お知らせ

お知らせ

*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*the world is coming to an end*



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

2005年10月31日月曜日

一茶記念館だよりが届く

 一茶記念館から記念館だより11号が届いた。
表面は、10月から展示されている小林一茶原画展について、裏面には19日に開かれる小林一茶百七十九回忌全国俳句大会の詳細が記載されている。

 中折りには、常設展示の新資料のこと、親子俳句ラリー北国街道歴史散歩などについて書かれている。
 10月16日に行われた北国街道歴史散歩には参加できなかったが、ウォーキングガイド「一茶と歩く北国街道・歴史散歩」を作成し販売を開始したと記載があった。 できれば善光寺・牟礼間とか、関川・柏崎間とかも含めてガイドがあれば、自分としては嬉しいのだが、それは無理な要望であろう。 とりあえず旧街道の面影を残す、信濃町内の街道をこのガイドを参考に歩いてみたい。

(旧徒然日記から転記)



2005年10月29日土曜日

冬支度が進む黒姫のゲレンデ

黒姫高原スノーパーク

 2週間ほど前に閉園したコスモス園は、コスモスが全部刈り取られ、ゲレンデへの準備が着々と進んでいるようで、ゲレンデのライブカメラはその今を伝えている。

 先日、初冠雪した黒姫山だが、この次はいつ頃であろうか。 3日の文化の日には、組のカヤ刈りが行われるが、その作業の合間に雲の間から冠雪した頂を望めたこともあった。

 ところで、秋の黒姫の締め括りの行事の一つであろう、落葉美術館が今年から開かれなくなったのは大変残念だ。

(旧徒然日記から転記)



2005年10月20日木曜日

ブログ用PCがダウン

 ブログ・システムを動かしているPCがダウンしてしまったため「黒姫高原 はんぐろ日記」が見られない。
 MovableType以外のブログ・システムを試用してみようと、あれこれPCを触っているうちにご機嫌を損ねたようだ。 温度計の映像配信も停止。
 とりあえずネットワーク・カメラは稼動しているが、ブラウズするためのhtmlファイルが開けないので、一部のページからしか見られない。 これとてグローバルアドレスが更新されるとつながらなくなるかもしれない。 首の皮一枚で繋がっているような、細々としたシステム運用がまだまだ続いているということだろう。

(旧徒然日記から転記)



2005年10月16日日曜日

まゆみ

 今日は、天気予報では晴れに変わることになっていたが、黒姫では一時日が差すような感じの時もあったが、ほとんど曇天が続いて、山も一日見えなかった。 庭の真弓を撮りつづけたのだが、日が差さずシャッタースピードが遅くて、しかも風で揺れて、まともなものが撮れず、やっと1枚だけどうにか見れる感じであった。 
まゆみ


2005年10月15日土曜日

久しぶりに童話館と博物館へ行く

 今日は、お客さんを童話館とナウマンゾウ博物館に案内した。 久しぶりの童話館であったが、いくつかの作品の寄贈があったとかで、エンデ色が弱まり、他の作品が増えたように思った。 ホールでは信濃町のお母さん方のコーラスグループの20周年を祝う会が開かれているということで、町長さんも来られていた。
 次に、ナウマンゾウ博物館を訪ね、野尻湖の発掘作業の歴史をあらためて認識した。 ソウギョがあれほど大きいとは思わなかった。
 あいにくの雨降りであったが、午後からは曇りがちとなり、両方とも沢山の観光客が入っているようであった。 昨日もコスモス園には行ったのだが、昨日は晴れて下の写真のように、高原が大きく俯瞰できた。 今は夜の8時だが、再び雨音が聞こえている。 明日の町の黒姫山登山が無事に実施されれば良いのだが、確か去年は雨で中止となっている。
黒姫アスティーからの風景


2005年10月14日金曜日

小学生の校外学習

 今日は、柏原小学校の校外学習なのだろうか、柏原交差点や黒姫駅前で小学生の一団が先生に連れらえて、一茶句碑を巡っていた。 柏原音頭などもそうなのだが、地元にえいえいと息づいてき慣習や人物をこういう形で次の世代に継ごうとしている姿を垣間見たわけだ。
sw2005101401.jpg


紅葉が山から降りてくる

 朝日があがる時、黒姫の山々が輝き紅葉の進み具合を教えてくれます。 もう6合目位には降りてきているのでしょうか、次の日曜日には町の黒姫山登山が実施されるが、きっと北信濃の紅く輝く峰々が楽しめることでしょう。 そんな山も、今月末になれば紅葉に代わって白い冠を抱くことになる。
10月14日朝、紅葉が降りる黒姫山


2005年10月13日木曜日

象の小径を歩く

 週末から空模様が下り坂になると聞き、針の木から野尻湖畔の"象の小径"を久しぶりに歩いてみた。
 針の木のブルーベリー畑はまだ紅葉を始めたばかりで、真紅の葉を探すも殆ど見つからなかった。 高速道路脇の田んぼでは、稲架けから乾いた穂を下ろして脱穀作業の真最中であった。
脱穀風景

 町の"癒し事業"が始まってから、初めての"象の小径"であったが、癒しに関わる案内板が増えていたていどで、従前とは風景に何も変化がなかった。 以前に、見られたゴミの不法投棄がなかったのは良かったが、ガラスの破片が残っている所が一箇所あったのは少し残念であった。 加え、水上スキー(ウェークボード?)を楽しむモーターボートのエンジン音が静寂を破るし、不自然な高い波に興をそがれる思いであった。
 町の"癒し事業"については、個人的な意見を書くのを控えるが、自然を残しつつも、もう少し手を入れて欲しかった。 受け売りのような癒しのウンチクを案内板で見ても楽しくないし、森林浴や静寂を楽しむような場所もないに等しいのは片手落ちのような気もする。
野尻湖畔


2005年10月12日水曜日

紅葉は間近い

 今秋は平年と違い、雨降りが続いたことと、寒さが深まらないので、良い紅葉が見られないとかお天気の番組で聞いたが、我が家の畑のブルーベリーの葉は少し赤みを帯び、真弓の実(?)も随分と赤く顔を出している。
 今日の日中は雲がだいぶ残っていたが、夕方は青空の良い天気になった。 明日の朝は暖房を軽く入れないといけないかもしれない。
10月12日夕方の黒姫


おくらぶち

 書棚を整理していたら、「おくらぶち-一茶の里の暮らしと郷土食」という本を見つけた。
 「おくらぶち」という言葉は、ながの農協刊「信州長水地区の方言・おめたちほうもつかうかえ」によれば、「ろばた」とか「勝手なこと」などを意味するらしい。 用例として、「知りもしんでおくらぶちをたたえてるで」と、少しマイナーな表現が載っているが、「おくらぶち-一茶の里の暮らしと郷土食」の方は、本来の「炉辺」を意味しているようで、お年寄りから伺った郷土の食事や暮らしを伝えている。
 一部 わが家の郷土食
 二部 地域の郷土食
 三部 お年よりが語る行事と行事食
 四部 くらしを語る
という構成でまとめられており、大正時代以降の信濃町の暮らしを知るのにはうってつけであろう。 発刊が昭和63年ということだから、その時に伺ったお年寄りはほとんど存命ではないであろう。 発刊当時は付き合いで買うのかもしれないが、20年30年経つと、このような本の価値が増してくる。

2005年10月10日月曜日

35周年

 先週、一週間は所要があって投稿できる環境下になく更新を休んでいた。 休んでいたと云っても黒姫も、茸探し、紅葉、マラソン、黒姫山登山、コスモス園閉園程度の話題で、今月は特別なものがないかもしれない。
 ところで、今日は10月10日。 確か東京オリンピック以降は体育の日として祭日だったけど、今は今年のように休みの日もあれば、そうでない日でもある。 私事だが、今日は35周年。 随分と歳を重ねたものだ。

2005年10月2日日曜日

飯綱町誕生

 信濃町に近い牟礼村と三水村は合併し、10月1日より飯綱町となった。
 かかる合併は、牟礼村議会の本年3月定例会最終日に、隣接する三水村との合併関連5議案を審議し、起立採決の結果、賛否同数となり、議長裁決で否決されていた。 その後の選挙で絶対多数を得て、合併が推進されたが、つい先日、水道工事の入札で牟礼村職員が不正を働いたとか、最後の最後まで難産だったようだ。

 最後の30日には閉村式が行われたと報道があるが、翌日から休日が二日も続き、新しい町としての実質的な活動は月曜日の3日からとなるのであろう。 ホームページなども従前のままだし、合併協議会のサイトにはリニューアルするようなコメントがあるものの、新しい町のページにお目にかかれるのは先になるようだ。 どちらにしても、町議会議員選挙が終わってから、本格的な新しい行政が始まるのであろう。

 閉村した三水村は116年の永い歴史を閉じたとのこと。 三水村が開村したのが1889年だとすると、この年には明治憲法が発布され、東海道本線が全線開通した年であったとのことである。