お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*the world is coming to an end*



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2005年3月28日月曜日

重度自閉症者のグループホームが三水村に

 本日の信濃毎日新聞に「重度自閉症の人向けグループホーム 県内初、三水に」というタイトルの記事が掲載された。 黒姫に居を構えて以来、親しくさせていただいている三水村のリンゴ農家である山下フルーツ農園でも養護学校の生徒さんを時折受け入れ、農園での仕事や遊びを楽しんでもらっているが、こういった姿も地方とか農村地区の生きる手立ての一つではないかと思う。
 この「しんまい」の記事を略記すると、
 

 社会福祉法人「林檎(りんご)の里」が、上水内郡三水村倉井に、重度知的障害で自閉症の人を対象にしたグループホーム「ひこうき雲」を開設し、4人が暮らし始めている。 知的障害者を対象にしたグループホームに軽度の自閉症を伴った人が入居するケースはあるが、自閉症を入居の対象とするのは県内初。 パニックなど行動障害がある人でも自立した生活が送られるよう、施設職員の経験者が支援している。
 ひこうき雲は、木造2階建て約170平方メートル。5つの個室やリビング、浴室などがある。 定員5人で、職員は常駐と補助が1人ずつ。 建設費は2730万円で県の補助を受けた。
 入居者は5人とも既に決まっており、20代から40代までの男性。いずれも同法人が村内で運営している入所施設「あおぞら」で暮らしていた。 出身地は北信3人、中信と東信から1人ずつ。ホームヘルプサービスなども利用して生活しながら、仕事や日中活動の場を探すという。(、以下省略)

 徳島県の人口2000人たらずの上勝町は「いろどり」という事業を展開し、野山にある「葉」を採取・出荷することで年寄の労働意欲をかきたて元気づけ、ゲートボールをしたりボケるヒマがないとのこと。
 先日、漫才のB&Bメンバー・島田洋七さんの、「佐賀のがばいばあちゃん」という本を読んだのだが、貧乏を楽しむように力強く戦後を生き抜いてこられた姿を見て、懐かしいとともに女性のたくましさも感じたのであった。
 始まったばかりの、愛知の万博では「トトロの家」という何か大正や昭和を思い出させるような建物が人気だと聞く。
 こうやって色々見ると、地方の生き方というか、使命というか、そんな方策が幾らでもあるように思える。 個々のエゴを捨て、50年、100年の将来を見据えれば、きっと明るく元気な地方の町村に生まれ変わることであろう。 その先駆けになるのではと、この三水村にグループホームが出来るという記事に感じたのであった。

(旧徒然日記から転記)



2005年3月27日日曜日

俳人育んだ自然愛し--中村敦子さん

 昨日に続いて、毎日新聞HP版の長野県記事を見ていたら、今月5日に掲載された「一茶郷土民俗資料館」学芸員である中村敦子さんについての記事を見つけることができた。 記事の冒頭には、
 

 「耕さぬ 罪もいくばく 年の暮」
 俳人の小林一茶はこのような句を読んだように、長年、故郷の信濃町で評判は悪かった。 農家の長男にもかかわらず、故郷を離れて俳句に没頭。 故郷が一茶に向ける目は、怠け者、働かない、身なりに構わないなど、散々だった。
 「ところが、(一茶は)4年前から地元の人と雪解けし、理解が広がった」と笑顔で語る。 「一茶記念館」と「一茶郷土民俗資料館」を運営していた二つの財団法人が01年、同町へ運営を移管。 03年の新館開館により、新館の一茶関連資料も約130点に増えた。 4年間で地元の一茶への理解が深まった、と振り返る。
 俳句づくりへの努力を感じさせない一茶が好きだという。 多くの俳句を写し、本を読み、それを死の直前まで続けた。 うれしい時も、悲しい時も読んだ。 200年近くの時を超えてもなお、色あせない「友達感覚の句」をつくった個性派の一茶を尊敬する。(以下、省略)

 一茶記念館が新たに出来た時には、この建物が小林一茶を象徴するにふさわしいのか、その概観に何か違和感を感じたものであったが、昨年の一茶忌の会場の盛況さは大変なもので、今までの意識を変えたのであった。
 自分は今になって、やっと人間臭さ故に一茶を愛でる気持ちになってきたのであるが、中村さんのような熱心な逸材が、記念館のあり方を変える結果となっているのであろう。 やはり事業は人。 人をいかに育てるか、見つけるかが大事なのであろう。

(旧徒然日記から転記)



2005年3月16日水曜日

雑穀食・農耕民族の旺盛な性能力~小林一茶の交合記録

 卑猥なタイトルではないかと、訝る人が多いかもしれないが、面白いページを見つけた。
 「生活習慣病を予防する食生活」と題した山梨医科大学名誉教授 佐藤章夫さんのページで、日本古来の食文化の意義を詳しく説明し、現代人の食生活に警鐘を鳴らしているものである。

 そのコラムの一角に、題名の文章が掲載されているのだが、一茶が生きた時代は、一茶が特別であったわけでもなく、それだけの性能力の大本は米食であったと言いたいわけである。
 結果、当時の農民生活を興味本位で見るのではなく、前近代的な生活の中で力強く生き、子沢山が一家の稼ぎ手となり生活を支えていた面を見なければならないと思う。

 本HPを詳細には読んではいないのだが、牛乳や肉食など西洋的な食習慣が、日本人の体をいかに蝕んでいるかが、また米や大豆を中心とした発酵食品こそが力強い日本人を形成していたかがよく理解できる。
 確かに戦後取り入れられた欧米の肉食文化が身長の高い、顔立ちの良い若者を生んできたのだが、その反面十分な体力を持つ人が少なくなり、人を危め殺戮することに何の感情を持たない人をも生み出してきたのである。

 BSE問題でアメリカは日本に牛肉輸入せよと圧力をかけ、再びジャパンパッシングの雲行きになりそうな今日この頃である。 米食文化を見直し、政府として日本の主張をするべきであろう。 と同時に、ジャンクフードとも言える、安い牛丼に喰らいつく若者に、本当の味や日本の食文化を理解させる施策も行うべきである。
 かかる自分もたまには肉を食う。しかし、普段は玄米食に昆布や煮干で出汁を取った汁物、納豆、豆腐、海苔、野菜などが中心の食事である。
 更に、大高酵素という酵素飲料を朝晩飲むことで消化器官を調えており、体調はすこぶるいい。 現代人は、雑穀食、農耕民族の生き方をもう一度見直すべきである。

(旧徒然日記から転記)



2005年3月8日火曜日

森林療法の候補地に信濃町など

 しんまいに、「森林療法の候補地に信濃町など」という記事が掲載された。

 その記事によると、林野庁は7日、森林浴で国民のストレス解消や健康増進を目指す「森林セラピー(療法)基地」と「ウオーキングロード」の候補地に、独自の森林案内人制度で都市との交流を進める上水内郡信濃町など県内8市町村を含む17都道府県の計31カ所を選んだ とのこと。

 農林水産省 林野庁のページにはこの記事に関連したものが見つからなかったが、中部森林管理局のトップページ→ お知らせ→ 広報・中部の森林とたどると、「北信地域をフィールドにモデルプロジェクトの検討 - 北信濃くらしと健康を支える森林づくり」という表題の掲載があった。
 信濃町役場でも、昨年住民参加の「まちづくり推進会議」が組成され、種々の提言をすべく検討されているが、その中にも”森林浴による癒し効果”があがっている。 こういった動きも林野庁の計画を受けているのかもしれない。
 癒しとかヒーリングという言葉自体には、安っぽさが感じられ、あまり良い印象を受けないのだが、自然回帰の大きな流れの中で、現代人が生きている意味を森の中で実感し、生きる力を自ら醸成していくような機会になるのであれば、この計画は大変大きな意義があるものと思うし、その場が信濃町にあるということは、僅かながらも信濃町とかかわってきた者として大変な喜びでもある。

(旧徒然日記から転記)



2005年3月6日日曜日

信州の民話データベースが完成

 千曲市屋代にある長野県立歴史館が、「信州の民話データベース」を4年がかりで完成させ、5日からインターネットで公開された。 県内に伝わる約1万千の民話を集録し、キーワードのほか、地域や市町村、「地蔵」や「タヌキ」などといったテーマ別にも検索が可能とのこと。

 早速、サイトをたずね「黒姫山」で検索したら20話ほど、「信濃町」では55話ほどタイトルが出力された。 タイトルの多くは、既に信濃町で刊行されている「信濃町の民話」に収録されているお話しと似ているようだが、内容まで精査していないので詳細は分からないものの、信濃町だけでなく北信濃とか信濃全体で似たような民話が一覧できて興味が湧いてきた。

(旧徒然日記から転記)



2005年3月5日土曜日

南極をみにいこう!

 先日、「しんまい」に信濃町で南極・昭和基地の越冬隊員と町内の小学生がテレビ会議を実施すると掲載されていたが、野尻湖ナウマンゾウ博物館に詳しく実施内容が掲載されており、展示や講演会には誰でも参加できるようだ。
 まず、南極展という展示が12日(土)~13日(日)の二日間実施され、13日には13時30分から「日本の南極観測」一南極からみる地球の過去・現在・未来一 と題した国立極地研究所の宮岡 宏氏による講演会が行われる。 ともに場所は柏原の総合会館で。 詳細は、博物館のページへ。

(旧徒然日記から転記)



2005年3月4日金曜日

都心でも正午頃まで降雪

都心の降雪

 今日は、東京や横浜でも未明から正午前まで雪が降ったが、臨海地区でこのように降雪があったのは珍しい。
 ほぼ半世紀前の子供だった頃は、三浦半島でもかなりの積雪があり、雪だるまが出来る程の雪があったが、最近はそのような大量の雪降りを目にすることは少ない。

 午後には積もった雪も早々に融けてしまい、探しても積雪の跡は少ないものの、気温は低いままで非常に寒さを感じた。 手袋のない手は何か黒姫以上の冷たさであった。
 午後2時の下の写真では、積雪で白くなっている個所は僅かである。この映像は、雪降りが止んだ直後の横浜MM地区。

(旧徒然日記から転記)



2005年3月3日木曜日

鳥居川の解禁案内が届く

 近隣の鳥居川や斑尾川を管理している北信漁業協同組合から今年の解禁案内が届いたが、その概要は次の通りである。

解禁 3月20日(日)午前8時
禁漁 5月 2日
解禁 5月 3日(火)午前8時
禁漁 6月 1日
解禁 7月17日(日)午前8時
禁漁 9月17日
解禁 9月18日(日)午前8時
禁漁10月 1日~来年3月18日

 基本的には竿釣りで組合員および準組合員に認められているが、一日券を購入することで非組合員でも釣ることができる。 鳥居川の獲物は虹鱒と鮎が中心でハヤが釣れることもある。 詳細は、牟礼駅近くの事務所(026-253-6696)←線路をはさんだ農協の反対側の路地奥。

(旧徒然日記から転記)



2005年3月2日水曜日

クレーム投稿に思う

 信濃町観光協会の掲示板に、格安バスツアーで黒姫のゲレンデに来られた方のクレームが投稿された。
 投稿内容を読んで、宿泊先の対応の悪さや満足できなかったことと、黒姫のゲレンデとを一括(ひとくくり)に感じられている所に、何か割り切れない思いを抱いた。

 確かに、これまでもゲレンデ係員の対応の悪さなどが書かれ、一向に改善されない状況に悲しい思いもして来た。
 しかし、昨今スキー人口は減少傾向にあると同時に溢れるばかりの情報に、スキーヤーはメジャーなゲレンデをつまみ食いのように渡り歩き、リフト代の他に大きな金を落とすことは少ないと聞く。 例えば、土産物店の御得意さんは、修学旅行の中学生が殆どで大人は買い物が少なく、コンビニのお握りなどで安上がりに昼食を済ませる人達もいることであろう。

 山の自然に憧れ都会から移り住み、ペンション経営をはじめても、宿泊客があるのは12月後半から3月までの3ヶ月間が中心。 5月のゴールデンウイークとか夏休みとか観光シーズンは他にもあるが、実質収入となるのはこの3ヶ月間のみで、やおら稼ぎたい気持ちになることも分かるし、この期間の収入だけで1年間食べていくのは至難の業でもあろう。

 ペンションの奥さんが、スーパーマーケットで値段だけの粗悪な食材を買っている姿を目にすることがあり、パンフレットなどの宣伝文句との大きな違いに唖然とし、自分ならあんな所には泊まらないと思うこともある。
 客室のメンテナンスの悪さや安上がりだけの食事は、客商売の基本ができていないとも言える。 しかし、ウインターシーズンを過ぎると多くのペンションのご主人はアルバイトや出稼ぎに出ているとも聞く。
 そういった事情を垣間見ると、こういった掲示にどう応えていいのか分からないし、観光協会や町役場の方々も苦慮されていることでもあろう。
 それでも、客商売は満足して帰っていただき、再び黒姫の地を訪ねていただくという信念を忘れてはならない。 観光関係者は厳しい経営の中でも黒姫高原という一つの生活(運命)共同体としての位置付けで、一つ一つを考えて対応されて行く必要があるようにも思う。 ←取り留めがなくなった(-_-;)

(旧徒然日記から転記)