お知らせ

お知らせ

*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*the world is coming to an end*



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

2005年8月31日水曜日

コスモス園のライブカメラが明日から復旧か?

 7日から停まっていたコスモス園のライブカメラが、明日の9月1日から再開するようです。 さっき16時半過ぎに何気なくサイトを訪ねたら、工事中のような動画映像が現れていました。 いよいよコスモスが満開になる時期に間に合って良かったですね。
ライブカメラ再開工事中のコスモス園


応援したい衆議院議員選挙候補者

 本ブログでは、政治問題を書くつもりはないのだが、平和な国づくりを標榜する、前レバノン大使でおられた天木直人さんが、小泉首相の本拠地である神奈川11区(横須賀市、三浦市)から無所属で立候補されたというので、もし神奈川県横須賀市と三浦市に知人がおられる方がこの記事を見られたら、是非選択肢の一人として検討願いたく、敢えてここに記した。 自分もこの選挙区の住民ではないので、知り合いを探し推薦するつもりでいる。

 天木氏を応援する勝手連のHPが開設され、
天木氏を応援する勝手連

ている。 天木さんの出馬声明を次に引用したが、地縁・会社・宗教などの特定の縁故・思想、さらに加えて、声高の郵政に目を奪われるのではなく、年金、健保、税制、教育、そして平和という視点で、候補者を是非選んでほしい。 郵政に関わる国民の貯蓄を、アメリカのハゲタカ資本に提供してはならない。 日本は独立国家であり、アメリカの占領地でもないはずだ。 日本をアジアの三流国家に貶めるような政策には断固反対しよう。
天木氏の出馬声明


私が今回の決意に至った理由は次の2点だ。
 まず、ひとつめ。 今度の選挙の真の争点は、郵政民営化法案の是非などという事ではなく、米国に従属し続けて日本という国を戦争国家にするのか、それとも平和国家日本をとりもどすのかという国家の命運を賭けた選択にあることを訴えたい。
もう一つの理由は小泉首相がもたらしたこの国の政治の崩壊である。 小泉首相は自民党をぶっ壊すと叫び続けた。 何のためにそうしたのか。 それは国民の為ではなく自らの権力を誇示する為ではないのか。 国民のために自らを犠牲にして奉仕しようと覚悟している候補者がどれほどいるというのか。 この国の選挙は、もはや世襲議員や権力・組織の庇護を得た者しか当選できなくなった。 当選できる為には主義主張や志をかなぐり捨てるような者ばかりが政治家になろうとしている。 そんな今回の総選挙に異を唱えたい。


2005年8月30日火曜日

コスモス:100万本、もうすぐ満開

 MSN-Mainichi INTERACTIVE 地域ニュースに、「コスモス:100万本、もうすぐ満開--信濃町・黒姫高原 /長野」と、昨日掲載があった。 記事によると、
 信濃町の黒姫高原で約100万本のコスモスが5分咲きとなり、秋の訪れをいち早く感じようと多くの観光客が訪れている。 9月上旬ごろには満開になり、一帯が赤やピンク色に彩られるという。
 標高約800メートルに広がる「黒姫高原コスモス園」には、3・8ヘクタールの敷地に代表的な品種の「センセーション」や、鮮やかな黄色の「モーニングライト」、ほのかにカカオの香りがする「チョコレートコスモス」など63種が、美しさを競うように咲いている。 観光客はコスモスを写真に収めたり、名物のトウモロコシをほおばるなどして、北信濃の秋を満喫していた。


オカモノアラガイ大量発生

 信濃毎日新聞に、「信濃町でオカモノアラガイが大量発生」という記事の掲載があった。
 信濃町柏原地区の用水路沿いの草地などで、カタツムリの仲間、オカモノアラガイが大量に発生し、農作物の一部に影響が出ている。 町は、農薬をまいたり、草を刈って日光を当てたりして、被害を防ぐよう呼び掛けている。 オカモノアラガイは、体長1-1・5センチ。

 オカモノアラガイがどんなものであるのか全く無知なので調べたら、本来は南方にあるものだが今は全国どこにも見られるもので、3種類程に分かれ、畑作への影響は大きいらしい。 サイトで見つけた映像を切り取り加工したものを次にアップした。
200508302.jpg
200508301.jpg

 Staff Room -エクステリア明日香-というブログ・サイトにオカモノアラガイ増殖中というページがあって、プランターの草花を食い荒らしていると、発見から対策への様子を伝えている。

2005年8月29日月曜日

すずらん通り

 映画を見終えた後に、古書街の一角であるすずらん通りを久しぶりに歩いてみた。 40年前は古書店と学生相手の食堂くらいしかなかったが、最近は古書店が少なくなり飲み屋などサラリーマン相手の店にかわりつつあるようだ。

【GPS情報】http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=1&lat=+35.69544&lon=+139.75810&fm=1






輝ける青春

 今日は、東京・神田神保町の岩波ホールへ映画を見に出かけた。 「輝ける青春」というイタリア映画で上映時間が6時間6分というトテツもなく長いもので、2時過ぎに30分の休憩をはさんで観賞した。
 映画は、若者の叫びのような曲 Animalsの The House of The Rising Sun から始まる。 内容は、1966年から2003年までのイタリアの一家族の歴史を淡々と描いているもので、長男のガールフレンドは女の子を産んだあとに「赤い旅団」の一員として活動したり、次男は大学進級に失敗し、軍隊、警察と職を変えるうちに自分の潔癖さか、自己を完成できないことに悲観し自殺。 そういった家族の悲喜交々がイタリアの美しい風景と共に描かれている。
 1960年代、日本でも大学紛争など反権力闘争があったが、そういった時代を共有するような雰囲気もあって、懐かしさも感じることができた。
 結論として、多種多様な人生の中で、 「あらゆるものが美しい」、という青春賛歌、しいて云えば人間賛歌であった。 「全てのものに意味がある」という聖書の言葉にも通じるのかもしれない。

【GPS情報】http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=1&lat=+35.69542&lon=+139.75785&fm=1






2005年8月28日日曜日

黒姫から発信のブログサイトを見つけた

 黒姫に暮らし始めて10年目の、日々の暮らしを綴っている「黒姫Time」というブログサイトを見つけたので、早速、黒姫発信ブログリンク集に追加した。
 ブログというのはいわば日記帳。 毎日の黒姫の様子が伝わってくるページが嬉しい。 既に掲載の「黒姫から」も黒姫の自然の様子がうかがえて楽しい。 自分も毎日キーボードの前に座って書きたいのだが、未だ身半分のハングロ状態ではそれもままならない。
 

2005年8月27日土曜日

宝井馬琴さんの講演

 一茶記念館からDMが届いた。 一つは、27日、本日行われる講座、もう一つは講談のおさそいである。
 一茶記念館講座は今年度4回目のもので、「一茶の文学性」と題して鶴見大学・山下一海教授が話される。 当初は行こうと思っていたが所用があってボツとなってしまった。
 もう一つの、「宝井馬琴講演会」は、9月10日14:40~16:00の開催で、
  ・山本周五郎作文芸講談 信州松代人情ばなし「糸車」
  ・講談「戦国武将に学ぶ人事と経営の心」 の二つが演目。
 個人的には後段の演目は相応しくないと思うのだが、なかなか講談というものに接したことがないので、聞いてみたいと思っている。 そのうち載るとは思うが、この講演会の開催について、一茶記念館、観光協会のサイトにも今のところ記載がない。 町民にはオフトークで知らされるのであろう。

2005年8月26日金曜日

秋葉原散策

 台風一過の晴天とはならなかったのだが、今日は少し時間が空いたので、数年ぶりに東京・秋葉原の電気街へ出かけてみた。 筑波エクスプレスの開業や市場跡ののっぽビル、はたまた今秋結婚される皇室の娘さんが住むマンションに近いとかで、最近の秋葉原はなにかと脚光を浴びている場所のようだ。
 そんなことはどうでもいいのだが、Unix系(Linux)のサーバーをたててみたいと以前から考えており、昨今中古PC市場が盛んだというので、サーバー運用に耐えうるPCと液晶ディスプレイを5万円そこそこで買ってきた。
買った品物を車に積み込む


【GPS情報】
http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=1&lat=+35.69937&lon=+139.76934&fm=0

 ついでにGPSの計測値を携帯電話からアップしてみたが、車を停めた位置が若干ずれているようだ。 これは電話機そのものの機能の限界なのであろう。



2005年8月25日木曜日

たまに帰宅した息子に思う

 海外に赴任している息子が会社の用事で一時帰国した。 帰国にあたって、日本の生活用品が欲しいとメールで知らせてきたので、せっせと揃えて帰る日を待っていたのだが、何時に成田空港に着くかも知れず、電話連絡もなく、気をもんでいる所にひょこっと顔を現した。
 帰った翌日早朝には仕事だと出かけ、仕事仲間や顧客と食事してきたと、帰宅は毎日殆ど夜中0時近くで、ゆっくり話す間もなく、週末には赴任地に戻ると言う。

 たぶん、本人の頭の中は、仕事のこと友達のことで一杯で、親などは空気のような存在になっているのであろう。 親が口をはさむ間はなく、親も僅かな時間の中で余分なズレやシコリを生じさせたくないと遠慮する。 自分達が息子の年頃には、嫁姑問題など色々な軋轢の中で、思い悩み、時として争ったり抗ったりしながら、今日の生活を完成させて来たのだが、息子など今の若い人たちが我々の世代になってきた時にはどんな風に感じるのだろうか。

 今の時代、親子も、夫婦も、希薄な関係になりつつある家族が非常に多いのではないだろうか。 そう思わざるを得ないような事件や事故が毎日多すぎると言えるほど起きている。 歳を重ねると、物事がこのように良く見えてくるのだが、逆に、その一つ一つを飲み込むだけの力は残しているものの、跳ね退かして新しい関係を作る気力も体力もないのが実状なのである。

 親を思う頃には親はなし。 自分達もそうであったかもしれない。 言い旧された言葉だが、人の世は、どんな文明社会になっても同じ事が繰り返され進歩がないのかもしれない。 

2005年8月24日水曜日

黒姫の花火のことで

 信濃町観光協会の掲示板に、7月の野尻湖花火大会以外に花火の打上がないかと質問があった。
 自分はあまり雑踏を好まず、未だ野尻湖の花火大会を見たことがないのだが、知る範囲でコメントを記載した。 そして、これに対し自分の知らない事がさらにアップされている。
 掲示板というのは、それぞれの方々の思いで記載されるものだし、情報というのは非常に流動的で、時々変わるものだけど、自分が意外と知らないこともあって大変楽しい。
 掲載された、7月の野尻湖花火大会の当日に働いていた役員方たちを慰労すると、9月の中頃に花火が上げられるというのは初耳であった。

 町や地域の人にとっては小さな情報だろうけど、こういう話がどんどん掲示されると、観光で来られる方々、別荘住いで来られる方々、皆さんがどんどん町の中に入り込んで来るのではないかと思う。 小さなソサエティーで黒姫をエンジョイするのではなく、町にもっと入り込むような、仮に呼ぶ、"第二町民"の存在は、黒姫ファンとして観光の担い手の一つにもなろうし、町へ新しい文化の風を吹き込むことにもなろう。 町の活性化というのは、そんな所にもあるのではないかと感じた。

2005年8月23日火曜日

信濃町で元開拓団長を偲ぶ会

 信濃毎日新聞に、信濃町で「元開拓団長を偲ぶ会」が開かれたと掲載された。
 8月15日の敗戦の日、靖国問題などが大きく取りざたされる中で、戦時中に辛苦を舐めた兵士や一般市民、開拓団に想いを寄せる議員、学者、報道関係者などは全くいない。
 そんな中で、信濃毎日新聞は、地域のこういった報道を必ずしており、その姿に敬意を表したい。 あの大変な時代を過ごした一人一人の個人に想いをはせることなく、往時の軍人や政治体制ばかりに一般の目が向いているのは、何とも哀しい思いがする。
信濃町で元開拓団長を偲ぶ会

 日中戦争中に旧満州(現中国東北部)に渡った北信の元義勇隊開拓団員でつくる「北信拓友会」は22日、信濃町出身で終戦時に現地で行方不明になった団長の北村武さんを「偲(しの)ぶ会」を同町の明専寺で開いた。旧満州で北村さんと生き別れた長女の美千子さん(66)=長野市=や元団員ら約40人が出席し、北村さんを懐かしんだ。


落葉美術館が終了

 大変残念な便りが届いた。 毎年11月3日、山桑の森の中で開かれている落葉美術館が終了するとのことである。 深い秋の訪れを象徴するこの落葉美術館は、この数年、開館を知る人が多くなり、大変な賑わいを見せていた。 主宰されてきた、平山さんご夫妻が体調を崩され維持できなくなったとのことである。 最近、展示される絵に新しいものが少ないように感じていたが、そういう事情があったようだ。 何か、秋の心に大きな穴が開いてしまったような感じである。
落葉美術館

 1989年に初めて開館したということなので、我々が初めて伺ったのは翌年の1990年、誰にもふり向いてもらえない落葉がこんなにも輝いているものだと感激したものであった。 その後、毎年伺うようにしていたのだが、最後となった昨年16回目の開館は残念ながら機会を逸してしまっていた。

 作品を描き続けなければならず、個人で継続するのには体力など色々な面で限度があろう。 黒姫の落ち葉を再び生き生きと見させてくれるような、例えば黒姫童話館の併設展示のようなことが出来ないのであろうか。 ご夫妻のあの"落ち葉"という宝を死蔵させてしまうのは、大変勿体ないものだと思う。

 平山ご夫妻様。 長い間、ご苦労さまでした。 そして、あの黒姫の落ち葉の輝き愛おしさを我々に教えて頂き有難うございました。 "便り"の最後に記されておりましたが、美術館を訪ねた多くの方々の心に黒姫の落ち葉が刻まれ、秋になればあの"落葉美術館"のことがきっと思い起こされることでしょう。 ぜひ、体調を戻され、あの作品たちに再びお会いできる日をいつまでもお待ちしております。

2005年8月22日月曜日

集客に励む夏のゲレンデ

 今朝、テレビニュースを見ていたら、コスモスが咲く見慣れた黒姫のゲレンデ映像が流れ、やがて集客用のパンフレット、そしてユリの花でゲレンデを埋め尽くしている白馬のゲレンデ風景が見えた。 しかし流れた映像時間はごく僅かであった。
 夏場の集客に"花"で頑張っているゲレンデだが、花の管理やリピーターを呼ぶノウハウなど、色々工夫をされているとコメント。 ただ、種苗業者など外部に頼っている所に、事業がもう一歩踏み出していないようにも思えた。
 以前、黒姫についても冬場より夏場の客の方が断然多いと聞いた。 入りの多い夏場でも、僅かな入場料とアイスクリーム程度の金しか落ちないであろう観光収入で、事業や設備を維持していくのは大変なことであろうといつも感じている。
 信濃町町内の観光施設が連鎖してお客さんを呼び込めればいいのだろうが、どちらにしてもスキー人口が減少する昨今、夏も合わせて稼がなきゃいけないゲレンデ営業は大変なことである。

2005年8月20日土曜日

マブソン・ローラン著「詩としての俳諧・俳諧としての詩」

 俳人・小林一茶の研究家であるフランス人のマブソン・ローランさんを知ったのは、昨年の11月19日一茶記念館で催された一茶忌の講演会の会場であった。
 お名前は、Laurent Mabesoone (ローラン マブソン)さんが正しいようだが、本書のみならず日本式(姓と名の順)にマブソン・ローランさんと表現していることが多いようだ。

 その後、俳句雑誌や新聞の文芸欄などでお名前が目に留まり、先日、書店でマブソンさんが纏められた著作「詩としての俳諧・俳諧としての詩」を発見。 早速、買い求め読み終えた。
 副題に、「一茶・クローデル・国際ハイク」と、帯に、「<クローデル没50周年記念出版>フランスの俳文学者である著者は、比較文体論を用いて日本の俳諧と西洋詩との本質的な共通性を明らかにする。」と推薦の言葉がある。

 俳句のハの字も分からず素人の域を出ないのだが、読後の感想をこれから記そうと思っている。
 なお、本書の主な内容は、

��005年4月23日 永田書房発行 ISBN4-8161-0705-3 C0095
一部 一茶俳諧の詩学
      一茶句の音調論
      「父の終焉日記」の文体にみる比喩表現
二部 クローデル晩年の俳諧的表現
      ポール・クローデルの「百扇帖」
      ポール・クローデルの「日本語短詩集」
      付1.一茶句試論
      付2.国際ハイクについて
著者略歴 (本書巻末より)
��968年 フランス・南仏タルヌ県出身
��001年 パリ大学大学院日本文学科博士課程修了
��004年 早稲田大学大学院教育学研究科、学術博士
��005年 十文学学園女子大学非常勤講師
��専攻)  比較文学、俳文学
��主著・
 論文)  おくのほそ道解釈事典(共著)
       一茶と句碑(共著)
       父の終焉日記の文体にみる比喩表現
       ポール・クローデルの「百扇帖」
       ポール・クローデルの「日本語短詩集」
俳号 マブソン・青眼

2005年8月19日金曜日

石川文洋さん写真展、23日まで

 信濃毎日新聞ニュースに「石川文洋さん写真展、23日まで」と記載があるのを発見。
 展示期間が前もって分かっていれば観たかったが、23日までではかなわない。 次回のチャンスを期待しよう。
 以下、記事から、
 戦争放棄をうたった憲法九条の改正に反対する「岡谷九条の会」は23日まで、中央町のイルフプラザで、諏訪市の報道写真家石川文洋さんの写真展を開いている。 テーマは「沖縄基地とアメリカの戦争」。 沖縄、ベトナム、アフガニスタンなどで兵士や民衆の姿を写した110点余が戦争の悲惨さを伝える。(以下略)


涼を詠む一茶うちわ

 今日の信濃毎日新聞には、「涼を詠む一茶うちわ 信濃町の記念館が公開」 と題した記事が掲載された。
 それによると、
涼を詠む一茶うちわ 信濃町の記念館が公開


 上水内郡信濃町の一茶記念館は、町出身の俳人小林一茶(1763―1827年)が自作のこっけいな和歌「俳諧歌」を書き入れたうちわ1本を入手し、11月30日まで一般公開している。 一茶研究家の矢羽勝幸・二松学舎大教授によると、一茶は掛け軸、短冊、扇子などに多くの句や俳諧歌を残しているが、うちわは珍しいという。

 記された歌は、「功成(なり)て身しりぞくといふを俳諧寺入道一茶 里々を涼しくなして夕立のひかりしりぞく山の外かな」。 成功を収めて隠居する人を、人々に涼しさを与えて消え去る夕立に例えたとされる。 晩年の作という。(以下省略)
涼を詠む一茶うちわ


久しぶりの青々とした空に黒姫が見える

 夏場は、雲や霧で黒姫山の姿を見ることができないのだが、今朝は青々とした空にくっきりと浮かんでいます。 でも、今日の天気予報だと午後から50%の降水確率だから、やがて雲間に隠れてしまうことでしょう。 今の気温は21度だけど、湿度74%。 今年はいやに湿度の高い日が続きます。 お盆が過ぎて、夏の行事はほとんど終りのようだけど、高原のコスモスはこれからが盛りですね。
8月19日早朝の黒姫山


2005年8月18日木曜日

GPS地図情報の機能追加

 jm@fooのサイトでGPS情報から位置をプラグインするツールが紹介されており、自分の携帯電話の機能を調べてみたら、現在地メールというGPS情報を送信してくれることが分かった。
 そこで試行錯誤を繰り返しスクリプトを改変し、やっとうまく動くようになった。 これが使えると出先で撮った映像に位置情報も加えてアップできるし、あとで場所の再確認にも使えて便利である。 以下の添付映像とGPS情報は携帯から送ったもので、これを元に下段に地図へのリンクが自動的に付加されてサイト公開されるのである。
 信濃町など地方の市町村では詳細地図がないのだが、おおよその位置関係は分かるであろう。


【GPS情報】http://walk.eznavi.jp/map/?datum=0&unit=1&lat=+35.34102&lon=+139.53231&fm=0


2005年8月17日水曜日

音頭と甚句

 盆踊り大会で、古間音頭と古間甚句が舞われると昨日書いたが、そもそも音頭と甚句の違いは何だろう?
 よく「音頭を取る」という表現が使われるように、「音頭」は、物事の先達のようで、辞書などにも、「大勢でうたうときなどに、調子をそろえるために、先にうたいだして調子をとり、みちびくこと」などと書かれている。
 それに対し、「甚句」は、「"神供(じんく)"の歌の意とか、"地(じ)の句"の意とか、また、越後国の甚九という人の創始になるから、そう呼ばれるようになった民謡だとか、説は色々。 主に、七・七・七・五の四句形式で、旋律は地方によって違う。 江戸時代の末ごろから流行した。」とある。

 これだけではよく分からないが、甚句の方が本来の踊りなのであろう。 古間の盆踊りで見聞きした限りでは、音頭の方が踊り易いのか、最初から踊られ、踊りの輪が熟した所で甚句へと移っていき、甚句を踊る回数はそれほど多くない。 古間甚句の節回しは更にゆっくりとした感じで、踊りの所作も緩いが故に一層難しそうで、我々には手も足も出ない。
��後日修正:主に踊られるのが古間甚句で、さらにテンポを落としたような唄と踊りが古間音頭。 盆踊りで古間音頭に変わると踊り手は急に減少するが、それほど難しいということなのだろう。)

 随分と昔だが、新潟のお座敷で芸者さんが舞う「相川音頭」を見たことがあるが、あれは勇壮で、踊る芸者さんもカッコ良く、何とも素晴らしかったという印象を持っている。

2005年8月16日火曜日

古間音頭と古間甚句

 黒姫の盆踊り大会は昨日で終わったが、古間では古間音頭と古間甚句が唄われ踊られている。 柏原でも同じように柏原音頭と柏原甚句があるようで(柏原小学校の運動会で一度だけ見たことがある)、唄声も踊りもともに同じようだが、喉の節回しや踊りの動作など細かい所では違っているようである。

  ○人情こまやか古間の里は   鎌と酒とで名が高い
  ○古間よいとこうちわはいらぬ  都殿御の夏すゞみ
  ○誰か来たようだ流しの外で   鳴いた松虫や音をとめた
 これは、古間音頭の一節だが、何とも優雅な雰囲気を漂わせている。

 以前、古間音頭と甚句を五線譜に落とした案内が町内に配られたことがあり、映像ともども我がサイトに掲載している。 映像からスクリーンセーバーも作ってあるので興味ある方はご覧願いたい。

2005年8月15日月曜日

盆踊り大会は無事に開催か?

 今夏は所要があって黒姫を不在にする日が多く、お盆の前後も訪ねられないでいる。 柏原や古間の盆踊り大会は例年13日~15日開催されていたが、年々参加者が少なくなると昨年から14日~15日と二日のみになってしまった。 加え、この日々は意外と雨降りが多い。 今日も夕方雨が降っていたが、雲間から陽も射していた。 結果、7時からの盆踊りは開かれているでのであろうか、傍に居ると音頭の唄声が聞こえても、なかなか重い腰をあげないのだが、遠くに居ると気になってしまう。
本日夕方の黒姫


2005年8月14日日曜日

六十年前

 昨年の一茶忌に、一茶記念館で行われた「一茶と山頭火」と題した講演会で、句会「海程」を主宰されている金子兜太氏のお話しをうかがったが、今日の日本経済新聞朝刊の文化欄には、この金子さんの「六十年前」という文章が記載されていた。

 金子さんは、六十年前の8月15日には、ミクロネシアのトラック島に、土建部隊と称しているが施設部隊員として在島していたとのこと。 何もない島での慰めでもあったのであろうか、隊員達と俳句会を開いていたらしい。
 日本銀行を定年まで勤め上げた方が、何故句会を催されているのか不思議であったが、そんな時からの積み重ねがあったんだと初めて知った次第である。
 加え、金子さんを紹介するサイトを見つけ、経歴を見させていただいたら、お父さん譲りだということも分かった。

2005年8月13日土曜日

井上ひさし作 「小林一茶」 上演

 作家井上ひさしさんが率いる「こまつ座」が、15年ぶりに「小林一茶」を上演するとのことである。 上演期間は、9月8日~25日。 場所は、東京・新宿の紀伊國屋サザンシアター。 詳細は、こまつ座のサイトへ!

 これまでも、田辺聖子の一茶とか、西田敏行主演の一茶とか、舞台や映画があったが、どれも一茶の一面を極端に増幅しているようで見る気にならなかった。
 この舞台も、江戸の一時点を見ているだけなので、どれだけ一茶像を見せてくれるか分からないが、ポイントは別にあるようなので、逆に戯曲としての面白さはあるかもしれない。
「十両盗っても首が飛ぶ」文化七年(1810)。 江戸蔵前で発生した金四百八十両の盗難事件。 その容疑者として捕らえられたのは俳諧師の小林一茶。
 容疑者一茶の身元調べにあたるのは、新米の同心見習い五十嵐俊介、もとは狂言作者。
事の起こりは五日前、文化七年(1810)十一月三日。蔵前札差井筒屋八郎右衛門の寮から金四百八十両が紛失した。井筒屋は札差の大店、当主八郎右衛門はまたの名を夏目成美という遊俳で「江戸の三大俳諧師」と称される大立者である。事件発覚の前日、成美は紅葉見物へ出かけて留守、その留守中に大金が消え失せた。以来、今日まで金子の行方はようとしてしれない。
 が、容疑者はいる。
日ごろより成美の寮に出入りして成美の庇護を受けていた男。
柳橋に借家を持ち俳諧を飯のたねに旅から旅へ渡り歩いていた男。
そして、事件当日江戸に戻り留守中の成美の寮へ姿をあらわした男。
 小林一茶。
物証はないが他にあてもない。そこで知恵をめぐらす同心見習。捜査の基本はひとつ。
「犯人の立場になって考える=自分が犯人になってみることだ!」
かくして、吟味芝居の幕が明く。五十嵐自ら主役をつとめ、疑惑の男の半生を演じ、白黒裁きをつけようというこの芝居。はたしていかなる真実がかくされているのか。

2005年8月12日金曜日

日航機事故20年

 羽田を飛び立った大阪行き日航ジャンボ機が群馬県上野村山中に墜落して20年が経っていると、今日は追悼行事などが報道されている。 20年前の午後6時過ぎ機影がレーダーから消え、墜落位置も特定できずにいるというニュースに、自分自身がどんな思いで聞いていたか定かな記憶もない。
 ただ、墜落直後、既に位置を把握していたアメリカ軍の協力を、建設省か自衛隊かは分からないが、断ったことで、救援活動が極端に遅くなり、結果、生存者が少なくなってしまったという、後に報道されたニュースは覚えている。

 さて、黒姫には1989年から通い出したのだが、1999年秋に黒姫に向かう際、今日は時間があるからと、途中で高速道を降りて、狭山、飯能、名栗村、秩父を通り、中里村、上野村から佐久へ出るコースをたどったことがある。
 上野村を通る時に、この日航機事故のことが思い出され、墜落した御巣鷹山はさらに30Km先とのこと、山登りにもなるため到底行けないと、村の中にある「慰霊の園」に参った。
 10月中旬、週末であっても、誰も訪ねることのない慰霊の園は、寂しく、寒々しい雰囲気が漂っていた。 入口に事故や救出の状況を写した写真などが展示されていたが、亡くなった乗客500余命ばかりでなく、家族の方々などの、悲しみに溢れた魂が、この地に漂っているようで、早くこの場を去りたい気持にかられてしまった。

 事故当時の救出作業は、山間部のため困難を極めたろうし、犠牲者は藤岡市へヘリコプターで搬送したとのことであった。
 丁度、間もなく"お盆"の時期。 弔いに家族や会社の方々も、この地を訪ねているようだが、ざわざわしたこの時期を避けて、季節外の静かな時期に訪ね、あの事故のこと、被害を受けた人々のことをじっくり考えれば、もっと犠牲者の思いを感じることができるのではないかと思う。 また、当時の上野村村長をはじめ、村全体の協力も忘れてはならないであろう。
 今日の日経新聞夕刊には、慰霊の園の運営に年間1500万円の費用がかかるが、寄付に頼る財団の資金運用は大変難しいと書いてあった。 これまでのように一寒村に多大な負担を強いるのは、やがて行き詰まりになるであろう。 何らかの公的な対策が望まれる。

2005年8月11日木曜日

今朝の一曲 "Irish Ways & Irish Laws"

 アイルランドの現代音楽の大御所的存在であるドーナル・ラニーは、1947年ダブリン近くのニューブリッジという町で誕生したとのことだから、今年で齢58ということであろう。
 ドーナル・ラニーは若かりし頃、プランクシティ Planxtyやムーヴィング・ハーツ Moving Heartsというグループを結成し音楽活動を続けてきたが、最近はプロデュースを中心に活躍しているとのこと。 時々、復刻版CDを買い求めて、往時の彼らの活動に触れている。
 まだ、これらのグループ時代の知識を持ち合わせていないのだが、この"Irish Ways & Irish Laws"では、クロムエル(英国人)がやってきて家を焼き払い穀物を盗んで行ったが、アイルランド人は自分たちのやり方で、これらに屈服せずに生きて来たと謳っている。
- Irish Ways & Irish Laws - Moving Hearts Lyrics


Once upon a time there was, Irish ways and Irish laws
Villages of Irish Blood, awaking to the morning, awaking to the morning.
Then the Vikings came around, turned us up & turned us down,
Started buildings huts and towns,
They tried to change our living, tried to change our living.
Cromwell and his soldiers came, started centuries of shame,
But they could not make us turn,we are a river flowing, we are a riverflowing.
Again, again the soldiers came, burnt our houses, stole our grain,
Shot the farmers in their fields,
Working for a living, working for a living.
Eight hundred years we have been down,The secret of the water sound,
Has kept the spirit of a man,
Above the pain descending, above the pain descending.
Today the struggle carries on,I wonder will I live so long,
To see the gates being opened up,
To a people & their freedom, a people & their freedom.
Once upon a time there was, Irish ways and Irish laws
Villages of Irish Blood, awaking to the morning, awaking to the morning.


 ユニオンジャックが、征服・奪略を繰り返す中でIRAなどの過激組織が生まれたのは当然の成り行きだ。 1900年初頭に作られ、後にアイルランド国歌になったという歌の詩(元はゲール語)を日本語に訳したものを下記に残した。 読んでいくと、アイルランド魂というか、我々日本人にはない底力を感じて、"何ともスゴイ!"の一言である。
兵士の歌

我らは歌う、兵士の歌を
元気づける熱狂的なコーラスで
燃え上がる炎の周りに群がって
我らの上には満天の星
これからの争いを待ちきれず、
夜明けの光を待ちながら、
夜の静けさの中、ここで、
我らは兵士の歌を歌おう
コーラス:我らは兵士
その命をアイルランドに捧げた
波の彼方の国から
やってきた者もいる
自由を誓え、
もはや我らの父祖からの土地に
専制君主も奴隷も残させない
今宵我らは危険な崖に臨む
エリンのために、不幸か幸福か
「真ん中の大砲」がうなり、ライフルが響く
我らは兵士の歌を歌う
緑の谷に、、そびえ立つ岩山に、
祖先は我らに先立って戦った
そして征服したのは同じ旗のもと
我らの上に誇り高くはためく
我らは戦いの民族の末裔
いまだかつて恥をさらしたことはない
そして我らは進軍する、敵の面前に、
我らは兵士の歌を歌おう
コーラス
ゲールの子たち! ペイルの人たち!
長らく待望した日が明ける
イニシュフェイル(アイル)の密集隊形は
暴君を震えさせるだろう
我らのキャンプファイアーは今低く燃えている
見よ、東に銀白色の光、
敵サクソン人をはるか待ち受ける
さあ兵士の歌を歌え
コーラス

タイトルを変更

 本ブログサイトのタイトルを「黒姫高原・はんぐろ日記」に変更した。 従前の「はんぐろ日記 自宅鯖版」は自宅に置いたサーバーに引っ掛けて"自宅鯖"と奇をてらったもので、個人的な興味の域を出ていないし、よそ様が見たら分かり難いであろうと、この表現を使うことを止めることにした。

2005年8月10日水曜日

今朝、停電発生か?

 このウインドウの右側にある黒姫高原リンク集の最上段に表示している黒姫山NetworkCameraだが、朝6時から夕6時まで表示するようにしている。 それ以外の時間に選択した場合には、日中の抜粋映像を表示しているのだが、今日の映像は一つしか出ていない。
 カメラ・サーバーの中には、1日半ほどの映像を蓄えるようにしているのだが、停電になるとこの記録が消えてしまうのである。 停電復旧後、1から記録しはじめるので、フルに見えるようになるには2日ほどかかってしまうことになる。

天気予報コムの無料リンクの利用を開始

 天気予報コムの無料リンクを利用し、右サイドに全国の天気を掲載した。 地域を選ぶと別ウインドウが開き、更に詳細な情報が表示される。 この天気図は、本ページを開くたびにサイトへ天気データを取りに行くので最新の情報が表示されるというメリットがある。
 従来から利用している天気概況については、長野県・北部のみを残している。 この天気概況の天気画像にマウスポインタを置くと、更に詳細な文字情報を表示することになっているが、何故かうまく表示してくれない。

2005年8月9日火曜日

小田急電鉄の特急ロマンスカーが長野を走る

 今日のアサヒ・コムは、小田急電鉄の特急「ロマンスカー10000形」が、長野県内の長野電鉄で第二の人生を送ることになったと伝えている。
 長野電鉄のトップにも、「ロマンスカーの11両編成から4両編成に改造し、2006年秋を目指し、千曲川沿いに長野~湯田中間を結ぶ特急車両として運行する計画で、当面、現在の小田急ロマンスカーの外装を引き継ぐ」と掲載されている。 長電は、さらに東京急行の田園都市線で走っていた車輌を購入するなどサービスの向上を図る計画らしい。
小田急ロマンスカー

 10000形は1987年にデビュー。 展望のよいハイデッカー車として、新宿から箱根への足として活躍したが、今春の新車登場で廃車予定であったとのこと。 ロマンスカーには、昔から一度は乗ってみたいと思っていたが、未だ果たせずにいる。 湯田中に行く時にでも乗ることにしよう。

 因みに、小田急ロマンスカーは、7000形から50000形まで5世代にわたっているとサイトにラインナップが載っている。

��980年12月デビュー
7000形

��987年12月デビュー
10000形

��991年3月デビュー
20000形

��996年3月デビュー
30000形

��005年3月19日デビュー
50000形

コスモス園のライブカメラが休止中?

 7日(日)朝からコスモス園の映像が配信されず、メンテナンスかスイッチの入れ忘れなのかなと単純に思っていたら、信濃町観光協会の掲示板には6日(土)夕方に落雷があったようだと掲載があった。
 コスモス園のカメラは、当サイトで使用しているカメラと同じようにサーバー機能が組み込まれたもので、直接でないにしろ近くで落雷があれば、サージ電流が流れ電子回路はひとたまりもないであろう。

 当サイトでも、2000年秋から黒姫山のカメラ映像配信を続けているが、色々なネックにぶつかり試行錯誤を繰り返していた。 その中でも、落雷などによる停電が一番困った。
 今は、無停電装置(UPS)を置き、映像配信用のPCもノート型にし短時間の停電ならこなせる態勢にはしている。 しかし、去年だったか半日にも及ぶような長い停電ではなす手がない。 映像配信なんて、どうでもいいようなことかもしれないが、一人でも関心を持っておられるなら、やはり安定した運用をしたい。

 コスモス園のライブ映像は、皆楽しみにしていることだろうし、お客さんを引き込む有効な手段だと思うので、映像配信が早く復旧されることを願っている。

2005年8月8日月曜日

大自然と暮らす!

 昨夜、テレビ東京で放送された「大自然と暮らす!沖縄VS北海道 住むならどっち?!」という番組を見た。 安上がりの旅番組やグルメ番組はあまり好まないのだが、自然の中で暮らしている人々には興味がわくし、手造りで人生をエンジョイしている姿には共感できるものが多い。

 この番組の最後の紹介で、北海道・知床に住む藤崎さん一家を見た。 昨年2月、知床へ行った時、藤崎さんには大変お世話になり、「流氷ウォークでのクリオネ発見」、「雪中行軍のあとのオシンコシンの滝」、「西洋カンジキを履いて彷徨った森の静寂」など、新鮮で楽しい体験をいくつもさせていただいた。
 

ブログに発信中の藤崎さん


 藤崎さんは、知床ナチョラリスト協会を立ち上げ、知床のガイドを生業にしているが、その活動は幅広い。 私がブログというホームページ作りに興味を持ったのは、旅行中に藤崎さんが携帯電話からブログに写真をアップしている姿を見てからである。

 

 あの時は町営住宅に住んでおられたが、この番組で、知床の自然に抱かれた新しい家を作られたと知り、何とも素晴らしい自然家族の生活を具間見ることができた。 知床を居住地として選ぶ前には、「黒姫」も選択肢の一つになっていたようだし、遠戚の方が「黒姫」の近くでペンションを経営しているとも聞いたので、将来黒姫の地に足を踏み入れることもあるかもしれない。

 "自然に恵まれた大地、北海道。 青い海に囲まれた南の島、沖縄。誰もが一度は住みたいと夢えがく北海道と沖縄に実際に移り住み素敵なスローライフをおくる人々に密着する。" と、サブタイトルがついた、この番組を紹介するサイトから、藤崎さんに関する文章を次に転記した。



世界遺産の知床で森に囲まれて暮らす <北海道>

 結婚を機に東京から知床に移住して10年となる藤崎さん一家。 夫(35)の仕事は、大好きな土地・知床の観光案内をする会社「NPO SHINRA」の代表。 知床が世界遺産に登録されたことを受けて、観光客も増え、一層忙しい毎日を送っている。

 そんな藤崎さんの自宅は森の中の一軒家で、夫婦のアイディア満載のユニークな作り。 大きな窓に貼られた鳥の絵や、2つある階段など、随所に手作りの温かさが感じられる。

 休日になれば、自宅裏の川でヤマメ釣り、ちょっと足を伸ばせば、そこに広がる海でのサイクリングや石拾い、冬になればスキーと、遊びながら自然と触れ合える環境の中で、かわいい3人の子供をのびのびと育てている。 近所の人が集まれば外でバーベキューパーティー。 にぎやかな中でのバーベキューの味は最高。


田舎 - 漢語では元来、田地と家

 昨日の日本経済新聞に「漢字コトバ散策」と題して、「田舎」について書かれた文章が載っており、なかなか面白いと思い追記欄に掲載した。
 「田舎」とは、文字とおり田畑と家ということであろうが、都会の人間が都会から地方を見た雰囲気があり、田舎-私の場合は「黒姫/信濃町」なのだが-の中にいる時には、この言葉の中に何か都会の優位性を含んでいるようで、「田舎」という言葉を発するのが憚られる。

2005年8月7日・日本経済新聞朝刊「漢字コトバ散策」(中国古典学者 興膳 宏)より
 (前段 省略)
 「いなか」とは、もと都から離れた地のこと。 「田舎」と書くが、「田舎(でんしゃ)」は漢語、「いなか」は和語で、元来は別の語である。 いつのころからか両者が融合して一つになった。 いま中国語で「田舎」とは「郷下(シャンシア)」といい、「田舎」では通じない。
 「いなか」は、すでに『万葉集』に見えている。 「昔こそ難波ゐなかといはれけめ今都引き都びにけり」。 藤原宇合(ふじわらのうまがい)の歌で、「ゐなか」は「居中」と記される。 平安時代の『伊勢物語』や『源氏物語』でも、やはり「ゐなか」 「ゐ中」などと表記されている。 『伊勢物語』では、つい先年まで都のあった長岡(長岡京市)も、「ゐなか」といっている。
 「田舎(でんしゃ)」も古い漢語で、元来は田地と家のことだったが、やがていなか家(や)を意味するようになる。 陶淵明の「癸卯(きぼう)の歳(とし)始春、田舎に懐古(かいこ)す」と題する詩は、まさに「いなかの家」のことだし、杜甫にも「田舎」の詩がある。
   田舎 清江(せいこう)の曲(くま)
   柴門(さいもん) 古道の旁(かたわら)
 この「田舎」は、杜甫が安禄山の乱を逃れて成都郊外に立てた草堂(そうどう)のことである。「田舎」からは、こうした具体的な形を持つ家がイメージされるが、李白の「秋浦(しゅうほ)の歌」にはやや違った使い方が見られる。
   秋浦 田舎の翁(おきな)
   魚(うお)を採りて 水中に宿る
 これは「いなかのじいさん」のことで、いまの「田舎」にずっと近づいている。
 この間、東京で寄席をのぞいたら、噺家(はなしか)がいっていた。 「あたしの田舎は電車一本で行けるんですよ。 エエ、九州の博多なんですけどね」。 田舎はますます都から近くなった。

2005年8月7日日曜日

野尻湖一周遠泳大会

 野尻湖一周遠泳大会は、例年8月の第一日曜日に開催されているとのことだが、水泳はあまり得手でないので今日開催されていたことに全く気がつかなかった。 主催が野尻湖游泳協会となっているが、信濃町観光協会のサイトに掲載されていたか記憶がない。
 今回は79回目だとか、野尻湖は全国を見回しても一周を泳げる数少ない湖水らしい。
 定員200名のところ、126人が参加し、1周約10キロのコースに挑み、岸に上がっての途中の昼食をはさみ、約6時間かけて殆どの参加者が泳ぎきったとのこと。

ペットを遊ばせる場所は

 黒姫に通いだした頃、大型のハスキー犬を飼っていたので、ワゴン車の荷室に場所を作って乗せて、よく行き来した。 事故で車が使えなくなった時は、長野でレンタカーを借り、その後席に乗せて息子が面倒を見ていたこともあったし、黒姫では鎖を外して遁走、ご近所に随分と迷惑をかけたこともあった。
 最近は、ペットと一緒に泊まれる宿泊所も増えたようで、昨年、黒姫ゲレンデの駐車場脇に犬を遊ばせる場所も出来た。

 昨日だったか信濃町観光協会の掲示板にペットと一緒に入れる施設がないか問い合わせのアップがあった。 犬を遊ばせる黒姫ドッグランパークのことを思い出したので、早速、サイトをのぞいたのだが、今年の営業は休止しているとのことである。
 ペットを飼う人口が多いとはいえ、商業施設として運営していくのは困難な問題があるのであろう。

 ところで、このサイトだが、私が開設している黒姫高原コムのページから写真をダウンロードし、無断で、あるいは、借用のアナウンスもなくそのサイトで利用している。 個人が撮ったものだし、誰でも撮れる映像なので杓子定規のようなことは言いたくはないが、無断というのは気持ち悪い。
 自分も色々なサイトのアイコンや映像を借用しているが、無償とされているもの、商用サイトでそちらへ誘導するであろうもの(例えば、コスモス園や野尻湖のライブカメラ)に限定したうえ、新聞記事などは引用形式にするほか、出典元を必ず明示することにしている。 インターネットは公開が前提であるが、信義は守りたい。
 なお、奇特な方はいないかもしれないが、掲載映像で縮小ではなく原画が欲しいという方へは、依頼があれば配布することにしている。

2005年8月6日土曜日

松本・神宮寺で恒例「いのちの伝承」

 松本市浅間温泉の神宮寺の高橋住職は、先の大戦で無くなった兵士達の遺骨蒐集などをご自分で行うなど、「人のこころやいのち」について精力的に活動されている方である。
 寺院の場所がなかなか寄れる所でないので、未だ訪ねたことはないが、寺で発行している季刊誌「僧伽」は購読している。


 今日の毎日新聞には、この神宮寺で丸木夫妻の「原爆の図」が展示されていると報道。


 戦後60年が節目なのか分からないが、今年はいやに戦後が喧伝されているように思う。 過去の歴史に対し色々な意見はあるが、やはり事実を直視する必要はあるし、今という時点ではなく、平和思想もなく情報も知識もない時代に立って考えることが大事だと思う。
 人は誰でも、自分の欠点や汚点、短所などは隠したいもの。 しかし、過去に起きた事実を現在生きる人間によって隠蔽したり書き換えたりしては決してならない。


 先日、エノラゲイの報道の中で、アメリカの殆どの学生が、広島への原爆投下は戦争を終了させるためには有効な手段であったと言っていたが、広島の惨状を伝える写真を見たら、驚き、言葉を失い、悲しい表情をし、どのように理解すべきか戸惑っていた。
 この春、短い韓国旅行をしたのであるが、見学の先々で日本軍侵略に触れる説明はあるし、公園の記念碑などにも抗日運動のことが多く描かれていた。 その場に立つと、地元民の視線も矢のように感じられ、居たたまれないような、どうしようもない想いに苛まれてしまった。
 靖国神社をはじめ、先の戦争を正当化しようとする人、書籍、組織等々沢山あるが、侵略の対象となった中国や韓国にあるであろう、博物館など先の大戦を伝える場に立って、我々の先輩達が何をして来たか、彼らも我々も、一人一人の市民にとってどうであったか、もう一度考え直す必要があろうと思う。
 一人一人の"こころ"に思い至る時、安易な判断や理解はできないはずだ。 少なくとも、我々の子孫が再び同じ"悲しみ"を味わうような過ちを、今生きている我々は決して繰り返してはならない。


 Don't Fake!



原爆:丸木夫妻の作「原爆の図」展示--松本・神宮寺で恒例「いのちの伝承」 /長野

 本堂に展示されている「原爆の図」の第3部「水」=松本市浅間温泉の神宮寺で 松本市浅間温泉の神宮寺で、広島、長崎で被爆し亡くなった人を追悼する恒例の「いのちの伝承」プログラムが始まった。水墨画家の丸木位里(いり)、油彩画家の俊(とし)夫妻が共同制作した連作「原爆の図」が展示され、多くの人が訪れている。

神宮寺に展示の原爆の図


 「原爆の図」展示は高橋卓志住職(56)が98年に始めた企画で、今年で8回目。今回は全15部ある作品のうち、被爆した人々が水を求めてさまよう姿を描いた第3部の「水」と、主婦が始めた原水爆禁止を求める署名活動を表した第10部の「署名」が展示されている。


 反戦美術として丸木夫妻の作品は広く知られるが、夫妻の作品を展示する丸木美術館(埼玉県東松山市)の入館者数は年々減っているという。高橋住職は「社会は平和ボケしている。不条理な死を迎えなければならなかった人に思いをはせてほしい」と話す。


 「原爆の図」展示は7日までの午前9時~午後5時。5日午後6時半からは、パーカッション奏者の長屋和哉さんとモンゴル僧による法要コンサートが開催される。いずれも入場無料で、コンサートは要予約。問い合わせは同寺(電話0263・46・1611)へ。【反橋希美】


毎日新聞 2005年8月5日


2005年8月5日金曜日

天気予報データ取得スクリプトのこと

 ウインドウの右側に表示している長野県・北部と新潟県・上越の天気予報はどうにか表示できるようになった。 ただ、上越の方は何故か中越のデータを取得して表示する場合もあるようだ。

 もともとのデータは気象庁のサイトにある週間天気予報情報をXML形式で配信されているサービスを利用しているものである。

 このサービスを利用するスクリプトをメインページに組み込んでいるのだが、毎日提供データを取得するためには、サーバーの方に更新用スクリプトを組み込まなければならず、そちらの動作の精度も要求されることとなり、断片的な知識でページを飾るのは容易なことでない。

2005年8月4日木曜日

夕焼けの中の黒姫山

 先ほど、何気なく自前の黒姫山ネットワークカメラを見たら、黒姫山にたなびく雲に赤く陽がさして、何とも綺麗な情景でした。 実際の景色を見れればもっと良かったのですが、ちょっと喜び勇んで写真をアップしてしまった。
8月4日18時57分の黒姫山


8月4日19時06分の黒姫山


梅干

今年の出来はどうだろうか?



2005年8月3日水曜日

早取りリンゴを赤くして販売とか

 黒姫では気候の関係であろう、リンゴが植えられているのは、牟礼村に近い地域などわずかで、主たる産地となると近隣では三水村である。 で、そのリンゴだが、9月あたりからそろそろ市場に出て来ると思われる。

 ところが、今朝、テレビのニュースを見ていたら、熟す前の青いリンゴを取って平面に並べ、水掛けと日照を繰り返すと4~5日で真っ赤なリンゴができあがり、早期に市場に出荷できるとのことである。
 信州のどの地域で行われているのか確認できなかったのだが、木に生っている状態で熟すのではなく、果実の正確を逆手にとったような形で見かけだけ赤くする所作に疑問を感じた。

 味とか糖度などがどうなのかは分からないが、早取りしたリンゴが新鮮で美味しいとは到底思えない。
昨今、ハイブリッドなど遺伝子組み替え野菜や果物が増えているようだが、浅はかな人間の工夫は先々で大きな問題になるのではないだろうか。 アスベスト被害などは何十年前から危険性が指摘されていながら、今まで何の対策もされていなかったのは周知の事実である。

お天気情報が更新されていない

 このページでは、長野県北部と東京の天気概況を表示しているのだが、利用させていただいているhttp://www.drk7.jp/MT/の更新が昨日から処理されていない模様。 取得スクリプトのバージョンアップなどがあったので修正しているうちに気がついた。 そのうち更新されると思うので、こちらのサイトでもしばらく待つことにした。

2005年8月2日火曜日

窪島さんの表情を見て

 昨日、戦没画学生を特集したNHK教育テレビの番組のことを書いたが、あの番組の中で無言館館主窪島誠一郎氏のお姿を初めて拝見し、氏の目の輝きや顔の表示に魅了された。
 そして、あの輝きを以前にも見たことがあるなと、自分の細い記憶をたどってみたら、今朝になってプロスキーヤーの三浦雄一郎さんが思い出された。 100歳になられたか、お父様もすごい生き方をされているが、雄一郎さんも70歳を越えて、あくなき挑戦をされている。
 年齢や分野、立場を越えても、人生の目標を持ち、常にご自分に挑んでおられる姿には共通性があり、窪島さんも三浦さんも同じように溌剌とした元気な表情をされている。 ともに、大きな感銘を受けられる方々だし、ぜひ、師として仰ぎたいものである。

2005年8月1日月曜日

戦没画学生、カンバスに込めた青春の思い

 昨日、NHK教育テレビで放送された「新日曜美術館 ~ 戦没画学生、カンバスに込めた青春の思い」を見た。 自分には全く絵心もなく、美術作品を愛でる方法も全く知らないので、美術や芸術関係の番組は殆ど見ることがないのだが、「戦没画学生」という言葉に、長野県上田市にある「無言館」をテーマにするのであろうと、つい一週間前にも訪ねてきたばかりであったので、テレビのスイッチを入れたのであった。

 無言館を訪ねる人は、あの時代にあって忌まわしい戦争に翻弄された学生達に哀しい思いを懐き、"戦争がなかったなら"というふうに感傷的になることであろうと思う。 館内の入場者のそれぞれの顔を具間見ると、どの人も真剣な表情で作品を直視しているからである。
 先日、この無言館前にある碑文にペンキが塗られるという悪戯があったが、そんな悪戯をした人にも、この場所が先の大戦を否定する"非戦や反戦の場"だという認識があったためであろう。

 この番組の中で、山田洋次監督が、「あの戦争が1年でも早く終わっていたら、ここに飾られている画を描いた学生達は生きながらえていたろうに」というふうに言われた。 その言葉通りであり、誰も思うことでもある。
 しかし、全国を駆け巡り、戦没画学生の作品蒐集に奔走された窪島誠一郎氏は、「あの時代の画学生は青春を生き抜いたのだ」と言われた。 確かに反戦の思想もあろうが、「ここは画学生が今でも生きている青春の場所」だという言葉に、何か新しい発見や認識があったように、胸に衝くものを感じた。
 まぁ、NHKという政府のプロパガンダである以上、特質した意見を出さないことを念頭に置いているのであろうが、それにしても、無言館の存在の意義を新たに知らしめた言葉であった。
 最近は、若い人々の来館が多いとのこと。 団体旅行のついでに入場した年寄りが出口で払う入館料を避けて正面から出て行ってしまうことに怒りや悲しみを感じていたが、それ以上に若い人々が来てくれ、我々の同胞に心を寄せる姿に、日本の将来に一類の希望を感ずることができるものである。
 無言館には、これまで3~4回訪ねているのだが、この次にに訪ねる時には、窪島氏が言われた「彼らの青春の作品に会う」気持ちでいようと思う。 それにしても、窪島氏のキラキラした眼差しに、何か日本人への優しさや深い愛情を感じた。 "こころ"を大事にする気持ちが、物事の原点であろうと、窪島氏の表情を見て強く感じたのであった。
 NHKのサイトにあったこの番組の紹介文を次に残した。
新日曜美術館 「シリーズ 戦後60年 (3)
    ~戦没画学生、カンバスに込めた青春の思い」 前9・00~10・00 (再)後8・00~9・00
 「あと5分、この絵を描かせてくれ。小生は生きて帰らねばなりません。絵を描くために......」
太平洋戦争中、多くの若い命が戦地に駆り出され、戦場で消えた。
その中に、生きて帰って再び絵を描くことを望みながら死んでいった、400人近い画学生たちがいた。
 戦没画学生の作品を集めた美術館として1997年に開館した「無言館」(長野県上田市)には、58名、600点近くの作品と遺品が収蔵されている。勉強途上で戦地に追いやられた彼らの作品は、どれもが未熟な習作ばかりである。しかし、未完だからこそ、プロの画家には見いだすことのできないインパクトがある。彼らは残された、わずかな時間の中で、自分が最も大切だと感じるものを描いた。父、母、妻、友......。それらの絵からは、キャンバスと絵筆によってしか、自分が生きた証を残せなかった彼らの、不器用なまでの「生への希求」をうかがい知ることができるのである。
 今年、無言館では戦後60年を記念して、作品・遺品の調査整理が進み、未公開作品の展示が行われている。「人にとって一番大切なものは何か」、番組では、絵画作品を中心に、手紙・写真・遺族の証言などを通して、戦争に直面した画学生がどう悩み、どう生きたのかを掘りさげたい。
●最後の瞬間まで、一番大切な人を描きたい
 無言館には、家族、恋人など愛する人をテーマにした作品が多い。東京美術学校を卒業した中村萬平は在学中にモデルをつとめてくれた霜子と結婚。出征直前に描いた作品『妻の像』には、萬平の「最愛の妻を描くのはこれが最後になるかもしれない」という思いがあふれている。霜子は身ごもっていた息子を出産するが、彼女は半月ほどで病死。妻の死を戦地で知った萬平は、満月を仰ぎながら泣いたことが手紙に記されている。その萬平も半年後に戦死。この絵は、萬平が霜子と息子に残した、唯一の愛の証となったと、息子の暁介さんは語る。
●60年前と今をつなぐ「青春美術館」
 無言館がオープンしてから8年。来館者からのさまざまな反応が感想文ノートに記されている。「これで戦没者が救われる」と歓迎するもの、「遺族の心情を利用した客寄せ商売だ」と非難するものなどさまざまだが、その中に大学生の印象的な言葉がある。「過去を忘れて生きてきた自分を恥じます。そして、自分はこの幸せな平和な時代に何をして生きていったらいいか考えようと思いました」。無言館は、20代で戦死した若者たちの自己主張がみなぎる空間であると同時に、現代の若者たちの生き方にも訴えかける「青春美術館」なのである。