本来の普遍的で親和性を持ち、排他的でない、本来の信仰を知らないのである。
 平和活動を一貫して推進している日本山妙法寺や、先の大戦でなくなった戦没者の遺骨を供養する活動を行っていた松本の神宮寺住職のような姿が、本来の宗教者の姿であって、そういう所に本来の「魂の救い」が存在するのである。
 再び言うが、排他性を持つカルト集団は、宗教でも何でもなく、ヤクザ集団と同じ。 信者はただ利用されているだけなのである。 絶対入信しても本来の安然を得られることはない。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月28日土曜日

オウムの判決に関連して

 オウム真理教の松本被告に対する判決がやっと出たが、死刑制度そのものに対し疑問を持つものの、かかる被害の大きさから見ると、やむを得ない判決であったと多くの人と同様に思った。
 逆に、あれだけの色々な被害が暫時露見していたのに、検察や警察などの司法体制側が事前にチェックし、被害を大きくせずに済ませる手立てがなかったのか疑問に思えてならない。

 オウムを始め、ここ100年来に発生した宗教団体はカルト集団とされる。 確かにカルトはカルチャー(文化)に語彙の起源を一にしている所ではあるが、近代では排他的で狂信的な集団を言うことが多い。 逆に、本人達にとっては、排他的でないと組織固めをすることができないということなのであろう。
 だから、一般の人はこれらの集団を見ると奇異に感じるのである。 集団自殺合同結婚式輸血拒否などはその典型であろう。 相対する人々とあくまでも対話による理解を求めようとせず、自らの狭い教義を強烈に推し進めようとし、その目的にかなう合法的な手立てを持たない教団は、あのような手段を取らざるを得なかったのである。 逆に言うと、合法的な手段で、排他的なカルト集団を大きくしようとしている団体は形を変えて他にもあるということなのだ。

 テレビでよく見る有名人やスポーツ選手の多くも、このような教団や宗教団体に属しているらしいが、本人はかかかる教団や団体から多くの支援を得るという恩恵に浴し、また団体は当人が御旗になることで社会に認知してもらうというメリットを得ているのである。
 しかも、一般の人々はそういう有名人が所属する集団にいることであたかも自分がその有名人になった気分になり、しかも組織に属することで、自分一人ではないという一種の安然を感じているのである。
 個人個人の立場であれば、それも構うことではないかもしれないが、著名人が形を変えて宣伝役をこなし、オウムのように極端な排他性を実行するのは問題だ。
 加え、オウムのようではなく、形を変えて社会に溶け込んだような広報等の手段を持つ団体についても問題があるし、これらが政治や権力機構に入り込むと、教団に沿った特殊な体制を産む結果となってしまうのである。 その教団が何であるか、ここでは敢えて書かないが(当然分かることだが)、皆よ、目を開け、彼らの真の意図を見抜け! と、言いたい。

 今の日本の政治体制がまさにそうなのである。
 自民党も民主党もあからさまに宗教組織の支援を受けている。 組織票を集めやすいという効果はあるが宗教の自由をうたっている憲法の精神からも逸脱しているのである。
 更に、国会で一国の主がきちんと説明責任を果たさず、排他的に自分は間違いないという一点張りではどうにもならない。
 こういう姿勢の中にも、オウムのような排他集団の存在を許しているのではないかと思われる。 国旗や国歌の問題も同様。 官僚機構の中にいる者たちは、こういった事件を対岸の火とせず、自らの職務の社会的な現れの一つとして、真に親和性のある社会作りをするためにはどうすれば良いのか、それぞれの立場で真摯に考えてもらいたいものである。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月23日月曜日

知床の流氷体験

 先週、雪国の黒姫を離れて、更に極寒の世界を体験すべく女満別(めまんべつ)空港に降り立った。 しかし、意外にもマイナス5~6度の温かい気温に少し拍子抜けであった。
 網走市内に向かう道路脇には網走湖の凍結している景色が広がる。 周囲42kmと野尻湖の倍以上の大きさであるが、水深は16.1mと野尻湖の半分以下である。 ”たまちゃん”もどきのアザラシも網走川を上がって湖畔で休んでいる姿を見ることができるらしい。

 市内にある道立北方民族博物館を見学し、ヨーロッパやアメリカまで広がる北方民族の生活を知り、極寒の地で生きる人類の知恵のすばらしさを感じると同時に、現代人の知恵の無さや弱さをあらためて認識してしまった。 また、展示品の殆どが海外から収集したもので所謂アイヌ民族のものは少なく、日本人が少数民族を迫害してきた結果であろうと、日本の近代史に暗澹たるものを感じた。
 二日目は快晴で、遅い日差しに照らされ流氷が姿を現してきた。 例年1月初旬に接岸するものが今年は2月になってやっと見えたらしい。

 いよいよ今回のメインイベントである流氷ウォーキングの体験である。 スキューバダイビングの着古しと思われるドライスーツに着替え、宿舎前の海岸から氷の上を歩き出す。 薄氷は簡単に割れるからと注意され、巨大な山のような氷はないものの、でこぼこした氷の原をおっかなびっくり状態で歩く。 間もなく慣れるが、大きな岩の側の薄氷の上に皆が乗り、飛び跳ねて割るのである。 出来上がった”流氷風呂”に浸りながら水中を泳ぐ生物を探し、ほどなくクリオネオキアミのような生き物を見つけることができた。
 シュノーケルを付ければもっと発見があったであろうが冷たい水に顔をつける勇気はない。 小さな氷の島を飛ぶ渡るのは大変面白く、不安定になるとたちどころに”チン(沈)”してしまうのであった。

 22日から23日にかけての北海道の大雪は、鉄道の遅れや飛行機の欠航などを招き、網走でも観測史上一番の大雪であったとのこと。 その直前であった22日の夕方には羽田に着くことができたが、一便でも遅かったら大変な目に会ったのではと非常に幸運な旅であった。
 そのツアー最終日に再び流氷ウォークに挑戦。 肉眼では見にくいと、ガイドにクリオネをタコメガネですくってもらい、かわいらしい羽根の仕種をじかに見ることができた。
 このクリオネであるが、学名クリオネ・リマキナ、英語名シーエンジェル、和名ハダカカメガイで、巻貝の一種で貝殻を持たないのである(ナメクジと同じ)。 動物プランクトンやミジンウキマイマイなどを餌としているらしいが、その捕獲する姿はかなり獰猛で、かわいい姿とは全く相応しくないものらしい。 しかし、鯨や鮭の餌になっていると、最後は人間がその恩恵に浴しているのである。

 流氷ウォーク以外にも、能取岬での雪原ウォーキングや森林でのスノーシューイング等々も体験できたが、奥深い厳しい自然の中で生きる鹿やキツネ、ワタリガラスなどを垣間見たが、その中で、自然の生命の尊さや地球という生命体のほんの一部として生かせてもらっている人間がいかに小さなものだと感じてしまった旅でもあった。
 黒姫よりもっと哲学的な意味を持つと思える知床の自然を知りたいと感じたのは私だけではなかったようだ。 知床に興味ある人は、知床ナチュラリスト協会のページを見られると参考になるであろう。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月18日水曜日

三浦敬三氏のこと

 日本テレビで、プロスキーヤー三浦雄一郎氏の父上である三浦敬三氏の特集番組を見た。
 この所、氏の特集は欠かさず見るようにしているが、齢100才の今、子や孫の世話にならず、現役スキーヤーたらんと、たゆまぬ努力をされている姿やその前向きな生き様に敬服すると同時に、我々中年者の人生の良き師範者ではないかといつも思うのである。

 番組を見た人は、皆”すばらしい人生だ”と感慨にふけったと確信している。 とは云え、氏の今日の生き様は一朝一夕で培ったものでなく、若い時代にスキーヤーとして果敢に人生に挑戦してきた姿勢が、今を作っているのであろう。 やはり其の日暮らしのような日々を過ごしていてはダメで、自分なりの人生の目標を持つ必要があるのである。 昨秋の園遊会での天皇との談話されている様子なども非常に謙虚で、氏のような功労者が賞賛されることは実にすばらしいことだし、「日本人の宝」と云っても言い過ぎでないであろう。

 昨今、核家族化が促進されていると言われて久しいが、一般的にも人生の功労者の知恵を若者が知ることもなく絶やされているのは実に残念なことである。 若者は誰の干渉も受けず、自分の考えで決断し行動したいと思いがちであるが、何千年何万年と人類が生きてきた知恵というものを年配者は受け継いで来ているのである。 それらをみすみす捨て去ってしまい利用しないのは何とも勿体無い話である。
 生活が多様化している時代にあって、身の回りで年配者の知恵を知る機会は少ないが、このような番組や情報ツールを若者がうまく活用して感じ取ってほしいと思うのは自分だけではないであろう。 そんな風に思えるようになったのも、自分がそれなりの年代になって来たということだ。

 ”お婆ちゃんの知恵袋”などという言い方をすることもあるが、”沢庵の漬け方”一つをとっても、このような年配者の知恵を町の行事として具体化したり、観光の目玉にすることで町の活性化策の一つとすることも可能だし、先人の知恵の継承の新しい形になると思うのだが、新しいプロジェクトが動いている信濃町にあっても一つのアイディアにはなるでないかと思うのである。

 そんなことを書いていたら、本日のasahi.comのページで、三浦雄一郎さん親子がフランス政府から殊勲されたと知った。
 

 昨年2月にヨーロッパ・モンブラン山系の大氷河をスキーで滑走した三浦敬三さん(100)と雄一郎さん(71)親子に、フランス政府が勲章「スポーツ・青少年功労章金賞」を贈り、18日、東京のフランス大使公邸で叙勲式が行われた。
 敬三さんは15日に100歳の誕生日を迎えたばかり。札幌市内のスキー場で家族や友人ら100人以上に祝福され、鮮やかなシュプールを描いてみせた。「アルプスが大好きで、滑ってきたことでいただいた。誕生日のよい思い出になる」と話した。
 雄一郎さんは「スポーツの面だけでなく、親子や家族のきずなも評価されたのだと思う。父が100歳になってなお元気だということを示せるのもうれしい」と話した。

 政治面も社会面も嫌なニュースが多い中で、このような快挙を聞くのは何ともすがすがしく嬉しくなってしまうのは私一人だけではないであろう。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月15日日曜日

題名のない音楽会

 テレビ朝日が、毎日曜日放送している「題名のない音楽会」は、ジャンクフードのような番組が多い中で楽しみとする数少ない音楽番組の一つである。 この番組の司会と企画を嘗てしていた黛敏郎は、人物的には嫌いなタイプだが音楽家としての資質は大変なものがあり、その考察を聞くのが楽しみでもあった。 以降の司会者についてはそれぞれの特質はあるのだが、彼のように素人向けに音楽を開眼させてくれるような楽しみを与えてくれていない。

 この番組の中で、成長期にある新しい音楽家を知るのも楽しみであるが、今回は若干23歳のジャズシンガーである「小林桂」であった。 痩身でシルキーな声に人気があるらしいのだが、あまりインパクトは感じず、2曲ほど聞くうちに「もう十分だ」という思いになってしまった。早速ネットで検索するとHP http://kobayashikei.com/ もあり、色々な活躍の場を持ちファンも多いようだ。 ある程度年輪を重ねるともっと深みが出てくるのであろうが今は脇に置いておきたい。 「お祖父さんの古時計」を歌った某も同様、最近は線が細くて口先で軽く歌うような歌手が好まれるのかもしれない。

 それに引き換え、ニューヨークを活動の場にしているジャズピアニスト「上原ひとみ」 を知った時の衝撃は大きかった。 あの細い小さな体であれだけのパワーを表現する姿には熱いものがあり、すぐにCDを買うべくレコード店に走ってしまった。 あどけない話し方もいい。
 秋吉敏子松居慶子などニューヨークで活躍する音楽家は多いが、こういう番組から彼らの生き様や現在の栄光への努力などが垣間見えてくるのも、自分自身の評価の一つになっているのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月11日水曜日

建国記念日に思う

 今日は建国記念日という国民の休日である。 私達には単なる仕事が休みの日であるが、政治家にとっては大事な一日なのであろう、昨日は日露戦争100周年を祝って政界の有象無象の妖怪達が明治神宮を参拝、小泉は先の大戦のA級戦犯を靖国神社に合祀することに躊躇しないとも言ったとか。
 そもそも建国記念日というのは、神武天皇の即位日を旧暦でたどると2月11日となったというもので、明確な理由はないらしい。 つまりアメリカの独立記念日のように誰でも納得でき、祝いたいと思える根拠がないのである。
 「みどりの日」は昭和天皇の誕生日、「海の日」は明治天皇が東北巡幸から帰った日。 国民の休日の多くが天皇制賛美神道史観に基づくものなのである。 憲法で信教の自由をうたいながら、実際の行政立法の場面では政府自ら憲法の理念をやぶり、国民に一方的な信教を強制しているのが現実なのである。

 たまたま学生時代の旧交を温める会があって知ったことだが、小中学校の教育現場では、精神的肉体的な障害者であっても「日の丸・君が代」の完全励行に参加させ、これが出来ない教員は失格というレッテルを貼られ、訓告、減給、解雇を脅しに使う強権発動状態にあるという。 ここでも八紘一宇の徹底が図られているのである。
 かたや自民党は議会での絶対多数を得るために公明党の協力を得ているが、周知のごとく公明党の本領は創価学会である。 で、創価学会は日蓮宗を基に価値を見出す(現実には日蓮正宗からは破門されており、本尊も教義もない、名ばかりの宗教団体の筈)、価値を作り経済的な富を持とうというもの(宗教性が陰を潜め経済を優先するという意味では共産主義思想に通ずるものがあろう)。
 神道の流れと創価思想がどこでかみ合うのか分からないが、要は、政治屋はその時その時の都合で行政にあたり、その中には日本国憲法という規範もなく、日本という国を滅茶苦茶にしているだけなのである。

 先の大戦の間に、開拓という御旗のもと満州に渡り命を亡くされた人々、敗戦間際に沖縄など玉砕を余儀なくされた人々、炭鉱労働に従事させるために日本に来た(徴用された)韓国人、慰安婦など強制労働に従事した人々、戦後北朝鮮に渡った人々など兵士以上に辛酸をなめ国策に翻弄された人々は沢山いるのである。
 そのような人々の心に思いをはせるのではなく、単に国のために戦ったというだけで戦争犯罪人を合祀するのは、もう為政者のすべきことでなく、それこそ日本国民ならず人類に対する犯罪行為である。

 国の誤った過去の行為を反省し、関係国と平等関係を作り上げ、誰もが真に尊いと崇めることができる「国旗と国歌」、「天皇制」を国民は望んでいるのである。 戦後50年の中で何も対応してこなかった政治家の怠慢であり、国民を騙し続けた点ではそれこそ犯罪行為に等しく、その一端に北朝鮮の拉致問題もつながっていると知るべきなのである。
 こういった思考は決して左翼的ではなく、逆に、”新右翼”と称する人々の考えの中にも通じ納得できるものを見つけることもできる。 しかし、戦争犯罪人東条英機を総とする翼賛政治会のように、世界の流れに逆行するようなきな臭い澱みが蠢いているのが、今日の現状であると思うと、焦燥感しか残らなくなる。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月9日月曜日

ハンセン病元患者の宿泊で

 昨年、熊本の黒川温泉ハンセン病元患者の宿泊を断ったという事件は、テレビや新聞で大きく取り上げられたが、今回この事件についての意見(糾弾?)メールがホテルのホームページに公開されているとYahooなどで知った。
 早速当該ページに飛び、投書された方の文面とこれに返信した秘書室長という立場の方のメールを読んでみた。 双方のやり取りの経緯を十分に知る立場にはないが、こういう内容をそっくり掲載することには何となく頷けない気持ちである。
 なぜならば、一個人と企業に職を置く者とでは、在る位置は同じでなく、力関係で大きな違いがあるということである。 個人は、何の後ろ盾も保証もなく、いい意味での正義感から意見を発信しているのである。
 それに対し企業は営業に影響はあるものの、働く職員自身には直接の痛手はない。 しかも、往々にして、会社側(の人物)は、自分の正当性を述べるだけに終始するからである。 この場合も、当のホテル側の言い分を読むと、会社を事件の当事者としてではなく、傍観者的な立場におき、会社の対応の正当性をその他多数に求めるという意向が見え見えだと感じられた。

 以前、東芝のビデオレコーダーの修理に関して誠意のない会社を糾弾すべく、その対応内容をHPに公開された方がいたが、一時ニュースになるだけで結末がどうなったか知る術もなく、結局個人にとっても会社にとっても、このような論争は何も産まないということだけが伝わったであろう。
 誰でもがインターネットで多種多様な情報を知ることができる時代にあって、企業は経営者であれ、現場であれ小さなトラブルでも誠実に対応しないと大きな問題になるということ。 安易なその場しのぎの弁明では嘘の上塗りになりかねないということである。 いわゆる説明責任

 状況により顧客の法外な要求と上司の指示にはさまれ、その軋轢に担当者は苦慮することが多いのであろうが、最初から歯車がかみ合うように誠実に対応することが大事なのである。
 先日、信濃町観光協会の掲示板にもスキー場係員の対応についてのクレームが掲載されていたが、行き違いはいつでもあるもの。 速やかに誠意をもって対応することが一番大事。 しかし、卑屈になる必要は全くない。
 本題の、当初の意見メールを送ったという若干20歳という若者が居候しているページで、掲載されている主張を読んでみた。 ある時は左翼的で、またある時は右翼的な過激な意見ではあるがヒューマンな心に満ちている人物と感じた。
 内容によっては相容れないことも多々あるが、今の時代できちっと見る目を持っていることは頼もしい。 出来れば、その果敢な目を磨き、社会に貢献できるような我が道を切り開いてほしいものだ。 我々が彼と同じような年頃に、お茶の水駅付近で権力の象徴である機動隊に火炎瓶や石を投げ付けた学生を見た、往時の思いにも通じるものがある。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月8日日曜日

黒姫ゲレンデに思う

 道つけに雪を踏み固めていくのは、簡単なようでなかなか大変な作業であるが、道路に積もっている今日のほどほどの新雪を踏み込むと、キュッキュッという音がして何とも心地良いのである。
 連日の雪降りでうずもれた畑のコンポストを掘り出そうとするが、分っているようで場所を特定できず、ここと思った場所を掘るも見つからず、一汗かいた所で発見するのがたびたびである。
 そんな中、明日以降の雪降りに備えてかブルが来て道に残った雪を綺麗にかいて行く。 我が家の前も舗装が見えるほどきれいになったが、夕方冷えてからこの道を歩くのが非常に危険で、薄氷のような状態になった状態になり、安易に歩いていると滑ってしまい痣を作ってしまうことになるのである。

 今日は、やや雲が残るものの快晴の良い天気で、カメラを担いで富士里、仁の倉、黒姫高原と回ってみた。 前山スキー場脇の”黒姫アスティー”から俯瞰するゲレンデの景観はすばらしく杉野澤まで一望できた。
 廃止された第六のバーンにもシュプールがはっきりと見えたので、ラッセルしながら急勾配を登り滑り降りる人がおられるのだと感心してしまった。
 しかし、それにしてもゲレンデを滑走するスキーヤーの姿が少ない。 昼食時間で修学旅行生もいなかったためであろうが、一番混むクワッドでさえ待ち行列がない。 空いているゲレンデで思う存分に楽しめると喜んでいるスキーヤーもいるであろうが、スキー場の経営については全く分からないものの、こんな状態でいいのかと非常に疑問というか心配になってしまった。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月3日火曜日

ウインタースポーツ大会

 ”しんまい”のHPに「信濃町でウインタースポーツ大会」と題した次の記事が載っていた。
 

 信濃町柏原スキー場で1日、子どもたちが雪上ゲームを楽しむ「ウインタースポーツ大会」が開かれた。 保護者らを含め約150人が参加。パン食い競走では、ひもからぶら下がったあんパンに懸命にかじりついていた。


 ここに記載されている「柏原スキー場」はどこを指しているのだろうか? JR駅名の昔の名が柏原だと知っていて黒姫スキー場を読み替えたのか、それとも前山スキー場のことか。 どちらも地名は黒姫高原であって柏原ではない。 あるいは柏原に以前あった伊勢見山スキー場のことを言っているのか分らない。 まぁ、解き明かすほどの問題でもないであろう。

 かつての伊勢見山スキー場は柏原の役場近くにあって、一人乗りのリフトもあったが、高速道路ができるため10年程前に廃止されている。 15年前に黒姫に来た頃のリフト券はバスの昔の回数券のような綴りの形をしていて、乗るたびに切り離していたが、その時に伊勢見山スキー場と前山スキー場とが共通して使えていたことを知っている人も少ないであろう。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月2日月曜日

イラク派兵反対の請願書

 イラクへの自衛隊派兵に反対して、高校生が集めた署名とともに提出された請願書に対し、「コイズミ」は「何も見ていない」、「学生がそういう行動に出るのは教育の現場が悪い」と言ったらしい。
 情けないというかこの国の首相という立場にある人物の「貧困な精神」に怒りすら憶えてしまった。

 自衛隊幹部や小泉に組する輩の胸のうちには、海外派兵から得るきな臭い効果という裏の裏の理由があるのだろうが、それら全てをネグって、イラク復興支援に協力するんだという一点を見たとしても、高校生の派兵反対はイラクの真の平和を期待するという点で、双方の方向性に違いはないはずである。
 高校生の純粋な意図を汲み、深みのある理解ができずに、高校生の意見を土足で踏み潰すようなコメントしかできない人物には、国の主になるべき資格がないと言える。

 ベトナム戦争で負けたアメリカは戦争による暗い影を国民に強い、湾岸戦争でも劣化ウランをばら撒き、今度は大量破壊兵器を一掃するんだとイラクを侵略。 未だ見つからない兵器に、ブレアもブッシュも明確な方向性を見出せないで苦慮しているのが現実なのだ。
 原子爆弾の投下が、日本の軍国体制を終わらせたという事実はあるものの、世界大戦以降、軍隊による平和な国作りというのは殆ど出来ていないのである。 そういう事実を見ると、イラクへの自衛隊派兵の本音は別の所にあるんだよと言いたげに、後に振り向き舌を出している「コイズミ」の姿を想像してしまった。
 ブッシュに対するマスタベーションのために、国民の税金が湯水のごとく使われるのに国民は黙しているばかりだ。 ずいぶんと国民がバカにされたものだ。

 コイズミを好きでも嫌いでもいいが、OPEN JAPAN僧伽ネットなどのHPから平和というものを考える機会を国民一人一人がぜひ持って欲しいものだ。

(旧徒然日記から転記)



2004年2月1日日曜日

横浜みなとみらい線を歩く

 時間が空いたので、本日開通した横浜のみなとみらい線(横浜高速鉄道)の新線沿いにウォーキングしてみた。
 渋谷から桜木町に通じていた東横線(東京急行横浜線)の横浜・桜木町間は1月30日を持って廃止となり、31日から東横線は東白楽駅で地下にもぐり横浜駅に通じ、ここからはMM線として元町や中華街まで地下鉄として延伸されたのである。

 まず、一昨日まで営業していた高島町駅に行くと、既に工事用鉄柵で覆われ見る影もない。 脇に立つ警備員に聞くと、高架の黒い天井壁は空襲の際に焼夷弾で焼けたものだと云う。 この高架は昭和7年に建造されたもので、この駅は三菱重工業横浜造船所の高島口から、大勢の職工さん達が乗り降りした駅でもある。
 ほど近い桜木町駅付近では、1951年に所謂「桜木町事件」という国鉄の京浜線車輌から火災が発生し、100人以上が犠牲になっている。
 その昔、付近の埋立事業を行った材木商に因んで名づけられた「高島町駅」は「新高島駅」となって、昔国鉄の機関庫があった場所近くにあり、現在は周囲に建物が殆どないが、間もなく大企業(日産)の社屋が建つらしい。

 次の「みなとみらい駅」は、クイーズイーストB棟につながる大きな駅で、コンコースには大型プロジェクターが設置され白い壁面に大きな映像が映し出され、人の動きに感知して映像も動くらしい。
 「西部警察」など刑事物映画の場面ともなった万国橋を渡ると、間もなく「馬車道駅」で、赤いレンガ壁が横浜開港当時の雰囲気を伝えている。
 あとで知ったことだが、馬車道駅構内には銀行の店舗にあった開港当時を伝える壁画なども大きく飾られているのである。

 神奈川県庁脇の「日本大通り駅」には、往時の横浜の姿をレンガ絵で見せていた。
 物見遊山の人々はどんどん増え、終点の「元町中華街駅」では駅のコンコースに入れないほどの人数で、とうとう見学するのを諦めてしまった。 中華街の飲食店は隅々の小さな店までも行列していた。 元町商店街も中華街も開通にあわせてメイン通りの模様替えをしたと聞いていたがあまりにも多い人々に恐れをなして別の日に譲ることにした。
 景気の低迷でMM地区の開発は遅々として進まず、幕張や品川・大井町などの新都心開発に遅れを取っているようであったが、やっとここに来て地元経済の活性化への弾みがつくような印象の一日であった。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月28日水曜日

社会還元について

 先日、米マグドナルドの創業者未亡人が15億ドルの寄付をしたと報道されていた。 今までで高額な寄付はビル・ゲイツの60億ドルらしい。
 日本でも、昨年ソニーの大賀名誉会長が退職慰労金の実質手取金12億円を軽井沢町に音楽ホールを作る目的で寄付をすると紙上を賑わしていた。 むやみに所得税や相続税を払うよりは、目的のある資金提供をしたいと寄付される方が時々いるがこのような高額なものは少ない。 というか、日本人には無償の資金や労力を社会に還元するという意識が少なく、従って寄付行為に対する税務上の軽減措置もないに等しいのである。

 翻って我々個人を見た時に出来ることは毎月の収入の中から、もしくはボーナスが出たからと数千円程度の寄付しかできないのが現状なのだ。 そんなチリのようなものであっても、同じ思いの人が増えれば役には立つはずである。 先日、ウガンダのエイズ遺児を救おうという「あしなが・ウガンダ」のレインボーハウスからサンキュウカードが届いていた。
 多くの人が知っているように「あしなが育英会」は、交通遺児を励ますことから始まり、今やワールドワイドな運動になっている。 しかも、その活動の中心は、学生や若者なのである。 そのことを知って少しでも役に立てればと思うのは私だけではないであろう。
 我が家で、その他に時々支援するのは、アムネスティ国境なき医師団フィリピンの孤児を支援する会司法および報道による被害者を支援する会等々である。
 それぞれの実状を知るといたたまれず、どれほどの効果があるか分らないが、少なくとも何もしないより、また支援する人がいることを知らせるだけでも意義があるのではないかと思い僅かな金額を送っているのである。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月27日火曜日

BSE問題に関連して

 アメリカ産牛肉のBSE問題を受けて、吉野屋や松屋など牛丼を売り物にしている店は、急遽トリ丼なるメニューに替えたそうだが、今度は鳥インフルエンザだとか、外食産業は再び荒波にもまれることとなった。
 しかし、こういったことだけでなく古い卵や売れ残った牛乳を再生して販売するなど、食物に対する企業や官庁などの管理意識が非常に甘いために繰り返される、偽証に等しい事例がたびたび起きる。

 国民の健康を脅かす食材の輸入を禁止し、市場に出すことをすぐに規制するという決断が非常に遅いのである。 要因が特定できないので決められないことだろうが、それ以上に経済に混乱を招くとか、関係企業の経営難を導きたくないという、行政機関の意識が強く、決して国民一人一人の安全を第一に思うものではない。 血液製剤の問題にしろ疑いが出た段階で速やかな判断があれば、被害の拡大は防げたはずである。 ガン検査あるいはガン予防と称して病院に入院すると、新薬や高価な薬漬けで逆に耐性菌が強くなって命を縮める例が多いとも言う。

 社会の多種多様な機構は、国民が安全で健やかに生活するためにあるのだが、実際には、組織の経済効果や組織維持をはかることに目を奪われ、人々の安全が逆に脅かされているのである。
 いつも思うことだが、”お上が言うことだから”と盲目的に信頼していては長生きできないのである。 食品のみならず、我々が関わるひとつひとつの長所短所や問題点など素人なりに情報を集め判断し、今の自分にとって本当にふさわしいのかを考える習慣を身につけなければいけない。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月26日月曜日

一茶真筆の話題

 25日(日)の信濃毎日新聞のHPには、一茶30歳の真筆が発見され無名時代探る手掛かりになると、次の文面が掲載されていた。
 

 上水内郡信濃町出身の俳人小林一茶(一七六三―一八二七年)が三十歳ごろに和歌の勉強で記した文書を、弟子の村松春甫(しゅんほう)の八代目の子孫、長野市長沼の村松正雄さん(89)が所蔵していることが二十四日分かった。一茶が若いころ用いた署名があり、筆跡も一致。一茶研究家の千曲山人さん(75)=同市稲田=が真筆と確認した。資料が少ない時期の一茶を知る貴重な手掛かりとなりそうだ。
 文書は、横約三十センチ、縦約十五センチの紙三枚に書かれ、掛け軸に張り付けられている。新古今和歌集の本歌どりを考察した文章を書き写したとみられ、末尾に、一茶が天明七―寛政八(一七八七―九六)年に使っていた「菊明坊一茶」の署名がある。その筆跡や文書の書体などから確認できた。寛政三―四年ころの書とみられるという。
 この時期の一茶は江戸の俳壇での成功を目指していた。借りた書物を書き写し、資料にしていたことが知られているが、詳細な日記が残る中年期以降と比べ、不明な点も多いという。一茶研究が専門の矢羽勝幸二松学舎大教授=上田市=は「無名時代の様子が分かる大事な資料」と評価する。
 本歌どりは、詠まれた和歌の一部を自らの作品に生かす技法で、広い和歌の知識と即興性が求められる。俳句でも「もじり」と呼ばれ、応用された。千曲さんは「一茶ももじりを多く取り入れており、その基礎になった若いころの勉強家の側面が分かる」と話している。


 しんまいのHPは一週間で掲載が削除されるため、敢えてここに転載した。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月25日日曜日

ゴーンクーロン

 日本経済新聞に、「ゴーンクーロン」という言葉が載っていた。
 勿論、日産自動車を立て直したゴーン氏のことだが、企業の建て直しに系列の異なる場で実績をあげた人材を登用し、企業の存続を図っていこうという意味らしい。 同じ釜の飯を食ってきた人材では、新しい発想もなく、混迷した時代に対応できないということなのだ。

 大相撲の初場所は、モンゴルから来た朝青龍が優勝したが、日本の国技でさえ海外の力士によってかろうじて人気を得ているのである。 小錦や曙は旧弊した相撲界に見切りをつけたとも云われている。
 もう少し身近な例を見ると、家庭の奥さんが夕食用に買うこともあるというコンビニ弁当の殆どは、日系ブラジル人が夜中に働いて製造しているものらしい。
 このように、日本社会は外国人によって支えられているのである。 日本の国体を維持するとか、伝統を守るとか、兵士を祭るということでなく、海外の人とどう調和して共存していくかということの認識が求められているのである。 確かに伝統文化を守り、それを後世に伝えて行く義務は我々にあるが、新しい文化と融合していくことも世界が肥大化していく中では必要なことなのである。

 学歴を詐称した議員、今だもって大量兵器が見つかることを信じている総理大臣、自分の品位を脇に置いて敵対する党の代表を品位がないと公言する政治家、皆々、ゴーンクーロンに取って代わってほしいものだ。
 日本にとって、国民にとって、今大事なことが何か、明確に出来る人材がリーダーになってくれることを切に望むものである。 長野県について云えば、田中知事がそういう人物になりそうだったが、入院治療のためなのか、はたまた出張旅費の件なのか、最近は何となく当初の元気が感じられなくなってしまっている。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月22日木曜日

黒姫を写したテレビ番組

 21日(水)、東京を中心に放送されているのであろう、テレビ東京の「いい旅・夢気分」という番組で、木島平、野沢温泉、中野、黒姫、関川、燕、直江津とめぐる旅が紹介されていた。
 どの地もつまみ食いのような紹介だが、黒姫で出た場面は、古間北の信号脇からの黒姫山と信越線の風景黒姫駅前国道18号線、野尻の坂本屋さんのワカサギ釣り乗合受付、琵琶島の冬景色、乗合船内での釣り風景であった。
 新雪に日が輝いていたので、先週あたりの映像であろうが、テレビ画面は一瞬にして過ぎ去ってしまい、どれだけ黒姫の良さを感じてもらえたかは分らなかった。

 番組作りはテレビ局が勝手にやっているものだからどうしようもないが、こういう放送があるということが事前に町や観光協会に知らされないのかなとちょっと疑問に思った。
 信濃町の一部地域では東京の電波が受信できると聞く。 事前にこういう情報が発信されれば、町民もどんな風に紹介されるのか関心を持つだろうし、以前に黒姫に来たことがある人々があらためて冬の黒姫を認識しリピーターのきっかけにもなるかもしれない。 観光事業はそんな小さなことの積み重ねではないだろうか。

 因みに、今までの放送された黒姫の映像で記憶があるものは、1991年10月NHK-BSでのニコル氏の森からのもの、ホテル若月の若奥さんの蕗取り、長水に住む方のキノコ取りなどである。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月21日水曜日

焼酎

 寄る年波で、ご多分に漏れず晩酌の習慣がついてしまったが、ウィスキーの類は生に合わず、またビールや日本酒は肥満の原因になると、もっぱら焼酎を飲んできた。
 ここで言う焼酎というのは本格焼酎と呼ばれる乙類のことである。 焼酎には甲類・乙類とに分かれ、その醸造方法に違いがあるだけだと云うが、味や香りを楽しむのならやはり乙類であろう。 逆に、酔いたいためだとか、何かと割って飲むというなら甲類で十分である。 そういうすみ分けをした飲み方がいいのであろう。

 で、昨年、戸隠のとある宿のご主人から間接的に焼酎の質問があり、幻の焼酎と言われる「魔王」を飲んでみたいと言う。 そこで色々調べているうちに広く酒屋の店頭に並んでいる一般的な銘柄でなく地域に根ざした少量多品種の焼酎を知り、その味の虜になってしまったのである。
 どれも繊細ないい香りと味がしており、封を切った都度その一口の感想を記しておけば違いがはっきりするのだが、ついつい旨いと口にふくむ方が先行してしまっているのである。

 そんな中で、この一年に飲んだ銘柄をあげてみると、「白玉の露」と「安心院蔵(あじむぐら)」が双璧で、他に「繊月」、「竹山源酔」、「粒露」、「かりゆし」、「桜門」、「石の蔵」、「さつま島美人」、「さつま宝山」、「ゆう」、「太古屋久の島」などがある。
 ついでに、購入総額は54千円ほどで月にすると4500円、ほぼ3本、10日で1升、1日に1合飲んでいる勘定になるが、アルコール量からみても日本酒2合程度だから健康上も問題ないであろう。

 信濃町の酒屋さんにも焼酎が並び出してはいるが良く知られている銘柄が殆どで、やはり「松尾」や「君の井」など地酒といわれる日本酒が中心である。 黒姫駅前の萬屋酒店さんには宝焼酎の量り売りをしており、これを利用するのも便法の一つであろう。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月20日火曜日

パット・メセニー

 アメリカのギターリストであるパットメセニーの演奏を盲目の人が聞くと、虹のようなカラフルな色の世界を感じることができると、以前テレビ番組で見たことがある。
 メセニーは、自分も好きなプレヤーの一人であるが、彼の音楽がどんな感じなのか紙面で具体的に表現するのは難しく、ワールドミュージック的だとか、またエスニック的な雰囲気も持っているとも言えるかもしれない。 レコード店では、フージョン(fusion)というジャンルの中にあるので、多種多様な世界を溶かして新しい別の世界を作っている音楽と定義しているのかもしれない。
 Secret Story 、We Live Here 、Letter from Home といった比較的ポピュラーなアルバムもいいが、天国への階段という意味らしいPassaggio Paradiso 、今生きている世界が仮想で死という現実の世界に向かっているんだという意味なのかImaginary Day というこの二つのアルバムは非常に哲学的な雰囲気で聞いていて何とも心持がいいのである。

 そして何か自然と心をゆさぶる躍動感が醸し出されるのがいい。 松居慶子deep blueのようなスムースな心地良いジャズもいいが、続けて聞いているとどうも飽きてしまう。 心の底からじわじわと湧いて自然と心を豊かにしてくれるような音楽、そんな曲をこれからも見つけて行きたいと思う。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月18日日曜日

スキー場へのクレームに関して

 信濃町観光協会の掲示板で、スキー場係員に関するクレームが繰り返されている。
 当事者でなければ現場に居合わせていないので、詳細は分からず何のコメントのしようがないかもしれないが、事実であれ誤解であれ、公開の場でアナウンスされた事に関係者が速やかに誠実に回答していないのは、大きな問題であろう。
 色々な対策や事後の対応もされていることと思うが、そういう努力が表に見えてこないのでは、何もしていないに等しい。 数あるスキー場の中から黒姫に来てくれたお客さんである。 楽しくいい思い出の中で次のシーズンへのリピーターになってくれる絶好のチャンスなのだが、こういうクレームや誤解で失うとしたら非常に残念である。

 この場合、役場なのか、観光協会なのか、スキー場なのか、どこが主として対応すべきなのかは分からないが、信濃町の観光事業を担っているという自負や責任感があれば、誰かが率先して対処すべきであろう。 速やかに対応しなければ、お客さんをどこかのスキー場に取られてしまう時代なのである。

 慶応大学の故池田弥三郎教授が、信濃町には”信濃町(しなの待ち)時間がある”とだいぶ昔に言われたと聞く。 ”誰かがやるさ”とか”そのうちどうにかなるさ”といったような悠長な時代は終わっているのである。
  小さな対応が巨体をもゆるがしてしまうのは、リクルート、雪印乳業、三菱自動車、武富士などの先例で明らかである。
 この観光協会の掲示板は全く掲載がない時もあるが、この所のように頻繁にアップが続く時もある。 ということは多くの人がいつも見ているということであろう。 黒姫に関心を持つ人々の交差点でもあるこの掲示板を十二分に活用してもらいたいし、相互理解のために関係者は目を配ってほしいものである。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月17日土曜日

売国奴

 ある雑誌の投稿欄で、”小泉首相は売国奴”と題した文を見た。
 かなり過激な題をつけるものだと思ったが、アメリカ軍の日本駐留費用の多くを日本国民の税金でまかない、イラク侵略戦争の正当性が実証されないまま、ブッシュの要求に従って自衛隊を派遣、不良債権となった日本の資産をアメリカ資本に売り渡し、テレビ映像からは論理性のない発言や品位のないコメントしか流れてこない。 そういったことを、一つ一つ見ると残念ながら”ホントだなぁ~”頷けてしまったのである。

 ”純ちゃんが一番”と思っている方には申しわけないが、雲仙・普賢岳噴火災害、北海道・有珠山震災、三宅島災害、神戸震災など、この10年余の間にも国民は色々な被害に遭い苦しんで来ているのである。
 首都圏の朝の電車は毎日のように人身(つまりは自殺)事故で遅延していると聞く。 一つ一つの末梢的なことに囚われず高所から判断するのがリーダーの役目だとは思うが、国の最少単位である国民に幸せがなくて国がいかに豊かになれるのか。 年金資金が枯渇するからと、やみくもに就業年齢を65歳まで延ばすというのもおかしい。 人件費の削減に躍起になっている企業が簡単に受け入れることなんかできないし、そんなことをしたら若者の働く場がどんどん少なくなるし、さらに年金を積み立てようとする若者が少なくなるであろう。 老後を金銭的にではなく豊かに暮らせる環境が整っていれば、やみくもに貯金せずに消費拡大にもつながると思う。

 アメリカのカントリー歌手の大御所であるウィリーネルソンが、ブッシュのイラク侵略政策に反対して作った曲がインターネットで聞けると知った。 アメリカの中でさえ、このように色々な考え方を持つ人がいるのである。 我々の子孫に豊かな環境を残すためにも、単に組織に迎合するのではなく、今我々にとって何が大事なのか一つ一つ考えて行きたい。 少なくとも国の最高責任者を売国奴などと揶揄されるような政治を行ってほしくない。

(旧徒然日記から転記)



2004年1月16日金曜日

薬づけの食品について

 昨日、正月の残り物のカニを解凍して鍋にしてみた。
 いい出汁が出るものだと感心しながら、更にカニを満喫しようと身をこそいで食べようとした所、薬くさい味がした。 冷凍していたものだから腐ってはいないはずだし、そういう臭いではない。ボイルする段階で防腐剤に浸したか、カルキ臭の強い水で洗ったのが、鍋の汁になって舌先に感じられたのだと分かり、一瞬にして興ざめしてしまった。

 食料品が生産され運送される過程では、品質を保持するためにいくつもの添加物が使われ、ポストハーベストのように薬品に浸されていることは周知の事実である。 しかし、販売側の一方的な論理で、こういった薬漬けの食べ物やカスのような食材を集めたジャンクフードを、我々は口にしていいのだろうか?
 例えば、炭酸飲料の飲みすぎは肥満になるし、骨の脆さの要因にもなるうえ、”切れる”という短絡的に激昂する現代人の社会現象にもつながっているとも言われている。 ハンバーガーなどは、日本の古来から続いていた米飯という習慣をひっくり返してしまい、結果、減反政策などという食料自給率の低下まで招いているのである。

 これまでの日本人は”お上に従うこと”や、”組織に迎合すること”を美徳としてきたが、所詮、行政の元を握っている政治家や官僚は自己と仲間の利益のためにだけ働いているのである。
 雪印乳業のような偽証が発覚しない限り、企業存続に主点を置き、官僚や職員の第二第三の稼ぎ場所、所謂天下り先として確保することにしか、彼らは注力していないのである。

 賞味期限などというのも生産者側の都合であろう。
 従前からあった製造年月日を記載し、それから何日経っているか、消費者に判断させるのが本来だと思う。 あてがいぶちで薬漬けの食材を口にすることは身体のみならず心も不健康にさせ、社会の一番小さな単位である家族という成り立ちをも崩壊させることにつながると思う。
 あまりにも現代人は食品に対し無防備すぎるのではないか?  そこまで人は無知になっていいのだろうか?
 自分の健康は自分で守ろう。 一口のカニでそんな思いに浸った一日であった。

(旧徒然日記から転記)