お知らせ

お知らせ

*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*平和の琉歌



*うないぐみ+坂本龍一「弥勒世果報 (みるくゆがふ) - undercooled」


*the world is coming to an end



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

2007年9月30日日曜日

Web2.0の鼓動

今日の暦から : 体力過信は命とり



Web2.0の鼓動

 風雲舎という出版社が出している「Web2.0の鼓動」という書籍を読んだ。 出版はほぼ1年前で、謹呈本だと家内がいただいていたものだが、Web技術の新手法か規則のような内容が書かれているのであろうと思い読んでいなかった。 このほど何気なく開いたら、ネット社会の新しい動きというか、より進んだWeb世代が幕開けしていると現状を説明しているものであった。

 グーグルアマゾンなどの検索サービス、ミクシーなどの新しいコミュニケーション手法、各種ネットサービスの無料化の行方など、実例とともに解説しており、一応ネット社会に首を突っ込んでいる身としては、取り立てて目新しさは感じなかったが、ホームページを開設すればこと足りると思っている経営者や企業人などは是非読んだ方が良いと思った。

 ネット技術の企業活動への取り込み方の如何によって、成長できるか大きな岐路に立たされるだろうし、商売が順調だとWeb技術の流れを逐一注視していなかったら、後塵を拝することにもなろう。 コンピュータ技術は若者にまかせておけば良いという発想では後れを取ることは必定だ。

 本書とは全く関係ないが、色々なサイトを見ていたら、そんなWeb2.0の時代にふさわしいクールなバッジをデザインできるというサイトを見つけた。 その名も、Web 2.0 Badges。 サイトにこんなバッジを貼り付けたら目立つよと、こんな小さな事にも目を向ける必要があるのかもしれないが、本サイトにはちょっと合わないだろうと思う。




2007年9月29日土曜日

○ッ回目の誕生日

今日の暦から : 絵画や音楽で心の栄養

 今日は○っ回目の誕生日。 半世紀以上生きてくると特別の感慨もないが、それだけ残された日々が短くなるわけだから、一層身を律しなければいけないのかもしれない。
 そうは云うものの、友達が食事に招待してくれたり、義娘から熊笹の繊維を和紙に漉き込んだ靴下をプレゼントされると、やはり嬉しいものだ。 笹和紙の靴下はもう何年も愛用しているもので、履いていて気持ちが良いばかりでなく、熊笹の抗菌作用もあるようだ。 靴の中で足から出る汗の量はかなりあり、蒸れを防ぐためにも良い靴下だと思う。 家内は笹和紙のTシャツをプレゼントされていた。 そういえば黒姫和漢薬の延命茶にも熊笹が原料の一つとして使われている。
 なお、熊笹は、本来は「隈笹」と書くのだが、熊が栄養補給のためによく食べることから熊笹と云われるらしい。 熊笹のエキスはたいそう高価なようだが、なかなかスッキリした味で健康にも良いらしい。
 今日は、野尻湖のペンションでシャンソンのコンサートが開かれる日。 多分ここでも祝ってくれたであろうと思うが、残念ながら所要があって出席できない。 次に29日が土曜日になるのは2012年。 5年後もこのコンサートは開かれているであろうか?
笹和紙の靴下

2007年9月28日金曜日

iPod touch

今日の暦から : 少しの昼寝で疲労回復

 いよいよ発売されたAppleiPod touch。 現在持っているiPodは二世代前のものなので、新機種は音楽プレーヤー以外に写真やビデオ、無線接続によるブラウザ機能などを持ち合わせており、かなり食指が動いたのだが、早晩次世代のものが出るであろうとしばらくは様子を見ることにした。 電話機能を持ったiPhoneは先月アメリカで値下げしたらしいが、電話機能が付いた機種が日本で販売されるようになれば、このtouchは当然値下げになるであろう。 キーボードスクリーンが表示されて文字入力も出来そうだから、日記入力ができるような追加ソフト(ガゼット?)ができれば、結局PDAになってしまうけど、自分としては大いに魅力がある。
 iPod touchの初期品には、ウインドウズPCを利用した場合に不具合があったそうだが、昨日付けで修正プログラムがアップされているとネットには掲載されている。
 目下の所、iPod touch以外に、iMacかMacbookのミドルクラス以上も入手したいと思っている。 でも、購入してしばらくすると新機種が再び発売になり、ため息が出るのが常であるので、こちらもしばらく様子を見たい。 欲しい欲しいと思っているうちが華かもしれない。

iPod Touch - A guided Tour



iPod Touch Scratch Test




2007年9月27日木曜日

新・田舎人

今日の暦から : 無茶食いは身を滅ぼす


 先日、「信濃町の顔」という身贔屓な記事を残したが、もう一つあったのでここに残すことにする。
 これは1993年という同じような時期に発行された広報誌で、のうさい長野が発行する「のうさい中北部」という小冊子であった。 たぶん町の広報誌を見て話題になると思われて記事にされたものであろう。 
 インタビューを受けた本人は、出来上がった小冊子を見て、自分が述べた意図が全く出ていないと憤慨し、戸棚の奥に長くしまってあったものを私が見つけたものである。 まぁ、ともあれ信濃町での我々の足跡の一つとして、このブログにも残しておこうと思う。 なお、現在では本冊子は発行されていないようです。
のうさい中北部



2007年9月26日水曜日

秋の花 二題

今日の暦から : 野菜ドッサリ腸ガン予防



 先日、庭の花が綺麗に咲いているので写真に撮ってほしいと云われ、切り方や撮り方が分からないままシャッターを押した写真が残っていた。 一つは百日紅(さるすべり)で、もう一つは聞いたが忘れてしまった。

 サルスベリは、猿も滑るからとツルツルした表皮の木を云っていることと、赤い花を咲かせること程度は知っていた。 しかし、幹のツルツルは成長とともに旧い表皮がはがれて新生されるからだと、また、花は赤色だけでなく白色もあると初めて知った。 このエントリーで漢字変換したら、百日紅猿滑が出て来たがどちらも正しいようで、これもあらためて認識した次第。 8月頃咲く花ということで、黒姫では9月中旬なので1ヶ月は遅く咲いているようです。

(2007/10/1追加:右の写真はミヤマダイモンジソウ/深山大文字草でした。 ユキノシタの一種だそうです。)










さるすべり

ミヤマダイモンジソウ





2007年9月25日火曜日

中秋の名月

今日の暦から : 早起きは気分爽快


中秋の名月


2007年9月24日月曜日

野性の呼び声

今日の暦から : イライラしたら複式呼吸

















 開高 健C.W.ニコルの「野性の呼び声」という対談集を古書店で見つけた。 1984年4月の出版とあるから、開高氏は54歳ニコル氏は43歳の時である。 開高氏は4年後に58歳という若さで病死しており、ニコル氏は現在67歳と健在で、黒姫駅前でたまに見かけるが、風貌は別人ではと思えるほど変わってしまっている。

 本書では、両氏の、世界各地での生活や旅体験からもとづいた人生観が述べられており、なかなか機知に富んだ内容となっていて、面白く合点のいくことが多いと思った。 前半は、開高氏が黒姫のニコル氏の住まいを訪ねた時のもので、黒姫駅構内や駅前商店街で撮ったのではないかと思われる写真が掲載されている。 後半はニコル氏が上京した折のようである。

 そんな対談の中で、ただ、"気ままな食習慣"と敢えてこういう表現を使うが、そういう生き方が開高氏を短命に終わらせただろうし、ニコル氏も年齢以上に老けてしまっているように感じる。 そういう所だけは相容れないものを感じた。

 本書に掲載されている写真は立木義浩氏によるもだが、四半世紀前の両氏の笑顔に出会えるであろうと、掲載されている写真の一部をイメージに取り込んでここに残すことにした。

 本書は、1986年に文庫本として再販されているようだが、検索してみても初版本は古書店にもあまりないようだ。











































MovableType4を試行して

 本ブログシステムで利用しているMovableTypeを4.0にバージョンアップして、一週間ほど運用して来たが、特に大きな問題はないようだ。
 以前の3.35と比べ、トップページの表示が遅くなった感じがするが、これはAjaxの参考書などからスクリプトを加えたためかもしれない。 もともと非力な回線とPCを使ったブログシステムなので、大きく改善されたという印象はないと思う。
ただ、新しいバージョンのおかげか、また追加したプラグインの効果なのか、スパム・コメントやスパム・トラックバックが極端に減った。 日に50もあったスパムは皆無に等しく、逆に一抹の寂しささえ感じてしまうほどである。
 スパム・コメント防止用に、reCAPTCHAという随時変わる英単語入力モードを追加したが、表示された画像から単語を類推するのは少し難しく分かりにくいかもしれない。 MovableTypeの機能を紹介しているサイトなどではもっと分かりやすくなっているようだが、MT4.0 でのスクリプト修正など詳しい変更方法などの情報がまだ少ない。

 未だ分からないのはプラグインのこと。 特定の機能を持ったソフトウエアをプラグインとして追加するわけだが、全体のシステムメニューからはインストールした全プラグイン名を確認することができる。 しかし、個別のブログに入ったプラグインの一覧ではその一部しか表示されない。 詳細設定が不要なプラグインであれば特に問題はないが、提供サイトの設定手順を行おうとしても、それが出来ないのである。 この辺の情報も少ない。

 各モジュールの結合関係も十分に理解できておらず、モジュールの中でIF文が使われており、これに応じたスクリプトの改変を行っても、思った結果が出ない。 月別アーカイブリストで、トップページでは年毎に月が表示されているが、カテゴリー別のページを開くと、年月がそのまま一覧で出てしまう。

 さらに、数日前に4.01のシステムファイルをインストールしたのだが、記事入力中のプレビューが表示されなくなった。 ローカルシステムで、4.00に戻したら正常に動作したので、4.01への変更が原因になっているようだ。 というものの4.01のシステムファイルの不具合ではなく、たぶんこちらのサーバー設定が原因にはなっているとは思う。 グーグルっても、同じような事象が起きているサイトはまだないようだ。 しばらくは様子を見ながら運用しておこう。

2007年9月23日日曜日

鎌倉散歩

今日の暦から : 節度を知れば酒は妙薬



 昨日買ったハイキング用の靴を試そうと、曇った天気の中鎌倉散歩に出かけた。 季節柄彼岸花以外に目にとまる花はなく、お墓参りで渋滞する車と人混みを避けながらのウォーキングとなった。

 ニュージャーマンのアイスクリームを久しぶりに賞味しようと思ったら、もう販売していないとのこと。 安い単価の商品は早々に止めてしまうようです。 人に知られ、あちこちのデパートなどに店を出すようになると、昔の良さがなくなるのはどこも同じかもしれません。

 小町通りの土産物や食事処も、子供の頃に見た昔からある地元の店は数えるほどしかない。 情報誌に踊らされていると思うのだが、カレーや蕎麦の店にはいつものように長い列が出来ていた。 魚を買うのも目的にあったのだが今日と明日は休業。  この周辺で買う物は魚と赤飯、そして食べるのはラーメン店しかなく、それ以外に寄るような店はない。 昔はよく通った紀伊国屋も、ただ値段が高いだけで、品物を探す楽しさがないスーパーに変わってしまっていた。



































2007年9月22日土曜日

Women in Art , Women in Film

今日の暦から : 風邪誘う昼夜の温度差注意



 家内の友人の娘さんは、学業を終えてから就業するも自分のライフワークである美術を学びたいとイギリスのグラスゴーに留学していた。 卒業後、日本に戻っていたのだが、再び心中の虫が動き始めたのか、今秋からはカナダの大学に在学している。

 彼女のブログを見ていたら面白い映像が載っていたのだが、アドレスを公開して良いか分からないので、その映像素材をここに記すことにした。 Women in Art の映像を見てタイトルや画家の名が、そしてWomen in Film で女優の名がいくつ思い出されるであろうか。

 私は1つ~2つと殆ど分からないに等しかった。


 
○Women in Art






○Women in Film






そして、こちらも何か面白いというか不思議なアニメーション。


















2007年9月21日金曜日

信濃町の顔

今日の暦から : 検診をきちんと受ける

 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が死語になったような今日の温度。 と言っても、西日が当たる我が家だけかもしれないが午後の強い日差しでともかく暑い。
 今日は、町の広報誌「しなの」の古い記事から一辺を掲載。 家内が総合会館で料理教室を開いた時のものである。
 「信濃町の顔」というのは大仰な感じもするが、あの頃は上野から特急「あさま」に乗って信濃町を行き交い、会館や我が家で料理講習を行い、遠くは戸隠からも生徒さんが来ていた。 年齢的に若かったから出来たことだし、それまでは教室を開くような人材が町内にいなかったので珍しくもあったのであろう。
 昔日の感がある記事だが、とりあえずここに残しておこうと思う。

● 信濃町の顔「自然の味を生かした料理作りを」


2007年9月20日木曜日

社協だより

今日の暦から : 過保護が生む虚弱体質

 信濃町には、老人介護や障害福祉支援を行っている社会福祉協議会という組織がある。 通常は、「社協」と呼び、毎月「社協だより」が各戸に配布されている。
 普段はあまりよく見ていないのだが、8月号には、終戦から62年を迎えて、戦没者追悼式が執り行われ、「終戦六十周年記念誌」が発行されたと記載されている。

 戦争のほとんどが領土拡大、覇権強化が目的であろうから、先の戦争は当然大陸への侵略であり、かかる帝国軍が敗退したのだから、「敗戦」というべきで、報道や教科書など多くの場で「終戦」と表現するのは日本語の曖昧さを如実に現しているものだと思う。 そして国全体を見た時、遺族会の存在は戦後政治の方向を誤らせたと考えるが、ここで自説を表明することは止めよう。

 さて、信濃町遺族会の記念誌は、30周年、50周年、60周年と発行され、今回のものには、黒姫卿の入植と引き上げについて入植図をつけて当時の内容を概略紹介している由。 そして、信濃町遺族会の方々が、「記念誌を発刊して」と「語りつぐことの大切さ」と題して寄稿されており、戦争の意味を問いただす意味でも、また戦中戦後にわたって開拓などでご苦労された黒姫の人々を知っていただきたく、その文面をこちらのサイトにも残すことにした。
 なお、本記念誌は、信濃町役場内の社会福祉協議会窓口で2000円で配布しているとある。

● 終戦から六十二年を迎えて

● 終戦六十周年記念誌発行(前項より続く)

● 語りつぐことの大切さ

● 記念誌を発刊して


2007年9月19日水曜日

庭のコスモスがやっと満開

今日の暦から : 睡眠充分で元気一杯













フランスの田舎で見たコスモス

黒姫アアスティーの駐車場にて

我が家の庭先にて




 フランス行脚の途中、今年6月中旬に見たコスモスだが、我が家ではなかなか花芽がつかず、あきらめていたのだが、最近になってやっと花びらが開くようになった。

 そして、コスモス園に行かなくて済むほど、町内のそこかしこにコスモスは見られ、秋風にそよぐ風景はなかなかいいと思う。 しかし、カメラのレンズをコスモスに向けた途端に風が吹き出し、揺れるコスモスになかなか焦点が合わないことが多くて満足できる写真が撮れない。 コスモスは、自分の目で愛でるのが一番良いのかもしれない。


2007年9月18日火曜日

蜂の巣

今日の暦から : 老化おくらす指先作業



蜂の巣

 秋になると蜂の活動が活発になる。 そのおかげで先月は蜂に刺されて、こんな手になってしまったが、ご近所の庇には、こんな大きなクマンバチの巣が出来ている。 持ち主は、もっと大きくして飾り物にするんだと、巣立ちをした後ニスのようなものを拭きつけ固めてから取るつもりでいる。
 ミツバチやアシナガバチでさえ餌食にするクマンバチも、オニヤンマには勝てないらしい。
 そんな蜂の中で、ジバチの蜂の子をいただいたが、久しぶりの珍味に舌鼓を打った。



2007年9月17日月曜日

鳥居川解禁と秋祭り

今日の暦から : 物忘れ足元ふらり老いの波












虹鱒釣り

虹鱒釣り




 16日は、鳥居川の虹鱒釣りの解禁日と秋祭りが重なりました。

 秋に川辺に下りるのは今回初めてで、大きく育った藪にしばし下りる道を探す有様でした。 年に1回程度の釣りで、釣り方も理解できていないまま竿をたれると、それでも3匹を釣り上げることができました。 あとは小さなカジカハヤのみ。

 養殖した虹鱒を放流して、その傍から釣り上げるは何か違和感があるし、釣り逃がして川に巣くった虹鱒なんか食べられないと、釣り人の中から聞こえて来る言葉も奇妙に感じます。 何やかやと言いながら、釣り上げた数を競いながら夕べの食卓には並んでいることでしょう。



 秋祭は、刈り取り前の五穀豊穣を願っているのでしょう、古間地区では7つの組から神楽神輿が出たようです。
 我が組でも午後から子供神輿が回った後、リヤカーに神輿を乗せた大人の神楽が道中囃子とともに回っていました。 子供神輿には500円程度、大人神輿には1000~2000円ほどのご祝儀をはずむようですが、家によっては飲食代や酒代に消えてしまうと嫌がって、不在を極めこむこともあるようです。

 祭のハイライトの一つは、夜8時を過ぎて足揃いのために、各組の神楽が古間商店街に入って来る時でしょう。 普段は暗くなると人通りも無く、たまに車が通る商店街がこの時は賑やかになります。

 そして、上町(かんまち)組は、オグチメガネ店の店先で、神楽舞が披露され、これには大勢の観客が取り囲んで鑑賞し、励ましの声もかかります。

 10時頃、古間北交差点横の駐車場に、各組の神楽が集結し終わると、前出の畑からは大きな花火があがります。 一昨日、柏原の祭で上がった花火ほど数は多くないが、大きさも鮮やかさも負けてはいません。

 この花火の打ち上げを合図に、集結した神楽は国道を越えて古間神社の坂道を順番に上って行きます。

 古間神社本殿での神楽舞がハイライトの3つめであろう。 今回は本殿での舞いを見ずに家路についたが、例年だと、しとしと冷たい雨も落ちる時期で、寒さに震えることもあるのに、今回は汗をぬぐうような気候でした。

 それにしても、家族連れや子供たちがたくさんいて、華やかな祭りになりました。 十数年前に神楽引きを仰せつかった頃は、子供神輿も住民参加の姿も無く、物好きな人たちがやっているような雰囲気もありました。 町全体では人口は減少傾向にありますが、ここ古間(の祭)を見ている限り、町の活性化は進んでいるようにも思えました。














大獅子

神楽舞

神楽舞

踊り終えて、ホッと一息





2007年9月16日日曜日

秋の風物詩

今日の暦から : 良い趣味は心のビタミン












バッタ

柏原小学校運動会





 3連休の初日である15日に天望館に行ったら、8月のお盆の頃のようなお客さんの入りで、館内も駐車場も満杯でした。 そういえば、数年前に信濃町インターからコスモス園への道が渋滞して、なかなかコスモス園の駐車場に辿り着かなかったことを思い出しました。 普段一台も停まっていない前山駐車場も大変な数の車が停まり、シャトルバスがひっきりなしに往復していました。 そんな中、我々は混雑を避けてアスティーからの遠景を楽しみました。

 秋の風物詩である田畑の実りは間もなくでしょう黄色く色づきはじめ、わが車のフロントガラスにもバッタが飛んで来た。

 客人を案内している中で、柏原小学校では運動会が催されていた。 数年前に、この運動会で盆踊りに踊られる柏原甚句や音頭を、児童と大人が一緒になって踊る姿が見られた。 今回も踊りはあったのでしょうが、そのタイミングに行き会いませんでした。


2007年9月15日土曜日

柏原諏訪神社の宵宮へ行ってきた

今日の暦から : 上手に減量、楽しい老後



 昨夜は、柏原の諏訪神社で宵宮が執り行われていました。 「浦安の舞」というのが奉納されるというので行ったのですが、残念ながら聞いていた時間より早く行われており、舞った4人の子供達の後姿しか見られませんでした。

 夜店の回りには子供たちがたくさん集まっていました。 この後にコンサートのようなイベントがあって、更に10時から本殿での奉納舞があるということでしたが、雨がぱらついてきたこともあって帰途についてしまいました。

 荻原製菓の駐車場からでしょうか、随分と花火が上がっていました。 とくに10時の花火は我が家からもはっきり見えて、小さいながら綺麗でした。 7月に見た野尻湖の花火よりも良かったというのが個人的な印象。























2007年9月14日金曜日

MT3.35から4.0へ更新した

 本ブログで使用しているMovableTypeを3.35から4.0へアップグレードした。 テンプレートは以前からお世話になっている小粋空間からのもので、さらにいくつかの先駆者サイトやAjaxのガイドブックなどを参考にした。


 旧システムからのアップグレードはうまくいかず、エントリーデータを全てテキストに掃きだしてから、新システム側でインポートした。 さらにタグクラウド用のタグを全てのエントリーに対し再入力し、使えないプラグインを捨て新たなものを追加した。 そのためほぼ1月を更新作業に費やした。


 変更したものは、左サイドの中では、直近のエントリーリストの次に、ランダムなエントリーのタイトル一覧、更に既ポスト分からランダムな画像を表示するようにした。 あとは変わらない。 右サイドは、天気予報の参照サイトを変更。 またコメント入力の際、迷惑コメントを増やさないため表示された画像からアルファベット(単語)を入力するフォームを追加した。 随時変わる単語をミス入力するとコメント入力は完成しない。 


 見た目には大きな違いはないが、内部処理は大きく変わっており、いまだ理解は緒についたばかりなので、いつ不具合が出るか分からない。 一応、1ヶ月をかけてローカルでテストをしてきたので大丈夫だとは思うがしばらく様子を見たい。 



俳句 de Haiku

今日の暦から : 竹踏みで足腰の鍛錬

俳句 de Haiku(表面) 俳句 de Haiku(裏面)

 手元に天望館でいただいてきた「俳句 de Haiku」というパンフレットがある。 来月11日に、東京・草月ホールで行われるハイク対談とコンサートの会だと説明書きがある。

 この会に、以前、一茶記念館の講座でお会いしたマブソン青眼さんが出席されるとあり、是非青眼さんのお話をうかがいたいと行ってみたい気になった。 ただ対談の相手が黛まどかさんとなっている。

 黛さんについては、その人となりについて全く知らない。 しかし、スペインのカミーノを一人で歩いたと記された「星の旅人」などを見るうちに、何か自分の気持ちにすっきりと合わない感じの人なのである。 その後、韓国や奥の細道を歩かれるなど、精力的な活動をされているようだが、何か気持ちが伝わって来ない。

 これはたぶん彼女がパウロ・コエーリョに心酔されていると思われるからであろう。 パウロ・コエーリョの「星の巡礼」や「アルケミスト」を既に読んでいるが、意図的な虚像を描いており真実の姿が見えず、はなから自分の心に通ずるもがなかったのである。 黛まどかにそういうコエーリョとの共通項を見るのである。


 既に、青眼さんの、「詩としての俳諧 俳諧としての詩」を読んでいるが、学術的な記述に十分理解できていない所もあるが、詩的美学に感じるものがあった。 また別の機会にお話をうかがえればと思うものである。


2007年9月13日木曜日

Song For Ireland

今日の暦から : 深酒続けば肝臓ダウン

 アイルランドのパブなど、人の集まる場所で歌われ聞く曲はいろいろあるが、中でも Water Is WideSong For Ireland がその代表曲ではないかと、異国にいる我々には思えてしまう。
 さて、そのような国土を讃えるような歌(曲)は日本にあるのだろうか。 軍歌や国民歌謡のような、一時代や一事象をたたえるものはあるが、日本を悠久の地として万民の心の底に響くような歌を自分には思いつかない。
 あえて挙げるとなると、信濃町の隣にある旧豊田村で生まれた「故郷」かもしれない。 「故郷」を作詞した高野辰之の記念館が、信濃町からほど近い所(現在の中野市)にあるが、子供時代を思い起こし懐かしさを感じさせてくれるのは、今のところ、この歌しかないように思う。

 そこで、自分の好みの歌手の一人である、Mary Blackが歌うSong For Irelandをリンクした。

Walking all the day, near tall towers
where falcons build their nests
Siver winged they fly,
they know the call of freedom in their breasts
Saw Black Head against the sky
with twisted rocks that run down to the sea
Living on your western shore,
saw summer sunsets, asked for more
I stood by your Atlantic sea
and sang a song for Ireland


Talking all the day with true friends

who try to make you stay

Telling jokes and news,

singing songs to pass the night away

Watched the Galway salmon run

like silver dancing darting in the sun

Living on your western shore

saw summer sunsets, asked for more

I stood by your Atlantic sea

and sang a song for Ireland
Drinking all the day in old pubs
where fiddlers love to play
Someone touched the bow,
he played a reel
it seemed so fine and gay
Stood on Dingle beach
and cast in wild foam we found Atlantic bass
Living on your western shore,
saw summer sunsets asked for more
I stood by your Atlantic sea
and sang a song for Ireland
Dreaming in the night I saw a land
where no man had to fight
Waking in your dawn
I saw you crying in the morning light
Lying where the falcons fly,
they twist and turn all in you e'er blue sky
Living on your western shore,
saw summer sunsets asked for more
I stood by your Atlantic sea
and sang a song for Ireland

●Leahy + The Chieftains - "B" Minor Medley

●Sinead O'Connor - Thank You For Hearing Me

2007年9月12日水曜日

全共闘運動に関連したビラから

今日の暦から : 貧血防止にホウレンソウ

 いまや隔世感のある「全共闘」運動だが、1960年代から70年代にかけて日本を震撼させた大きな事件が続いていた。 かの運動もしくは闘争は、体制崩壊による新しい国創りを求めたのだろうが、結局破壊活動が前面に出てしまい、孤立化やセクト化で、結局民意を得られなかったのであった。
 我々は、所謂ノンポリ学生であったが、心情的には感ずる部分が多く無下に彼らの運動を批判できず、さりとて過激な運動に身を没するほどの確信もなかった。
 世情が騒がしくなるにしたがい、既に決まっていた就職先から呼び出しを受けて、そのような運動にかかわっていないか確認されたことを覚えている。
 そんな学生時代の一こまを伝えるビラが見つかった。 1枚は、全共闘によるバリケードの意味を理解しろと、2枚目は、上智大学副学長が学園正常化を訴えるものである。
 あれだけの熱情が建設的な運動に展開できれば、今の時代も大きく変わっていたであろう。 今でも、時折、鉄道駅などに「過激派発見に協力を!」などという警察のビラが貼られているが、当時のような力を持った組織は現存しないであろう。 警察が予算確保のために、作為的にビラを貼っているとも思える。
 カルチェラタンと化した御茶ノ水界隈の様子もおぼろげながら記憶しているが、催涙弾の煙はとにかくすごかった。 目は赤くなるし、いつまでたっても涙が止まらない。 もうあんなことは体験したくない。

○全共闘バリケードを支持するビラ(1968年頃?)
○学生諸君に訴える副学長のビラ(1968年頃?)



2007年9月11日火曜日

約半世紀前の旅行行程表から

今日の暦から : 姿勢正しく明るく読書

 古い衣装箱の中から、学生時代に行った修学旅行の行程表が出てきた。
 時期は、1962年(昭和37年)6月と、45年も昔のもので、行き先は北海道であった。
 行程表を見れば分かるが、7泊8日といっても車(船)中泊が3日もあり、行程の多くが列車での移動であった。 こんな旅行でも当時は大変な費用がかかったのであろうと思う。
 まず上野から青森まで14時間かかっている。 今なら新幹線を使えば4時間ほどか。 青函連絡船も4時間半も。 札幌から釧路までは9時間で、現在なら4時間ほど。
 若いからできた旅行であったろうが、長距離列車が現在ないので当然無理なのだが、今の年齢では到底できない行程であった。 それにしても付き添いの先生方は、厳しい行程に加え、事故や怪我がないよう気を配るなど大変な旅行ではなかったかと推察する。
 宿泊先の電話番号も随分と桁数が少ない。呼び出し電話だろうが、ここに記載してある先へ遠方からどうやって電話をつなぐことができたのだろうか?。
 以後、北海道に行く機会はまったくなく、次に訪れたのは20数年後の40歳代の半ばで、社員の結婚式が釧路であると会社を代表して行ったもので、わずかな時間をやりくりして釧路湿原だけを見てきた。
 北海道は、今ではたびたび訪ねる先になってしまったが、約半世紀前に一緒に旅行した同級生たちは今どうしているであろうか? 御巣鷹山での日航機墜落事故で亡くなった仲間もいたが、住む世界が変わると同級生達も遠い存在になっているのが現状である。

○1962年修学旅行行程表


2007年9月10日月曜日

ARストーンと氷点

今日の暦から : 竹踏みで足腰の鍛錬




 昨日、記した「野尻湖物語」の中に、「国際村九八番」という項がある。 昭和時代の初期、柏原や古間で鍛冶の機械化をすすめ、ルバーブなどの野菜の植付けなど農業への取り組みもされたカナダ人宣教師ARストーン(アルフレッド・ラッセル・ストーン)さんが、戦後まもなく夏の休暇を取った館の番号が98番だという。

 その後、北海道へ赴任されたストーンさんは、東京で会議があると1954年青函連絡船「洞爺丸」に乗った所、台風の直撃で船が転覆し、自らの救命胴衣を青年に渡し、船とともに水底に沈んだと言われている。

 三浦綾子の「氷点」には、このストーンさんの献身的な姿に倣った記述がある。 旭川の医師辻口啓造が東京で開かれる学会に出席するため、この洞爺丸に乗船していたのであった。
 「氷点」の記述では、危険回避のための七重浜座礁であったようだが、
 啓造は壁の上に立っていた。 もう一方の壁は頭上にあった。 船窓から音を立てて海水が流れこんできた。 みるみるうちにくるぶしまで水がきた。 電灯が海水を明るく照らしていた。
 ふいに近くで女の泣声がした。 胃けいれんの女だった。
 「ドーシマシタ?」
 宣教師の声は落ちついていた。 救命具のひもが切れたと女が泣いた。
 「ソレハコマリマシタネ。 ワタシノヲアゲマス」
 宣教師は救命具をはずしながら、続けていった。
 「アナタハ、ワタシヨリワカイ。 ニッポンハワカイヒトガ、ツクリアゲルノデス」
 啓造は思わず宣教師をみた。 しかし啓造は救命具を宣教師にゆずる気になれなかった。
��中略)
 汽車の中まで照り映えるような、紅葉と美しい水の大沼もすぎた。 新しい命を得てながめる風景は、くるしいほどに美しかった。
  (あの宣教師は助かったろうか?)
 あの胃けいれんの女に自分自身の救命具をやった宣教師のことを、啓造はベッドの上でも幾度も思い出したことだった。 啓造には決してできないことをやったあの宣教師は生きていてほしかった。 あの宣教師の生命を受けついで生きることは、啓造には不可能に思われた。
 あの宣教師がみつめて生きてきたものと、自分がみつめて生きてきたものとは、全くちがっているにちがいなかった。

 と、書かれている。

 野尻湖畔の観光船乗り場付近には、ストーンさんの記念碑が建てられ、その偉業をたたえている。
ARストーン記念碑


 さて、三浦綾子の作家活動を展示している三浦綾子記念文学館が、北海道・旭川にある。 文学館の隣には営林署の見本林があり、そして幼いルイ子が命を落とした美瑛川が流れている。
 我々は会員として既に済ませているが、この文学館が新たに増築すると、現在その資金を募っている。 最後にアサヒコムに記載された記事を残そう。

三浦綾子文学館、増築資金を募る 資料保管のため
2007年09月08日11時06分 アサヒコム
 北海道旭川市を拠点に作家活動をし、『氷点』などで知られた三浦綾子さん(99年死去)をたたえて地元に建設された記念文学館が、来年の開館10年を前に増築資金を募っている。三浦さんは生前、「恐れ多い」と建設を固辞したというが、約3000人のファンの支援で設立実行委員会が作られ、建設が成った。
 闘病生活を経て人生の不条理、宗教の意味など、人間存在の根源を見つめた三浦作品の愛読者が年間約2万人訪れる。韓国を中心に海外のファンもやって来るという。
 増築の主目的は、三浦さんや、創作上の「伴走者」だった夫の光世さん(83)が集めた取材資料などの整理と保管だ。約90平方メートルで予算は3000万円。来春完成を目指す。
 北海道大名誉教授で、三浦綾子記念文化財団理事の工藤正廣さんは「三浦さんの作品は多数の翻訳を通し、アジアや欧米でも愛されている。北の地に根をおろし、人間の生を見つめ、未来に向けて思考を重ねた作家の足跡を残すため、支援を仰ぎたい」と話す。
 少額でも歓迎。07年末まで。郵便振替で「財団法人三浦綾子記念文化財団」(口座番号02760―3―64846)。問い合わせは文学館(0166・69・2626)。
三浦さんの写真を飾る文学館の一角。作品の息づかいに触れようとファンが訪れ、海外から来る人も=北海道旭川市で