お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*the world is coming to an end*



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

2004年8月27日金曜日

ネットワークカメラを設置

ライブカメラ

 2000年秋から、秋葉原で購入した中古のCCDカメラをアルミシャーシに組み込み、ベランダに設置して黒姫山の映像を写して来た。 やはり中古のパソコンからレンタルサーバーへFTP転送して、ホームページに貼り付けていた。

 しかし、リアルタイム映像でないばかりか、一方向しか見えないので、製品版のネットワークカメラを探していた。
 そんな中、隣の戸隠村役場のページを見ていたらキャンプ場やゲレンデを撮影しているカメラが更改され、リアルタイムの戸隠の様子が写されていた。
 ページのスクリプトなどを解析する中でメーカーを調べ、ページ作りなど自分で対応できるか確認した。 その上で、通販からカメラとハウジングを購入し、このお盆休みの間に設置工事を行い、現在は公開すべくスクリプトを作成している。

ライブカメラ

(旧徒然日記から転記)



2004年8月23日月曜日

ほほえみ読本

 先日、黒姫和漢薬を訪ねた際に、狩野さんからいただいた小冊子「ほほえみ読本」(制作途中のHPがあります)を読んだ。
 

 だれでも、うまれたときから、ほほえみさんはいつもあなたといっしょ。
 くるしいときは勇気を、かなしいときは元気を、さみしいときは励ましを。
 でも、歳月(とし)と共に、風雪(かぜ)に吹かれて、ほほえみさんはいつのまにか消えてゆき、苦虫(にがむし)くんがだんだん増え、たった一度きりの人生をくもらせてしまいます。
 どこにいったの ほほえみさん
 どこにいるの  ほほえみさん


狩野氏の名刺には、
 

 童心草魂
 草の根のようにしっかり 草の花のようにやさしく 草の実のようにつよく
 ・ほほえみいっぱい
 ・みどり いっぱい
 ・活力  いっぱい
 ・ふれあいいっぱい


 人生も、仕事も、すべて理念がないとダメだし、限られた人生の中で、共同社会を形作るための行動や発言は絶対必要なことだ。 先日、講演会でお会いした原子朗さんともども、今年の夏は、黒姫のすばらしい人たちを知ることができ、非常に意義のあるものであった。

(旧徒然日記から転記)



2004年8月21日土曜日

宇賀神社大鳥居竣工記念コンサート

 知人から、野尻湖の琵琶島でコンサートがあると紹介され、初めて島に渡ることになった。
 信濃町に来て15年が経過したが、野尻湖周辺の喧騒になじめず、初めて観光船乗り場に来て、中勘助が執筆したという琵琶島がこんなに近い所にあるとあらためて認識した次第であった。

 コンサートは、ギタリスト辻幹雄さん11絃と6絃ギターのソロと、松尾慧さんの篠笛・龍笛・能管とのデュエットである。

 今年、世界遺産に登録された熊野古道と熊野三山でイメージされたという「TAKERU」を公開の場で初めて演奏された由。 琵琶島を渡るそよ風とギターの音色が相まって、深遠な世界をかもし出していた。

 新しい大鳥居横の湖面野外ステージで演奏されたものだが、舞台と聴衆とが少し離れていたのが残念であった。 できれば湖面ではなく、参道途中の神殿手前の階段付近で聞けたら、もっと良かったかなと思った。
 で、初めて知ったギタリスト辻幹雄氏は、チェルノブイリ事故後10年に鎮魂コンサートを開いたり、松本・神宮寺の曲を作られるなど、音楽を心から心へ、 魂から魂へと繋いでゆくことを信念に、活動を続けておられると敬服。
 会場で買い求めたCDを家に帰り聴くと辻氏の演奏のすばらしさ、人となりを感じ入ることができて、心の充実を得た一日であった。
 コンサートが終わって、乗ることがないと思っていた「」に初めて乗り、大鳥居前で留まった所で花火が10発ほどか上がった。 例年7月下旬に開催されている野尻湖花火を未だ見ていないのだが、野尻湖の湖底にあるという御霊への鎮魂でもあった。 夏の終わりを告げるような、こんな一瞬の小さな花火にも感じ入ることができた。

野尻湖コンサート 野尻湖コンサート


 

野尻湖コンサート 野尻湖コンサート


 

野尻湖コンサート 野尻湖コンサート

(旧徒然日記から転記)



一茶記念館第三回講座を聴く

 「一茶句のおもしろさとおそろしさ」と題して、宮沢賢治イーハトーブ館館長であり、30年前から信濃町の山桑に住まいを持つという原子朗さんの講演を一茶記念館で聴くことができた。

 2時の開演に間に合うように行くと駐車場は満杯、二階研修室もほぼ満席の盛況で、講演者もあまりにも沢山来られたと驚いていた。
 講演の内容は、当時の時代背景から、一茶の生き様と一茶句を詳訳したもので、

  • 幕府直轄の天領であったこと、
  • 親鸞に詣でるために三河から北国街道を歩き柏原に居を構えた人々のこと、
  • 農業文化が栄えたこと、
  • 平均余命30数才の時代に65歳まで生きた一茶を支えたのは蕎麦であったこと、
  • 一茶の家庭環境のこと、等々

お話が多岐にわたり、その中で一茶句を解説されていた。

  • 松木姓のこと、
  • 中村与平さんのこと、
  • らくや食堂、
  • しなの書房を秘書箱代わり(気付)に使われたこと、
  • ノーマンさんのこと、などを

今の信濃町の情報とからめて話され、非常に面白く興味を持って聴くことができた。
 最後に、一茶を支えた蕎麦の原産地はイラン・イラクであり、蕎麦がきを焼いたようなパンをあちらでは食すとのこと。
 兄弟の多くを先の大戦で亡くされ、その分自分は長生きして憲法9条を守るのだという、イラク派兵など、とんでもないと真摯に発言される80歳の若さにも敬服。
 本当に実りの多い講座であった。 この新しい一茶記念館の建築デザインに少し違和感を感じ、今までは足が遠のいていたのが少し残念であった。

(旧徒然日記から転記)



2004年8月19日木曜日

黒姫和漢薬(延命茶)を訪ねる

 黒姫和漢薬というより、延命茶韃靼(だったん)蕎麦茶という商品名の方が名の通りが良いが、先日、遠方からの客人を戸隠などに案内し、信濃町に戻ってくる所で、黒姫和漢薬の狩野さんを見かけた。
 以前、大病を患っていたという客人は、その際いろいろ励まされたといい、ご挨拶申し上げたいというので、仁の倉の交差点から戻って、街道脇のお店に寄ったのであった。

 以前は、車庫になっていたように思うが、工場前面に開店して一週間しか経ってないという喫茶店に入って、齢80を越えられているという狩野さんに挨拶するも、かなり昔のことで記憶にはなかったようだが、喜ばれ記念に写真を撮っていただいた。 また、現在社長をされているご子息や奥様にも色々な製品の効能などをうかがったのである。

 健康志向の市井の中で、黒姫の自然が育んだ野草を製品化されていることは、非常に意義深いことだが、値段も含め、誰もが手軽に利用できるようになることが一番大切なことではないかと思った。

(旧徒然日記から転記)



2004年8月7日土曜日

水穴の黒田邸のこと

 信濃町水穴にある江戸時代の旧家「黒田邸」で、俳人・小林一茶の俳句資料や、一茶と同時代に活躍した葛飾北斎、歌川広重らの浮世絵版画を展示した「一茶と同時代の文化展」が始まったと、「しんまい」に掲載された。
 一茶の句文集「まん六の春」の直筆本とされる資料も初めて一般公開されているというが、期間は5日から8日まで。

 以前、この黒田邸について話を聞き、伺ったが留守であった。 いつもは長野に住まわれているとのことなので、見学できる機会がなかなかない。
 場所は、古間駅から野尻方向に進み、水穴方面に分かれたあと高速道路の下を通り、針ノ木から荒瀬原に向う道と交差する十字路の少し手前の左側の細い道を入った突き当たりである。

(旧徒然日記から転記)