お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*平和の琉歌



*うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」


*the world is coming to an end



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2005年4月27日水曜日

JR福知山線事故に思う

 信濃町に関係ないのだが、北陸新幹線全面開通の際には、長野・直江津間の路線が廃止になるか、第三セクター化するか、どちらかになると思われ、今回のJRの鉄道事故を考えてみたい。

 今朝の報道で死者数が90名を越え、30年以上前か、横浜市鶴見で起きた160名につぐ大惨事になったとのことである。 このような時にいつも思うことだが、救出作業にあたられている警察官や救急隊員達のご苦労というか、悲惨な状況を目にしながら働いている姿に頭が下がると同時に、事後の精神的なケアがなされればと切に願っている。

 さて、この事故発生の原因だが、JR西日本は”置き石”を表面に記者発表しているようだし、専門家や報道は”スピードの出しすぎ”だと述べ、それらを含めた複合要因と記載する新聞紙も出てきた。

 確かに、主因は遅れを取り戻そうと、運転手が速度を上げ過ぎたものだろうが、それだけで片付けられる問題ではない。 この運転手が過去に何度か遅れを発生させているという報道も何か運転手一人の責めに帰させる雰囲気が感じられる。 遅れを発生させることによるペナルティーを回避したいという気持ちにさせたとしたら、組織上の問題であろうし、旧式ATSを未だ使っていたというのは、会社の安全管理を怠り利益優先の姿勢が問われることになるであろう。

 また、あそこにビルがなければこんな惨事にはらなかったと思うと、線路脇の劣悪な住居環境にマンション建設をゆるし、都市の過密化を是正しない地方行政も問題だ。 さらに、遡ると国鉄を分断し、当時の負債を市中の資金でまかなおうとした政府そのものの施策も遠因として上げられるのではないだろうか。 結果、利益と管理優先の企業が出来上がり、従業員への締め付けや不満のはけ口としての列車走行妨害などを伴い、今回の事故が発生したものであろう。 それこそ、「複合汚染」の末路なのである。

 今、まさに郵政事業が赤字だと、民間資本で赤字を解消しようと民営化の方策が練られているようだが、その裏には早晩政治家に擦り寄る利権屋が蠢いていることであろう。 そこには、もう市民一人一人の顔を見た政策がない。

 国や地方の行政にアンテナを高く上げる必要があるのだが、押しなべて日本人の民度は低い。 立花隆さんは、日経新聞に中国で起きた反日運動の原因は「小泉総理大臣の節操のない行動が原因」とはっきり述べている。 女性スキャンダルでやめた元衆議院議員を推薦し再選させる団体も選挙民もしかり。

 我々の子々孫々に豊かな日本を残すためにどうすれば良いか、一人一人が自分の問題として考えたいものだ。 そういうふうに考えないと、不慮の死をとげ人生を狂わされた犠牲者の方々に申し訳けないし、安らかに成仏していただくためにも日本人としての大事な責務ではないかとも思うからである。

(旧徒然日記から転記)



2005年4月26日火曜日

千の風になって

 島根県にある西楽寺というお寺さんのサイトに、人生ナビ「日々あらたに」というページがあるのを見つけた。

 その中に、「言の葉」とか「ひらがな法話」というページがあって、なかなか含蓄のある内容となっている。

 中でも、海外からの作者不詳の詩がいい。

■ 千の風になって ■

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています

あの大きな空を 吹きわたっています

 原文は、 I am a thousand winds - unknown author

Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.

(旧徒然日記から転記)



2005年4月25日月曜日

報恩講

 親鸞の命日にあたり、聖人の苦労をしのび、阿弥陀如来に救いを求めるという浄土真宗の法要が、知人のお寺さんで行われるというので荒瀬原まで先日家内が出向いた。

 親鸞の命日は旧暦11月28日だそうで、全国的には10月下旬から12月に行われているが、この季節、信濃町は雪の世界だから、春を迎えた今の時期になってしまうのであろう。

 出席していないので詳しいことは分からないが、法要だから、お坊さんのお経や唱和、法話を聞く会なのであろう。

 配布された九州龍谷短期大学出版の「いのち」という小冊子をいただいてきたので読ませていただいた。

 大学の機関誌のようで先生や生徒達がテーマ毎に所信や感想などを書かれ、その真摯な姿勢に心感じるものがあった。

 その中で、金子みすず館の館長が、門徒であったみすずの歌と生きることを平易に書かれ、なかなか納得できるものであった。 やはり、人間には全宇宙的な、”優しさ”と”共生感”が必要なのであろう。 みすずの歌とともに読んで行くと、仏教もキリスト教でもない何か普遍的な境地に浸ることができるのである。

   こッつん こッつん
   打(ぶ)たれる土は
   よい畠になって
   よい麥(むぎ)生むよ。

   朝から晩まで
   踏まれる土は
   よい路(みち)になつて
   車を通(とほ)すよ。

   打(ぶ)たれぬ土は
   踏(ふ)まれぬ土は
   要(い)らない土か。

   いえいえそれは
   名のない草の
   お宿(やど)をするよ。

 この世にも、あの世にあるものも全てが意味あるもの。
 仏教の”今に生きる”も、キリスト教の”全てに時がある”にも共通性が感じられる。

(旧徒然日記から転記)



2005年4月20日水曜日

新しいローマ教皇の決定について

ローマ

 今朝、起きた時の最初のニュースは、バチカンの教皇選挙コンクラーベでドイツ人枢機卿が265代目の教皇に選出されたということであった。

 南米もしくはアフリカからの選出があるのではと聞いていたので、ドイツ人で78歳の年齢に少し違和感を感じたが、先の大戦で辛酸をなめたポーランドの次に、ナチスに翻弄された国の人が選ばれたということは、ヨーロッパの戦後処理的な感覚があるのかもしれないし、アメリカの一人勝ちのような今の世界を、EUという組織の更なら強固を図ることで力の均衡を願うものなのかもしれない。
(60年前の新教皇は18歳だから、本人の意思にかかわらずナチス青少年組織ヒトラー・ユーゲントに組み込まれていたことだろう。 ヨーロッパではそういう情報も流れているようだ)

 しかし、保守的な考えの持ち主で、高齢ということは違う目で見ると、あまり大きい変革は起きないということかもしれないし、中継ぎ的な要素もあるのではと容易に考えられる。 逆に見ると、保守的であるということは、キリスト教創始期の流れが営々と続いて行くということだ。 と云っても、ドイツはプロテスタンティズム発祥の地だろうし、カトリックはイギリス国教会、ロシア正教などという派生宗派がある。 イギリス国教会は国王の都合(離婚?)で分派したもので、ロシア正教についてはその要因を知らないが、よりストイック的で戒律的である所はイスラム教に似ていると思う。

 さて、日本の仏教界や神道の世界を見た時はどうなるのだろうか。 宗派や分派が多すぎて分からないというのが実際だが、西洋と同様に長い歴史の中で時代の人々に支えられてきたものが、本当の宗教であろう。
 そういう意味でも、近代(経済)化の波に乗った、過去100年の間に発生もしくは分派した宗門が、”本当のものか”非常に疑問を持つし、そういう組織やかかる人物と安々と関わりを持ちたいとは思わない。

 ところで、今週末に信濃町内のお寺さんで報恩講が開かれると誘いがあり、家内と友人が出席することになった。
 報恩講とは、親鸞聖人の命日(旧暦11月28日)にあたって、聖人の苦労をしのび、阿弥陀如来に救いを求める浄土真宗の最も大切な法要とのこと。

 詩人・金子みすずの詩集に次のものがあるように、そこはかとない集いの中でじわじわと聖人の教えを感じ、個々の生きる力に転化していくのが本当の宗教であろう。 祈りやお経を唱える回数やお布施で救われるというのは毛頭ない。

■金子みすず詩集より
 「お番」の晩は雪のころ。雪はなくても暗(やみ)のころ。くらい夜みちをお寺へつけば、とても大きな蝋燭と、とても大きなお火鉢で、明るい、明るい、あたたかい。大人はしっとりお話で、子供は騒いじゃ叱られる。だけど、明るくにぎやかで、友だちやみんなよっていて、なにかしないじゃいられない。更けてお家へかえっても、なにかうれしい、ねられない。「お番」の晩は夜なかでも、からころ足駄の音がする。

(旧徒然日記から転記)



2005年4月16日土曜日

斑尾高原スキー場が倒産

 13日(水)、飯山市にある斑尾高原スキー場と斑尾高原ホテルを経営する斑尾高原開発㈱が民事再生法を申請したと報道。
 同社は、1976年(昭和51年)12月から斑尾でホテルとスキー場を経営するほか、川場スキー場やゴルフ場なども併営。
 斑尾でも、信濃町になるタングラム斑尾は東急系列の会社だから大丈夫であろうが、黒姫高原スキー場も昨年JTBからニチメンと日商岩井が合併した双日の関連会社に経営が移っている。
 数年前に開いた豊田スキー場は早々と3月21日に営業を終了しているし、飯綱リゾートの経営も苦しいとか数年前から聞いている。 妙高や赤倉も西武資本が入っているだろうから、この先の営業がどうなるか不透明だろう。 冬の観光をあてしているペンションなどは更に経営が苦しくなるのではないだろうか?。

(旧徒然日記から転記)



2005年4月14日木曜日

一茶記念館だよりが届く

 昨日、「一茶記念館だより」が届いた。
 一面には、1944年から黒姫に通われ、今は山桑に住いを持たれている作家岡野薫子さんの企画展示を行うと、作品などの説明がされている。 岡野さんが1985年に出版された「黒姫山つづれ暦」は長年にわたる黒姫での生活を記したもので、私などは全く知らない世界で大変楽しく読ませてもらったことがある。

 さらに夏休みにかかる企画展は、「北国街道の宿場」と題して野尻・柏原・古間のかつての時代を展示するようで、これも楽しみである。 いつかは一茶が歩いた北国街道を自分の足で歩いてみたいと考えているので、ぜひ参考にしたい。
 また、去年と同様に今年も各分野の先生方を呼んで5回の講座

 5月28日・「一茶俳句の民衆性・風土性」・・千曲山人(一茶研究家)
 6月25日・「近世俳人の墓について」・・・・星野麥丘人(俳人鶴主催)
 7月23日・「北国街道」・・・・・・・・・・尾崎行也(地方史研究家)
 8月27日・「一茶の文学性」・・・・・・・・山下一海(鶴見大学教授)
 10月1日・「一茶・井月・山頭火」・・・・・村上譲(作家)

が予定されており、どれだけ出れるか未定だが数多く聴講したいと思っている。

(旧徒然日記から転記)



2005年4月12日火曜日

2地域住居

 昨日と今日のNHKニュースの中で、「2地域住居」というタイトルで、都市部と田舎での暮らしを共存させる人が増えていると報道されていた。
 昨日の放送分しか見ていないので全ての内容を知らないが、年間40万円ほどの費用で、田舎の家と畑を借り、そこに集う人々の交流が生まれているということで、地元の商工業への寄与も大きいという、役場の方のコメントであった。
 我々も、15年前に信濃町に来て、住いを構え地域に関わることで新しい人付き合いや自然との触れ合いができると思った。
 しかし、2地域住居というのは所詮半分の生活であり、主たる「住」というものは都市部に置いているわけである。 そして、地域に入れば入るほど、地元住民と親しくなれる反面、行き違いや妬み、嫉みなどというマイナス面も生まれてくる。 こちらの「思い」が伝わらないこともしばしば。 IターンやUターンであれば、それなりの覚悟があるであろうが、こちらにも地元の方が期待しているような決心がない。
 田舎を安住の地として考えるとしたら、別荘地の中で暮らすか、山の中の一軒家で孤独に過ごすのが一番いいのかもしれない。 「人」の存在は非常にやっかいなものだ。

(旧徒然日記から転記)



2005年4月11日月曜日

斑尾高原農場

 今日の日本経済新聞に、斑尾高原農場が20数番目の直営店を大阪に出すと、かなりの紙面をさいて掲載されていた。
 斑尾高原農場は、信濃町の隣村である三水村にあり、サンクゼールという名を愛称にして信濃町の電柱などにも案内表示板があちこち見られる。

 創設地が斑尾だから斑尾高原農場という名はいた仕方ないが、今あるのは三水村だし今年秋には牟礼村と合併して飯綱町に行政が変わってしまう。 飯綱となると飯綱高原が観光上の名称に使われており、このギャップに何か違和感を感じるようなことはないのかと、余計なことを考えてしまった。

 さて、このサンクゼールだが、出来た頃には、商品群は少ないものの幾つかのワインを無料で試飲させてくれたし、別棟では三水村を一望にしてお茶が飲めたりもしたが、今は販売商品は多いものの、ワインの試飲は確か有料だし、種類も少なく説明も殆どないに等しい。 従い、以前のような感慨はなくなった。

 昨年、アメリカのフィンガーレイクスというワインの生産地を旅したが、観光客がそれほど多くない地でありながら、あれもこれも注釈付きで飲まされ大変良い心地になったことがあり、結局1ダース以上も買ってしまった。

 北海道の小樽ワインでも熱のこもった説明があり、無料で系統だって多種のワインを試させてくれた。
 取扱商品が増えれば自分の工場で全てを生産することは無理になるのが必然。 業者からの持込商品もあるかもしれない。 そんな中で自然と、設立時の熱というか気持ちの現われが融解していくのではないかと感じている。

 まぁ、三水村のリンゴや自前の畑のブドウなどの農産物を原料に製品が出来ているのであれば、地場高揚の大きな原動力にはなっているかもしれない。

 それと、サンクゼールという名称だが、サンはsunもしくはsaintという意味か、クゼは創業者の名であろうに。 

(旧徒然日記から転記)



2005年4月7日木曜日

鉄道唱歌 信州編

 「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり...」に始まる東海道線の各駅をうたった鉄道唱歌は、JRになった今でも懐かしさが感じられる歌であるが、かつて信越線が上野・高崎・横川・軽井沢・上田とつながって走っていた頃の光景を思い出させてくれる鉄道唱歌信州編なるものもある。

 鉄道唱歌データベースという個人のサイトだが、北海道、東北、山陽ばかりでなく、かつての満韓鉄まであり、自分が生きてきた時代とあわせ誰もが郷愁を感じさせてくれるものではないかと思う。

 財団法人 碓氷峠交流記念財団が運営している碓氷峠鉄道文化むらがかつての碓氷峠鉄路をトロッコ車で走らせているが、2Kmたらずでなく、是非軽井沢までつながってほしいものだ。

 で、件の信越編だが、長野・直江津間を見ると
 

日本最古の仏像を 安置せるてふ善光寺
     争いまいる老若の おりてつどえる長野駅
左に戸隠山を見て 着くは豊野の停車場(すてーしょん)
     秋の錦をさながらに 映せる水は琵琶の海
いと怖ろしき地獄谷 針の山さへきこゆれど
     暑さ忘るる温泉に 楽しく遊ぶ人もあり
牟礼・柏原打ち過ぎて 野尻に著(し)るき芙蓉の湖
     倒(さか)さに映る小富士山(こふじやま) 棹さす波に雪ぞ散る
関川越えてわけ行けば 田口・関山・新井駅
     北越一の大雪と 世に響く名の高田町
西に見ゆるは春日山 上杉氏の旧城趾
     秋の霜夜に月影を かすめて行くや雁の声
窓より近く直江津の 湊(みなと)も見えて風さむく
     予(かね)てかくとは聞きぬれど たつ波高し礒(いそ)の上


 さらに、地理唱歌汽車の旅というのもある。

四海に名高き善光寺 百済(くだら)国より伝来の
     釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)のまし所 仰ぐ功徳(くどく)のありがたや
無情を告ぐる鐘の音に 吉田・豊野も夢と過ぎ
     つきしは牟礼の停車場(ステーション) 四方の眺望(ながめ)ぞおもしろき
戸隠山は屹然(きつぜん)と 怒るが如く峙(そばだ)ちて
     黒姫山は優然と 笑うが如く相対す
煙や靡(なび)く柏原 東へ一里野尻町
     ささ波清き芙蓉湖や 周囲三里三十町
いざ別れゆく信濃路の 名残とどむる関川や
     渡るかなたは田口駅 はや越後路に入りにけり
赤倉温泉名に高く 妙高山を背に負いて
     遙(はるか)に望む北の海 唯一目に見渡さる
関川つたいめくりゆく 轍(わだち)とどむる関山や
     片貝川の鉄橋を 渡ればやがて新井駅
県内第二の都会なる 高田の町もとく過ぎて
     汽笛の声に驚けば はや直江津に着きにけり
近来開けし町にして 北海主要の良港ぞ
     港内帆柱(ほばしら)林立し 船船常に出入りす
春日山頭いにしえの 姿はあとも遺らねど
     霜夜を照らす月かげに 泣き行く雁や忍ぶらん

(旧徒然日記から転記)



2005年4月6日水曜日

アイデンティティー

 アイデンティティー(identity)という言葉を辞書でくくると、「同一であること、個性、主体性、自分らしさ」とある。

 さて、「日本人にとってのアイデンティティー」って何だろう?

 そんなことを考えたくなるような今日この頃のニュースである。 その一つは公立学校の卒業式での国歌・国旗問題、そしてもう一つは教科書検定問題である。 更に、学校内の犯罪対策としての地域の自警団組織などもある。

 黒姫に関係のないことをここに書くのは本意ではないが、日本社会のこの所の雲行きがどんどん悪くなり、強権的で一方的な、しかも非常に策略的で一部への利益を誘導するようなニュースに悲しい思いが続くからである。

 あのように、過去の戦争犯罪を美化し、日本を神国として奮い立たせようとする動きそのものが、日本という国を狭隘化させ、世界の中で孤立させる要因になっていると、理解ができない人が実に多い。 戦車に乗って日の丸に敬礼することが日本人としてのアイデンティティーと思うような単純な脳しか持たない者が文民として行政の中心にいるからどうにもならない。

 戦争などに理由など言い訳など何もない。 日本人はテレビのニュースを鵜呑みするのではなく、イラクの市民がどれだけ殺され苦しんでいるか実態を見なければならない。 ベトナムでも体が一部くっついた双子の手術が話題になったことがあるように、ベトナム戦争の枯葉剤による市民の苦しみは相当のものがあったし、今でもテレビには出ないものの相当にあるように思う。

 ベトナムの戦場に、報道カメラマンとして撮影に奔走された石川文洋さんが書いた本を先日読んだのだが、ただ撮ることを生業として出かけた石川さんが長いベトナムでの生活の中で何を感じていられたことがよく分かった。

 先の大戦でも、日本の兵士は日本の仲間に殺された人も多いと聞く。

 イラクの自爆テロがあるからイスラム教が怖いとか、そんな単純な発想をしてはならない。 そういう報道があったら、彼らがそうしなければならない現実を教え、日本でも特攻という国家が組織した自殺部隊があったことをもっと子供に教える必要があるし、慰安婦問題なども過去のことではなく現実にどこででも発生しうる問題と明らかにすべきである。

 亡くなった兵士を弔うことは大事だが、沖縄ではそれ以上に亡くなった市民がいた。 英霊として崇めるのは、彼等兵士に対しても冒涜ではないか。 戦争を美化してはならない。 残るのは悲しみだけだから。

 殺戮による悲しみを再び起こしてはならない。 そういう意味でも憲法九条の維持は大事であろう。

 憲法九条の砦もなくなり、日本の行政、司法、経済、宗教などあらゆる中で反省も、日本人としての未来を創る概念もなく、単に諸外国からの軋轢だけで、止む無く国として方向付けをしているとしたら何とも情けない。

 黒姫にも、満州への開拓に出て辛酸をなめた人達がいたらしいが、先の戦争の実態を垣間見るようなそういう過去の事実も知りたい。

 黒姫の近くには、「松代大本営跡」という戦争を知り、働いた朝鮮人達の実態を知ることができる良い材料がある。 「戦争」というものが何であるか皆が考えてほしい。 世界に通ずる日本人としてのアイデンティティーを持ちたい。

(旧徒然日記から転記)



2005年4月3日日曜日

1981年2月24日

後楽園にて

 24年前の2月24日、我々家族はみぞれのような冷たい雨が降る中、いまはない東京・後楽園のスタジアムにいた。 1978年に就任したばかりのローマ・カトリック教会の教皇ヨハネ・パウロ二世がバチカン市国の宗主として初めて来日し、この日後楽園で教皇ミサが執り行われ、これに与るためであった。

 今朝の報道で、教皇が午前4時37分に84歳で帰天されたと知り、かつてのあの日のことを思い出したのであった。 26年の在位期間中に平和のための海外司牧訪問は100回以上、十字軍やガリレオ、東方教会などに対する反省と和解、ヨハネ・パウロ二世の業績は計り知れない。

後楽園にて

 教皇の精神的な支えをバネに、ポーランドの民主化や東西ドイツの統一が進み、ロシアの共産主義体制が崩壊し、冷戦の終焉を見たのであった。 教会という世界だけでなく、このように地球上という大きな歴史と未来の流れの中でとらえても大変な偉業の人であったと云えよう。

 無償の愛に生きたマザー・テレサの偉業については皆が知る所であるが、ヨハネ・パウロ二世も聖人に列聖されるほどの貴重な精神的指導者であったと思う。

 1989年、教皇の生まれ故郷であるポーランドを家内が訪ね、秘密警察の監視の中で連帯のワレサ委員長と会うなど、国家体制の大きな変革の中で地方に住むことの豊かさとという意義を見つけ、結果として我々は信濃町に住まいを構えたのであった。

 政治家も宗教家も個の益に拘泥せず、教皇が言い行動してこられた「和解と平和」を実践すれば、地球上の貧困や悲しみ、争いはなくなる筈なのだが、現実は悲しい。 地上の物質的な富を彼岸まで持っていくことなど誰も出来ないのに、そんな簡単なことすら気づかない人間が多すぎる。

(旧徒然日記から転記)



2005年4月2日土曜日

南極越冬隊との交信記事

 3月13日(日)、柏原の総合会館で南極・昭和基地の越冬隊員と町内の小学生とのテレビ会議が実施されたのだが、その時の状況を記載したサイトがまだない。
 どこかにないかと探していた所、北海道稚内市の職員の方が第46次南極地域観測隊員として南極昭和基地に派遣されて、近況報告やメッセージを伝える稚内市役所のページがあることが分かった。 「近江隊員の南極滞在記」と題された日記の当該日に簡略ながら信濃町のことが書かれている。
 派遣期間が限られており掲載も一時的であろうと、記録の一部を下記に転載した。

3月13日(日)
(天候:晴・最大風速:5.8m/s・気温(最高:-1.3℃ 最低:-9.8℃)
 今日は午前9時半すぎから、長野県信濃町とテレビ会議を行いました。これは信濃町の子ども教室「南極を見に行こう」という企画の中で行われました。
 これで4回目のTV会議ですから、出演する隊員は多少慣れてきましたのでいかに解りやすく写真、ビデオを使って答えるかを重点的に考えて構成をしています。解りやすく説明しようとすると、話を詳細にしなければなりませんが、そうすると専門的になり小学生では少々難解になってきます。そこで、写真、ビデオを使うのですが、これもできるだけインパクトのあるものを大量のストックから選び出さなければなりませんし、もし適当なものがなければ、撮影に行かなければなりません。伝える側の難しさを味わっています。
 ちなみに総合司会は私でしたが、出来は「イマイチ」といったところでしょうか。この会議の最後に子供たちに「思い続ければ夢は叶う」というメッセージを学校の教員の職で参加している隊員より4つの大切な心掛けが伝えられました。
(中段 略)
 また、このように全国のいろいろな地域と交流するたびに、ホームページを探します。こういう機会がなければ見ることがありませんので、その地域の規模や特徴を調べます。これもいい勉強になります。これからも沢山のいろいろな地域との更新が計画されていますので、広く浅く検索していきたいと思ってます。
 ちなみに信濃町は、長野県の北部に位置し、野尻湖を中心としたすばらしい自然環境にかこまれ、人口1万人余り、ナウマンゾウや俳人の小林一茶の生誕の地として有名です。(詳しくはHPを参照)

(旧徒然日記から転記)



2005年4月1日金曜日

悠然として山を見る蛙かな

黒姫山

悠然と
 して山を見る
  蛙(かはづ)かな


     小林一茶

  今朝の黒姫は新年度にふさわしい晴天。 今日の日本経済新聞朝刊の一面の端にUFJ銀行の広告なのか、一茶のこの句が掲載されていた。
 ここでいう「山」は当然「黒姫山」であろう。 いまだ雪が残るこの時期に、蛙を見ることはないが蛙の心境になりたい自分に納得できる一句と思った。

黒姫山

 また、”しんまい”には、信濃町の農家の方が、雪の下で越冬させたニンジンをスノーキャロットと称して天望館で販売され、甘味が増して美味しいと人気を呼んでいるとある。

(旧徒然日記から転記)