お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*平和の琉歌



*うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」


*the world is coming to an end



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

2007年3月31日土曜日

里山大回廊をゆく

今日の暦から : ウイルスは過労が好き

 本日14時半から、テレビ信州で「里山大回廊をゆく」と題した番組が放送され、今回は第一集目だと「C・W・ニコルと歩く生命の森」と副題を付して、アファンの森を中心とした映像を流していた。
 番組は、姫神の音楽を流しながら黒姫山を俯瞰する映像から始まった。 そして、昨春から今冬まで1年の森の様子や大井地区など開拓地、コメ農家、味噌汁代わりの水源なども伝えていた。

 約1時間の番組をワンセグで収録し、その映像からクリップ画像を取り出そうと思ったが、そう簡単には出来ない。 CMを削除し編集もしたいと思うが、メーカーのソフトでは出来ず、シェアウェアが出現するまで待つしかないようだ。

 夕方から21時頃まで、時折激しく降る雨の中、たびたび春雷が轟いている。

2007年3月30日金曜日

ほぼ1日ルーターが停まる

今日の暦から : 下痢は臓器の黄信号

 最初に始めたライブカメラ映像配信用のPCが死んでしまったり、別のPCのLan接続でトラブッタりしながら、ブログ・システムのスクリプトに手を加え、試行錯誤の作業をしていた。
 作業しながら、アクセスカウンタが増えていかないし、スパム・コメントやトラックバックも全く無いのに疑問を持たず、夕方になった所で、WANからのアクセスが出来ない状態になっていることに、はっと気がついた。
 迷惑トラックバックなどは登録時間が分かるので、システムの運用状況を確認できる手段になると、あらためて逆の効用を認識した次第。
 久しぶりのルーター設定に悩み、古いバックアップ設定を読み出し手を加えた所で、本日18時頃になって回復した。 回復状態は、ノートPCを公衆回線でネットにつなぎ、遅い速度の中でどうにか確認できた。

虹がかかった黒姫山


 昨日今日と、雨が落ちたと思ったら日差しが出、晴れるかなと思いきや曇ってくるという、少し肌寒い天気でした。 昨日は一瞬虹が出たのだが、すぐにカメラを向けなかったので、鮮明な写真にはならなかった。

2007年3月29日木曜日

閑貞桜と水道漏れ

今日の暦から : 40過ぎたら眼の検査

 先日、町の広報誌「しなの」に、養生のため「今年の閑貞桜は見られない」と掲載されていたので、通りかかった所で様子を見てみた。 樹齢300年以上であろう閑貞桜は、事故に遭った被害者のように、包帯とおぼしき麻袋のような物があちこち貼られ、痛々しさは更に深まった感じであった。
 それでも、わずかに垂れ下がる小枝には小さな蕾がついているようであった。
 境内には、別の若い枝垂桜があるので、時期が来れば、ともども花を愛でることは可能であろう。

閑貞桜


 さて、昨日は家の前の舗装された町道の割れ目から水が出ているのを見つけた。 初めは車が止まって、エアコンに着水した水分が垂れたのであろうと思っていた。 しかし、割れ目をよく見ると、土の中から噴出しているようで、既に雪解け水が流れる時期でもないと、上水道の漏水ではないかと思い役場へ連絡した。
 早速、係りの方が来られて検分し漏水に間違いないと確認された。

 その漏水が他人事のように、その時は思っていたのである。 しかし、夜になって周りが静かになってくると、家のどこかで洗濯機が回っているような、ゴトゴトした低周波音が聞こえて来るのである。 気になって寝れないほどで、水道の凍結を防止する不凍栓を全て閉めることで、とりあえず音は消えた。
 ここ数年、春先になると水周りのトラブルに見舞われているので、今回も宅内の配水管に何かトラブルが起きたのではと、早速工務店に電話した所、すぐに来てくれ、やはり道路の漏水からの振動であると、役場に電話をしてくれた。

 午後から、水道課の方々が来て掘り下げた所、2m近い深さの中で支管が損傷していたとのことで、一件落着した。
 すぐ対応されたというこは、役場も変わりつつあるのだろうが、工務店からの連絡が速やかな解決につながったであろうと思う。 当初、家を建てる時にログにしようとか色々考えたが、寒冷地であることから、結局地元業者へ建設を依頼した結果、それ以降、その方の人柄のおかげで随分と助けられている。
 大仕事の時は足しげく通ってくれる業者の中には、金儲けが終わってしまうと疎遠になる事が多い。 業者の人柄まで見極めるのはなかなか難しいが、この地の家では正解であったと云える。

2007年3月28日水曜日

ゲレンデにも雪がない

今日の暦から : 夜型人間いつかは寝込む

スノーパーク第六ゲレンデ

 朝のうち雨がぱらぱら落ちていたが間もなく晴れ、出かけたついでにゲレンデ周囲を遠回りしてみた。 ゲレンデのあちこちに土が見えていて、前山第一とかクワッドとか、かろうじて滑走面を維持しているようで、ボーダーを中心にスキーヤーも僅かであった。
 この状況は、杉ノ原や赤倉も同様のよう。 遠目に見ると閉鎖している第六は滑れそうだが、実際にはブッシュに覆われているのであろう。

↑ HighSlideというスムーズに拡大写真を開く機能を追加しようとしているのですが、どうも正常に行きません。 テスト用PCのOSが飛んでしまい、直接サーバーを操作することになり、お見苦しい限りです。 (-_-;)

2007年3月27日火曜日

雑誌「サライ」の1993年6月の号から

今日の暦から : 適量知ってお酒たしなむ

サライ1993年6月の表紙

 手元に、1993年6月に出版されたサライの12号がある。 サライは小学館が隔週発行する雑誌で、サライとはペルシャ語で「宿」を意味するとあり、「大人の生活誌」と副題が付けられているように、旅以外にも色々雑多な記事があって面白い。
 さて、この号には、「小林一茶になりたい」という特集記事が掲載されており、一茶のみならず信濃町北国街道など盛り沢山な内容となっている。
 本書の内容の無断掲載、複写等を禁止するとあるが、出版され14年が経過しており、サライのサイトのバックナンバーの欄にも掲載がないので、数回にわけてここに残そうと思う。
サライ目次

 1993年がどんな年であったかと、他の記事を見てみると、
トヨタ・クラウンの2500ccツーリング

はこんな形で、地方の稀有な喫茶店だと金沢の店が載っており、
五木寛之はこの喫茶店で直木賞受賞の知らせ

を聞いた由。
 国産ワープロの
一太郎はVer.5

 現在、齢100を越えておられる飯田深雪さんは、
レモンが健康の元

だと、酸っぱそうな顔をされている。 これは、
○日産マーチの二代目か三代目
 指揮者でおられた
朝比奈隆さん

はこの時85歳でおられたであろう。

2007年3月26日月曜日

俳聖かるたの絵札を一覧にする

今日の暦から : 眠って消えぬ疲労に注意

 昨夏より、一茶記念館ふるさと天望館で販売している "俳聖かるた" の一茶の句を、夏秋冬春とクイズ形式で掲載して来たが、ここに全絵札をまとめて記載しよう。
俳聖かるた
春の句
��. 桜さく大日本ぞ日本ぞ
��. 我と来て遊べや親のない雀
��. 雀の子そこのけそこのけお馬が通る
��. やせ蛙負けるな一茶これにあり

夏の句
��. 田の人よ御免候らえ昼寝蚊帳
��. やれ打つな蝿が手をすり足をする
��. 飛べほたる野良同然のおらが家
��. 大の字に寝て涼しさよ淋しさよ

秋の句
��. 名月を取ってくれろと泣く子かな
��. うつくしや障子の穴の天の川
��. 小言いう相手もあらばきょうの月
��. 寝返りをするぞそこのけきりぎりす

冬の句
��. 芭蕉忌や鳩も雀も客の数
��. ともかくもあなた任せの年の暮
��. うまそうな雪がふうわりふわりかな
��. これがまあついの栖か雪五尺

桜さく大日本ぞ日本ぞ 我と来て遊べや親のない雀

雀の子そこのけそこのけお馬が通る やせ蛙負けるな一茶これにあり


田の人よ御免候らえ昼寝蚊帳 やれ打つな蝿が手をすり足をする

飛べほたる野良同然のおらが家 大の字に寝て涼しさよ淋しさよ

名月を取ってくれろと泣く子かな うつくしや障子の穴の天の川

小言いう相手もあらばきょうの月 寝返りをするぞそこのけきりぎりす

芭蕉忌や鳩も雀も客の数 ともかくもあなた任せの年の暮

うまそうな雪がふうわりふわりかな これがまあついの栖か雪五尺

2007年3月25日日曜日

国境なき医師団

今日の暦から : 肩の冷えは、コリの大敵

 朝から濃い霧に包まれていると思ったら、9時42分石川県で地震が発生。 北長野は震度4と発表され、信越線は黒姫以北が止まっているとのこと。 停電にはならなかったようで、我がサーバーは停止せず、ライブカメラの画像履歴も残ってた。

 さて、世界の中には、イラク戦争のように大国の論理に基づく戦争や国家体制の脆弱さゆえに頻発する内乱により、住処を追われ日々の食べ物に欠き、貧困に喘いでいる人々がたくさんいる。 特に、怪我や栄養失調などによる病に苦しむ幼児や子供たちの姿を見るのが悲しい。 現代の地球は、子供たちにとって住み難い世界になりつつあり、それは一見裕福そうな今の日本であっても、子供が健やかに育つ環境が損なわれつつあると云える。

 そんな現代にあって、医療活動から開発途上国を中心に病に苦しむ人々を助ける団体がある。 それが国境なき医師団で、彼らの人道的活動は政治的にも経済的にも宗教的にも、何ら拘束されないものである。
 今、彼らは1日50円キャンペーンを行っている。 毎日50円のお手伝いをしようというもの。 50円といえば、清涼飲料の半分、煙草だと3~4本で、子供の小遣いにもならない小額。 でも、その50円がまとまると薬の購入など大きな手助けになるわけだ。
 そんな、ちょっとしたことからの社会参加をお勧めしたい。
 "金"は"天下の回りもの!"  廻るから"おかね"の意味があるわけで、貯め込むだけの金は、いわば死に金であり、何の意味もなさない。 造成地やゴミ収集車から発見されるような数百万円、数千万円という金を壷に隠すのなら、こういう人道団体に寄付した方が余程意味がある。

 自分達は、国境なき医師団のほかにも数件の人権団体に僅かな金を寄付しているが、国レベルの大きな慈善団体には寄付しないことにしている。 それは官僚などの天下り先になっていて、彼らや組織運営にばかり金が使われ、本来の目的に使われる寄付金はわずかだからである。
 また、駅頭でまことしやかに寄付を依頼する人々がいる。 民衆の善意を一定の組織の活動資金にしているような団体なのだ。 寄付するのも責任がある。 よくよく見極める目を養いながら社会参加していきたいものだ。
国境なき医師団のソマリア緊急援助活動支援パンフレット


2007年3月24日土曜日

夏の夜の夢

今日の暦から : 家での食事が健康の基礎

 昨日は東京・池袋にある舞台芸術学院という所へ行って来た。
 ここは演劇やミュージカルを目指す若者がまず第一歩を踏み出す専門学校であるとのこと。 2年制の本科と夜間1年生の別科があるのだが、数年仕事をしていた姪っ子は思い立ち、この学校に仕事をしながら通ったのであった。
 昨日はその一年間の成果を披露するもので、タイトルは「夏の夜の夢」。
 シェークスピアーの「真夏の夜の夢」を自分たちなりにアレンジしたものらしい。 トンと縁のない世界で、演劇が始まると低い舞台の演者の目線がこちらの目に合ってしまう。 こちらの方が伏目がちになってしまうのだが、劇が進んでくるとその面白さに引き込まれてしまった。
 12人の芝居は、時に台詞をとちり、時に歌とも思えぬ歌声が聞こえ、飛んだり跳ねたり、その動きはめまぐるしい。 一人で二役や三役をこなし、衣装や小道具などの手当ても自分たちでするらしい。 技術的にはその緒に立ったものであろうが、若者のひたむきな元気さが醸し出されていて、なかなか心地良い2時間であった。

 姪っ子は、自分の世界からなかなか抜け出すことのない生活を以前はしていたが、自分のある限りの力を出し切り、目を輝かせている姿に、身贔屓であろう一番の拍手を送ってしまった。 "最近の若者は..."と、その態様に愚痴っぽくなりがちな昨今だが、この舞台に立った若者はそれぞれの未来へと希望を持っている、若者そのものであった。
 演劇への更なる道は遠く、劇団への受験など挑戦が続くようだが、もし別の道に向かったとしても、昨日の彼等自身の感動はそれぞれのこれからの人生に生きる糧になって行くであろうと強く確信した。
夏の夜の夢


2007年3月23日金曜日

ふるさとは遠きにありて

今日の暦から : 大事な血圧コントロール

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

石川県出身の室生犀星による詩だそうだが、こういう詩文を理解する力を当方は持ち合わせないが、故郷を想う気持ちはわかる。 何も、"美しい..."と枕詞をつけなくても、故郷を想う気持ちは誰もが持つもの。

 手元に、Bringing it all back home というアイルランド音楽のアルバムがある。 アイルランド人の故郷を想う曲をまとめたものだが、この中のキルケリーという曲が一番心に染みる。 19世紀の半ば、ジャガイモ飢饉で食べる物もなく、アメリカへ移民して行った息子へ手紙を送る場面を歌にしたものだ。
 


 

キルケリー

 

アイルランド、キルケリーにて。1860年。
親愛なる我が息子、ジョンへ。
おまえの良き友人、学校の先生をしているパット・マクナマラが親切にも私の言うことを書き留めてくれている。
おまえの兄弟たちは皆、仕事を探しにイングランドへ行った。
うちは、がらんとしていて、悲しい。
今年のジャガイモは、ひどく病気にやられていて三分の一から二分の一がだめだ。
そう、妹のブリジットとパトリック・オドナルドが六月に結婚することになった。
母さんは、鉄道の現場では働くな、と言っている。
いいかい、早く家に帰って来るように。

 



アイルランド、キルケリーにて。 1870年。

親愛なる息子、ジョンへ。

おまえの奥さんと四人の子供たちによろしく伝えてくれ。

子供たちが、元気に強く、育ちますように。

マイケルは、ほんのちょっとした面倒に巻きこまれているが、やつは全く懲りないようだ。

湿っぽい天気のせいで、ターフ(泥炭)は話にならず、私たちには、もう燃やす物がない。

あとブリジットは、おまえが娘を同じ名にしたので、ご機嫌だ。

彼女には、自分の子供が六人もいるんだが。

仕事を見つけたと言うが、どんな仕事か書いてないな。

いつごろ帰って来る、とも。

アイルランド、キルケリーにて。1880年。

親愛なる我が息子、マイケルとジョンへ

つらいが、とても悲しいことを知らせる。

母さんが死んだ。

キルケリーのあの教会に、母さんは埋葬した。

おまえたちの兄弟と、ブリジットも見送った。

心配しなくていい、母さんは苦しまずに逝ったから。

祈りを捧げる時は、母さんを思い出すように。

それから、土地を買えるだけの金を持ってマイケルが帰って来るというのはとてもよいことだ。

収穫はもうずっとひどく、誰もが土地を売ろうとしているのだから。

どんな値段であろうとも。


アイルランド、キルケリーにて。1890年

親愛なる我が息子、ジョンへ。

八十になったら私もお終いだろうと思う。

おまえが行ってしまってから、もう三十年たった。

おまえが送ってくれた金のおかげで私はまだ自分のことは何とかできている。

マイケルは自分で立派な家を建てたしブリジットの娘たちはみんな大きくなった。

そうだ、家族の写真をありがとう。

みんな素敵な娘さんと若者になったな。

遊びに行くかもしれない、と書いてくれたがおまえに会えればどんない嬉しいか!


アイルランド、キルケリーにて。1892年。

親愛なる兄さん、ジョンへ。

すぐに手紙が書けなくてごめんなさい。

父さんが亡くなりました。

父さんはブリジットと一緒に住んでいましたが最後まで明るく、元気だったそうです。

ああ、兄さんにも見せたかったです。

父さんが孫たちと遊ぶところを

兄さんの友人、パット・マクナマラと一緒に。

ぼくたちは、父さんを母さんの隣に埋葬しました。

あの、キルケリーの教会の墓地に。

父さんは強くて、怒りっぽい人でした、と思っていました。

いつでも、妙に兄さんのことばかり話し息を引き取る時、兄さんを呼んでいました。

ぜひいちど、遊びに来てみませんか。

みんな喜びますよ。兄さんに会えれば。


Kilkelly Ireland,eighteen and sixty

My dear and loving son John

Your good friend

the schoolmaster Pat McNamara's

So good as to write these words down

Your brothers have all gone

to find work in England

The house is so empty and sad

The crop of potatoes is sorely infected

A third to a half of them bad

And your sister Brigid and Patrick O'Donnell

Are going to be married in June

Your mother says not to work on the railroad

And be sure to come on home soon

Kilkelly Ireland,eighteen and seventy

My dear and loving son John

Hello to your Mrs and to your four children

May the grow healthy and strong

Michael has goto in a wee bit of trouble

I suppose that he never will learn

Becasuse of the dampness

there's no turf to speek of

And now we have nothing to burn

And Brigid is happy we named the child for her

And now she's goto six of her own

You say you've found work

but you don't say what kind

Or when you'll be coming on home


Kilkelly Ireland,eighteen and eighty

Dear Michael and John,my sons

I'm sorry to give you the very sad news

That your dear own mother has gone

We buried her down at the church in Kilkelly

Your brothers and Brigid were there

You don't have to worry,she died very quickly

Remember her in your prayers

And it's so good to hear that Michael's returnin'

With money he's sure to buy land

For the crop has been poor

and the people are sellin'

At any price that they can


Kilkelly Ireland,eighteen and ninety

My dear and loving son John

I suppose that I must be close on 80

It's 30 years since you've gone

Because of all of the money you sent me

I'm still living out on my own

Michael has built himself a fine house

And Brigid's daughters are grown

And thank you for sending your family picture

Theyre lovely young women and men

You say that you might even come for a visit

What joy to see you again


Kilkelly Ireland,eighteen and ninety-two

My dear borther John

I'm sorry I didn't write sooner to tell you

That father passed on

He was living with Brigid

She says he was cheerful

And healthy right down to the end

Ah,you should have seen him

Playing with the grandchildren

Of Pat McNamara your friend

And we burried him alongside of Mother

Down at the Kilkelly churchyard

He was a strong and feisty old man

Considering his life was so hard

And it's funny the way he kept talking about you

He called for you at the end

Oh,why don't you think about comin' to visit

We'd all love to se you again


2007年3月22日木曜日

狩野誠さんの著作から再び

今日の暦から : 美肌づくりは熟睡から

 狩野さんの著作(と思われる)タイトルを一覧にしてみた。
1.開拓農民
��.荒野に生きる
��.荒野に灯をともせ
��.黒姫山麓に生きる
��.雑草の詩(うた)
��.クスリになる野菜と野草と
��.薬になる野菜と野草
��.心の健康 ほほえみ読本 I集 II集

��.は、武者小路実篤に巻頭言を依頼したものだとか、2.とともに絶版の模様。
��.は、今回古本で入手できた。
��.は、サインズ・オブ・ザ・タイムズ1976年2月号だと、黒姫和漢薬のサイトで読むことができる。
��.も、今回古本店から購入
��.以降は、道の駅しなの・天望館でも購入が可能と思われる。
 昭和二十年、私は南九州の基地で特攻訓練中に無条件降伏を聞いたが、まだ敗戦を信ずることができず東京に復員してきた。 二十一才である。 祖国の命運と自己の運命について煩悶懊悩し、疲れては深川の家の焼跡に立ち、壊れた水道の蛇口から噴き出す水で手を濡らしながら敗れてなお生きるものの哀れを思いつづけた。 そして所沢や土浦飛行場跡に入植の地をもとめた。
 しかし、飛行場接収の内示に半年にして再び街頭に出、沖仲人足や清掃人夫になって働いた。
食糧事情はひどく悪化してきた。 食糧メーデー、二一ゼネストの革命気運の昂まる中に、二十二年の秋、連合国極東委員会はマ総司令部に対し次のような伝達をおこなった。
 「二十二年十一月一日より二十三年十月三十一日に至る米穀年度における日本の食糧輸入は最少限にとどむべきである。 日本に必要以上の食糧購入をゆるすことは、日本人に対して他の連合国、あるいは解放諸国の国民以上の優先的待遇を与えることになるので絶対にみとめることはできない」
 占領軍は狭い国土に増大する人口を無理に押しこめ、食糧を切りつめて敗戦の惨さを執拗になめさせようとしているようだ。 飢餓と疲労で野良犬のようになった私はしかしこれからの生きかたを真剣に考えてみた。
 まず自分の良心に恥ずかしくない生きかたをしたい。 少くとも隣人や同胞をごまかして自分だけ生きのびてゆこうことはしたくない。 それには煩雑な都会生活よりも素朴な農村生活に自分の生きかたを求めてゆきたいと考えた。 ちょうどそんな時、黒姫山麓で入植者を募っていることを知り、直ちに現地へ赴いた。 父母や弟妹が信州に疎開していたこともあったが、何よりも黒姫山という山の名の神秘さと信州高原という情緒に惹かれたのである。

と、「荒野に灯をともせ」で黒姫へ訪ねた動機を記している。

 さて、狩野誠さんは生粋の日本帝国軍人であり、このように同胞に対する想いは計り知れないものがあると思われる。 その所以の一つが延命堂の存在であろう。
 そのお気持ちは分かる。 しかし、先の大戦では満州へ渡った開拓農民ばかりでなく民間人の多くが空襲による被害など犠牲をはらい、また、戦地での人的物的な徴用、殺戮など様々に翻弄された人々が存在したわけで、そういう事実と同胞への想いとをどのように折り合いをつけられたのだろうか、ということが非常に気になってしかたない。
 雑草に対する強い想いを持っておられたのだから、辛苦を舐めた同胞以外の人々への心も持っておられたとは思う。 社会が変わりつつある中で、悲惨な戦争という負の資産を明らかにしにくくなって来たというのもうなづける。
 狩野さん自身どのように思われていたのか、著作の中ででも心の内を吐露するような部分があったら、是非見てみたい。
ほほえみ読本


クスリになる野菜と野草と 表紙見開きの狩野さん直筆(草心)、但し通常販売本にはない
薬になる野菜と野草
表紙見開きの狩野さん直筆(草心)、但し通常販売本にはない

2007年3月21日水曜日

無関心であってはならない

今日の暦から : 牛乳はすぐれた健康食品

 真のジャーナリストが集うDAYSJAPANの4月号は、戦乱のイラクを特集。
 テレビや新聞の報道では、この戦乱を「イラク戦争」と呼び、イラク開戦4年だと喧伝しているが、これはアメリカやイギリスを主軸とする一方的な侵略戦争であることを決して忘れてはならない。 なぜなら、イラク侵攻の拠り所であった大量破壊兵器は見つからず、4年が経ってもイラクでは、単に混乱と殺戮のみが繰り返されているからである。
 そして、ブッシュ政権の裏には、キリスト教原理主義のみならず、石油資本、軍需産業、ユダヤ資本など有象無象がひしめいているからだ。
 そのことにアメリカ国民もやっと認識して来たのであろう、昨年11月のアメリカ中間選挙ではブッシュ政権に半数以上が不支持を表明し、世界的にもアメリカ主導の戦いを疑問視する目が多くなってきた。

 我々、日本人はそういうイラク戦争を対岸の火だと思ってはならない。 後方支援だと日本の軍隊である自衛隊は隊員や物資を大量に派遣している。 具体的な支援活動を精査する機関もメディアもなく、国民には何も知らされず、我々が納めている税金の中から多額な金が使われているのだ。 日本に駐留するアメリカ軍に対する費用も然り。

 日本の新聞やテレビは、政府発表や通信社の配信情報を垂れ流しするだけで、内容の精査をほとんどせず、ジャーナリストだと公言しているマスコミ人も真実を追究せず、体制的で自分に利益が及ぶような仕事しかしていない。

 長野県議会百条委員会で、田中前知事の偽証問題が取り沙汰されたが、結局、元経営戦略局参事が嘘をついたという証言が明らかになったという。 その嘘に基づく百条委員会の存在を問う動きはないらしいが、こういう嘘が引き金となり、先の県知事選挙では、田中ではダメだという雰囲気作りになったのかもしれない。 県民は嘘を見極める手段もなく、そういう流れに飲み込まれてしまったのであろう。

 このように嘘や偽証に溢れた社会であるからこそ、我々は垂れ流し情報を鵜呑みするのではなく、自分の智恵と心で見極める眼力を備える必要があると思う。
 DAYSJAPANは、そんな人のためのフォトジャーナリズム月刊誌なのだ。
DAYSJAPAN4月号表紙から
市場での爆発で少女は片足をなくし義足を付ける 自動車爆弾で怪我した少年を治療する


2007年3月20日火曜日

續山峡小記 齋藤茂吉

今日の暦から : 過労、寝不足、不健康

 「現代日本紀行文学全集・中部日本編」から、今日は黒姫と黒姫近隣の最後の紀行文を残そう。 今回は、齋藤茂吉の「續山峡小記」で、信濃國の上林温泉、野澤温泉、妙高温泉、池の平温泉とめぐるものである。 齋藤茂吉といえば、精神科医と同時にアララギ派歌人であり、その血筋は齋藤茂太北壮夫と受け継がれていると有名だ。
 ウイキペディアによれば1882年(明治14年)の生まれで、1953年(昭和28年)に没している。 1923年(大正12年)の関東大震災発生をミュンヘンで聞いているようだから、この留学は40歳を過ぎてからということになる。

 本文から掻い摘んで記そう。 散歩中に、遠くに見える山は妙高山黒姫山であろうかと、畑に働く農夫に聞くも分からず、「森ノ中デ煙草ヲスッテハイケナイ」という看板に筆で書かれた朝鮮文字(ハングル?)を見つける。 関東大震災の際にドイツでも朝鮮人から色々喧伝されたと記している所から、この頃ミュンヘンへ留学していたようだ。
 そして、野澤温泉では、宿の主人が歓待の意味で、納豆に砂糖を加えて出してくれ、口に合わないからと替えさせるも、再び砂糖入りの納豆が出る。
 また、池の平ではスキーがはやり始めていると、高田芸者はスキイ節とかスキイ踊りをはじめに習うのだと知る。 そして、この地では茸のことをというそうで、茸の味噌汁を出してくれという言葉に、女中は苔と応え、不思議がる。 苔とは、ぬめり茸、栗茸、柴しめぢを意味するらしい。
1.續山峡小記 頁1
2.續山峡小記 頁2
3.續山峡小記 頁3
4.續山峡小記 頁4
5.續山峡小記 頁5
6.續山峡小記 頁6



2007年3月19日月曜日

荒野に灯をともせ 縮刷版

今日の暦から : 足を鍛えるのは足速で歩く

 先日のまとまった雪降りを春の悪戯かなと思っていた所、ここ数日の天候は2月と3月が入れ替わったようで、屋根の色が白くなっている家々が今日も見られる。
 さて、狩野誠さんが書かれた「荒野に灯をともせ - 黒姫山麓の二十五年」を読んだ。 日記に書かれていたものを随筆に書き直しされたものであろう、一つ一つは短い文面だが、戦後間もない時期から開拓という厳しい生活をされてきた、その生き様の一端をうかがい知ることができる著作であった。
 狩野さんは、先の大戦の特攻隊員として鹿児島県知覧で敗戦を迎え、高倉健主演の映画「ホタル」で見られたような仲間たちへの遣る瀬無い思いを、心の奥底にずっと持って来られたであろう。 そんな思いが、草や土に目を向けさせる要因になったのではないかと思った。
 北海道など他の開拓地でも辛酸を舐めた農民は多かったであろうし、黒姫開拓にも沢山の引揚者が入植したが、ある人は挫折したり亡くなったりと、現代の生活を得た人々は少ないようにも聞く。
そういう黒姫の開拓にかかわった人々や、黒姫開拓の真の姿を知ることは、信濃町に住み、関わる人々にとって大変大事なことではないかと思う。
○目次から一部を残す
荒野に立つ
掘立小屋を建てる
ランプの灯
土を斬る
熊の皮算用
おみくじ
カラス野郎
一粒一菩薩
蛙のてんぷら
山菜の宝庫
おらが蕎麦
口の中でボウフラが
 ・
 ・
 ・
灰燼に帰す
七難八苦
 
 この目次を見るだけで、その厳しさが分かるもの。 本書は、昭和47年2月15日発行となっているが、狩野さんの工場の火災は、前年の3月12日に発生し、
 「ごくろうさん・・・・・がんばろう」
 とかける言葉もいつしか涙声になっている。 あの不眠不休で自らの手で建てた思い出の桁の一本、梁の一本、屋根の一枚が燃えている。 なが年にわたってあつめた開拓の記録や薬草の資料が書籍と一緒に炎となってゆく。

と記しいる。 本書を縮刷版とし、300頁強の本版の出版を予定されていたらしいが、ひょっとしてこの火災で原稿等を灰に帰したものと思われる。

 もし出版されていれば、35年経つ現在でも、古本という形であっても手にすることができたわけだ。
そういう意味でも大変残念に思うし、町内の家々に残っているかもしれない開拓資料を探してでも、あの開拓の歴史を後世に残してほしいと思う。 黒姫開拓の歴史は信濃町の歴史でもあるからだ。
荒野に灯をともせ(表紙)荒野に灯をともせ(裏紙)
「荒野に灯をともせ」から
「荒野に灯をともせ」から


2007年3月18日日曜日

合掌

今日の暦から : ビタミンCは芋類に豊富

 合掌!  16日仁の倉付近にて撮る。
延命堂
草の学校
正面に斑尾山


2007年3月17日土曜日

志賀高原 三好達治

今日の暦から : 長寿の国に肥満なし

 昨日は、東京で何十日遅れかの雪が降り、今日は千葉県のマザー牧場で満開の菜の花に雪が降り注いでいたとニュースは伝えていた。

 さて、「現代日本紀行文学全集・中部日本編」から、三好達治の「志賀高原」を残そう。
明治生まれの物書きの作品は、漢字も仮名使いも古くて難しい。 本紀行文も旧使いが多く、読みを一語一語確認しながら読んだ。
 渋峠から草津に至る道は、草津街道と呼ぶ前は前橋街道と言っていた由。
 信濃のまくら言葉である「みすず刈る」は、熊笹を刈ることだと記してあった。
1.志賀高原 頁1
2.志賀高原 頁2
3.志賀高原 頁3
4.志賀高原 頁4
5.志賀高原 頁5



2007年3月16日金曜日

荒野に灯をともせ

今日の暦から : 寿命と熟睡けずる夜更かし

 古本店に頼んでいた、狩野誠さんの著書「荒野に灯をともせ - 黒姫山麓の二十五年」が届いた。
昭和47年発行の本書は、新書版の大きさで頁数は117。 わずかに写真の掲載はあるが、当然白黒印刷だ。 いつもの癖で、まず頁を見て内容を大雑把に把握し、そして巻末を見た。
 そこで分かったのだが、本書は縮刷版と表示されている。 本版は、B6版三百ページにわたる内容で、近く刊行するので、乞うご期待!とある。
 再びパソコン画面に向かい、本タイトルで検索してみたが、本版のようなものは見つからなかった。 本書は200円の定価だが、現在古本店では700~900円位の販売価格になっているようで、本版が出ていたとしたら千円台の値付けになろう。 出版までには至らなかったのかは分からないが、これから古書店の店頭でも注意して見ていようと思う。

2007年3月15日木曜日

戸隠行 高浜虚子

今日の暦から : 一日3回定時に食事をする


 「現代日本紀行文学全集・中部日本編」に収録された紀行文の中で、黒姫や近隣に紀行されたものをしばらく掲載して来たが、もう数件あったのでお付き合い願おう。


 今回は、高浜虚子の「戸隠行」である。 俳人・高浜虚子は、愛媛県松山の生まれで、正岡子規に師事し、俳誌「ほとゝぎす」を引継後長く主宰する。 この「ほとゝぎす」からは、前に同じように掲載した中村草田男が輩出しているとのこと。
 本文では、善光寺の裏手から急峻な坂を自動車で登って行ったとあるが、あの雪避けシェルターがある七曲りを云っているのであろう。 そうは云っても、バードラインが出来る(昭和39年)前であろうし、地附山崩落もあったろうから、現在の道とは随分と変わっているかもしれない。
 戸隠神社(中社)の火災のことが書かれているので、この戸隠行は昭和17年以降と思われる。 俳人仲間であろうか砧女という人の墓を参ることを目的にしていたようだ。
1.戸隠行 頁1
2.戸隠行 頁2
3.戸隠行 頁3
4.戸隠行 頁4
5.戸隠行 頁5



2007年3月14日水曜日

黒姫山麓に生きる

今日の暦から : 喫煙は百害、一利も無し

 一昨日、狩野誠さんの「雑草の詩(うた)」を読んだと記したが、黒姫和漢薬研究所のページを開くと、左に「黒姫山麓に生きる」とあり、この中に学校の機関誌であろうかサインズ・オブ・ザ・タイムズ1976年2月号というPDF版「黒姫山麓に生きる」があって、これを読むと講演録と同様に狩野さんが生きてこられた歴史の一端を知ることができる。
 その中で、「片手にペン片手に鍬を持つ」ような学校がないだろうかと、全寮制の日本三育学院にお子さんを通わせることになったと記されている。
 25年程昔であろうか、知り合いの牧師さんに紹介され、我々も子供の進学先としてこの学院を訪ねたことがあった。 千葉県の大多喜の方か、あるいは茨城県の霞ヶ浦の方だったか、記憶は不確かだ。 小学生の息子を連れて見学したのだったが、本人の同意を得られず結局願書を出す所までに至らなかった。

 さて、狩野誠さんが昭和33年に出版された「開拓農民」は絶版で手に入らず、「荒野に灯をともせ」は中古本の検索でいくつか引っ掛かったので、早速注文した。
 家内は、長野市で行われた講演会で狩野さんのお話をうかがったり数度お会いしていたが、自分は2004年にお会いしたのみである。 1990年に黒姫に来るようになって随分と機会はあったはずなのにと残念に思うが、人間というのは手に届かなくなった時に、初めて物事の大切さを知るのであろう。

 所で、三育学院と同じように寄宿制の自由学園という一貫校が東京にある。 羽仁もと子が創立した学び舎だが、同時に婦人の友という婦人のための雑誌を出版している。 家内は所帯を持ってからの読者なのだが、ここに必ず黒姫和漢薬の広告が載っていたのだった。 それが、最近なのかいつのまにか載らなくなってしまったと云う。 えんめい茶も誠さんの時代からどんどん変わっているのかもしれない。 創業時の理念が霞みかけているとしたら、非常に残念なことである。

 動作がだいぶ不調になってきたネットワークカメラを動かして、久しぶりの大雪の後の風景を撮って見た。 やはり春なのであろう、一点の雲のない黒姫山とはなってない。 昨日までの雪は、よくこの頃に見られる、冬の終わりを告げる自然の悪戯であろう。 これから春の色が日増しに濃くなるということだと思う。
今日の黒姫山 飯綱山
昨日の妙高山(今日は雲の中) 戸隠
表登山道付近 黒姫スノーパーク・クワッド降り場付近


2007年3月13日火曜日

気象庁のホームアドレスが変わっていた

今日の暦から : ヨモギは血行促進する食品

今日の畑

 一昨日から、久しぶりにまとまった雪が降り、ブルーベリーの根元もやっと隠れた。 しかし、日が当たれば直ぐにとけて、再びべと(土)を見ることになろう。

 しんまいには、信濃町の降雪量が28cmと書いてあったが、気象庁のデータはどうなっているかと調べてみた。 昨冬の大雪の時には各地のデータを確認しようと気象庁の積雪状況を随分と調べたものだが、今回あらためて見ようと思ったらサイトのアドレスが変わっていた。

 ということでリンク先は下記の通り。 たぶん小丸山公園で計測していると思うが、今回は15cmの積雪だと記されていた。

 気象庁
 最新の気象データ

 思い立って、信濃町役場の昨冬のホームページのトップイメージを採取してみた。 あらためて見ると今年と違って随分と大変な年であったことが分かる。

○昨年1月時の信濃町役場のホームページから


2007年3月12日月曜日

狩野誠さん講演録「雑草の詩(うた)」を読む

今日の暦から : 階段も利用のしかたで運動具

長野国道事務所カメラから(古間地区)

 もうとっくに春になったと思っていたら、今日は再び冬に逆戻りの天気ですね。 これだから雪国の気候には気をつけないといけない。 雪の無い乾燥路に慣れてしまった方が事故に遭われないよう願う。

 さて、黒姫和漢薬狩野誠さんが講演で話された内容を収録した「雑草の詩(うた)」という小冊子を読むことができた。 平成の時代に代わった頃、名古屋の異業種交流勉強会で狩野さんがお話しをされ、その講演録を纏めて平成4年に出版物とされたものらしい。

 これを読むと、戦後、狩野さんが黒姫で分教場を開かれ、子供達と生活を共にし、食べる物のない時代にお茶を作り、「うめぇー茶だ」という子供の言葉が転じて「えんめい茶」と名づけた由。 お金がなく長野駅で易の仕事をされたとか、お茶を作る過程で生じたカスに引火して工場が火災になったとか、話題は多い。
 中で、色々な方々の助けがあったことも書かれているが、何しろ、その行動力はすざましい。 開墾者への補助政策を廃止する案が検討された時には、農林大臣に直談判に行き、限られた時間内に数字などで示すも、大臣の十分な了解が得られず、最後に開墾者の黒く曲がった手を見せられた時、その場は静寂に包まれ農民の思いが一瞬にして伝わったとのこと。
 不要な紙を見つけては延ばして、裏の白い部分に線を引いて書き綴った日記帳をもとに「開拓農民」という本を出版される時には、武者小路実篤さんの巻頭言が欲しいと、これも知恵を働かせて得たらしい。 本書は、昭和33年の出版だからもう見ることは出来ないであろう。
 「延命茶」という名では許可が下りないと奔走されたり、リュックにえんめい茶を入れて東京に営業にでたとか、そのお話は武勇伝に近いかもしれない。

 雑草などに対する知識も豊富だが、何より森羅万象というか地球上のあらゆる物に対する優しさを持っておられたように思うし、「雨ニモ風ニモマケズ」という農民魂というか、確固たるその信念に驚愕の念を想じてしまう。 武骨だが、純粋な心を持つ日本人であったと思う。

 そういう意味では、狩野誠さんも黒姫の財産ではなかろうか。 小説でも伝記でもいい、どなたか狩野さんの生涯を著述してくれたら、狩野さんの心を皆がもっと知ることが出来るであろう。 これまで、狩野さんと町との関わりがどんなものであったか、全く知らないのだが、これだけの逸材をそのままにして埋もらせてしまうのは、それこそ勿体ない。 戦中戦後を通して、稀有な生涯を終わられた狩野さんにスポットライトを当てた企画が生まれて来ることを、是非是非願いたい。 
雑草の詩 表紙 別紙コピーから
自筆、一冊一冊に筆で書かれたらしい


2007年3月11日日曜日

中村与平さんの茅葺の仕事場

今日の暦から : 愚痴は人を老けさせる



 信濃町で平成の世まで、手打ち刃物の鍛治職人として活躍された中村与平さんのお宅が、信濃町の文化財として認定されたと、町の広報誌「しなの」に掲載されていた。

 戦前、国際村などに住まいをもたれた宣教師の指導により、古間地区では動力化された刃物生産が行われて来たとのこと。 そんな中、柏原の中村さんは手打ちにこだわり続けたと、知り合いのお宅にも与平さんの手による刃物や鎌などがあったらしいが、その方が亡くなられた後は、そんな事情も知らずに処分されてしまったようだ。

中村宅

 以前、中村与平さんと奥さんが鍛冶場で、赤い鋼を交互に打つ姿をテレビ番組の映像を通して見た記憶はある。 今、思うとあの映像も録っておけば良かったと惜しいことをした。

 放送番組にも著作権があるのだろうが、かつての信濃町を写した映像をライブラリーのような形で町に保存され、誰でも見られるような施設があったらと思う。 それも町の大事な文化的かつ教育的な資産になろう。

 信濃町のこれまでの文化財を一覧にしてみた。





















































































































No.指定名 称所在地備 考
1.史跡 小林一茶旧宅柏原49 
2.天然記念物 原のシダレザクラ平岡994 
3.史跡 霊仙寺跡大井2844 
4.無形民俗文化財

信州ガマ
古間、柏原地区 
5.味の文化財

凍りそば技法
柏原地区 
6.史跡 野尻一里塚野尻756 
7.史跡 野尻一里塚野尻524 
8.民俗資料室古間支館内 
9.有形文化財

懸仏
野尻湖ナウマン

ゾウ博物館
 
10.有形文化財

杉久保遺跡出土石器
野尻湖ナウマン

ゾウ博物館
 
11.有形文化財

立が鼻遺跡出土土骨器
野尻湖ナウマン

ゾウ博物館
 
12.天然記念物

ナウマンゾウの一号臼歯
野尻湖ナウマン

ゾウ博物館
 
13.有形文化財 古証文

古間区有古文書のうち

大古間宿成立関係文書
一茶記念館 
14.有形文化財

芭蕉の句碑
野尻703文政9年一茶門人

池田伝九郎他建立
15.有形文化財

一茶の句碑
柏原28

諏訪神社境内内
文政12年一茶三回忌に

弟、門人達が建立

明治11年に境内に移設



2007年3月10日土曜日

今年の閑貞桜は見られない

今日の暦から : 親の節制、子供の手本

2003年3月の雪山

 数年前の3月中旬、我が家の畑に積まれた雪山の写真を引っ張り出してみた。 こんな光景が当たり前の時季であったのに、今年は4月中旬以降の様相であろう。

 小雪は温暖化が原因だと云われているが、その症状は桜の開花にも現われ、各地で例年より一週間も早く咲くらしい。

 しかし、今年は、信濃町の名所の一つでもある原の閑貞桜を見ることはできない。 町の広報誌に、樹勢を高めるためやむを得ず蕾を摘み取るとのこと。 かつて見た、あの輝きを来年こそは取り戻して欲しいと願う。

 そのかわり、黒姫高原の大山桜は5月の連休中にも見られるかもしれない。 あの綺麗なピンク色の花びらも捨てがたい。
広報誌しなのから