お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*平和の琉歌



*うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」


*the world is coming to an end



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

2006年10月31日火曜日

初冠雪の便りはいつ頃か


 先日の黒姫山登山で富士山が見えなかったからというわけではないが、富士山の雄姿を久しぶりに見てみたいと、今日はとある山へ登ってきた。 車で向かう時には見えていたものが、山を登り始めると雲やガスが出てきて、結局は何も見えずに降りてきて、体力維持のための山登りとなってしまった。
収穫を終えた田畑
 町内には、収穫を終えた田畑が目立ってきたが、夏の色濃く実った野菜畠の風景もいいが、秋の神々しいばかりの実りの風情も捨てがたい。
 先日、妙高山に初冠雪したと聞いたが、黒姫山はいつになるのだろうか。 ここ数日の町の最低気温は5~6度のようだが、山の上では0度近いことであろう。
 11月3日に行われる、区の萱刈りの日には、白い黒姫を見たこともあった。


収穫を終えた田畑
 さて、来月は寒さに備えて薪の算段をしなければ。 と云っても、もう薪割りをするような元気はなく、それなりの商いをしている方から融通をつけてもらうわけだ。 昨年は、遅くに買いに行ったので、在庫が少なく、オガライトで補充せざるを得なかった。 スタッドレスの交換準備もしなければと、冬への備えが色々出て来る。


2006年10月30日月曜日

黒姫スキースクールの案内

 昨日10月29日(日)の朝、NHKの「小さな旅」という番組で、「そば・暮らしに深く」と題した戸隠の人々の生活が放送されていた。 蕎麦と宿坊、竹細工など、戸隠の生活が垣間見え興味深く見てしまった。 蕎麦店の「極意」とは、随分と奇をてらったような名前だなと以前から思っていたが、宿坊を経営されている方の実名だと、この番組で初めて知った次第である。

 昨日の午後3時頃、一時的に停電があったのか、ライブカメラのレンズ方向が屋根に向かってしまって、履歴映像も全て消えていた。 夕方気が付いてカメラ位置だけは修正した。 従前のようにレンズ方向を選べるようにしたいのだが、動作が不安定のためままならない。 システムの更改には10万円ほどかかるので、黒姫山一方向だけで、しばらく我慢したい。

黒姫テレマークスキースクール
 さて、土曜日にエミコ・シールさんの講演会へ行ったと書いたが、その会場のモンベルの売り場で、黒姫テレマークスキースクールの案内を見つけた。
 我が家に近い所にある、ポワールさんが主催か幹事をされているのか、A4サイズのワープロ作成の簡単なものだけど、遠く離れた場所で、黒姫に関連したものを見つけると嬉しくなってしまう。


2006年10月29日日曜日

エミコ・シールさん

 9月16日に「ガンを越え、めざせ地平線!」というタイトルのエントリーを書いたが、エミコ・シールさんの著書を読んで、癌という一般的には不治と思われている病にかかりながら、「ガンちゃんと仲良くしよう!」という、この目の輝きは何であろうか、11万kmの自転車旅行という偉業より前に、彼女の天性の明るさ、人としての気高さが、その著書から伝わって来て、いつかはお会いしてみたいと思っていた。
モンベルチャレンジアワード
 そして、ご本人のブログを見ているうちに、ご本人の講演会が開催されると知り、昨日その会場であった東京・渋谷へ行ってきた。
 場所は、東急ハンズの隣にある、アウトドアーショップであるモンベル渋谷店ビルであった。
 新素材のウエアーやアウトドアーグッズを見ながら時間を潰し、開場30分前に講演会場である5Fサロンへ上がって行った。
 ご本人の"気"を是非感じたいと、講演者の真正面になる前席を確保。 まだ誰も来ておらず、これで席が一杯になるのかなと余計なことを考えていたら、講演が始まる頃には一杯になっていた。

エミコさんとスティーブさん エミコさんとスティーブさん

 初めに、会場であったモンベルの方から、モンベルチャレンジアワードの説明があり、エミコさんが2回目で、1回目はスイス在住の日本人の方で、手作りの手漕ぎボートで大西洋を渡られた由。 大きな冒険へのご褒美というよりは、むしろ冒険の過程にある人々を応援しようとする賞とのことであった。



 次に、新聞関係のお仕事をされ、冒険家達の集団であろうか、地平線会議を主宰・幹事されているらしい江本さんという方から、エミコさんを紹介された。 前置きが随分長いなと感じたが、そのうちエミコさんの人となりを聴衆に感じてほしいというお気持ちが強く伝わって来た。 エミコさんの明るさは、育つ過程での艱難辛苦を乗り越えた自信の現れだとも感じたが、イキイキと生きている姿は親から継いできた天性のものかもしれない。

エミコさんとスティーブさんの絵葉書から
 写真家であるというご主人のスティーブさんのカメラ作品を4分のDVD映像にまとめたという、高速道路を走るような駿足の世界一周の映像を見させていただいた。


 それから、いよいよエミコさんご本人の登場であったが、もう少し丸みのある方かなと想像していたので、少し自分の思いとは異なる方であった。 大病から生還したわけだから、著書の写真とはだいぶ変わっているのであろう。 でも、朗らかな笑顔や輝く眼差しは、思っていた通りの人であった。

 お話は、世界地図にコースを付し、オーストラリア、日本、北米から南米へ南下、アフリカを北上、ヨーロッパを回遊、オセアニアと、旅の写真やエピソード等々、そのごくごく一部であろう紹介をされ、最後に現在住む奈良・柳生里の古民家や畑を写していた。


 まだ、自転車の旅は終わっておらず、医者の諫言を受け入れながら続けているとのこと。 旅の結論はまだないのであろうが、ネパールの貧しい子供達へ手を差し伸べたいと仰っていたように、その方向は少しずつ明確になって来ているようだ。


 ネパールへ援助されると、絵葉書を購入、寄附ビンにも僅かな志を入れて来たが、その絵葉書の著作権・肖像権侵害にならないよう、重ねたものを↑ここに載せてみた。

 まだ、ブログには、具体的な活動についての説明はないようだが、シール夫妻の心に触れたい方がおられれば、是非アクセスしてほしいと思う。



 

サイン会にて


 既に読んだ著書だが、是非読んでほしい人の顔が思い出され、数冊追加購入してしまった。 講演会の後は二次会だとか、その多くはサイクリストや冒険家達の集いであろうと、我々は先に会場を後にした。 でも、帰り道は満ち足りた気持ちで溢れていた。 エミコさんのドキュメンタリー番組がすでにテレビで放送されたとのこと。 最後にその映像を購入する手立てがないか確認してくるのを忘れてしまったのだが残念であった。


2006年10月28日土曜日

エミコ・シールさん講演会

海外自転車の旅、素晴らしい人間性が感じられたお話でした。



2006年10月27日金曜日

サイクリング中

久しぶりの100kmロード。



2006年10月26日木曜日

町長選の公開討論会

 しんまいのダイジェスト・ニュースに、次の記事が掲載されていた。
信濃町長選で来月5日に公開討論会
 11月14日告示の信濃町長選で、町内の有志らが立候補予定者による公開討論会を同月5日に計画している。有志らは実行委員会をつくり、23日夜、質問のテーマを話し合い、質問テーマを福祉や子育て支援の具体策のほか、何に1番先に取り組むかなど、9項目を決めた。現時点で出馬表明している2氏から参加の内諾を得ており、今後、質問内容を伝える。 討論会は町総合会館で午後2時から。

 この記事の通り、選挙は来月告示なのだが、すでに選挙戦は始まっていると見てよく、それぞれを推す後援会の会合が開かれていると聞く。 先月の町制50周年記念事業も何気にその色を漂わせていたようにも感じた。
 ただ、立候補予定者を推す人達の中にも、後援会のあの役員では心もとないとか、奥さんのあの身の処し方では住民に理解されないとか、色々な言葉が飛び交っているようだ。 1期だけでは何も出来ない、2期目も現任で続けさせてあげたい という声もあるようだが、いつぞや役場へ申し入れをした時の対応された様子を思い出すと、そういう意見を素直に聞けない印象もある。

 野尻湖フォーラムの最新号に、前町長のインタビュー記事が掲載されていたが、町長の職にあったものが、傍観者的な立場で町を見ているようにうかがえ、何か納得できないものを感じた。
 町は、50年前に小さな村が合併したわけだが、いまだにその地域の利益代表として町長選を見ている様子がうかがえる。 単に、地域や一部応援者の利益代表ではなく、町全体の10年後20年後を見据えたビジョンを持ってほしいし、そういう観点からの討論が行われることを期待したい。 あわせ、住民にも、目先の利益や地縁・血縁ではない視点を持ってほしいと思う。

 そして、選挙後は、選んだ人が姿勢方針通りに、しかも住民に目を向けて職をこなしているか、常にチェックすることである。 日本の選挙は投票が終わると全て終わったようになってしまう。 国も地方も、不正や行政の怠慢が起きるのは、住民によるチェックが皆無だからである。 牽制機能がない組織は早晩腐るもの。

2006年10月25日水曜日

紅葉が真っ盛り

8時半の黒姫山

 今日、朝のうちは雲のない晴の天気でしたが、朝日に浴びる黒姫山も町も全部が紅葉の中にあるような、秋真っ只中の風情を伝えるカメラ映像でした。

 山から下りてきた紅葉は、苗名滝、神山や国際村、野尻湖から見た菅川、妙高大橋から見えるカラ松等々へと広がっているのではないかと、今盛りの紅葉の風景が頭を過ぎるが、残念ながら見て回る時間がない。

 コスモス園のコスモス畑もだいぶ整地され、コスモプラザ前だけが残されているようだ。

 気象庁は、向こう3ヶ月の天候の見通しを発表し、今冬は暖冬で雪が少ないということだが、さて黒姫はどうであろうか。 暖冬と云いながらドカ雪が降ったり、大雪だと云われると降らなかったり、雪ばっかりは季節が終ってみないと分からない。

Google Mapで住所入力すると地図が見られる

 特別新しい情報ではないのだが、メールを頂いたアメリカに住む知人がどんな所に住んでいるのであろうかと、何気なく思い立って、Google MapやGoogle Earthでその住所を入力してみた。
 そうしたら、立ちどころにその場所の地図が現れたのであった。 そこで、息子達が住んだことがある日本や海外の住所を入れて試してみると、多少住居表示の違い(Streetをstと入力するなど)でひっかかるものの、衛星からの俯瞰写真が見えるのであった。
 残念ながら、信濃町周辺の写真には雲が重く立ち込めており、しかも広域画像しかないので、折角表示しても自分の家の屋根を確認することはできない。 
・アメリカ東部に住む知人の家
・アメリカ中部の町 - これでもコダックやゼロックスの本社がある
・カナダのとある大都市 - 右側の大きい白い円はスタディアム



 それにしても、海外の地図を見ると、超大都市以外の地域では、建物の影もまばらで緑が多い。 アメリカの知人の家も、ご家族が住んでおられる屋根らしい色合いの物が見えるだけで、その周辺には何の建物もないようだ。 冬に焚く薪は庭の木を切って、2~3年分を作ったと先日ブログに書いておられたので、その庭の広さは尋常でないのであろう。
 こういう所が本当のカントリー、つまり田舎なのだ。 日本のテレビ画面に出てくる田舎は、北海道とか南の島などのごく一部が相当し、信濃町などはさしずめ大都会の隅にある町だと言えよう。

2006年10月24日火曜日

信濃町の全景

信濃町全景 黒姫山中腹から撮った信濃町の全景写真。
 全景といっても、飯綱町に連なる地域や野尻湖から妙高高原町方向は入っておらず、我家は、あの辺りの米粒よりもっと小さい白い点だと思うが定かではない。
 一応、町の中心地は入っているつもりだが、先日の登山の時に、急に視野が開けて撮影したもの。 東京オリンピックを記念して10月10日が「体育の日」だと祝日に指定され、最近は暦によって前後するが、おうおうにしてこの時期の天気はあまり良くない。 春山登山が行われる6月の方が、新緑に映える町を写すことができるかもしれない。


2006年10月23日月曜日

大人の遠足2006秋

大人の遠足 書店の棚で、JTB(るるぶ)が発行している「大人の遠足」という雑誌を手にした。 表紙には、「竹の寺」として知られている鎌倉・報国寺の庭が写っており、「鎌倉一日散歩」と題したウォーキングを中心とした雑誌であると分かった。
 そして、表紙をよく見ていたら、「信州信濃町」という文字を中段に発見。 内容を見たら、町が進めている「癒しの森」事業について8ページにわたって、写真やら解説が載っていて、高力さんや秋山さんのお名前や写真も写っていた。
 見慣れている我々にとっては特別の風景ではないのだが、本誌には深淵とした黒姫の写真が数多く載っており、これを見ただけで、黒姫へ行ってみたくなる人は多いのではないかと思った。 逆に考えると、このような写真を見て来られる方々の期待を損なわないような歓迎というか、黒姫の自然を感じて帰っていただくよう心配りが大事だと感じた。

癒しの森説明頁から 癒しの森説明頁から

 季刊誌ということで、今シーズンの内容をここに掲載するわけにはいかないので、一部小さな写真にとどめておいた。 るるぶを見たら、9月8日発行の900円とある。 首都圏中心の販売のようだが、アマゾンでも買えそうだ。

2006年10月22日日曜日

登山会の集合写真が届く

黒姫山秋山登山会集合写真(2006年10月15日)

 信濃町観光協会のページに、先の登山会の集合写真が掲載されたと思ったら、昨日わざわざ焼いたものが郵送されてきた。

 「有難うございます」と言いたい所だが、サイトに掲載されているので、郵便代を払って送られるなんて、何か勿体ない感じがした。

 申込時点で、メールアドレスをうかがうなどして、メールで送られてもいいのではないかと思うが、参加者の多くは壮年の終盤にかかっているとお見受けしていたので、メールと言っても分からないかもしれない。

 それにしても、一週間してやっと太腿の筋肉痛が消えてくれた。 運動不足が祟るというのはこういうことを云うのであろう。

2006年10月21日土曜日

一茶記念館講座5回目

 先日、一茶記念館から毎年5回行われている講座のうち、最終回の講座案内が届いていた。 そして、うっかりしていたら今日のことであった。 内容は、
 「一茶の評価に尽くした人々」と題して、二松学舎大学の矢羽勝幸教授が話されるもの。 先生のご専門は存じ上げていないものの、一茶記念館のみならず、あちこちでお名前だけはよく見聞きしていた。 しかし、未だもって俳句に対する門外漢では、重い腰をあげるほどのタイトルではなかった。

 いよいよ、来月19日は一茶忌である。 久々の日曜日開催ということで、参加される方は多いと思う。 確か、前の晩からライジンサンに泊まって行うイベントか、ツアーがあった筈だ。
 今年の俳句大会では、金子兜太さんのような洒脱なお話は聞けないようで、琴などの邦楽演奏だと、記念館のページに書いてある。
 どちらにしても、山盛りの新そばに山盛りの薬味が楽しめる、新そば会には必ず行きたい。

DaysJapan

 右サイドに、DaysJapanへの勝手リンクを追加した。
DaysJapan2006年10月号表紙より

 先日、フォトジャーナリストである広河隆一さんの講演を聞き、今なお残るチェルノブイリの放射能被害の現状をうかがってきた。 世界にはチェルノブイリ以外にも、政治体制や事件事故により、毎日のパンにも事欠き、貧困にあえぎ、生存まで脅かされている人々がたくさんいる。 イラクやパレスチナのように、戦火の中で怯えながら暮す人々も多い。 我々は、対岸の火事のごとく、彼らを傍観しているだけで良いのだろうか? そんな思いを込めて、今月号の表紙を掲載した。

 今回、特集されている 「こんなに似ている私たち」は、北朝鮮、韓国、中国、そして日本における街角の風景を、同じアングルで撮影した写真が並んでいるものである。 どれも屈託ないというか、同じような表情をしているものであって、アジア人として、これほどまで似ている者たちが何故いがみ合う必要があるのか、自然に疑問に思えて来る。 国家や政治家と同じ視点でしか、いつも我々は彼らを見ているのではなかろうか。 お互いがもっと近づきあい、理解し合わなければという思いにさせてくれる特集であった。
 また、「日本の若者たちが闘った時代」は、1960年代の学生運動を取り上げ、御茶ノ水のカルチェラタンや安田講堂などの闘いの写真を掲げている。 あの時代の若者は、皆何かしなければという切羽詰った熱情を持っていたと思う。 結果、暴力行為に出ざるを得なかったわけだが、逆の目で見ると、今のアメリカとイラクの関係と同じように、国家権力や警察権力による弾圧に等しい行動により、学生が孤立化し、分派化し、外にも内にも暴力行為に至らざるを得なかったのではと思う。
 既にある盗聴法に加え、いともまことしやかな理由が付けられ共謀罪が立法されようとしている。 教育基本法、憲法9条、色々な法律の改悪により国民を縛ろうとしているわけだ。 権力にいる者が、力で抑えようとするのはいとも簡単なことである。 しかし、そこから生まれるものは、悲しみや暴力の連鎖しかないことは、先の大戦を思い起こせば容易に分かることである。
 ドイツ人聖職者の痛恨の詩(言葉)が思い出される。 うろ覚えで申し訳ないが、
「軍国化は、初めは、自分に関係ないことだと思って気にしなかった。 次に、友人が徴兵されるのを見て、これも自分に関わることでないと、何も言わなかった。 最後に兵隊が教会へ入り込んで来た時には、自分は何もすることが出来なかった。」
そんな意味の詩であった。 どんな小さなことでもいい、まずは、声を出すこと、行動することが大事である。 これはイデオロギーでないと思う。 より豊かで平和な日本を後世に残すためにも、必要なことなのである。 

2006年10月20日金曜日

バルトと蕎麦の花

 先日、記載した「信濃村伝道所 宣教五十年」の中で、阪田寛夫氏の短編「バルトと蕎麦の花」のことを書いたら、野尻湖フォーラムのSさんからご連絡をいただき、コピーをお持ちだと、はからずもその短編を読むことができた。 有難うございました。

 その冒頭部分を、ここに転記させていただく。
 列車は雪野原に出て速度を緩めた。 あと三分で駅に着く。 右手に胚芽を取った米粒の形をした小山が見えてきた。 見慣れた山が、今朝は高山の一角のように鋭く輝いている。
 三十分前までの車窓の風景は、東京の郊外で見かける雪降りの日のそれと大して違いはなかった。 畠や空地に僅かに積もった雪が、人と車の猛威を逃れて、辛うじて消え残っている感じであった。 ところが列車が方向を北に転じ、渓谷沿いに峠を登り始めると、突然積り方が変わった。 分水嶺を越すと、関係が逆転した。 こちら側は、雪の方が人間を圧えていた。 道も屋根も畠も森も、あるがままに抑えつくして音もない。 もっとも、雪の中のクリスマスを味わいたくてやって来た私にはこれこそ満足すべき状態で、こうでなくては困るわけだった。

 岡野薫子さんの 「森のネズミの山荘便り」 の冒頭にも同じような思いがつづられているが、列車が長野駅を出発し、田園風景を経て豊野辺りを過ぎると少しずつ山間を上り始める。 そして、牟礼駅を過ぎて積もった雪を車窓から目にすると、黒姫はもう間もなくだと何とはなしにソワソワ、ワクワクしてきて、昔、映画「雪国」の撮影に使われたという戸草トンネルを抜けると、辺り一面の銀世界が突如現われ、その想いが極地に達した所で、「間もなく黒姫~黒姫~」という列車アナウンスが聞こえて来るのである。 その情景は冬でなければならず、春や夏では駄目なのだ。

 あの時の感慨は、黒姫へ通う者にしか感じられないものであろうと思う。 「米粒の形をした小山」は、古間駅近くの薬師岳をいうのか、それとも伝道所の裏手にある伊勢見山を云っているのであろうか。 便利な高速道路が出来てしまった昨今では、あのような感慨に浸るようなことはもうない。

 さて、「バルトと蕎麦の花」では、作者が、このようにして信濃村伝道所でのクリスマス礼拝に出席するため、黒姫へやってくる所から始まり、教会堂で説教をされているK牧師へと話題が変わって行くのである。 そして、K牧師の幼少の頃の話、青年の頃の様子などから、K牧師の人となりをありのままに写していくのである。
 お父上が農業のかたわら短歌を詠まれたと、父上やK牧師のその歌が、文節の間に散りばめられている。
 残念ながら、私自身短歌に対する理解は全くなく、その詠み手の想いを知ることはできないのだが、読み終えた時に感じたことは、この短編は、20年近く信濃村伝道所に赴任されていたK牧師への「賛歌」そのものではないかということであった。
 短編のタイトルの由来は、K牧師が、20世紀に於けるプロテスタント界の思潮を決めた一人とされるカール・バルトの影響を大きく受けていたことと、伝道所の周りに蕎麦が植えられていたことによるものらしい。
 カール・バルトの危機神学がどういうものであるのか理解できていないのだが、教条的なそれまでの教えでは、近代文明下の民衆には理解されないというか、キリスト教そのものが衰退すると、危機感を募らせたものであろうと、一方的に判断してみた。
 南米カトリック教会には、「解放の神学」を唱える聖職者や団体がある。 貧困からの脱却など社会正義の確立を目指そうとするものらしいが、以前、カトリックの神父がプロレスラーになってファイトマネーで貧困者を助けているというニュースに接したことがある。 方法は色々あるだろうが、やはり旧来の教義に凝り固まった世界では何の進歩はない。 平和で安然とした生活が地球上の人々に等しく与えられるよう、願い行動するのが宗教であり、ひいては政治でもあろうと思う。
 今まで一度だけ伺ったことのある信濃村伝道所のクリスマス礼拝で、K牧師の説教は聞いているのだが、非常に朴訥だが、心に秘めた篤い思いを持つ方だと感じていた。 この短編を読んで、その感じが一層強いものとなったわけだが、伝道所在任中は、野尻湖の違法観光船問題などにかかわり、伝道所を留守にすることが多いと、教会員からの不満があったそうだ。 牧師といえども、教会員のみならず、地域社会との共存、共生を考える必要はあろうし、豊かな野尻湖や黒姫の自然と、平穏な暮らしを、住民とともに求めようとしたのは至極当然の動きであったろう。
 この短編を読んで、もう一度K牧師に会ってみたい気にもなったが、現実的なことが見えて来ない、心の中だけの想いに留めていた方が良いかもしれない。 もう一度、一行一行をかみ締めながら、この短編「バルトと蕎麦の花」を読み直してみたいと思っている。

2006年10月19日木曜日

黒姫山登山中の写真

 信濃町観光協会のトップページに早速登山会の集合写真が掲載された。 参加は38名であったとのこと、帰りの際、黒姫駅からJRを利用される方がかなり見られたので、町外からの参加が多かったようだ。
 カメラを持って行ったものの、登山中、気持ちの上でも、時間的にも撮影する余裕がなかったので、良い写真というか、テーマのある物が撮れなかったのだが、撮影済の中から少しマシかなと思うものを掲載しよう。
登山路の紅葉 登山路の紅葉
しらたま平から大池分岐へ向かう途中、雲に隠れた斑尾方面を見る




2006年10月18日水曜日

登山の疲れがなかなか抜けない

 よる年波か、日ごろの不摂生であろうか、先日の黒姫山登山の筋肉痛がなかなか消えず、階段を不恰好な呈で下りる日々が続いている。
 当日、参加者のうち数名が少し遅れて降りて来ていたが、自分の足の具合を振り返ると、下山の際、30分程度毎に数分の小休止を入れていれば、足への負担が少なかったように思う。 7合目まで一気に降りるのはややきついようにも感じた。
 明治維新前の侍や町民の歩き方だと云われている"なんば歩き"とか、"ゆる体操"のような術を身に付けていれば、地面からの衝撃を分散して体全身で受けられるので、筋肉痛などは起きないのであろうが、凡人にはなかなかそういう所まで智恵が回らない。
 先日の登山会で頂いたものを掲示しよう。 行程表はかなり正確というか、ほぼ標準時刻通りに運んでいた。 コスモス園の絵は、コスモスの種が入っていた袋、登頂証は登姫の会発行のもので頂上で頂いた。
行程表
コスモスの種が入っていた袋 登頂証

 今回初めて表登山道を降りたが、7つ池から黒姫乗越へ向かう道と同様に、歩きにくく健脚コースと云われる所以だなと思った。 逆に、表登山道を登り、西新道で下れば、足への負担は少ないと思うが、それでは帰りの交通手段が確保できない。
 毎回、山頂からの眺望は雲で遮られることが多いが、どうしても山は昼頃になると雲やガスが出るもの。 登っている途中に、大きな三脚を抱えて降りてくる方が居られたが、朝6時台に山頂に向かわないと、雲の少ない綺麗な景色を楽しんだり撮影することは出来ないであろう。

2006年10月17日火曜日

スゴイ地図

スゴイ地図で見た信濃町 リクルートが雑誌感覚でエリア内のショップ等の検索ができるという"スゴイ地図"を始めたというので、早速使ってみた。
 フラッシュ機能を多用しており、表示地図の位置変更やズームなどの操作を行うと、逐次その範囲の検索を行うので、ある程度早いPCやネットワーク環境下でないと使えないだろう。 基本的には、電話帳からデータを取得しているようだが、サイトの映像も表示されているので、電話番号とサイトとの何らかのマッチングも行っているようだ。 それも、個人の生活にかかわる店、食堂、観光スポットといったものを中心に登録されていると思われる。
 ウインドウ下部に検索結果の映像が表示され、マックOSであるOSXのDockのように、ポインタを当てると大きくなり、店名などが表示され、これをクリックすると右側にその内容が表示される。
 面白い使い方が出来そうだが、当然表示されていいものがなかったり、いつも商売をしているのか分からないような店が表示されたりで、今ひとつ使い勝手が悪い。 ある程度絞込み検索しないと、何ページにもわたって改ページしないといけないので面倒くさい。
 まだ、ベータ版ということで調整中だとは思うが、我がPCでは画面が真っ白くなってしまい、再アクセスもできなくなり、ブラウザを閉じてしまった。
 会員になると別のサイト"ドコイク?"で、データの追加登録ができるが、このスゴイ地図との連携はないらしい。 初めは、名実ともにスゴイと思ったが、どこまで使いこなせるか、どれほどに万民に浸透していくのかは分からない。


2006年10月16日月曜日

黒姫秋山登山会

古池にて 信濃町観光協会が毎年春と秋に開催する登山会に昨日参加してきた。
 遡ってみると、黒姫を秋に登るのは今度で2回目で、朝の気温は7度であった。 数年前の前回は、黒姫駅の集合場所へ送ってもらう車のフロントガラスについた霜が凍る程寒く、古池では放射冷却現象というのか、湯気が立ち込めるような幻想的な景色が見られたが、今回は暖かく、しかも雲が多くて黒姫山頂も隠れてしまい、今ひとつの古池の景色であった。
 事故に備えた保険料として従前は300円の参加費が徴収されていたが、最近なのか今回からなのか知らないが、その額が1000円となっていた。 その代わりというわけではないであろうが、今までなかった行程表やコスモスの種などが渡されていた。 このような行事には、表に現われない掛りというものがあるので応分の費用負担は必要であると思うが、それ以上に、観光協会が少しずつ行事に対する力の入れ方を増してきているようにも感じた。
 大橋林道入口には、既に登り始めているのであろう、いつものように登山者の車が所狭しと停まり、今回はツアー登山であろうかバスも停まっていた。
 準備体操ののち、7時50分登山を開始。
しらたま平(ガレキ沢) 雲が多いものの、その合間からさした日に木々の紅葉が輝いていた。
 新道分岐、しなの木と登って、11時にしらたま平に着いた。 別名、ガレキ沢と云われるように小さな瓦礫場なのだが、周辺の草木が増えたのか、あまり瓦礫の印象が今回は少なかった。 また、小さなしらたまの木を確認しないまま通り過ぎてしまった。
 山頂には11時50分頃到着。 残念ながら雲が多く、斑尾山の頂上付近がわずかに見えるだけで、野尻湖も信濃町も、飯綱、戸隠、更には北アルプス方面まで何も見えず、わずかに焼山、火打など妙高方面だけが開けていた。
 雲海の上に富士山が見えると仰られている方がいたが、富士山山頂は意外と小さくて判断しずらい。

 12時40分下山開始。 表登山道を利用した下山は初めての体験であった。 道の脇には巨岩があり、はみ出した根っこを越えると、黒姫乗越への分かれ道に来て、ここからが本格的な下りとなった。
 7合目まで一気に降りたが、石や根っこ、段差、結構厳しい下りであった。 道幅も狭い。 両足の太ももの筋肉が攣りそうになったのは初めての経験で、それだけ厳しい道ということであろうと思う。
 岩場の暗い箇所に光鱗がわずかに見られた。 この辺はダテカンバやブナの植生地のようだが、木々を見る余裕がなくなり、日の出岩、七曲り上、しなの木と降りて、3時半頃林道に辿り着いた。
 御鹿池周遊道路へと下って、童話館前で4時に散会。 来年はもう少し体重を減らし身を軽くして登ろうと反省した登山でした。

2006年10月15日日曜日

2006年10月14日土曜日

熊被害のこと

 今日は、山桑から高沢にかかる地区に、親子三匹の熊が現れたと聞いた。
 今の時期、既に畑にはモロコシなど餌になるものがないと思うが、里に降りてこなければいけないほど、今の山には食べる物がないということであろう。
 どこかの市町村で、間伐した林の中にドングリの木など実がなる木を植えて、熊の食に供するようにしていると聞いたが、ただ手をこまねいたり、対症療法的な処置をしているだけでは、熊による被害は増えるばかりで、そのような熊の生態系に基づいた対策が必要だと思う。

 マタギから聞いた話だが、最近の熊には虫歯があるとのこと。 それだけ里の餌を食べている証拠であろうし、もっと国レベルというか総合的な対策をすみやかに施していかないと、毎年同じこと繰り返すというか、熊による人間の死傷という事故を増やすばかりになろうと思う。

��追記)
 どこかのサイトで、山の餌が少なくなっただけではなく、熊そのもの習性が変わってきて人里に近づいてきたのだと書いてあったのを見た。

コスモス園は明日で終了

庭のコスモス 黒姫アスティーのコスモス

 明日15日(日)で、コスモス園の営業は終了する。 この時期は、日増しに花数が減る中で、種の採取が可能とアナウンスされているので、行かれる方は終った花を採ってくるといいだろう。 営業が終るとスキーシーズンへの準備のため、すぐにコスモスを取り除きブルでかんましてしまうため、月曜以降早めに行くと入場料が要らないのでいいかもしれない。

 我家でもそうやって集めた種を保存しておき、翌年庭先に適当に蒔いている。 いつ、どんな花が見られるか分からないが、風に揺れるコスモスの花が身近で見れるのは嬉しいものだ。 

2006年10月13日金曜日

信濃町秋山登山の案内が届く

 信濃町観光協会と信濃町役場が毎年春と秋に開催している登山会に、この数年続けて参加してきたが、昨秋と今春は所用があって登ることができず、今回久しぶりに登ろうと申し込んだ。 15日に黒姫山に登れると都合8回目となる。 この所、膝が少し弱くなってきたので、サポーターなど万全の体制で臨みたい。

 さて、昨日は、信濃町観光協会から「信濃町秋山登山のご案内」を郵送でいただいた。 案内と集合場所である西口駐車場への道順が記載されていた。
 過去2回参加していないので、いつからこのような案内を出されているのか分からないのだが、きめ細かい対応に少し嬉しくなった。 一つ一つ "心を尽くす"と云うと大げさかもしれないが、配慮されることで、信濃町に向ける人々の目も変わってくると思う。 小さな努力の積み重ねが、旭川の動物園のように全国からの衆目の的になるわけだ。

・信濃町秋山登山のご案内 - 信濃町観光協会
・西口駐車場のご案内    - 信濃町観光協会



 ただ、参加人数がそれほど多くないし、町外からの参加者数も分からないので需要の有無があるか不確かだが、登山参加者へのペンションなど宿泊設備の紹介とか、宿泊地で前夜から北信五岳を語らうとかするようにすれば、そこからまた新しい関わりというか、観光客の導入も可能ではないかと思う。

 黒姫山や、斑尾山に登るだけで、この企画を終らせてしまうのは、少し勿体ないような感じがする。

2006年10月12日木曜日

迷惑トラックバックやスパムコメントをクリックしないで下さい

日々色づく田畑
 9月後半になってくると、近くの畑の稲穂も色濃く頭を垂れるようになって、今月上旬にかけて、ちらほら稲刈風景が見られた。 先日、刈り取りを終えた田で、西日を浴びて輝く稲束が見られたのだが、なかなかその感動を撮り込むことはできなかった。

 さて、本サイトでは、黒姫や信州のこと、自然のこと、少し社会のこと 等々を開設者の都合で書いているのだが、時折、アダルトサイトやショッピングサイトへ誘導するような、全く関係のない、開設者の意思に反するコメントやトラックバックがついていることがある。
 今まで気が付かなかったのだが、いわゆる、スパムとか迷惑に相当するコメントが120、トラックバックが300ほどあった。 その殆どは、同一時刻とか同一ドメインから発信されていると、逐次自動的に撥ねられているのだが、たまに掲載され誰でも見られるような状態になることがある。
 ブログはそもそも日記形式ということで、毎日サイトを開くことにしているので、万一掲載されても、すぐに気がつき削除し迷惑分として分類してしまうので、たいした影響はない。 ただ、不本意なサイトに誘導するリンクがついてしまうこと自体が、開設者としては不愉快このうえない。
 ということで、本ブログに訪ねられて、そのようなコメントやトラックバックがあったら、リンクを開かない(クリックしない)ように、是非お願いしたい。

2006年10月11日水曜日

ヴォーリズ建築は今

 信濃村伝道所のエントリーを書いてから、教会堂の写真がないかと探したが、見つからなかったので記念誌の巻頭にあった写真をスキャナーで取り込んでみた。 これで建物の良さが分かると思う。
夏の伝道所
冬の伝道所

 さて、この信濃村伝道所の教会堂を設計されたWMヴォーリズは、教会のみならず学校など千数百にも及ぶ建築にかかわり、現在残り少なくなったその作品を保存しようとする動きが起きつつあることを知った。
 それを知ったのは、昨日届いた日本ナショナルトラストの機関誌「報」からであった。 ヴォーリズは、語学教師として来日した1905年には、すでに軽井沢を訪れているとのこと。 戦時下には軽井沢に避難し、晩年病に倒れたのも軽井沢でのことだったらしい。 その軽井沢にも60余の建物を作ってこられたが、老朽化や別荘ブームによって壊される状況にあり、保存に向けた活動を行っているとのことである。

 このまちのヴォーリズ建築は今 - 軽井沢ナショナルトラスト 



 そこでネット検索したら、当初赴任された滋賀県を中心にヴォーリズ(の意を組む人々)が始めた建築会社やNPOなど、種々活動をされていることを知り、あらためてヴォーリズの功績が大きかったかと理解に及ぶことができた。
 そういう日本の歴史の一頁を創ってこられたヴォーリズの作品が、ここ信濃町にあるというのは、町に在る者としての誇りでもあるし、教会員だけでなく地域が一緒になって、末永く存在続けられることへの目を向けるべきだと思う。

 しかし、時代的なこともあろうが、当初の語学教師が地域の偏狭さゆえに続けられず、結果、建築への道を進んだと、ここにも日本人の排他思想が見られ、やはり悲しい想いを感じる。 先の大戦の際には、アメリカに帰国せず、奥さんの氏を名乗り(漢字名に改名)、神社に参拝するなど、大変な苦労をされたようだ。 あるサイトに書かれてあったが、形を変えたキリスト教伝道という強い使命感がなければ、異郷の地に生涯暮らし、これだけのことをやり通せなかったことであろう。
今日、見つけたヴォーリズ関連のサイト一覧
一粒社ヴォーリズ建築事務所
NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会
ヴォーリズ・ミュージアム
軽井沢ナショナルトラストホームページ
ヴォーリズの風
ヴォーリズ建築案内
Architecture jardin~建築散歩~


2006年10月10日火曜日

おいしい水と極上高原野菜の町

テレビ東京の番組紹介ページから

 9日(月)、何気なくテレビ東京の「月10万円で豊かに暮らせる町&村」という番組を見ていたら、急に「信濃町」と聞こえて来たので、慌てて番組をビデオに録ってみた。 題名の通り、月の生活費が10万円以内で暮せる地方町村へ移り住んだ家族を映していたものだが、出てくる人々がこぞって快適な暮らしをされていると見聞きし、どれも何か羨ましさを感じるものであった。 そして、どういう基準だか分からないがランク付けされ、信濃町が第二位だとかで、戸隠へ通じる道に店を開いている方が紹介されていた。

 次の引用は、番組を伝えるサイトから。

 ランキング形式で日本各地の「月10万円で豊かに暮らせる町&村」のベスト10を発表。
 移住をしてスローライフを満喫する家族の生活を紹介する。 大自然に囲まれて、新しく見つけた生きがいとともに、家族のきずなを確かめながら暮らす姿を追う。


 長野から電車で30分ほどのところに位置する町。 野尻湖や黒姫高原など自然を満喫できるところがたくさんあり、上越市まで車で約1時間と海も近い。
 移住したご家族のご自宅には原流水が直接引かれていて、月1,600円で使い放題。
 ご家族はそれぞれマイ水筒に水を入れて職場や学校に持っていっている。



 長野県内で放送されるか分からないので、黒姫部分を切り出して、小さな映像で見られるようにしてみた。 映像は7分ほど、QuickTime(MP4)形式で容量は14M。

「月10万円で豊かに暮らせる町(QuickTime)  

 どうも、この映像はらんぷ屋さんの宣伝になったような感じで、最初に湧き水が流れている所が映るが、これは町からかなり離れている。 最近はかなり知られて、長野市内のラーメン屋さんとか、必ずと云っていいほど車を停めて汲む姿が見られるので、戸隠へ向かう途中で容易に発見できるであろう。 黒姫の牧場より高い所に湧き出ているので、水質に心配はないと以前はよく汲みに行ったが、飲用として保証されているわけでもないので、最近は少し縁遠くなっている。 加え、高速がつながったら直江津の魚勢も遠くなってしまった。


 さて、信濃町の水だが、源流水とか伏流水と云わないまでも、町営の水道も湧水を利用しているので、水質は大変良い。 家内は、信濃町の水で作ったパンは発酵具合が良くて、味もいいと言う。


 この番組を見て、転居をそそられる方は多いと思うが、やはり良い部分しか映像からは見えて来ないので、検討される場合は色々な要素を考慮する必要があろう。 夏は、野菜を頂くことが多いので、生活費はおさえられると思うが、信濃町はそもそも豪雪地帯である。 冬場の、暖房費、凍結防止用のヒーターとか、除雪機のガソリン代や修理代を考えたら、そんなに安くは収まらないのではないか。 旅や食べ物番組と同様に、安易にお金をかけないで番組を製作しているようにも見受けられた。


(映像リンクを変更した)

















2006年10月9日月曜日

信濃村伝道所 宣教五十周年

 先月30日、信濃町は町制50周年だと祝賀イベントが行われたが、柏原の町立信越病院近くにある日本基督教団信濃村伝道所も町に先立ち、1956年(昭和31年)4月1日(当時、柏原は信濃村であった)に開所されたと、その50周年を祝う記念誌がこの6月に発刊された。 その「信濃村伝道所 宣教五十周年 記念誌」と題された記念誌を、先日教会員の方から頂くことができた。

 信濃村伝道所の教会堂へは、数年前のクリスマス礼拝の時に一度だけ訪ねたが、映画「大草原の小さな家」を思い出させてくれるような大変趣のある木造作りで、古間支館とともに、信濃町の財産と呼べるような建築物だと思っている。 むしろ、建築家W.M.ヴォーリズの現存する作品として貴重な存在と云うべきかもしれない。 何かの資料で、牧師のための住まいを先に建築されたとうかがっていたが、教会堂そのものは、1959年(昭和34年)8月に竣工したようだ。

 教会堂の詳細については、野尻湖フォーラム バックナンバーNo.15(1998/7)に、建築家W.M.ヴォーリズについてはNo.16に記述あり
 建築家W.M.ヴォーリズの作品については、都市風景の旅にも説明あり

 記念誌には、この50年間色々な形でかかわってこられた牧師、その家族、教会員の方々の言葉が記され、それぞれの方の伝道所への思いを感じることができると同時に、半世紀を越える教会の歴史を知ることができるものである。
 国際村、トウモロコシやルバーブ、ブルーベリーなどの農産物、鎌製作の動力化などに寄与されたストーン牧師達が中心となって古間に伝道所が作られたとか、黒姫駅前のふじのや旅館で集会がもたれたとか、教会堂設立以前の話や現在に至るまでの諸事なども記載されている。

 今年3月に亡くなられた作家であり作詞家であった坂田寛夫氏も本教会と深くかかわってこられたとのこと。 阪田氏は、"サッちゃんはね サチコっていうんだ ほんとはね だけど ちっちゃいから じぶんのこと サッちゃんって呼ぶんだよ おかしいな サッちゃん"の童謡「さっちゃん」を作詞。
氏の短編「バルトと蕎麦の花」には、この教会堂にかかわる描写があるとのこと。 ネットで検索したら「新潮83巻12号(昭和61年12月発刊)」に当初発表されたようで、機会があれば読んでみたいと思う。

 ストーン氏の奥さんの早産で亡くなった子らの墓を守ってこられた宮川ミキさんのこと。 我々が知らない信濃町の人々の思いを、この記念誌は伝えてくれているようにも感じた。 それにしても、少ない教会員、少ない経費で良くも半世紀の間維持されて来られたと感じ入るものがあるが、「貧」の中にこそ、人の心(神)が存在するのかもしれない。 そんな思いを彷彿とさせてくれる記念誌であった。

2006年10月8日日曜日

黒姫山に虹がかかった

 今朝7時半頃から9時半にかけて虹が見られた。 信濃町にいると都会に較べ虹を見ることは多いが、我が家から黒姫山にかかった虹が見られる機会は少なく、以前、見たのは2年前の12月5日であった。 
8時30分頃の虹
8時52分頃の虹


2006年10月7日土曜日

ジャズピアノを聴く

 小中学生時代の勉強で、音楽とか図画という教科が、先天的なのであろう一番苦手であったが、その理屈とか方式とか習熟するためのノウハウを身につけないまま卒業してしまった。

 戸隠の鏡池へ行くと、よく壮年の方々がキャンバスを置いて、周辺の風景を描かれている姿を見るが、自分にはない才能を持っておられるようで、真にうらやましく思う。
 音楽については、ローハイドとかララミー牧場といった輸入テレビ映画の影響であろう、ウエスタンに興味を持ちバンジョーを習いたかったが、小遣いがない年頃で諦め、所帯を持ってからは、ハモンドオルガンを購入し教室へ通った。 しかし、教室へ通ってくるのは子供か女性が主で、オジサンはいない。 そのうち毎週の予習についていけずに諦めてしまった。

 そんな音楽人生なのだが、聴く方は才能に関係ないので、好みのジャンルのCDを集めたり、オーディオ機器を種々選んできたりした。 未だ、専用のオーディオルームを持てないのが残念だが、多額な費用がかかるのでこれは諦めざるをえない。
 さて、音を奏でる楽器は色々あるが、自分が好きな音色のものをあげると、ピアノ、ギター、チェロ、フルート、サックス、尺八、ティンパイプなどである。

 昨日は台風もどきの風雨の中、ご近所に気兼ねせず、音量を上げてピアノ曲を聴いてみた。
ピアノ曲といえば、クラッシクではショパンの小品が思い出されるが、まず聞いたのがウインダムヒル・レーベルであるジョージ・ウインストンのピアノソロであった。 ゆっくりとした心静かになる曲だが、ヒーリングミュージックに類するこれらの曲は、喫茶店などのバックグランドにはいいが、家で聞くにはあまり面白くないかもしれない。
 次に聞いたのが、Keiko Matsui(松居慶子)のDeep Blue。 所謂、スムースジャズと呼ばれる彼女の曲はコンテンポラリーというか都会風だ。 ウキウキと歌いたくなるようなフレーズもあって楽しい。 ご主人の和さんがプロデュースし、一緒に出されたCDは、IN A MIRROR , Compositions ,Deep Bule solo piano version , Spring Selection , The Ring , Wild Flowerなど数限りない。
 そしてサイトを見ているなかで、ご主人の和さんは尺八の演奏をされCDも出されている由。 お子さんを日本で育て、ニューヨークを中心に海外ツアーもされ、さらに子供教育に関した出版もされていると、ご夫婦共に多才な方々である。
 そして、3つ目のアルバムは、ジョン・ルイスのThe Garden of Delight。 ジョンルイスは、ジャズ界で一世を風靡したMJQ(Modern Jazz Quartett)のメンバーで、解散後にバッハの曲をソロで演奏したり、奥さんのチェンバロと共演したCDなどもリリースしてきた。 彼のCDは殆ど手に入れたが、残念ながら、その生演奏を聴く機会はもうなく、良い音源の曲がリリースされるようなら手に入れようと思っている。
 CD棚には、Liz&Tim Story , Kevin Kern , Billy Childs 他などのピアノプレイヤーのものもある。 日本人のプレイヤーだと、古いほうでは、秋吉(穐吉)敏子とか、若手では、上原ひろみがいるが、なかなかそこまで手を広げられないでいる。
 松居和さんが尺八をふくと知ったが、古い所では山本邦山がジャズと尺八の融合を図ったのは有名で、最近では藤原道山がジャンルは異なるが若々しい演奏を聞かせてくれている。 そんな中、アメリカ人の尺八演奏家がいると初めて知った。 その名は、ジョン・海山・ネプチューン。 またCD棚のアルバムが増えそうである。
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 昨日、こんなエントリーを書いたら、秋吉敏子が、日本人としては初めての "米・国立芸術基金(NEA)ジャズマスターズ賞を受賞した" というニュースが流れた。 半世紀にわたる活動が評価されたのだろうが、日本人にとって大変嬉しいことだし、後に続くミュージシャンにとっても大変な励みになるのではと思った。

2006年10月6日金曜日

天然の舞茸

舞茸

 神山で見つけた天然の舞茸である。 自分で見つけられれば大変嬉しいのだが、残念ながらこれは頂き物。

 天望館の野菜売場にも、この所"・・・しめじ"といった茸がいくつか並んでいるが、やはり自分の足で見つけたいもの。 以前、古海の林間で一本カンコを見つけた時の喜びが昨日のように思い出される。

 明日は、ご近所総出で、きのこの会を開くと聞いているが、この雨模様の天気では茸を見つけるのも、会を開くのも大変であろう。

2006年10月5日木曜日

再び、テレビ放映のこと

 黒姫高原コスモス園のトップページに、◆テレビ放映のお知らせ◆ が掲載されていた。
 テレビ東京の人気番組「いい旅夢気分」が、10月3日(火曜)10時25分、テレビ信州で放送されますので是非ご覧下さい。 "初秋の信州 名湯秘湯と秋の味覚"で黒姫高原が放映されます。 出演者は、モト冬樹さん、奈美悦子さん、さとう珠緒さん、江口ヒロミさんです。 とのこと。

 平日の午前中なので見られた人は少ないのではと思うが、これは9月6日に関東地方中心であろうか、テレビ東京で放送されたもので、出演者の名前をあらためて確認した。 今回も見過ごされた方へというわけではないが、黒姫部分を切り出し、小さな映像を見られるようにしてみた。 映像は5分ほど、QuickTime形式で容量は11M。
 

「いい旅夢気分」から黒姫映像(QuickTime)  


 この映像の中では、仁の蔵のモロコシを写していたが、先日、向かいの小林農園でピーターコーンを食べてみた。 ただ甘くて軟らかい味来より、トウモロコシ然とした味がすると思った。 そろそろ季節が終わるということであろう、少し割高になってはいたが買い求め、知人へ最後となった黒姫の夏の味を届けた。



2006年10月4日水曜日

広河隆一さんの講演会に行く

 新聞社やテレビ局の記者などを一般的にジャーナリストと我々は呼んでいる。 しかし、彼らの言動の実態は、政府や機関、企業が発表する内容を精査なく文字やコメントに表すのみで、本来のジャーナリストとしての責務を果たしているとは到底言い難い仕事振りであろうと思う。 テレビ局のアナウンサーなどは、局の方針に沿った原稿を正確に読むだけの役割の人間であって、これをジャーナリストと云う人がいるらしいが、とんでもないことである。
 本来のジャーナリズムというのは、市民一人一人の安全で平和な生活のために、情報や社会で起きている事実を知らしめるものであると思う。 しかし、大手の新聞社やテレビ局は、まず会社の利益を考え、政治や社会体制にあがらい、真実を希求するような記事を書かないし、情報も提供しない。
 従い、最近は目的意識のある情報誌を見るようにしており、その一つが週刊金曜日であり、もう一つがDaysJapanである。

 先日、そのDaysJapanを主宰しているフォト・ジャーナリスト 広河隆一さんの講演会に参加し、チェルノブイリを主にした放射能被害の実態をうかがって来た。 これまで、新聞やテレビで対岸の火災のように見てきた我々にとっては、生々しい被害の実態であり、20年後の現在でもその被害は連鎖的に続いているという事実を知ったわけだ。
 そして、被爆被害の調査団の代表であった重松という人物は、原子力を是とする観点から被害をより矮小化した報告を纏めたということであった。 国際原子力機関(IAEA)国際諮問委員会の委員長を勤めた重松逸造氏,(財)放射線影響研究所理事長)らしい。 唯一の被爆国である日本人として、あるまじき行為であると聞いた。

 原子力は人類が発見したものの中で、最大のものであると云えるが、これらによる核被爆や核のゴミを考えた時、これほどやっかいなものはない。 宇宙服のような被爆を防ぐ防護服をテレビの映像などで見ることがあるが、ある種の放射線に対しては全く役にたっていないとのこと。 原子力発電所が日本にもあちこちあるが、もし災害が発生して放射能が拡散した場合、何ら被爆を防ぐ手立ては我々にも、行政機関にもないとのことである。 浜岡原発が被災した場合、核拡散は東京まで達するという。
 軍隊である自衛隊には防護服などの設備はあるが、それらの防護服では全ての放射能から身を守ることができないと彼らは知っており、かかる災害が発生した場合は、見守るだけで直接手を下すことはしないことを暗黙の了解としているらしい。 日航機の御巣鷹山墜落事故の救出遅延は、そういう理由によるもので、かなり年月が経った現在でも、体制は変わっていないとのことである。

 北朝鮮が核実験をしようとし、アメリカを中心とした国々は、これを阻止しようと躍起になっているが、国勢を高めるには原子力にかかる技術を持つことは大方の流れであり、今後南米やアフリカなど力をつけてくる国々にも同様の動きが出るであろうから、核の恩恵に浴しているアメリカや日本が否定しても、いつまでも抑え込むのは無理な話だと思う。
 原子力は、兵器と平和利用が一体であり、これを分離して考えることは出来ず、核のゴミや事故を考えた時、原子力そのものを根絶する方向で考えるべきだ。 ウラジオストック港に原潜の残骸が放置されていると以前報道されたが、その後どうなったであろうか。 我々は、被爆した魚を食べているかもしれない。
 500年、1000年後を見据え、地球を核のゴミの星にしないよう、核にたよらないエネルギー政策を地球レベルで考えるべきで、アメリカがそういう視点で捉えて行かない限り、北朝鮮やイランの動きを押させようとしても説得力は何もなく、国際紛争の解決にもならない。
 とにかく、非核宣言は、兵器のみならず平和利用と言われる発電や船舶など、全てにおいて行われるべきで、それによって経済成長率が落ち、数十年も遡るような不便な生活を我々に強いることになるかもしれないが、子々孫々へ綺麗な地球を残すためには大事なことであると確信した講演会であった。

 そういう視点を持つジャーナリスト、市民がどんどん輩出されることを期待したい。 

2006年10月3日火曜日

ブログ記事サイトが探せる地図サイト

信濃町周辺地図(chizulog)
 ブログ記事サイトを探せる地図サイトというのがある。
 以前から、maplogというのがあったが、今般地図のゼンリンが地図ログというサイトを始めた。
 そこで、早速サイトにアクセスしてみたが、信濃町周辺では該当データなしと何も現れなかった。
 近い所では、旧三水村の天然酵母パンの店「きなり」だけであった。

信濃町周辺地図(maplog)
 以前からあったmaplogでは、一応900近いリストが表示されるが、単に"信濃町"で検索しているらしく、殆どが東京の信濃町界隈を題材にしているものであった。
 それも、大手のプロバイダーやショッピングサイトが提供しているブログばかりで、当サイトのように独自ドメインで開いているようなサイトは含まれていない。

 Googleで、ふさわしいキーワードを入力して探す方が、目的とするサイトが早く見つけられそうだ。
 今回の検索で見つかったのは、 黒姫ライジングサンホテル と 信越病院 のブログであった。 どれも開いて日が浅いようだ。

2006年10月2日月曜日

記念式典に参加して

 30日の町制50周年記念式典に参加した感想を書こう。
 参加と云っても、招かれたわけでもないし、勝手に総合グランドに行ったもので、体育館の中で行われた式典は見ても聞いてもいないのだが、種々計画された記念事業の中で、当日の式典が最大のものであったろうと思う。

 グランドで行われた、100人太鼓の響きには、年老いた我が身にもわずかながら血肉踊る思いがしたし、18地区の神楽の舞にも感ずるものがあった。 最後の花火も大変綺麗であった。 地元企業や商店がたくさんに協賛されていたので、あの花火はそういう協賛金のお陰ではないかと言っている人もいた。
 総じて良かったのだが、この最大のイベントが行われたことだけで満足していいのか、ふと心に思うものがあった。 確かに祭は楽しい。 しかし、将来の子供たちへ残す町を考えた時に、楽しいだけではない、もっと考え抜かれた事業が行われるべきなかったかと思った。 具体的な事は言えないのだが、大人が焼き鳥片手にビールや酒を飲みながら、神楽舞を観覧するだけでは、お盆の屋台や祭風景と何ら変わりがない。

 町長や地元選出衆議院議員が、町民の中をこまめに回っている姿にも抵抗を感じた。 来る選挙への布石作りではないかと思いたくもなった。 にこやかに酒をさしつさされ、握手するのが政治ではないと思うのだが、まず親近感を植え付け票につなぐのが常套手段なのであろう。 町民もそういう人物と気楽に話ができたということで、他の人とは違う自分を意識し満足するのであろう。
 町制20年か30年の時も、神楽を出すなどして似たような式典が行われたとのこと。 期待した50周年の式典ではあったが、安易に組まれたようにも感じた。

 家内は、はなから式典には興味を示さず、あるペンションで行われたコンサートへ出かけた。 シャンソンが主な内容だと、自分の好きなジャンルではなく、行かなかったのだが、ピアノ伴奏された方の演奏がすばらしかったとのこと。 その点は少し残念であった。 50名ほどの参加者のうち、半数近い人たちが宿泊された由。 本タイトルと離れてしまうが、ペンション経営も単に宿泊を提供するのではなく、人と人のつながりを大事にしていけば、続けていけるのだと実感した。 要は、経営者の質とか心の問題であろう。

 前長野県知事の人柄や政策には、異質なものや方向のズレはあったが、住民に目を向けた信念のようなものがあったように思う。 信濃町にあっても、根回しのうまい町長ではなく、住民を生き生きとさせてくれるような行政を執り行なってほしいと思う。 式典事業にご苦労された役場職員には申し訳ないが、ありきたりの式典ではないもの、1万人の町民の心に残るような視点で、記念の事業計画を練って欲しかったと思うものであった。

2006年10月1日日曜日

50周年記念のイベント

古間上町(かんまち)組の神楽舞 昨日30日、町制50周年の記念式典が行われた。
前日の夜7時頃には土砂降りの雨が降って、天気がどうなるかと思っていたら、朝方は濃霧であったものの快晴の天気に恵まれた。 おかげで昼間は暑さを感じるほどであったが、日が沈むと寒暖の差をひしひしと感じた。
 記念式典は13時から体育館で行われていたようだが、プログラムを持って行かなかったので気づかず、しばらく外で待っていた。
 17時から、100人太鼓、17時半、各区から18の神楽が出て、神楽舞の共(競)演となった。 どれも似たような舞のように思えるが、飾りつけや踊り手の細かい所作は違うようだ。

古間音頭の櫓と踊りの輪 神楽舞が終わった後には、櫓を中心に古間盆踊りに全員参加。 踊りの大きな輪が二重に出来ていた。 こんなに沢山の参加者がお盆の時にいれば、もっと盛んになるものをと思った。 そして、最後には打ち上げ花火。 初めは同じような花火ばかりだなと思っていたら、クライマックスには皆のスゴーイという歓声が立ち上がるほどの華やかさがある花火が上がっていた。
 最後は、姉妹都市である千葉県の流山市長の挨拶、町長の閉会の辞で終了し、20時半には帰途についた。