お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

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2010年4月30日金曜日

小林一茶の未公表2句

 28日の信濃毎日新聞一茶の未公表2句確認という記事が掲載され、それによると都内の収集家の家からこれまで公表されてなかった一茶の句が見つかったとのこと。 記された懐紙の展示は、都内江東区の芭蕉記念館で行われると、残念ながら信濃町の一茶記念館ではなかった。
 そういえば、数日前から、黒姫駅前の商店街から国道脇にある一茶旧宅にかけてボンボリが飾られている。 これは5月5日に行われる一茶祭を予告するもので、信濃町では春の訪れを告げる祭なのである。 この日は確か一茶記念館は無料で展示を観ることができると思う。



ピースウォークfrom沖縄 と  韓国巡礼Walk9

walk&walk
 本年1月1日沖縄を出発したピースウォークfrom沖縄は、28日国会議事堂到着で終了した(と思う)。 28日と29日には集会やイベントがあると聞いていたが、既に離れた身としては下記のとおり参加するのが阻まれ、昨年の韓国巡礼も含め精査した内容を今日は記しておこうと思う。
 
 その前に、iPhoneで撮った動画をユーチューブに掲載しました。 ユーチューブのトップ画面で、”ピースウォーク 沖縄”と検索すれば一覧されます。
 
 さて、この2月から参加していたピースウォークfrom沖縄ですが、静岡市内の途中で一行から離れウォークを中止することなってしまいました。 その理由ですが、核兵器廃絶や軍事基地撤退をもとめ、あくまでも平和を希求するためのウォークのはずでしたが、20日早朝に別の参加者と小さな諍いがあり離脱を余儀なくされたためでした。
 
 このピースウォークは、今年元旦に沖縄久高島を発って東京を目指したもので、昨年8月頃から企画して来たものらしく、私はその行程の半分に近い2月22日から参加していたものでした。 そのタイトルの通り、平和を訴えながら東京へ向けて「歩く」ということは分かっていましたが、コースや宿泊場所の決めなどは分からず、また誰が企画しているかも知らず、ただピースウォークという車にヒッチハイクさせてもらうがごとくに参加したようなものでした。
 しかし、だんだん分かって来たことは、2005年のストーンウォーク、2007年のストーンウォークコリア、2008年の9条ウォークといったウォークイベントで培って来た各地のネットワークから、今回地域の実行委員会を組織してもらい、その実行委員会がウォークのルートや宿泊場所、集会やイベントなどを計画し、先達である石橋行受上人と参加者であるルートウォーカーはその計画に乗って歩くというものでした。 当然各地の計画は東京に置く事務局との調整の上でなされているものでありましたが、ウォークの詳細はその地に着かないと分からないというもので、一種ミステリーツアーという要素を含んだ未知の旅でもありました。
 


  私が、参加した当初はそのように右も左も分からない状況で、ただ列(といっても少人数でしたが)について歩くというもので、そのうち日々の状況をブログに載せ報せたいという求めに応じて、iPhoneで写真を撮り文面入力し東京へメール送信した上で、それを東京側でブログ投稿するという形で対応しておりました。

 しかし、iPhoneの写真はあまり綺麗でなく、東京の担当が風邪でダウンし更新されなくなったこともあって、石橋上人が使用されていたイーモバイルアダプタを使ってネット接続し、直接ネットPCからブログ投稿するようになったわけです。 そして写真も普通のデジカメで撮影し、掲載写真の編集もPC上で行い、また途中参加された方々がウォーク中の写真を見たいであろうという求めに応じて、日中撮りためた写真を無料掲載サイトへ一括してアップすることも始めました。
 結果、それまでは歩くだけで良かったのが、写真撮影、ブログ投稿という仕事に加え、参加者のバッグや食器食材を載せた伴走車の運転手がいない場合は、これを運転しなければならないという仕事(ナビのないただ地図だけの運転はかなり疲れるものです)が加わったわけです。 しかも少人数の参加者からはまとまった参加費を集めることができず、またカンパや寄付があるといっても、先達である石橋上人が個人的に大きな負担をしていることが分かり、その面でもフォローすることをこころがけていました。
 
 そんな形で進められてきたピースウォークですが、日本山妙法寺の中に石橋上人を快く思っていない人物がいるらしく、「石橋上人は過激派と付き合っており、あのウォークは日本山が認めたものでない」と、ウォークに協力しないよう喧伝していたらしいのです。 そのためある地域では協力が得られず、石橋上人は願ったウォークを進めることができず、そういう中傷にも耐えておられたと思います。 ウォークに協力し行き交った人々の中には、昔学生運動にのめりこんだらしいと聞くこともありました。 当時、平和や平等な世界を求め活動した学生の中には、制約された社会の中でその思いのあまりに違法な行動に出た人もいたでしょう。 しかし、それは昔の話であり、今は普通の社会人として暮らし、日本国民として憲法で保障された方法で平和活動を行い、このウォークに関わっているのです。
 そういう状況を単に「過激派と付き合っている」として石橋上人を排除するのは宗教者としてあるまじき行為であり、そこには妬みや嫉みといったあってはならない感情が存在するようにも思われてしまいました。
 
 そんなウォークを2ヶ月の間に続けて来たのですが、二週間ほど前であったか日本山妙法寺の上人2名が交互にこのウォークに初めて加わりました。 最初の方は物静かな上人でしたが、入れ替わりに来られた牧野上人という人物と諍いを起こしてしまったのです。 この方は、穏やかな石橋上人とは異なり、煩いほどに話し好きで、やたら一人一人の個人情報を聞きたがっていました。 たぶん参加者の平和な情報は彼にとって苦いものであり、苦労やマイナー情報は甘露な飴の味なのでしょう。 そして彼は短期の一参加者のはずが、ウォークを取り仕切ろうとするのです。 食事の準備や寝具の片付け、荷物の積み込みなど参加者が協力して作業をすることがあるのですが、リーダーは石橋上人であって、牧野上人が采配する必要はないのです。
そんな思いでいた20日の朝にトラブルが起きたのでした。 昨晩、皆が寝静まった頃までブログへの投稿作業をし、寝ながらもあれが抜けていた、これも加えなければと文章の修正の必要性が思い起こされ、皆が寝ている5時前には起きて再び作業を始めていました。
 泊めていただいた寺の住職から朝食の支度が出来たと知らされ、机のパソコンなどを片付けている時に、その牧野から「配膳を手伝え」と言われたのです。 十分に手は足りていたし、何も据え膳で待ち構えていたわけではなく机上を片付けていた最中でした。 その言葉に心穏やかでないものを感じたのでした。
その言葉を撤回するように、すぐに申し入れたのですが、彼からは「あなたには食の大切さを教えてあげなければならない。 食事の支度は共同で行うものだ。」と言うのです。 手が空いていれば当然共同で行うものですが、たまたま片付けをしていたのでした。 これまで自分の時間を割いてウォークに協力して来た実態を知らずに、よくもそんな事が言えるなと、そういう人物と一緒に歩くことは出来ず、「あなたが出て行くか私が去るかのどちらかだ」と申し上げたのです。
彼の回答が、「私が出て行きますよ」というものでしたが、はじめから当日の昼に彼はウォークを去る予定になっていたのです。 その時のこちらを嘲け笑うような彼の表情に、私はさらに怒りを感じたのでした。 一分一秒たりとも彼と一緒にいることに苦痛を感じ、自分の荷物をまとめウォークを去ったわけです。 その間は2・3分で石橋上人も為す術もなく戸惑っていたのでと思います。
 
 第三者が聞けば、取るに足らない諍いのように聞こえますが、これまでになるには色々布石があったのでしょう。 寺院での宿泊に際しては、そこの住職が朝の勤行を行う時には一宿一飯の礼儀として必ず参列するようにしました。 しかし、石橋上人一人の時には勤行がなく、他の上人が加わってから朝の勤行が行われるようになっていましたが、それは妙法寺の僧侶としての彼等の務めであり、我々ウォーク参加者にとって関わりのないことなのです。 ピースウォーク参加の案内の中に、ウォークの先達は僧侶が行っているが、このウォークは宗教活動ではないとはっきりとうたわれていました。 それでも、時間があれば、朝の勤行に出ても良かったのですが、ブログ作業に加え、自分の個人的な日記を書く作業もあり、とにかく時間がなくそれも適わなかったのです。 朝の勤行、朝の挨拶にも出ない私の姿を見て、牧野上人は不遜な輩だと思ったことでしょう
 他人は他愛の無い諍いだと思うことでしょうが、価値観の相違なのか、私にはそういう偏見には、自分という人格を全否定されたようで、我慢ならなくなってしまうのです。
 
 ピースウォークブログにも書きました(既に削除)が、その前日にウォークを終えて入った風呂で、洗い場が少ないのに、牧野上人は入浴道具や洗濯物を入れた洗面器を一つの洗い場に置いて占有し、本人は風呂に浸かり他の参加者と談義を交わしていたのでした。 広い銭湯であれば洗い場を占有することもあるでしょうが、皆が体を洗えず困っていたのです。 地元の方と思われる方が、占有物を片付けてしまったらと言い、それも当然だと私が隅に追いやり、その時になって牧野上人の物だと分かった次第でした。 我々は一般の人々と共同して暮らしているわけで、平和を唱える前に、共に協力し合い他人に配慮する心がなければなりません。 牧野上人は、そういった一般人の常識も無いのです。
そんな輩に「食の大切さを教えてやるんだ」などと言われたくもありません。
 
 宗教者、そして仏教者としてはあってはならない、「我」の塊が牧野上人なのです。 そのような次第で、ピースウォークを去ることになったわけでした。 トラブルメーカーとおぼしき人物の参加をみとめた石橋上人の判断が誤った結果だという一面もあるかもしれませんが、牧野上人の所作を許す気持ちにはなれずに、日本山妙法寺とは関わりを持たないと心に決めたのでした。
藤井日達上人に続いた日本山上人達の平和活動に敬意を持っていたのですが、現在の日本山には日達さんのような立派な先達がいないのでしょう、過激派の噂を流したり、牧野のような人物が出たり、またインドでも紛争のような事があったとも聞きます。 そんな中にあって石橋上人の存在は重要だし、彼の平和希求へのあくなき心を大切に支えなければと思うのですが、一旦離れてしまうと再び彼の心に通じ合うためにはもう少し時間が必要だと思います。
 
 ここまで書いて来て、ピースウォークブログへの記載は25日の厚木基地での行動で止まっており、その後の逗子池子や横須賀基地、また品川から国会議事堂までのウォークや沖縄集会、東京交流会などあったはずですが、そういう報告が30日朝の段階でまだありません。
 私がピースウォークを離脱せざるを得なかった小さな出来事以外に、大きな問題を内在していたのかもしれません。 一定の距離を置いて見ておこうという気持ちになったのは私にとって良かったことかもしれません。
 
 
 
 さて、このピースウォークfrom沖縄に参加する前に、私は昨年これまでの日本の歴史の中で秀吉時代まで遡って日本という国が朝鮮半島で行った数々の悪行を謝罪するという韓国巡礼Walk9という100日間の歩き旅にも参加しました。
 
 肩書きはよく知りませんが正木高志(敬称は付けませんが理由は以降を読めば分かります)という人物の講演会に昨年7月出かけ、原発施設の危険性を訴えるために青森県六ヶ所まで初回のWalk9を実施し、憲法9条を再び勝ち取り、今まで選挙に行かなかった若者を結集させて立候補させようという提案に、新しい息吹を感じるものがありました。 そのために9月から韓国巡礼の旅を実施するということで、若者でない我々の参加も可能だという回答をいただき一緒に歩かせていただくことにしたわけです。
 それまでに彼が記した全著作を古本市場で探して読み、その一環した思考に納得できるものがあり、それも参加への動機付けになったと思います。
 
 この韓国巡礼は、その正木高志が創案(というか声をかけただけ)し、実際の企画にあたっては日本の若者3名と韓国の若者が連携し準備して来たものでした。 (振り返ってみると、韓国の生命平和というグループに殆どおんぶに抱っこになっていたから歩けたのでした。) 素人の手作り旅と見受けられるもので、各所に不十分さを感じましたが、それは致し方ないことで参加者全員で作っていく巡礼であると理解し、例えば食事とか荷物運びとか自分達にできることは協力するつもりで参加したのでした。
 しかし、出発地点のペンションに合流した二日目にはもう正木高志に対し落胆せざるを得ない場面に遭遇したのです。
 
 自己紹介しても参加者の名前を一度に覚えることはなかなか出来ません。 でも言い方があると思うのですが、2日目の朝、手伝おうと構えていた鉢巻をしていた若者に、正木高志は、「おい魚屋さん、そこは邪魔なんだ」と言い放ったのでした。 名前は分からないにしても、もっと的確な言い方があると思うのです。 言われた本人がどのように感じたかは分かりませんが、その言い方に私自身に少し疑問が湧き始めたのでした。
 2度目に感じたことは、ウォークを開始してから、大地を感じれということなのでしょうか、全員黙って一列になって歩けと言い、少し列を乱した娘さんに、そんな歩き方は駄目だと小言を言うのでした。 歩きながらそれぞれの考えを交換したり、自然にある草花を見つければ花の名前を聞きたくなるものです。 そして、朝の出発前のミーティングで良かれと思って色々提案をしても聞き入れないのです。
 その歩き方に対しては、韓国の若者から旧日本軍を思い出させるものがあると言われました。
 
 そんな正木高志の態度を見て、これからは口を挟むのはやめようと家内と話していたのですが、10日目になって正木自身が考えたウォークとかけ離れたものになることを危ぶんだのでしょう、若者がすることを黙って見ていて欲しいと我々に注文して来たのでした。 すでに正木という人物に疑問を感じていたので、黙って聞くことにし、彼の態度に我慢できなければ日本へ帰国するのに都合の良いい釜山に来た時にウォークを離れても良いと思っていたのでした。
 
 それ以降彼を眼中に置かない形でウォークを続けていたのですが、ある村に泊まった時に村人との交流会が開かれ、その場にかつての大戦中に強制徴用され日立で働かされたという長老や日本軍から軍事教練を受けたという年配の方がおられ、そういう人達の悔しいという発言にリーダー的存在である正木は応えることが出来なかったのです。 当然、謝罪の旅と唱えていたのですから、そういう場面に会うのは事前に想定できたはずです。 ウォークに参加していた中年の韓国女性が長老をなだめてくれなければ、その場は納まらなかったでしょう。 彼等にしても我々一市民に訴えても意味なく無駄なことは分かっており、今互いに仲良くしなければと、その後の会は言葉は通じないものの和気藹々としたものでした。 ただ「ごめんなさい」という言葉ではなく、彼らに対し何も出来ないにしても、何か気持ちのある言葉をリーダーとして発して欲しかったのです。
 
 さらに、自身の宗教観をしばしば話す正木に対し、韓国の若者が違和感を感じ始め、日本人と韓国人の若者同士のイザコザに端を発し、正木が信ずるものは我々に関係なく、釈迦の言葉から取ったというオーム??という歌も必要ないと言い出し、最後は正木のWalk9と参加者のWalk9とは違うものであって、正木の存在は不要で日本へ帰ってほしいと要望したのでした。 そういう言葉に対し正木は耳を塞いでしまうのでしょう、全く回答もせずに、その韓国青年はしばらくWalk9から去ることになってしまいました。 誤解であろうと何であろうと、互いに話し合い相互に歩み寄るのが筋だと思うし、そうなった経緯を他の参加者にも説明すべきでしたが、正木にはそういう素振りがまったく見られなかったのです。
 
 毎日歩いて食べて寝るという繰り返しで、最初日本での講演会で聞いた憲法9条や日韓ひいては東アジアの平和への方策など、一切の話が行われないのです。 戦後教育の中で、日本の若者は日本帝国の犯罪行為を学んで来ておらず、そういう事実を学ぶことも必要であり、これから日本を作っていくために何が出来るか学習することも必要な筈でした。
そういう機会作りをリーダーとして行うべきなのですが、彼にはそういう気持ちがなかったようです。
 ある個人宅に数日20数名が泊めていただいた時に、そこの奥さんから平和のための話し合いが全く見られず、皆を泊めたのを後悔しているという話がありました。 実にその通りなのですが、正木は自分を非難されたと思ったのでしょうか、全く意見を述べず、最後には「自分のウォークは皆のウォークとは違うんだ」という言葉でした。 何が違うのかの説明はないのです。
 
 そもそも彼は王様になりたいだけの人なのでした。 食事となれば一番に食べ物を確保し、そして参加者より一段上のの場所に腰を下ろすのが常であったし、寝床は率先して個室を確保し他人を入れない。 部屋に電気カーペットや寝具があれば、当然のごとく自分優先で占有し、周りの物に使用を勧めることもしない。
 個室があれば女性を優先して入れてあげるのが筋でしょうが、そういう配慮は全くないのです。
 テグ近くの町でしたか、地域の市民運動を行っている事務所に泊めていただいたことがありました。 専従者を置いているがなかなか十分な給与を払えないでいると聞き、家内と韓国の女性がカンパを提案しました。 カンパは参加者の自由意思で行われ制約されるものではないのですが、そういう提案があればリーダーとして率先して賛同の意思を示すべきでしょう。 しかし、我々と一部の若者は十万ウオン単位でカンパしましたが、正木が箱に入れたのは数千ウオンという金額であったのです。。 これを円換算すると300円そこそこの金額であり、子供の小遣いにもならない小額なのです。 カンパである以上、金額の多寡ではないとは言え、そこにも彼には心が存在しないことがはっきりと見えていたのです。
 また、海印寺にテンプルステイした時に、早朝の勤行に出なかったのは正木一人であり、しかも神聖な寺院の敷地内で篠笛であろうか個人の演奏をしたため、説明役の僧侶が不快に感じられ、忙しいからと以後の説明役を退いてしまいました。
 
 韓国の参加者が長期にわたってバン型の車を提供してくださり、当初購入した車と2台で大変重宝していたのですが、彼からは彼女への感謝の言葉が全くないなど、その他色々あったと思いますがいちいち上げていたらキリがないので、韓国で出会った人が彼を評した言葉を残しましょう。
 
・彼に光を感じない(釜山で出会った青年)
・老いぼれた年寄りが最後の名誉をもとめて韓国を歩いている(韓国人参加者の父親)
・小さな人(ある寺院にて)
・エゴの塊(本人の身近な人)
 
 若い参加者はそこまで感じていないようですが、若者を日本からたくさん呼んでおきながら、大変無責任な対応だと私は思うのです。 5年間にわたって韓国内を歩いたという実相寺のトウゴ上人は農業、生活、教育といったことを含めた地域の住民運動を展開されており、同じウォーカーとして見た時、社会に対する責任感の有無を如実に感じるものでした。
 
 3月に韓国の参加者達が日本に来て、福岡、別府、大阪、東京、鎌倉と若者達が組織して報告会が開かれ、今後どのように活動して行けば良いか話し合いが持たれたそうですが(私はピースウォークに加わったため参加できず)、そういう若者が主催する会には正木は参加せず、独自の講演会を4月から始めているようです。
たぶん自分のWalk9がいかに素晴らしかったかを喧伝鼓舞する話をしているのでしょうが、その実態はこれまで記した通り、非常にお寒い内容であったのです。
 
 確かに彼の企画で多くの若者が韓国に集い、韓国の人や土地に触れて色々学ぶことが出来て、そういう意味では素晴らしい企画であったと思います。 しかし、そこまでするのなら、更に発展するような、当初から正木が唱えているような所作が何故行われなかったのか疑問に思えて仕方ないのです。 そういう意味で不完全な巡礼であったと言わざるを得ません。 彼にとって大変耳障りな内容を書いてきましたが、これは彼を糾弾するためではなく猛省を促し、彼の今後の活動をもっと意味のあるものにしてほしいからです。
 
 
 ピースウォークfrom沖縄と韓国巡礼Walk9、ともに平和を願うウォークでしたが、その裏には人間的な泥臭さが見え隠れし、日本の平和運動がいかに観念的であり実効力の無いものであるかを悟った次第でした。 ただ、その中でも種々の出会いがあり、自分にとっては大変意義のあるもので、これを全く否定するつもりは毛頭ありません。 料理でいえば、もう少しスパイスを効かせて欲しかったということでしょう。 ウォークにはいいことも楽しいことも一杯あります。 そんなことだけを記憶にとどめながら、次のウォークにも再び参加したいと思っているのです。
 

2010年4月29日木曜日

消防団の出初式が行われた

 4月29日は、信濃町内の全消防団が一同に集まり出初式が執り行われる日である。 朝8時にラッパ隊の音が聞こえだしビデオに撮ろうと出ようとしたが、生憎雨が落ち始め、再び風が強まっていた。 そこで、我が家の窓辺から望遠で写すことになった。

消防団の行進

 消防団は総合グランドで放水訓練などの披露があるのだが、雨ではたぶん体育館での儀式だけで終わったであろう。 そんな雨は昼前に止んで青空が見え出していた。

 我が家では、連休に孫が来るというので、今日一日片付けと掃除の日であった。

 片付いた所で、柴津へ出かけたら枝垂れ桜は3分咲きで、この分だと来月1日あたりに見頃になると思われ、たぶん周辺の桜も同じ時期であろうと、その頃に巡ってみようと思った。 家に戻って窓辺の山桜を見たが、こころなしか蕾が膨らんできたように感じる。 こちらの方もあと数日で花開くかもしれない。

3分咲きの枝垂れ桜

 木蓮も夕日に輝いていました。

木蓮


2010年4月28日水曜日

不順な天候が続く

黒姫山

 今日の午前中、東京周辺では大雨が降っていたようだったが、黒姫の昨日は午後から強風が吹いてあちこちの木々が大きく揺れ雨も降っていた。 黒姫高原の酒屋さんは、そのブログで「戸隠では雪が降っていた」と伝え、ある野菜売り場へ行ったら、ビニールハウスが飛ばされてしまったと農家の方が嘆いていた。

 今朝多少雨が残ったものの晴れ上がり、これで穏やかな天気になろうかと、山菜探しに出かけたが、ノビロもコゴミもヨモギもひょろひょろしたものばかりで育っていない。 仕方なく蕗を取り、水仙と福寿草の花をいただいてきたが、間もなくガスが立ち込め冷えて来た。 昨年の今頃はコシアブラなども取れた記憶があるが、今年の山菜は総じて育ちが遅いようだ。

 国道を長野へ向けて走り、小玉の坂を下りて飯綱町に入ると桜の花が目に入ってくるが、信濃町では殆ど見ないというか、わずかに咲き始めた桜が時々見えて来る程度であり、地蔵久保の大山桜も蕾さえ見えなかった。 地元の山菜の伸びが悪いと、天望館や近隣の野菜売り場に出ている山菜はビニールハウスで育てたタラノメや新井辺りの温かい地域で取れたであろうコゴミが並んでいるのであろうと思う。 信濃町の春を楽しむにはもう少し日が経たないといけないようだ。



2010年4月24日土曜日

新日弁連会長の記者会見ビデオ

 宇都宮健児日弁連新会長のビデオ映像がユーチューブに掲載されている。 宇都宮氏は早くから多重債務者の救済に奔走され、今は非正規労働者を中心としたワーキングプア対策にも大きく関わっておられる。 東京大学在学中に司法試験に合格し、そのまま在学していても意味がないと中退したというのはすごい。 高校時代に家内が宇都宮さんと一緒になる時期があったらしく、宇都宮さんは新聞配達などアルバイトをしていたのか、家で勉強する時間がないと授業時間に集中して勉強をしていたらしい。 大変な逸材であろうと思う。

 昨年、政権政党が変わったものの生活は何も変わらないと、鳩山政権の支持率が急激に下がっているとのことだが、政権が変わったことの一つがこの市民側にたった弁護士が会長になったことだとも言える。 今まででは考えられなかったことだと思う。 日米の密約問題や冤罪事件などがたびたび明らかになって来たことも、その事象と気脈を一にしている。 普天間基地問題がこれだけ騒がれるのも政権が変わった結果であって、かつての自民党政権であったら絶対起きなかったと思う。 そういう視点から見ると、日本の社会はすこしずつ良い方向に向かっていると考えるべきで、現政権をきちんと評価しない新聞やテレビのニュースや番組に国民は騙されないようにすべきだと思う。



アイスランド火山の写真

  アイスランドの火山が爆発し浮遊した灰がヨーロッパ全体に広がり航空機が飛べなくなったというニュースが流れていた。 その火山の名前は分からないのだが、エイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajokull)氷河にあるとのこと、そこには連なる氷河の下にその10倍も強力な「魔女の火山」と言われるカトラ(Katla)火山があるそうだ。

火山

 海外で働く息子から、今回の爆発を写した写真を載せているサイトがあると伝えて来た。 これを見ると阿蘇山や浅間山の噴火なんてまだまだ小さいと思えてしまう。



2010年4月23日金曜日

iPadのおもしろ映像

 TUAW(The Unofficial Apple Weblog)に、アップルの新しいリグiPadの面白いユーチューブ映像がありました。 アメリカ以外の国でのiPad販売は1ヶ月遅れになってしまったようですが、こんなことが出来るのなら子供のピアノなんて買う必要がないかもしれませんね。

こちらの映像は、猫がiPadと戯れているもの。



2010年4月14日水曜日

狩野誠さんが彫られた作品を見た

 いまだピースウォークの途中なのですが、一昨日から宿泊させていただいている、袋井市内の自然食品の店「野草広場」で地元の市民運動をされている方々との交流会が開かれ、その中でご主人の石垣さんが、信濃町にある黒姫和漢薬研究所狩野誠さんと親交があって、主催されていた勉強会に存命であった狩野さんがたびたび来られていたとうかがいました。 私が生前の狩野さんとお会いしたのは数少ないのですが、そんな知己を知り会えるというのもこのウォークのおかげだと思います。

 そして見せていただいたのは、狩野さんが彫られた「野草社」という看板で、石垣さんは「野草社」という出版社をもたれ山尾三省さんの書物などを出版されていると、その一部を見させていただきました。 狩野さんには「草心」という信仰にも似た心根があったことを思い出しました。

 

野草社
野草社


2010年4月1日木曜日

戦争は罪悪である

野尻湖発掘

 2月初旬に離れた黒姫は既に雪降りもなく、野尻湖発掘作業も終わって、いよいよ春を本格的に迎える季節になっていることでしょう。

 今月中旬からは桜やこぶしなどの花が愛でられる季節となり、タラの芽やノビロなど山菜が楽しめる時期になるのも間もなくです。

 私は未だピースウォークfrom沖縄の行進に参加しており、黒姫を訪ねるのはたぶん5月上旬になろうと思います。

 3月訪ねたウォークの中で一番印象になったのは真宗大谷派の僧侶であった竹中彰元師という方でした。 歴史上の人物である竹中半兵衛の血を受け継ぐ方らしいのですが、先の大戦の際、出兵する兵士に対し「戦争は罪悪である」と話し、その結果警察に捕らえられ刑に服したとのことでした。 仏教のみならずキリスト教会も、先の大戦では国体に迎合し侵略戦争を手助けしたわけで、そんな中で反骨精神を示したということで、我々の先人の中にそのような人物がおられたことは日本人の誰もが「誉れ」として認めても良いと思いました。