お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*平和の琉歌



*うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」


*the world is coming to an end



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

2007年1月31日水曜日

阪神淡路大震災の記事から

今日の暦から : 体調悪化は気のゆるみから

昨日早朝の黒姫山

 昨日は大変良い天気で黒姫山が良く見えていました。 家々の屋根の雪は全く消えてしまい、この時期、雪下ろしが必要の無い年は珍しいというか、初めてのことではないかと勝手に想像している。 ある方のサイトでは、べと(土)が顔を出して、ひょっとしたらフキッ玉が見つかるのではないかなと書いている。

 明日から寒気団が南下するという予報なのだが、期待(?)した通りに降らないのが今年の雪。


 さて、神戸と淡路島を中心に起きた阪神淡路大震災から12年が経った。 去る17日の早朝、慰霊をささげる十三回忌が市内の数ヶ所で行われたとテレビのニュースは伝えていた。
 しかし、事件や事故は風化していくもの。 テレビや新聞には話題として載ることが少なくなった。 あれだけの死傷者が発生したにもかかわらず、当日の政府や大臣から慰霊の言動はなかったとのこと。
 ひょっとして、彼等の頭の中から先に風化しているのかもしれない。 未だ仮住まいをしている方は、神戸に限らず三宅島や十日町でも見られるらしい。 これら被災者に対し、行政が一番先に手を引いてしまう所に、日本の貧困を見るおもいがする。 自然災害にはもっと篤い援助があって然るべきだ。
 こんな思いをしたのは、1995年3月のアエラに記載された震災の記事を見たためである。


鷹取教会・焼け跡にイエスを求めて (アエラ1頁目)
鷹取教会・焼け跡にイエスを求めて (アエラ2頁目)

 過去の震災映像や復興の過程、被災者の心を知るサイトを見つけた。
その一つが地震報道映像ライブラリーで、テレビ放送された映像をそのまま見ることができるし、神戸新聞Web Newsの大震災のページでは、これまでの新聞記事など膨大な情報を見ることができる。 同胞の未曾有の苦労を忘れないため、また将来起こるであろう災害に備えるためにも、見て行きたい。

 次に、たぶん2006年放送のNHKの番組であったと思うが、テレビ映像の中からスナップショットを残した。 アエラの記事にあった、鷹取教会の神田神父に焦点をあて、地域の宗教者や人々と復興に向けての支えあいを写しているものであった。
 なお私事だが、震災が起きた1995年の2月と5月に、この長田地区には足を運んだことがある。

教会附属幼稚園の火災? 神田師が荷物の取り出しに心を奪われたと反省した映像であろう 火災が収まった頃の鷹取教会の全景
長田放送局に集う地域の宗教者たち 教会の再建工事が始まる日、火災を防いだという像にヘルメットを被せる
工事現場で10数年の苦労を滲ませる神田師 再建工事が始まった鷹取教会


2007年1月30日火曜日

JAL機内誌から

今日の暦から : 腹八分目で箸を置く

 5年前のJALの機内誌が手元にある。 之も片付けの中で見つかったものだが、真ん中に付箋が貼っており、何かと思って開いてみたら、ニコルさんの随筆が載っていた。 たまたまJAL機に乗った時にいただいて来たものだと思う。
 タイトルは、「森が結んだ日英同盟」。 ニコルさんの出身地であるイギリスのウェールズに再生した森林公園にならい、黒姫にアファンの森を育てるNGOを組織したとある。 今となっては、書かれてある内容は新聞や雑誌などにも書かれている、既知のものであろう。
 文中にある、ウェールズの中心にある都市カーディフには10年前に行ったことがあるが、近くに昔の人々の生活を再現した民俗村(蝋人形やモノコックのような展示ではなく、昔の製法で実際のパンを作ったり、農機具造りなどをしている)があって、大変興味深く見聞したことを覚えている。 イギリスはトラスト運動発祥の地であり、蒸気機関車が動態保存というか、実際の交通機関として乗れるなど楽しい所でもある。 雑穀の粉で作ったパンであろうか、車内で売っているサンドイッチも素朴で美味しかった。
 アファンの森のついでに、スノードンの可愛い列車が山を登る、あの景観が黒姫で見られたらと、ついつい無い物ねだりのような夢を見てしまった。

「森が結んだ日英同盟」 - CWニコル(JAL機内誌ウインズ2002年4月号から)



蒸気やディーゼルが押すスノードンの客車
カーディフへ向かう途中、ポーツマドグ付近で見た蒸気機関車(ナローゲージ?)


2007年1月29日月曜日

国立新美術館

今日の暦から : イライラはカルシウム不足   調理の工夫で無理なく減塩

街中のポスターから

 昨日は、一週間前にオープンしたばかりの東京・六本木にある国立新美術館へ行ってきた。 美術館へ行ったと云っても、美術を鑑賞してきたわけではなく、カメラ器材を背負っての写真撮影である。

 新名所ということで上野公園のようにひっきりなしに入館者が来るのだが、どの展示がお目当てなのかは分からない。 この場所は米軍のヘリコプター発着地であったものが返還されたらしい。 近くには防衛庁(省)の施設があった所が、東京ミッドタウンと称した施設が出来るらしい工事現場があった。

 黒川紀章が設計したという建物を中心に光と影の切り取り絵を期待していたのだが、午後からの陽は雲に隠れてしまい、無機質な構造物と溢れるばかりの人の群れで、結局撮るものがなかった。

 そのため街中のビルのガラスに写る虚像と実像を組み合わせる撮り方をしたのだが、こんな写真しか撮れなかった。


東京ドームの夜景
 そして場所を移したのが東京ドーム。 大昔の後楽園(庭園と球場)しか知らず、初めて訪ねた場所であったが、冬でイベントもないのであろう人影は少なく閑散としていた。
 撮影は全てポジで撮っており現像の上りを見ないと成果は分からず、今日の所はデジカメで撮った映像を載せてみた。


2007年1月27日土曜日

山紀行 苗場山

今日の暦から : 腰痛防止に柔軟体操

 昨日に続いて秋山郷の話題を掲載。 秋山郷というより、むしろ登山口がある苗場山のことを書いた切抜きを読み、山上湿原はお花畑で日帰り登山が出来るとあって、一度は登ってみたいと記事を残した。
 文中に、苗場山は筍山と書かれているが、以前持ち主が懇意だと知人に連れられ私有地の山の斜面を歩いたが、タケノコやワラビ、フキなどが随分と取れたことがある。 自分たちでは取れなかったが、頂いたワラビの長さと太さが尋常でないのに驚いたこともあった。

苗場山 神の湿原、幻想の美 (日本経済新聞2005年7月23日)



2007年1月26日金曜日

秋山記行

今日の暦から : 喫煙しながらの酒は危険

ねこつぐら

 2004年秋に、秋山郷から奥志賀へと遊行したことがあり、鈴木牧之が泊まったという宿に一晩お世話になって、その時に「秋山記行」とか「北越雪譜」という書を知った。

 昨冬の秋山郷では、異常な大雪で集落が孤立し自衛隊のヘリコプターが出動したり、除雪の結果かろうじて通れるようなった車道を時間制限で通行するなど、ご苦労されているとテレビのニュースで見た。 今年は、逆に異常に雪が少ないので平穏な生活をされていることと思う。

 我々が泊まった数日後に、日刊紙の文化欄で、これらの書を記した鈴木牧之のことを書いた記事を見つけ、切り抜いていたのを忘れ、この度再び目にしたのである。 江戸時代に、この秋山郷の暮らしを「北越雪譜」にまとめた鈴木牧之を40年にわたって研究されてきた高橋実さんという方が寄稿されたものであった。

雪の概念変えた北の文人 (日本経済新聞2004年10月20日朝刊)



 「秋山記行」については、信濃教育会出版部発行の「現代口語訳 信濃古典読み物叢書」という郷土を学ぶための中学生向けのシリーズ本があり、その8巻目に口語訳した秋山記行が含まれている。 信州大学教育学部附属長野中学校編と記されている。
 多くの漢字にふりがながふられているので読みにくいが、もともと中学生のための書だから仕方ない。 これを見ると、秋山郷だけでなく、日本のそこかしこで日本人は慎ましい生活をしていたのではないかと思え、何気に懐かしさを感じてしまう。

 因みに、本書のシリーズの5巻目に一茶物語があり、寛政三年紀行、父の終焉日記、おらが春が収められている由。 次回長野に出た時にでも書店をのぞいてみよう。
 なお、秋山郷を訪ねた数日後の23日に、中越地震が起きている。

2007年1月25日木曜日

天望館の豆まき大会の予告

今日の暦から : 背の青い魚に栄養多し

1回目の豆まき会

 古書店というのは宝物を秘めた店ではないかと最近思えるようになってきた。 昨年暮れも、直江津へ魚を買いに出た帰りに、高田の街中の古書店でだいぶ古書を買い込み、その中にニコルさんの単行本も数冊入れた。 なんせ一杯の珈琲より安い100円余りで1冊が買えるのがいい。

 先ほど読んだのは、三津田富左子さんという方が書いた「50歳からの満足生活」。 半世紀以上、朝日新聞や東京新聞に投稿を続け、その姿が目に留まって、本書を出版された由。 加賀百万石前田家の末裔にあたるというから、世が世であれば大変な方なのであろう。

 いつも今日を楽しみ、明日が待ち遠しいという生き方をされ、現在は94歳に為られていると思われる方が、他人にたよらず楽しく暮らす人生の秘訣を述べているのである。

 そろそろ老域に入って来たかなと自認しようとする自分に、もっと豊かな人生がこれからもあるんだと教えてくれた書である。 つまらぬ諍いや僅かな蓄財に拘泥し、日々の出費に一喜一憂するより、見聞を深め楽しく満足した時間を持つことの方が、生きて来たんだという実感があるであろうと実に思う。

1回目の豆まき会

 さて、信濃町観光協会の新着情報に、道の駅しなの「ふるさと天望館」の「豆まき大会」がアナウンスされている。

 確か、2003年に第1回目の豆まき会が開かれたのではないかと、その時の写真を引っ張り出してみた。

 去る7日のもちつき会の時は、強い低気圧の移動で強風や雪に見舞われ、人出が少なかったようだが、以降雪降りの少ない日が続いているので、2月4日はたくさんお客さんが来られよう。

天望館 豆まき大会のお知らせ 2月4日(日)



2007年1月24日水曜日

Hawaiian Slack Key Guitar

今日の暦から : 一日30分の早足歩行

Hawaiian Slack Key Guitar Masters

 ハワイアンと聞くと真夏の音楽だと多くの方が思うであろう。 何も寒い雪の季節の話題でもなかろうと仰るかもしれない。
 そういえば先日テレビで「釣りバカ日誌」という映画を見た。 西田敏行の太鼓腹を見せられるのは苦痛なのだが、尾崎紀世彦が歌うハワイアン・ウエディング・ソングは良かった。
 さて今日記すHawaiian Slack Key Guitarは一般に聞くハワイアン音楽とは少し違う(と思う)。
 CDに添付された資料の一部を記そう。
 

 (前段略)
 スラック・キーの演奏は、指を通して心の底からあふれ出す暖かい南国のイメージを生き生きと伝えるだけでなく、島々を越えて広く世界共通の情感を表現するものである。
 スラック・キーの歴史は、1830年代にさかのぼる。
 当時、ハワイでは牛の数が増えはじめ、土地のカウボーイ(バニオロ)たちの応援にやって来たスペイン人やメキシコ人のカウボーイたちが初めてギターを島々に持ち込んだ。
 ハワイの人々はたちまちギターを自分たちの文化に取り入れ、自分たちの音楽合うように弦をゆるめたりして、チューニングにいろいろな工夫をした。
 「スラック・キー」とは、弦のうちいくつかを標準的な調律から少しゆるめて、親指で低音部を弾きながら他の指でメロディーや即興を演奏する方法である。
 スラック・キー奏者は、つま弾き式で演奏し、しばしばシンガーの声域に合うようギターを上下に調律して、一定のリズムでフラダンスや歌の伴奏をする。 この伝統にたえず改良が加えられ、今日の演奏者は親譲りで代々伝えられた技法と調律に基づいてそれぞれ独自のスタイルを発達させている。 (後段略)

 ゆっくりとしたメロディーやリズムは、騒音に近いロックやメタルに較べると、随分と心を和やかにしてくれるものだ。 心の底まで、また体の筋や節々まで緩めば、気分爽快! 何も、もっともらしくヒーリングとか癒しなどという言葉を使う必要などない。



2007年1月23日火曜日

「松谷みよ子の世界」の新聞記事

今日の暦から : 睡眠こそ最高の健康法   乾布摩擦つづけば効果

23日朝8時の黒姫

 雪は降ってもわずかで、今日は3月初旬を思わせるような天気であった。 除雪に苦しんだ昨年とは大違いである。 生活する人にとっては雪が少ないのは助かるが、ウインタースポーツを生業にされている方にとっては雪乞いをしたい気持ちであろう。

 この所、20年近く自室に貯め込んだ諸々の片付けをしている。 片付けというより、長年積み上げて来た不要物を捨てる作業なのである。 必要なのだと、また見ることがあると、使うことがあると、などと理由をつけては書棚に積んだ書籍は結局一度も開くことがなかった。 パソコンのソフトを収容したFDにいたっては箱に入れたままで、既に使えるPCは壊れたり買い換えたりで、もう動かないソフトばかりなのである。
 数百枚のFDを捨てるにあたって、内容を確認する手間がかかるので、鋏で媒体に切り込みを入れて、内容が判読できないようにした。 CDや光ディスクは、尖がった金具で傷をいくつも付ける。 これらの作業に結構時間がかかる。 そしてマニュアルは持ち出し易い程度の厚みにして紐で括る。 後は決められた収集日に決められた方法で出すのである。 やっと室内の半分程度整理できた感じだが、まだまだ作業は続く。

 そんな中、今日は童話館を紹介する2004年の新聞の切抜きが見つかった。 2004年4月、黒姫童話館では松谷みよ子さんの作品の常設展示を始めたと記してある。 その内容を紹介するものであった。

松谷みよ子の世界 (新婦人しんぶん 2004年5月13日)



 松谷みよ子さんは、先月、仁の倉のお蕎麦屋さんで見かけたのが初めてだが、童話の世界にとんと縁のない者にとっては、普通のおば(あ)さんという認識しかない。
��切り抜きには、童話館の休館日の記載があるが、変更になることもあり参考にしないで欲しい)

2007年1月21日日曜日

DAYS PAST - BODY AND SOUL

今日の暦から : いろいろ食べて生活習慣病予防


原日本人挽歌カバー(表)

 先日、原日本人挽歌という本をカナダ人が書いたという信濃毎日新聞の古い切抜きが見つかったと記した。 この本は読んだ記憶がなかったので、アマゾンで調べたら古書が見つかり、早速購入手続きをした。
 その書「原日本人挽歌」の英語タイトルが「DAYS PAST - BODY AND SOUL Japan's countryside story」である。

 著者のアン・マクドナルドさんは、16歳の1982年にAFSの交換留学生として大阪で1年学び、6年後の1988年には熊本大学に留学したとのこと。 大阪でのマキおばあちゃんとの出会い、熊本松橋での藺草植の体験の中で交わった年寄り、そういう中から日本人の本来の心に触れられて来た。

 そして、1991年にアメリカ・カナダ十五大学連合日本研究センターの研究員に受験し、見事合格した時に、黒姫で富夢想野舎という農村に暮らすという新しい姿を作り始めていた磯貝浩さんに出会った。


原日本人挽歌カバー(裏)

 そういう流れの中から本書は生まれたわけだが、
 第一部 身体で知った「もう一つの日本」   あたたかくて豊かな南の平野に生きるお百姓さんたち
 第二部 1989年初冬~92年初夏   黒姫周辺の「手で考えるお年寄りたち」とわたし
 第三部 さむくてやせた山国の狭間に生きるお百姓さんたち
と構成され、


第一部では、熊本での生活の最後の機会だと、松橋(まつばせ)の藺草(いぐさ)農家で植え付けを体験し、そこで働くおばさん、おばあさん達と交流し、その心に触れる。

第二部では、黒姫での生活を記し、木皮削り、薪割り、雪かき、草刈りなどの作業に加え、鳥や羊をしめる作業を体験する。 そして、黒姫や戸隠、三水で働いてきた老いた職人の技と心にも触れる。 蕎麦、凍そば、薪割り、藁草履、竹細工、鍛冶屋、桶屋などなど、その達人は多かったようだ。
第三部では、酪農に失敗された農家の方との交流、芋川神社の馬簾回しなどを記している。


 これを読むと、実に沢山の名人が黒姫の周囲に居られたことが分かる。 本書をまとめられた時から15年前後経過しているわけで、そのような名人の技がどの程度継がれているのか、既に殆どの技が消え去ってしまったであろうと、非常に残念な思いがする。


 一茶記念館には、民俗資料棟が併設され、信濃町の昔の生活用具などを展示しているのだが、ただ雑然と置いてある感じで、詳細な生活の説明がない。 本書は、今の人たちにそういう達人が居られたことを教え、展示品をその理解のために活用することが出来る。 それこそ町の文化向上にも、郷土愛というか故郷をいとおしむという心にもつながろう。
 そういうふうに考えると、本書は、実に黒姫の財産の一つではないかと思える。



 さて、アン・マクドナルドさんが卒塾1期性となった富夢想野舎だが、町の中で見聞きするようなことはなかった。 磯貝さんについては、「われら自然人」という古いNHKの番組に出演していたし、在宅勤務を話題にした別の番組で、黒姫の仕事場を写している映像を見た記憶がおぼろげながらある。

 冨ケ原にあったという、富夢想野舎が町の中でこれまで何も話題になって来なかったと思ったら、1994年に火災により消失してしまい、磯貝さんは撤退されてしまったようだ。


 本書の出版元の清水弘文堂書房は、磯貝浩さんが代表になっており、エコ関連の出版物もあるようだが、最近の活動の様子はうかがえない。 出版物の一部に、あん・まくどなるどさんのお名前が見られ、書名からも自然や環境にかかわっておられるようだ。 しかし、愛人を官舎に囲った本間前税調会長の推薦書きがある出版物が刊行物にある所から、あまり自分の信条とは異なる世界の人のようにも思えて来た。


2007年1月20日土曜日

信濃中学生によるモニュメント

今日の暦から : 頭を使って気を使わない

 信濃中学の生徒さんのデザインによるモニュメントが黒姫駅前に設置されたと、町の広報誌に出ていたので、先日写真に撮って来た。 確か、もう一つあるのではと、北信五岳道路から古間小学校へ曲がる角のモニュメントも同様に写した。
 信濃町ばかりではないのだが、こういう構造物を撮ろうとした時、電線とか看板とか意外と邪魔なものが多い。 設置する時に、作品と景観というものをうまく融合させることを考慮してほしいとつくづく思う。
黒姫駅前のモニュメント 北信五岳道路脇に設置してあるモニュメント


ブログ・リンクを追加する

 右側にある Kurohime Blog Links に黒姫および周辺から発信しておられるブログを10件ほど追加した。

 不都合がある場合には、このエントリーにコメント願います。 コメントは一時保留され非公開としますのでご安心下さい。 フォームメールを使いたいのですが、未だ正常に動作しておりませんので。

2007年1月19日金曜日

92歳の古老から電話をいただく

今日の暦から : ウイルスは過労が好き

白馬一帯の山々

 ご近所の方から、乗鞍岳や白馬岳など一帯の山々が見える場所があると聞き、5年余り前に行ったことがある。

 戸隠、鬼無里、小川村と抜けて、その場所は白馬村に入ったばかりのトンネルの出口であった。 坂をそのまま下れば白馬村の中心に出られるという場所である。

 その場所で、村からバイクで上がってきたという一人の古老に会ったのである。 天気の具合を見て、バイクで上がってきて、しばしば山々をカメラに納めているとのこと。 山のこと、季節のことなどをうかがっているうちに、お齢が86だと分かった。 別の季節の時の写真を送るからと、住所をお知らせし、その時はそのまま別れた。

 そして、しばらくして達筆なお便りとともに、別の季節の写真を送って来られた。


 その後、お住まいの村へ訪ねたり、電話で話したりしているだけだが、大学の成人学級に参加されたり、書を楽しまれるなど、家内と随分と話題が共通し意気投合していた。

 今日、その方からお電話をいただき、92歳になられた由。 もう書物や書の話しはあまりできないが、電話で普通に話しができるほどお元気であった。 戦争中は、兵役についておられたのであろう、昔の話はされないが、大変厳しい勤務につかれ、戦後もご苦労をされて来たようだ。 そんな雰囲気が時折言葉のはしはしに出ることがある。 変わりすぎた日本の今の社会を、いつも憂いておられるが、ご自分の苦労をあからさまにしない分、その思いがいつもこちらに伝わって来る。
��5年前の痛んだネガをスキャンしてみたが綺麗には取り込めない)


2007年1月18日木曜日

黒姫さま

今日の暦から : 湿度保って風邪予防

黒姫さま

 信濃町インター脇の道の駅「天望館」では、「黒姫さま」と題した木造のマスコットを販売している。 写真で見るように大変可愛いらしく描かれており、机上での一時の慰めにもなりそうな一品だ。

 由来の「黒姫さま」という中野に居城があったお姫さまのことは民話「黒姫伝説(黒姫伝説と七つ池)」に詳しく描かれており、信濃町の民話として出版もされているが、こちらのペンションのサイトで見ることが出来る。

 因みに、七つ池とは、黒姫山に隣接する小黒姫(本来の黒姫山で、外輪山の方が高くなってしまったので主客転倒し、小黒姫と呼ばれるようになった由)との間にある、笹におおわれた花園のような場所に散在する七つの小さな池のこと。 サンショウウオが生息している。)


鳴けない山鳥の詩

 しかし、民話はいわゆる昔話で、それだけで終わってしまう。 今からそれほど遠くない近世に、黒姫山を舞台にした山窩民族の生き様を描いた「鳴けない山鳥の詩(うた)」という書籍が天望館で販売されている。

 本書の帯には、
 文明が大河となって流れ出した明治期、山岳信仰の名残の中で、世から隔絶したように奥山に実在した森の学校。 山娘「サチ」は、大自然から得た哲学をもとに、人間教育への闘いを始めた---。
 「自然との共生とは何か」、「真の教育とは何か」を、卓越した自然観で現代に問う
とある。

 これこそ、現代の信濃町が生きる術というか、指針ではないかと思う。

 明治期の黒姫山中には、山岳信仰の天台思想を心の支えとし、自然の織りなす四季折々や全ての自然物を"いのち"あるものとして受け止め、木地師、きこり、炭焼きだけで森の民として生業(なりわい)を立てていた30人ほどの人々が住んでいた。

 村人達が貯めていた"熊の胃"を出し合って作った黒姫小学校、
 帝大を出たばかりの有望な将来をなげうって杣人(そまびと)の子供達の教育に情熱を注いだヒコサ先生、
 サチの教育に身を注いだガンジー、
 黒姫尋常小学校の教師を夢見て一所懸命に勉学に励んだサチ、
 しかし部落出であるがゆえに体制に迎合出来ずに自らの夢を放棄して関山村の一遇で尼僧として一生を過ごしたらしいという結末である。

 ここには、サチが住む黒姫山を中心とした壮大なドラマが描かれており、自然信仰という現代にも通用する内容となている。 本書が示唆する内容から色々なテーマが出てくると思う。 信濃町の観光事業の指針にもなろう。
 黒姫の将来を形作る、大きな一冊であると思うのだが、、、、


2007年1月17日水曜日

野尻湖畔の土地にかかわる記事を見て

今日の暦から : 肥満の分だけ苦しむ内臓

 昨日に続いて新聞の古い切抜きを見つけた。 1993年10月2日付朝日新聞(夕)の記事で、「18億円を脱税の疑い 野尻湖の観光業者を逮捕」という表題のものであった。
 あの頃は、野尻湖の桟橋条例に違反した大型遊覧船を就航させようとする計画や、これに対し町民全体の問題として野尻湖をとらえ動かれた方々の話ばかりが聞こえてきて、この記事はあまり大きな話題にならなかったようだ。 だが、今思うと、どちらも企業や人物的にも一脈通ずる所があるように感じられる。
 遊覧船問題は、本末転倒なのだが、違反した大型船に合わせた条例に変更することで、結局業者のゴリ押しが通じたような形で決着し、今や町民の間でも既に忘れ去られ過去のものになっている。

18億円を脱税の疑い 野尻湖の観光業者を逮捕 (朝日新聞1993年10月2日から)



 さて、昨年11月の選挙で、信濃町の町長は新任の方に代わったが、その選挙に先立って、当ブログに、「立候補者二人の政策意図が不明、どちらになっても良くならないのでは」というようなコメントをされた方がいた。
 その後、旧来の町民の方や移り住んだ町民らと町政について話したが、こんな小さな町でありながら、権益獲得にやくざ紛いの動きが見られると知った。 前段の新聞記事は、売上を計上せず、引いては課税逃れをしたものだというが、そもそも野尻湖を餌に商売をするという緒に戻って考えてみたい。 つまり、一企業や一個人の利益のために、信濃町の自然環境を利用してほしくないし、町全体の総意の中で一定の考慮がされた商取引であってほしいと思う。 身勝手な商行為の蔓延を許したら、野尻湖はハイエナに食い荒らされた屍になろうし、信濃町全体も旧来のまま変貌を期待することはできない。

 野尻湖の北や東地区は、YWCAなど教会関係や学校関連の所有となっており、また国際村などもあって、第三者の所有による乱開発の心配はないのだが、この記事の現場であろうか、南側から東大の寮があった辺りは、今後どう変わって行くか気になる。
 先日、国際村湖畔から旧三菱銀行寮の間に目新しい建物がいくつか建っているのに気がついた。 現在の不動産所有者に問うことはできず、早くから町が野尻湖のあるべき姿を描き、早い段階で一定の枠にはめ、行政指導をしていれば、かかる事件のような商売の具(愚)として利用されなかったはずだし、野尻湖の全体像を考えた湖畔の開発や土地利用ができたはずだ。
 これまで末梢的なことに囚われ、ビジョンを持たないで来た所に大きな落とし穴があるようにも感じる。
 この正月に善光寺詣に出かけた。 長野駅から善光寺までの道を歩きながら、商店などを見ている中で、正月だという華やかさや活気が全く感じられなかった。 長野市内に勤める方から賀状を頂いたが、駅近くに勤務されている営業所を近く閉鎖するようなことが書かれていた。
 信濃町ばかりでなく、県庁所在地である長野市でも、そごうデパートやダイエーの閉店から始まり、地盤沈下が一層加速されているようにも感じる。
 脇にそれてしまうが、使途不明金が解明されないままの長野オリンピックは誰のためであったろうか。 あの時の借財は今も県民の肩に押し被っているであろう。
 飯山市などは、北陸新幹線の延伸開業に観光客流入の期待を寄せているようだが、便利になれば泊まらないで通過するだけの観光客はそれほど金を地元に落とさない。 このように信濃町だけではなく、地域の過疎化や沈滞化は、長野県北部全体の問題としても捉えられる。
 しかし、栄村のように頑張っている寒村もあるわけで、ここはやはり、村民や町民一人一人が自己の利益に邁進するのではなく、地域全体の存亡にかかっているという意識を持って、行政や地域経済のことを考えないといけないと思う。 10数年前の新聞記事にあったような、このような事件を再び起こさせるような行政ではあってはならないことを、新任の町長に期待したい。
新あさま世代10 新幹線待ちわびる飯山 2007年01月15日
 長野市の北部、中野市から飯山市に向かって高架橋の建設が進む。97年10月に長野まで開業した北陸新幹線。8年後の2014年度末までには、新潟県上越市に抜けて金沢駅まで伸びる予定になっている。
 長野―糸魚川間は98年3月の着工以来、約64%で用地の買収が終わり、トンネル区間の工事の進捗(しん・ちょく)率は約75%。「全体として順調で、予定通り」(鉄道・運輸機構)という。
 飯山市で昨秋、あるうわさが広がった。「開業が2年早まるらしい」というのだ。
 「線路の消雪用水の工事が予定より早い」や「国会議員から聞いた」など、いろんな情報が商店街や市役所を飛び交った。
 「うわさは、飯山市民の焦りを映しているのではないか」。店の軒からひさしが突き出す「雁木(がん・ぎ)」が雪国らしい風情を醸す本町商店街。明治から4代続く眼鏡店を経営する池川汪(ひろし)さん(62)はそう見る。
 焦りの原因は人口減だ。昨年末の2万5362人は、10年前と比べて1割以上少ない。この3年間の減少数は262人、337人、463人と加速する。少子高齢化による自然減に加え、昨冬の豪雪は、お年寄りが都会の子どもの元へ転出する動きに拍車をかけたとされる。
 本町商店街も10年前から10店ほど減り、現在は約50店。閉店すると、雪下ろしもできなくなるので建物を取り壊す。シャッター街どころか、歯抜けのように空き地が点在する。
 「8年後、開業の効果を生かす体力が街に残っているかどうか」。本町商店街近くで4代続く菓子店経営の平野信一さん(47)は、それを心配する。
    ◇
 96年12月25日、飯山市役所に「祝・フル規格着工決定」の垂れ幕が掲げられ、職員たちが庁舎前で万歳を繰り返した。
 当時市長だった小山邦武さん(71)は、知事や副知事と東京の首相官邸にはりつき、整備新幹線の着工順位をめぐる政府と与党の折衝を見守った。状況が好転した時、池田典隆・副知事(当時)と固い握手を交わした手のしびれは忘れられない。
 90年から3期12年務めた小山さんは「無傷の自然、『日本のふるさと』といえる原風景を守り、新幹線が運んでくる人たちを魅了する」という方針を立てた。「幸い、斑尾山など北信五岳の山肌に、土砂採取や大規模林道の傷跡がない。これを大事にしようということです」
 93年に「沿道景観維持に関する指導要綱」をつくった。国道沿いのコンビニ店の看板を軒より低くしたほか、道ばたの商業用看板を高さ5メートル以下に抑え、表示面積に制限をかけた。
 一方、自然をより楽しんでもらえるよう、鍋倉山に97年、6ヘクタールの「なべくら高原・森の家」を整備した。飯山市から栄村まで約80キロ続くトレッキングルート「信越トレイル」の拠点。昨春、林野庁の森林セラピー(療法)基地の認定を受けた。
 新潟を含めた周辺自治体も、スキーや温泉に頼る観光から、自然や風景を楽しむ「グリーンツーリズム」に幅を広げることで足並みがそろいつつある。
 「人口減を心配するより、新幹線で都会から訪れる長期滞在者を増やすことの方が現実的」と小山さんは考える。
 昨年11月の市長選で無投票当選した石田正人市長(73)は、新幹線が人口減に歯止めをかけてくれると期待する。通勤圏が広がれば、市外に転居する必要がなくなるという理屈だ。「人口減を止めなければ、街の衰退も止まらないのです」
 石田市長は、飯山駅から志賀高原と新潟・妙高を結ぶ道路を整備し、観光客を経由させる構想を柱に据える。
 どうすれば新幹線の恩恵を受けられるか。開業を待ちわびる多くの地方都市で、同じ模索が続いている。(渡辺圭司) アサヒコム - マイタウン長野より

2007年1月16日火曜日

原日本人挽歌

今日の暦から : 規則正しい生活リズムで

 書棚を整理していたら、信濃毎日新聞の「信州見聞録」という古い切抜きが出て来た。 発行日付が分からないのだが、内容からすると1992年頃だと思う。 この頃は、ニコルさんの特集番組がテレビで放送されたり、随分と黒姫が注目を浴びていた頃であろう。
 さて、その切抜きの内容だが、信濃町に3年間暮らしたカナダ人アン・マクドナルドさんが、信濃町や戸隠の職人の技に触れ、その体験を「原日本人挽歌」と題した本に纏められたというものであった。
 読んだ記憶がなかったので、早速アマゾンの中古本を検索し注文した。

北信濃 職人芸に応援歌 カナダ人3年の聞き書き(信濃毎日新聞1992年?)



 グーグルで調べたら、マグドナルドさんは、現在、大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学の教授になっているらしい。 新田舎人フォーラムというサイトに、田植えスナップショッツという本人が書かれたページがある。

2007年1月15日月曜日

仁の蔵にて

今日の暦から : 悪酔い防止、食前に牛乳


有名人?のサイン 最近、手短な所で蕎麦を楽しみたいと、町内の蕎麦店へ行くことが多くなった。 そうは云っても一応の自分なりの拘りがあるので、当然入る店は限られている。
 この所は、仁の倉線にある仁の蔵へよく出かける。 仁の倉地区で生産された蕎麦粉100%を利用しているとのこと。 そば汁たっぷり、熱々の蕎麦団子も美味。 生蕎麦も蕎麦粉も分けてもらえるので、なお良い。
 そんな店の一角に、仁の倉で生産されたお米と並んで色紙が置いてある。 聞く所によると、昨年夏にテレビの番組が取材に来た時に置いて行ったものだとのこと。 特別良いサインだとは思わないし、有名人当人についても全く興味はないが、一応話題にはなると思い、ここに記した。
 なお、TV番組の概要については、いい旅・夢気分に、また動画映像は、 黒姫映像のムービー化に残してある。



2007年1月14日日曜日

ヴォーリズ六甲山荘

今日の暦から : 愛情料理が一家を守る


ヴォーリズ関連記事から 昨秋、信濃町にある信濃村伝道所宣教50周年に関連してエントリーを残し、その教会の建物設計にかかわったヴォーリズについても書いて来たが、先日、日本ナショナルトラストの機関誌「報」が届き、こちらに神戸にあるヴォーリズの手による六甲山荘のことが書かれていたので、そのコピーをここに残した。
 信濃町にある教会や国際村の講堂など、詳細な写真があれば載せたい所だが、部外者としてはそのような機会はなく、今の所は野尻湖フォーラムなどの記事に頼るしかない。



インターネット・エクスプローラ7を外した

 マイクロソフトが新たに提供したブラウザツールであるインターネット・エクスプローラ7日本語版(IE7)だが、窓を開かずにタブ利用ができるということで、昨年11月から利用してきた。
 しかし、まだ十分にこなれていないというか、挙動不審な症状が散見されてきた。
 まず、サイトにつなっがっているのに画面に何も表示しない、フォーム入力の際文字入力が出来なくなる(コピペは可)、ウインドウを一つ閉じると異常動作のメッセージが出て他のウインドウも強制的に閉じられる、等結構作業効率が悪くなる。

 さて、これを外す作業だが、いたって簡単だ。 「コントロールパネル」の「プログラムの追加と削除」から、Windows Internet Explorer 7 を選んで削除する。 一旦OSの再起動をしてから、IEのアイコンをクリックすると、従前のIE6が起動する。 ブックマークなどはそのまま残っている。
 IE7は、そもそもビスタ用なのでOSをアップしてから使った方がいいかもしれない。

 スパムメール削除の容易さから、最近はモジラのサンダーバードを使うようになったので、ブラウザもファイアフォックスをメインにしたいのだが、本サイトを表示する際、ウインドウ内が白くなるべき所が黒く表示されてしまう。 スクリプトの借用サイトはきちんと表示されているので、こちらのCSSの設定か何かが悪いのだろう。 まだまだ理解を深めなければいけない所は多い。

2007年1月13日土曜日

詩信・夢のようでも (続き)

今日の暦から : 病気は予防が最大の防御














夢のようでも


 昨日、「詩信・夢のようでも」のことを書いたら、手元にあると言われ早速読んだ。

 社会的なこと、時事的なことも題材とされているので、はじめはやや面食らった。 でも、実にそうだと合点する所が多い。

 人間としてこの世に生まれてきたのだから、心を通わせ慮る気持ちだけは忘れたくない。

巻頭の版画

 この詩篇の巻頭には、友人の版画家が描かれた作品が織り込みで綴じられている。

 作品の複写にならないようスキャンしたものを小さな画像にしてみた。

 「夢のようでも」と題された詩の間に、新津さんと奥様を中心に配置したのであろうか、地球上の全ての生きとし生けるものと、一緒に生きて行きたいという新津さんの思いを具現化したような図案が構成されている。

目次の一部


 目次の一部を画像にしてみた。 この目次を見るだけでも、新津さんの視点がどこに向いていたのかが分かる。

 なお、本書は私費出版の形をとっているようで、出版元として表示された「千の夢山荘」は、艱難の末山間に住まわれたご自宅の名である。

 数ある作品の中で特に心に残った2点をここに残してみた。 共に大事なことだと思う。

遺骨者名簿



七月に入って県庁脇の掲示板に

広島は九百十四柱 長崎は百一一十九柱の

遺族を探す遺骨名簿が張り出された

あ行には東英雄さん わ行には和平カツ子さん

〈安国酒店の伝票あり〉〈町内会八組〉(1歳〉と

わずかな手掛かりが括弧書きされている

氏名が特定できない人も十七人いるが

判明しながら遺族が見付かつていない人が多い

海辺の町でも山奥の村でもこうして

入札公示や田家試験合格者と並べられて

掲示板には名前が画鋲で止められているのだろう

来年も市の原爆被爆対策部調査課は名簿を作る

ところで私は今年も平和行進の列に加わって

ひまわり公園から犀川にかかる橋まで歩いた

〈自衛隊合憲〉〈君が代・目の丸是認〉と続いていても

道行く人は〈今年は暑いですね〉と言い合っていた

四十九年目になって何の関心も示さない人々を見ていると

もう戦争はないのかもしれない

が今年が冷夏なのか猛暑なのか誰もわからなかったように

一夜明けたら戦争があるのかもしれない

天気予報のような不確かなことになっていると知って

私の身の兜が震えた



新しい世紀へ



この世紀にこの国で

おとこたちは一枚の葉書で召集され

ひとがひとを殺す場にいったきり

帰ってこなかった

おんなたちの寄宿舎には南京錠がかけられ

ホットベッドで土のように眠るしかなかった

ふるさとは夢のなかだった



この世紀も終る頃この国で

おとこたちは朝になれば

首を紐で括ってカイシャヘでかけていったきり

真夜中まで帰ってこなかった

おんなたちがもてはやされたのは若いときだけ

パートと呼ばれ

おとこの半分の賃金で働くしかなかった

おとこもおんなも滅私奉公の末に

一片の通告で職を失った



百年かかって

胸の襞にひっかかっているもの

瞳の奥に蓄えつづけてきたもの

陽のあたる場に寄せ集めようではないか

どれほどのやさしさと

とてつもない勇気が要るとしても

この時代にこの星で生きる

きみとぼくの存在の証しを立てようではないか



  注)*ホットベッド=長時間・交替勤務労働のため、寄宿舎に布団は二人に一組しかなく、常にぬくもりの或る寝具


2007年1月12日金曜日

詩信・夢のようでも

今日の暦から : 青竹踏みで野生の足腰

 先日、信濃町のYさんから、小諸におられた新津利通さんという方が発刊された詩集を勧められ購入した。 家内は既に読み終えたものの、後で見ようと思っていたら常駐場所へ持って来るのを忘れてしまった。 来月では遅くなると思い、今日その概要を記す。

 新津さんは、職安に勤めながら詩作に専念し、ジョブカフェという新しい職安窓口の初代所長に田中前長野県知事から任命されるなど、その人柄を知る人は多いとのこと。
 仕事のこと、家庭のこと、色々大変なことがあって、やっと落ち着かれた矢先に病に倒れ昨年亡くなられ、奥様がご本人の願いを形にしたいと、身近な人たちへ送った詩信を一冊にまとめ出版された由。
 信濃毎日新聞のサイトには、12月29日付で次の記事があった。
故新津利通さんの詩集、妻らが出版
 小諸職安所長などを務め、昨年10月に白血病で亡くなった詩人の新津利通さんの妻、美枝子さん=小諸市=らが、夫が仲間に送り続けた作品をまとめた詩集「夢のようでも」を出版。
 佐久市でこのほど開いた出版記念会で「願いがかないました」と感謝した。
 詩集は132ページ。身近な木や花を通して心のあり方を確かめたり、過労死訴訟で10年越しに勝訴した遺族の心中などを飾らない言葉で描いている。 友人らは「彼の詩は人の心を浄化させる」と、利通さんの詩を読む集まりを呼び掛けている。

 なお、鍵盤乱麻というサイトのトップの下段に、詩信「夢のようでも」というメニューがあり、これを開くと、新津さんの詩集の一部が掲載されている。 新津さんのお人柄は、これらの詩からも感じ取れる。 詩集出版記念会を伝える信毎の記事を次に残した。

亡き夫 飾らぬ言葉 54編(信濃毎日新聞2006年12月28日)



2007年1月11日木曜日

夭逝の画家・野田英夫

今日の暦から : 外食も栄養バランス考えて


窪島さんの賀状から

 上田の塩田平にある信濃デッサン館ならびに無言館の館長である、窪島誠一郎さんから賀状が届いていた。
 先月の、無言館第2展示室建設のお知らせも、そうだが、直筆でひとこと言葉を添えられている。 氏の、この二つの美術館に対する熱情の篤さを感じるものであった。
 先月のお知らせに対し、早速僅かな支援を送った。 これで家族全員の名を無言館のプレートに残したことになるが、名を残すことにあまり意味はなく、微力ながら両館の支えの一助になればと思うものである。
野田英夫碑 さて、窪島さんの著作「信濃デッサン館日記」を見て、夭逝した画家・野田英夫のことが書かれているのに気づき、窪島さんが建てたという野田英夫碑がいまだ残っているであろうかと、先日野尻湖を周遊した時に、野尻湖ホテルの跡地に立った。
 しかし、野尻湖が一望できる場所にあったという碑は見つからず、家に戻ってインターネットで調べたら、野尻湖フォーラムの編集後記に、碑はいつの間にか坂本屋さんの前に移設されていたと載っているのに目に留まった。

 野田英夫は、アメリカへの日本人移民の子として出生し、中学高校時代は親の郷里である熊本で過ごし、その後アメリカに戻って美術を学んだ由。 30歳で亡くなる直前に、野尻湖畔の民宿・坂本屋に逗留し、「野尻の花」を描いたとのこと。

 旧野尻湖ホテルに碑が建てられた理由はいまだ知らず、国道と北国街道の分かれ道であろうか、坂本屋(畳店)さんの前に立つ、雪に隠れそうな碑を、先日やっと見つけた。 積雪で側まで近づけず、次回雪のない時にあらためて確認しようと思っている。


 なお、ロックの祭典で名が知られたウッドストック(Woodstock)にある美術館に、野田英夫(ベンジャミン・ノダ)の作品は多くあるらしい。

旧野尻湖ホテルから黒姫を見る 野田英夫碑がもともと立っていたであろう場所から、黒姫山を見ました。 2本の杉であろうか、野尻湖の景観を塞いでしまっている。 やはりホテルの3階にあったという展望室からでないと、この景観を楽しむことはできない。


 先日、野尻湖フォーラムのSさんから、ホテルを壊す時に頼んで内部を見させていただいたことがあったと伺った。 そんなチャンスもあったのかと、今更ながら残念な思いであった。



2007年1月10日水曜日

暦(カレンダー)

暦(1月) 最初に黒姫に来た時、農協は町内に限られた小さな規模であったと記憶しているが、いまは周辺の農協と合併を繰り返し、長水地区(長野市と上水内郡周辺)をテリトリーとするJAながの(ながの農協)とその営業規模を大きくしている。

 我が家でも、わずかな貯金と共済で客となっているのだが、毎年新しいカレンダーをいただける。 因みに依然は達磨さんもいただいて、どんどの日に両目を入れて焚いてもらっていた。 最近は、限られた期間に5万円以上の貯蓄をすればいただけるようだが、取引額が小額になった現在は縁遠くなってしまっている。

 さて、JAながのからいただくカレンダーは、健康上の注意事項など、毎年良いことが書かれおり爲になる。 そこで、日めくり暦として、そのフレーズをここに記しておこうと思う。 ということで、元旦から今日までの分を一挙に書く。

元旦 : 日々の気配り元気な一年
��日 : 健康で一家だんらん
��日 : 食卓は家族ふれ合いの場
��日 : 百薬の長、酒は飲み方次第
��日 : 三歩離れてテレビを楽しむ
��日 : おせち料理、ひもちに用心
��日 : 胃腸いたわる七草粥
��日 : 煙草は有害、他人に迷惑
��日 : 適度の運動を習慣づける
��0日: 血圧は健康のバロメーター

2007年1月9日火曜日

少し黒姫を離れます

ゲレンデと諏訪神社 昨夜は、お招きをいただいたペンションで、心を込めたご馳走に美酒を頂き、町のこと観光のこと、色々な話題に花を咲かせ、気が付いたら23時を回っていた。

 夕方からの雪はそれほど降らず、車はダルマさん状態にならずに、家内は積もった雪道をソロソロと車を進めた。 車が通らない時間なので特に問題はないのだが、後ろに付いた車があったら、さぞかし迷惑をかけたことであろう。


 今日は10時頃まで雪が降り、その後は雪雲が切れて日もさしてきて、屋根に積もった雪はどんどんとけてずれ落ちていた。
 そんな中、それぞれに用事があり、しばらく黒姫を後にした。 天気の良い平日の運転は大変楽で渋滞も無く、かかった時間は今までで一番短かった。


2007年1月8日月曜日

雪の華

雪の華

 昨日は、大荒れの天気のため、ガーラ湯沢、志賀、白馬などでスキーヤーが下山できずに、一時は遭難騒ぎになったとのこと。 信濃町では昼過ぎから一時的に強風が吹いたが、積雪はさほどでなく、何か拍子抜けの感じであった。

 しかし、今日は、通常の冬型の天気に戻ったと、一日中雪が降って屋根から雪が滑り落ちるたびに、スノーダンプ(北海道ではママサンダンプと言うらしい)でその雪を除いて行く。 1~2時間おきに除雪作業をしていると腕は疲れ、食後の運動などとのんきなことが言えなくなってくる。

 3時頃には、とうとう町の除雪ブルがやってきた。 間もなく家の前に来るなと分かると、今度は大急ぎで道の真中に雪を運ぶ。 少しでも除雪してほしいと、ついつい無意味な抵抗をしてしまうのである。

 今夜は、あるペンションのオーナーから、お客さんが帰られた後の団欒に招待されている。 ほろ酔い気分で外に出たら、車が雪でだるまさん状態になっていないことを願いたい。


2007年1月7日日曜日

本格的な雪国になって来た













明け方の雪

 今朝、窓辺の林にはわずかな積雪があったので、早朝から降り始めたのであろう、わずかに月も見えていた。

 全国で強風、大雨、大雪に注意しろと天気予報は言っているが、信濃町というか、我が家の周辺はたいしたことはなかった。 しかし、10時頃から雪降りが少しひどくなりはじめた。

 そんな雪降りがひどくなり始めた中、郵便局と宅配の用事があって車を動かした。 道路には積雪があり、視界も悪いので、ライトを点けての安全運転だ。

萬屋酒店さんの店頭にて

 駅前の萬屋酒店さんで宅配を出したのだが、店頭に積雪量を示す棒測りが建っているのに気がついた。 ご主人に聞くと4年位前から置いてあるとのこと。

 店の入口に近い方は今日の積雪で、右側のたなびく旗の近くにあるのが、これまでの積雪量。 昨年は1m80cmほどになったらしい。

 消雪装置を設置したはずの駅前商店街だが、うすく積った雪が一面に残っている。 時々、スイッチの入れ忘れがあるらしい。

明け方の雪

 あまり雪がひどくならないうちにと、もちつき大会が行われる天望館へ向かった。

 11時丁度から餅つきが始まった。 甘酒の無料配布やお焼きの販売も始まっていた。 お客さんはほどほど居たが、これから天候が悪くなる中、どれだけのお客さんが来るであろうか。 乳製品が安くなるのか分からないまま、アイスクリームだけを食べて早々に帰って来た。

 午後から霰のような雪になり、屋根から音を立てて積もった雪が落ちる中、スノーダンプなどを使って除雪作業である。 正月、食べ過ぎた分の良い運動だと思って体を動かしたが、一度に済ませようとするとやはり疲れてくる。

 風も強くなって、雪が窓ガラスをたたいている。 まだ除雪のブルは来ないが、今夜にはこの天候は収まるであろうか、そんなことばかりが気になる。


2007年1月6日土曜日

野尻湖ホテルの跡地にて

野尻湖ホテルの跡地 低気圧が移動したのか、昨夜は強い風が吹いてストーブの煙が逆風で居間の中に吹き込んできた。 おかげで目はくしゃくしゃして、出た涙で良い掃除ができた。

 今朝起きた時、雪が降っており、
 一茶の「うまさふな 雪やふふはり ~と
という句を思い出させるような、ふわっとした感じであった。 しかし、やがて雨に変わり、それもやんだと思ったら霙が落ちて来た。

 夕方、雪はやんだものの生暖かい風が吹き、やがて濃霧が出てきて、町の灯りが隠れてしまった。 このように今日は、明日からの強烈な雪降りを予感するような、変わった天気であった。

 さて、昨日、周遊した野尻湖の、由緒ある野尻湖ホテルがあった場所に立った。 新井リゾートを経営していた盛田氏が、経営が苦しくなったホテルを買い取り、計画があると既存建物を壊したのだが、盛田氏の経営母体そのものが立ち行かなくなり、現在この地は更地のままになっている。
 写真正面にある立ち木のロータリーの向こう側が正面玄関であったろうと思うが、ホテルは意外と狭い所に建っていたのだなと知った。
 野尻湖フォーラムの野尻湖ホテル関連記事(直リンク)

旧野尻湖ホテルから見る山々 この野尻湖ホテルの3階には展望室があったとのこと。 この展望室から20~30年前でしょうか、ある方が撮った写真が手元にある。 3回シャッターを押したものを貼りあわせて俯瞰状態にしているものだが、こういう写真はもう写すことはできない。
 ちなみに、正面が黒姫山、左が飯綱山、右が妙高山で、手前が野尻湖、湖には琵琶島が浮かぶ。 山本勘助が関わる地なのだが知る人は少ないであろう 現在はないが、この時点では湖は結氷しているようだ。


 明日、明後日(7日~8日)、信濃町インター脇の天望館では、「新春もちつき大会」が行われる。 大雪が降るという予報なので、予定通り開催されるか分からないが、11AMと2PMにつきたてのお餅が振舞われるとのこと。 乳製品の特価販売があるなどのイベントがあるというので、一応予定している。

2007年1月5日金曜日

野尻湖を周遊する

明け方の黒姫

 今朝起きたら、月の明かりに照らされ山々の稜線がはっきりと見えていた。 夜が明けるに従い、空は一点の雲のない青空で、元旦の日以上の良い天気であった。

 おかげで、庭や畑の雪はどんどんとけて草や土が見え、12月初旬の有様。 明日からは強い低気圧が日本列島を通過し、信濃町は雪降りと予報されている。 そこで、今日のうちだと、野尻湖を周遊してみることにした。

国際村桟橋にて

 昨日、同じ場所に立って山は何も見えなかったのだが、今日は綺麗である。 湖面には、ワカサギ釣の船が浮かび、この桟橋の延長線上には斑尾山が見えている。


野尻湖畔から妙高山を見る 西に向きを変えると、国際村湖畔からは、妙高山のスロープが綺麗に、しかも厳しそうな山肌がくっきりと浮かんで見ることができた。

 野尻湖周遊道路には、ブロックで組み上げた展望箇所が3ヶ所あり、普段は通り過ぎていたが、今日はそれぞれの箇所で車を停め、ゆっくりと山々の眺望を楽しんだ。 山に日が落ちる頃に見るのも良さそうな所もあった。 しかし、斜面の立木が延び、やや視界をさえぎる所もあり、そんな所は町で手を入れて欲しいと思った。


2007年1月4日木曜日

はっきりしない冬の天気が続く

朝の山々 夕方の山々



野尻湖畔にて 朝、雪が舞い降りはじめたので、やっと雪になるかなと思ったらすぐに止んでしまいました。 でも、天気は一向に晴れるそぶりがなく、昼過ぎてやっと青空が見え出したので、野尻湖を撮ろうと外出しました。
 国際村の湖畔に立ちましたが、ここも雪が少なく、斑尾山も雲に隠れて、思った写真が撮れませんでした。
 針ノ木のブルーベリー畑の雪もかなりとけて、根元のベトが見えそうになっていました。 週末から寒気団が降りて来るという予報ですので、このまま雪が降らない状態は続かないでしょうが、はやく雪国の冬景色を楽しみたいものです。


2007年1月3日水曜日

善光寺参り

 東京に帰る息子を見送るのに合わせ、今日は善光寺へ参ろうと長野に出た。 黒姫駅前駐車場に車を停め、電車で行ったわけだが、黒姫は雪が降っており、そのまま長野へ長靴を履いたままでは具合が悪いであろうと駐車場で運動靴に履き替えた。 思った通り長野は晴れで、やはり長靴では歩けなかった。
 長野駅で、新幹線ホームに降りると、地元テレビ局が今日の帰省ニュースに使うのであろう、カメラを肩に担いで見送り風景を写していた。

 長野駅前の交差点を渡り、昔の駅舎が良かったなどと家内と話しながら行くと、平安堂の古書店の前に来た。 古書となると、ついつい入ってみたくなるのである。 先日も、直江津へ魚を買いに行った時、高田市内で古書店を見つけ100円本を17冊も買ってきたばかりであった。
 平安堂古書店は、比較的選ばれた書籍を置いており、全く興味がないものもあるが、たまたま出会った本だからと篭に入れていたら4千円を越えてしまった。
 近くにブックオフという全国展開している古書店があったが、こちらは若い人向けの漫画などが中心なので、我々が見るような書籍はほとんどない。

さくらにて

 さて、買った書籍を店に預け、中央通りを善光寺方面へ歩いた。

 途中の店をのぞき、あぁだこぅだと言いながら、門前に来た所で先に昼食を済ませることにした。 参詣に来た時によく寄る店は、吉野家という造り酒屋にある「さくら」という店である。

 多少値段は高いものの土井勝さんの術をつぐ、会席料理など、良い和食の店であった。

 しかし、久しぶりに来てみると、一般の食堂とおぼしき、当たり前のメニューになってしまい、揚げ物に使っている油が良くない。 家内は、鳥を出汁に使ったものは食べられず、牡蠣フライを頼んだが、注文を忘れたのかなかなか出て来ない。 催促してやっと来た料理は、十分に揚げたものでなかった。

 たぶん、再びここを訪ねることはないであろう。 純米酒「雲山」は美味しいだけに残念だ。

善光寺

 善光寺の三門はいまだ工事中である。 本堂の前に向かう参拝客の列は警備員のロープで分断され、しばらく待って本堂の階段へと向かった。 その時、

 小さな子供さんが、「屋根に沢山の鳩が留まって、気持ち悪いね!」というような言葉を言った。 そうしたら、お母さんの声であろう、「鳩の方も、この人間の多さにびっくりしているよ」というふうに返していた。 親子のちょっとした会話の中に、大事な子育ての姿を見た思いがした。

 本殿での参拝は、山手線のラッシュのように、押し合い圧し合いばかりで、ぶつかることも厭わない人々は、何のためお参りに来ているのであろうかと、余計な事を考えてしまった。

 参詣を終えた後は、門前のパティオ大門へ。 名だたる店が集まった一角だが、かんてんぱぱ以外に興味が持てる店はなかった。

 3時過ぎの「妙高」に乗ったら、意外に混んでおり、朝のうち雪が舞っていた黒姫に着くと、青空が見え積もった雪がさらに薄くなっているようにも思えた。

2007年1月2日火曜日

静かな正月を過ごす

 我が家にはテレビのアンテナがない。 もともと家を建てるときに街中の喧騒を持ち込みたくないと、テレビを置かなかった。 その後、最近のニュースを知る手段が全くないのも困ると、携帯用の小さなテレビを購入した。 しかし、ロッドアンテナでは電波状態が悪くスジが入った映像しか見れず、音だけで情報を取っている。 従い、テレビで放送される娯楽番組などを見ることはない。
 おかげで、騒がしいだけの正月番組を見なくて済んでいる。 加え、家の前の道を通る車や人声も、電話の音もなく、昨日と今日は本当に静かな正月を過ごすことができた。 家族の面々は、読書をしたり、パソコンの画面を見たり、音楽を聴いたり、それぞれ勝手気ままに休日を過ごしている。
 そんな中、昨日の夕方、元日ただ一つの電話の音が鳴った。 それは海外に住む息子からであった。 時差もあり向こうの生活もあるからと、こちらから電話をするのは控えていたので、内心嬉しかった。

野沢菜

 さて、11月19日に漬けた野沢菜の樽を開けてみた。 一緒に漬けたご近所さんは、酸っぱくなったと、やはり気温が低くならなかったことが影響しているようだった。 心配したとおり、我が家のお菜もやや塩辛かった。
 塩抜きすればいいことだし、我が家では野沢菜を乾煎りしてふりかけを作ることが多いので困らない。 でも、良く漬かったものを食べたかった。 家内は、失敗が少ない切り漬けがいいと云うが、さすがこの時期にお菜を売っている所はない。

 正月二日目、昨日ほどの晴れた天気ではないが山は見えていた。 しかし、昼頃から雲がたなびき雨粒が落ちてきた。 黒姫ゲレンデへ行った息子は、霙のような雨にびしょ濡れになって、迎えに来てほしいと電話をしてきた。


2007年1月1日月曜日

元旦の信濃富士

 2007年が明けた。 初春にふさわしいこのような晴れの天気で明けることは大変めずらしい。 信濃の富士山だと信濃富士という別名を持つ黒姫山が正面にくっきりと見えるほか、北信五岳の飯綱山戸隠山妙高山も見える。 斑尾山だけは裏手に位置し林に隠れて見えない。
黒姫山 飯綱山

戸隠連峰 妙高山

 昨夜、行善寺さんの鐘の音が聞こえていたが、寒くて二年参りは省略してしまった。
 長野県内は放射冷却により気温が下がると予報されていたが、今朝、我が家の温度計はマイナス10度を示していた。 おかげで凍結防止をしていないであろうお湯の配管が途中で凍り、風呂場に湯が流れなかった。 居室に近い所に配管していれば暖房しているので問題ないのだが、一部外気に近い所にあるためであろう。 間もなく流れるようにはなったが、水道の方は元々凍結防止帯(ヒーター)を巻いており作動しているので問題ない。

 子供たちが巣立ってからは、おせち料理など特別なことはあまりしなくなったが、一応新年の区切りだとささやかな膳を用意してくれた。
朝の雑煮