お知らせ

お知らせ

*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*the world is coming to an end*



*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

2010年9月30日木曜日

Windowsデスクトップ機のHDD交換作業

 我が家のパソコンもノート型が主流となってきたものの、いまだ旧いデスク型が2台ある。 ともにウインドウズXPで、AMD機は起動から終了までどの場面でも遅くなって廃棄対象になっているが、PENTIUM4はそれでもどうにか使えている。 その代わり、デスクトップ表示をクラシックにするなど重たい作業は一様にオフにしているが、いかんせんハードディスクの容量が80Gと少ない。 Cドライブに20Gしか割り当ててないので、スワップ作業にも時間がかかっているようだ。 300Gか500GのHDに交換しようと思いたち、ネットショップを見ると3.5インチタイプはどこも安くて3千円代から販売されており、どうせならと1Tの容量のものにしたが、それでも5千円代でお釣りが来た。 ノートPC用の2.5インチタイプでも500Gが1万円を割っており、メモリやHDDの昨今の価格を見ると隔世の感があります。

hard disk drive

 ところで、これまでも度々パソコンを廃棄してきましたが、当方ではHDDのファイルが第三者に見られてしまわないようにと(ファイル削除しても意外に簡単な方法で見れてしまう)、本体のみを廃棄し外したHDDは保管していました。 外付けドライブとしての再利用が可能だとも思っていたでした。 ただどれも80Gとか200Gとかの容量で、昨今大容量ディスクが安くなっていることもあり、また接続形式がATAからSATA(2)に代わっていることもあって、段々旧いHDDを保存しておく意味がなくなって来ました。 まず使えないと思われるHDDを捨てる時はハンマーで叩いて物理的に破壊しアクセスできないようしています。

hard disk drive

 先日、アマゾンから届いた1TのHDDをUSBに接続し、既にダウンロードしておいたPartition Wizard Home Edition を起動し、まずCドライブをDisk1にパーティションコピーし、同時に領域を20Gから300Gへと広げた。 Dドライブも同様の処理を行う。 コピー先のCドライブのStatusはアクティブ、Typeはプライマリーに設定した。 しかし、装着してもIPLの段階でHDDを読みに行かない。

hard disk drive

 そこでネット検索して調べた所、HDDの先頭に付くMBRが複写されていないのではと考え、Partition Wizard のRebuild MBRを行った。 これでHDDを起動すると、XPの起動画面は出るのだが、その後画面遷移がなく、時折ログインウインドウなどが表示されるのみで、その先へは進まない。 パーティションをコピーする際に、領域の拡大をしたのがまずいのかと思い、全く同一サイズでのコピーをしたが、それでも起動しない。

hard disk drive

 Partition Wizard の使い方が悪いのか(MBRが正常な状態になっていないのかもしれない)、そこでEASEUS Disk Copy というフリーソフトをみつけ、パーティション毎ではなく、ディスク単位でのコピーを思いつき作業を進めた。 結果、それが正解で、その後にパーティションの移動やら領域拡大などを図って、目的の作業を終えました。EASEUS Disk Copy はディスクイメージでダウンロードしますので、そのままCDに焼く必要があり、本体側では最初からこのCDで起動して作業します。

hard disk drive

 換装作業後、メモリもCPUも従前と同じなので、処理速度が早くなったような気は特段しませんが、HDの空き容量を気にしなくて良い分、使い勝手は良いと思います。

hard disk drive

 こういう作業の場合、ウインドウズよりMacの方が使い勝手が良いと思います。 OSXに付いているディスクユーティリティを起動し、領域確保や初期化をしておく。 あとはバックアップを兼ねながらCarbon Copy Clonerで外付けHDDにコピー(定時コピー)をする。 optionキーを押しながら電源投入すれば、起動ドライブの変更が可能となるので、バックアップした外付けディスクでの試験運用も可能なのです。 それで良しとなれば内蔵ディスクとの交換をすれば良いわけです。

 



2010年9月29日水曜日

長命寺の桜もち

桜もち

 やっと真夏のような天気が去ったと思ったら、急に寒くなったり、また暑くなったりで、これでは体調不調になられる方も多いでしょうね。 黒姫は15度前後の気温のようですから、暖房器具なしではちょっと辛いかもしれません。

 天候の変調に合わせたわけではないでしょうが、この所の政局は何とも頼りなくて、日本の経済力は上から数えて2?3番だそうですが、政治力や外交力と来ら、下から数えた方が早いほど能力がないというか、実に寒々しい態様を示しているように思えます。 正義の府であるべき検察庁までが偽装工作を行っているとのことで、日本のものも中国の生産物と並んで信頼性が無いというか、どこまで信用して良いか分からなくなって来ました。

 さて、今日は爽やかな一日となりましたが、私は留守番。 家内は東京・向島の白髭神社三囲(みめぐり)神社長命寺などを訪ねて来たそうで、土産が長命寺の桜もちでした。 普通の桜餅は塩漬けの桜の葉と一緒に賞味することが出来ますが、こちらの桜もちは、餡を薄皮で軽く挟んだような形で、それを3枚の葉で完璧に包んでありました。 桜の葉は香り付けのためだけで、こちらの葉は食べないようです。 薄皮は軽く焼いてあるようで、添加物が入っていないので買った当日内に食べてほしいとのことでした。 こし餡は甘さ控えめのあっさりした感じがしました。



2010年9月27日月曜日

政治力も外交力も無い菅政権は退陣すべきだ

 今ほど国政に希望を持てない時はないと思う。 少なくとも1年前は、空気が読めない麻生らを中心とした自公政権に皆嫌気がさして、選挙民は民主党政権に期待し、国民ばかりでなく韓国など隣国も新政権に大きな望みを抱いていた。 しかし、普天間基地問題への対応のまずさであろうか、はたまたアメリカ政府の恫喝に恐れをなしたのか、鳩山由紀夫は8ヶ月ほどの任期で退陣し、政権を引き継いだ菅直人は、荒唐無稽にも消費税を上げると言い出し国民から総スカンを食った。 そのため参議院選挙ではそうおうの議席を失ったにもかかわらずその責任を負わずに、9月の党首選ではブッシュのアメリカ大統領選挙のような不可思議な策略を図って当選してしまい、菅改造内閣が発足してしまったのであった。

 そして、菅直人は国連での演説で、疾病を「しつびょう」と読み違えたそうだが、正しく読めなかったのであろう。 官僚が書いた、毒にも薬にもならない文章をただ棒読みするだけの演説だから間違えるのである。 その点で見れば、自民党の麻生と全く変わらない。 数日前の尖閣諸島沖における中国漁船の巡視艇への衝突事件に対しても、もっときちんとした声明をするべきで、領海侵犯であればその証拠にビデオ公開などもすべきである。 あれは一地域の海上保安庁や検察が扱う問題ではなく、国の威信が試された事件であった。 中国漁船の一方的侵犯であると世界にも喧伝すべきであった。 それも出来ずに、日本の技術者が軍事施設の写真を撮ったと言いがかりをつけられ、いまだ中国内で拘束されているのである。

 このように緊急な問題が内外ともに山積みであるのに、今日は創価学会の美術館へ菅直人は出かけたとニュースが流れていた。 大作や公明党ににじり寄って、国会での与党絶対多数を確保したいのか、そんな末梢的なことより、やるべきことをきちんとやれと言いたい。

 この二週間ほど見ていても、菅、前原、仙谷 ー 実に無能な人間が政権の中枢にいると言える。 もしかしたら、あの衝突事件は、党首選で小沢一郎氏に勝ったらしい菅直人を試すつもりで中国政府がしかけた事件かもしれない。 そういう認識もなく、船長を国内法規に照らして対処すると言いながら、中国政府の主張に負けたと思われるような、船長の放免を政府はしたのであった。

 刑事事件の証拠となるべきFDのファイル日付を改ざんした大阪地検、小沢一郎の政治生命をつぶすためだけに働いた東京地検、鈴木宗男氏の突如の収監、円高や中国政府の無謀な主張に無策な政府 ー この国の政治に希望が持てない要素がそこかしこに溢れている。

 とにもかくにも骨のある指導者が輩出してほしい。 先日、家内が出席した会合に亀井静香が突如挨拶に来られたそうだ。 亀井静香のこれまでの政治経歴に諸手を上げて賛同するわけにはいかないものの、郵政や死刑制度への主張には納得できるものを持っている。 小沢、鈴木、亀井のような堅固な意思を持つ人材の輩出を願いたい。



2010年9月26日日曜日

先輩を追悼する会に出かけた

 昨日は学生時代の先輩を追悼する会に出席した。 場所は東京・信濃町の真生会館。 この場所は40数年前の学生時代に毎日のように通い入り浸った場所である。 当時は木造の建物であちこちに会議室があって、そこで会合を持ったりガリ版で会報作りなどをしていた。 時にはアルコールを持ち寄って騒ぎ、主管からお小言をいただくなど、色々武勇伝もあったようだ。

 齢60を過ぎると、鬼籍に入られたと聞くことがどちらでも増えてくるが、そんな往時の仲間からもちらほらそんな便りが届くようになった。 昨日は当初予定されながらも出席できない人が数名いたものの、関西から新幹線で来られた方を含め20名ほどの参集となった。 司式は山本量太郎師。 師の説教の中で、人生を道に喩え、我々は時に引越しをよくするが、最後の引越しが此岸から彼岸に渡ることではないかと説いておられた。 思考の根底に、輪廻とか永遠の命という認識がないと、分かりにくいかもしれないが、死というものはそうたいそうなものではなく、居場所が変わることだけだと、すっと納得できるものがあった。

 式後の会食で、仏教とかキリスト教とか色々な宗教があるが、宗教とみるとそこに教義など違いを見出し諍いの元になるが、これは仏道とかキリスト道という生き方として捉えた方がいいのではないかという話もあった。 そういえば、先日、家内が出席した会合でも、三重のある有名な神社の宮司さんが、「神道は宗教ではなく、神の道で言い換えると人の道を示すものだ」と話された由。 特定の宗教を信じると、どうしても他の宗教への排他思想が芽生えて来てしまう。 道の歩き方を示してくれるものとして理解した方が、何の引っ掛かりがないように思えて来る。

 会合を終えて、駅前の神宮外苑の表示に、息子家族が住む場所に近いのではと青山一丁目方向へ歩いたら10分もかからないで着いてしまった。 都内は地下鉄など交通機関に溢れているが、意外に歩いた方が近い所もあるものだと知りました。

 

 



2010年9月25日土曜日

信濃町駅の信濃町

 今日は所用があって東京・総武線の信濃町駅に降り立ちました。 改札口を出ようとした所で、信州・信濃町の大きな観光ポスターが目に入ったのでした。 そういえば、いつであったか町の広報誌「しなの」に、観光用の掲示板を町と同じ名の信濃町駅に設置したと載っていたのを思い出しました。

 コスモス園やタングラム、一茶記念館などのパンフレットが置いてありました。 東京をめぐっていてこのような掲示に出会うとと懐かしさと同時に喜びも感じられてしまいます。 たぶんこのような広告を置くにはそれなりの費用がかかると思うのですが、 新宿とか渋谷とか、あと数駅にもあるともっと観光効果があるというのか、信州・信濃町の宣伝になると思うのですが、なかなか費用対効果を測るのは難しいのでしょう。

 

信濃町


2010年9月23日木曜日

おはぎを頂く

 昨日は70数日目の真夏日であったとか、盆の時のような暑さであったのに、今日は26?8度と窓を開けていると肌寒さを感じていました。 黒姫の気温は13?15度程のようで、とうとう炬燵がほしい季節になったと思われます。

 今日はお彼岸の中日。 墓参りにいかねばと言いつつ雨降りのため、ついつい墓参りが遠のいてしまいました。 明日か明後日か、雨が上がったら早々に出ようと思います。 そんな日に家内の友人からおはぎ(お萩)を頂いてしまった。 あん、ごま、きなこと、みとおりのおはぎで、今夜の夕食は有り余る程の美味しさと分量でありました。

 ネットで調べたら、春の彼岸ではぼた餅と、秋にはおはぎと言うそうで、その実態は同じものだそうです。

おはぎ


太白山脈

 長編小説・太白(たいはく)山脈(TAEBAEK SANMAEK)を読もうとしたのですが、一冊目からして挫折してしまいました。

 昨年、韓国巡礼(Walk9)した時の折り返し点(ビザの関係)で、対馬に一泊したのですが、その際に1948年頃朝鮮半島からたくさんの死体が対馬に流れ着いたと聞きました。 日本の敗戦後、半島は無秩序な状況にあり、また米ソの覇権や思惑も絡んで、朝鮮人民同士の争いが絶えなかったらしい。 社会主義を標傍する若者が増える中で、アメリカ軍に協働する右翼集団やヤクザなどが、粛清と称して仲間をたくさん殺し、針金で手首を縛ったまま海へ投げ込むなど、残虐行為を繰り返していたようです。 特に済州島では陰惨を極めていたらしいが(そのため日本へ逃亡し大阪近辺に住んだ人たちも多く、済州島を歩いた時に、親類縁者が大阪に住んでいるとよく聞いた)、その時の死骸が対馬にたくさん流れ着いたとのことであった。

対馬にて

 当時の対馬では、どういう状況で死体が流れ着いたのか分からず、行政(役場)は何も対応を取らず、心ある住民や寺院が、火葬して弔ったらしい。 死んだ女性と幼児が乗った小舟が漂流し、その傍らに朴南と記された一升枡があったと、今でも保管されていると見せていただいた。 対馬の太平寺には、そうやって亡くなった朝鮮人の慰霊塔があり、先代の住職が懇ろに葬ったと聞いた。

対馬にて

 

智異山

 そして、全羅南道にある智異山(チリサン)の山間では、パルチザンが隠れたり、仲間同士のトラブルもあったのでしょう、ここでもしばしば殺戮が行われていたようです。 今の時代であっても、当時の状況を話すことは敵対関係を明らかにすることとなりタブー視されているらしく、韓国の歴史の中で、日本統治時代だけでなく、朝鮮戦争が始まる前の混乱期を歴史の事実として明らかにするのは難しいらしい。 そんな経緯で、あの時代の韓国を知ることも大事なことではないかと思ったのでした。 あの時代の状況を知る一番の手がかりは、「太白山脈」という小説だと韓国で紹介され、翻訳物がないかと、何とか読むことができないかと思っていたら、何と近くの図書館にあったのでした。

太白山脈

 

太白山脈

 

太白山脈

 

太白山脈 太白山脈

 所が、初めての韓国文学の翻訳物は登場人物の背景を理解するのが難しく、しかも登場人物の名前が難しいのでした。 日本文学で「鈴木一郎」と出てくれば、そのまま漢字のとおり読め、男性だと認識できるのですが、韓国の「鄭河變」と出てきて漢字であっても読み方がまず分からない。 最初に登場する段落では、「チョンハソブ」とフリガナがふってあるのですが、二度目はフリガナがなく、登場人物が色々入れ替わると、前に読んだ人物像のつながりが理解できなくなるのでした。 韓国は夫婦であっても別姓なので一層混乱します。 本小説は10分冊となっています。 読み進めれば、相応の理解は出来るのでしょうが、あの時代の総体的な流れが理解できるのか分からず、未消化のまま読書時間を占有されるのもちょっと苦痛に思え、結局読破を諦めることにしました。 公立図書館の所蔵本は逃げることもないので、また読みたい気分になったら借りてこようと思ってます。



2010年9月22日水曜日

TimeMachineの保存先をNASにするのは時間がかかり過ぎ

 今日見たネットニュースの中に、電波法に違反した強力な無線Lanアダプターを販売した電器店が摘発されたとあり、それを読む中で、無線Lanの信号を傍受してネットワークにタダ乗りが出来てしまうことを知った。 無線ルータとパソコン間でやりとりする信号にスクランブルをかけて見られないようにする設定があるのですが、何と特定のソフトを使うと、そのキーワードが見えてしまうというのであった。

 そこで、ネット検索し、当該ソフト(ウインドウズ用で既に2年前に公開されていた)を探し自分のウインドウズマシンで動かしてみたら、何と自分の無線Lanのセキュリティー情報が完璧に見えてしまっているのであった。 当方では、スクランブルをかけると同時に、パソコンの無線接続部にあるMACアドレスをルータに登録して、接続パソコンを特定しているので、むやみに外部から接続される可能性は少ないのだが、それでもそのMACアドレスすら解析することができてしまうらしい。 東京のような過密地域や集合住宅(ビル)などでは要注意ですね。 無線接続だと余計なケーブルが要らないと一見便利なようですが、このようにこわい部分もあるのだと悟った次第です。 出来る限り有線接続にしたり、ルータの稼働時間を特定して、使わない時間帯は経路をオフにするなどの対策が必要なようで、これからその方面の理解を深めようと思います。

 さて、先日、ネットワーク・ハードディスク(NAS - Network Attaches Storeage)を入れ替え、MacのTimeMachine(バックアップ)保存先にすることが出来ると記しましたが、400Gb近い容量のMacのディスクのNASへのバックアップを実際にやってみました。 USB接続の単純な外付ディスクへのバックアップでも最初の作業では1日に近い時間が必要なので、相応の時間を覚悟していたのですが、一晩の就寝中だけで8Gbしかバックアップ作業が進まないのでした。 ネットワークには有線でつないでいるのですが、途中のハブ辺りが悪い影響を与えているのかもしれませんが、それにしても8Gbしか進まないというのでは、あまりにも時間がかかりすぎです。 ざっと計算して10日以上かかると思われ、そんな長い時間、バックアップ作業をしているわけにはいかないと、途中で取り消してしまいました。 しばらくは従前と同じように外付けHDに保存しておこうと思います。

time machine


2010年9月21日火曜日

クラヴサンリサイタルの知らせ

 クラヴサンと聞いても何のことか分からない人が多いかもしれないが、チェンバロ(イタリア語)とかハープシコード(英語)と聞くと、クラシック音楽で演奏される楽器だと分かるかと思います。 この楽器をフランス語でクラヴサンと発音するそうです。


クラヴサンリサイタル

 フランス・ヴェズレーのエルサレム修道院に所属しパイプオルガンなど楽器演奏をされるダミアン原田師から、来月(10月)16日(土)に東京・代々木八幡で、そのクラヴサンを演奏されるリサイタルを開くと、先日案内状を頂いた。 10年前に家内がヨーロッパ旅行でお会いしたり、東京近郊での演奏会を聞きに出かけるなどして、ダミアンさんにお見知りおきいただき、そんなこともあってこれまでもダミアン原田師によるオルガン演奏会あなたが生まれた日ヴェズレー大聖堂の映像が届くと、ダミアンさんのことをこのブログでも記してきました。 当日のリサイタルには是非出かけようと思っています。


 そのクラヴサンですが、私のお気に入りのCDの中に、その演奏があるのです。 ジャズの古典に入ってしまうでしょうが、MJQ (Modern Jazz Quartet) というジャズグループが昔ありました。 そのMJQの演奏以上に、メンバーの一人でピアニストのJohn Lewis の演奏が好きで、出会う度にCDを買い揃えていたのですが、その中に The Chess Game based on J.S.Bach's "The Goldberg Variations" というアルバムがあるのです。 これはJohn Lewis のピアノと奥さんのMirjana(ミリヤナ) Lewis のクラヴサン(ハープシコード)のソロやデュエットが収められたものなのです。 もともと「平均律クラヴィーア曲集」というらしいのですが、その方の理解はほとんどありません。 でも即興演奏というのはバッハの時代もジャズの時代も同じように共通するものがあるのでしょう、聞いていて非常に心地良いのです。 このCDを聞いていると、ジョンルイスがうきうきしながら鼻声で歌っているようにも感じられるのです。


 残念ながら、John Lewis はかなり昔に、奥さんのMirjana Lewis は今年7月に亡くなっております。 因みに、奥さんは今は無きユーゴスラヴィアの出身だそうです。


Johen and Miryana Lewis

 今回の演奏会は純粋のクラシック演奏でしょうが、茶目っ気のあるダミアンさんがどんな演奏をされるのか、大変興味のある所です。


クラヴサンソロ





ピアノとのデュエット





 



2010年9月20日月曜日

昨日は「みちくさ市」へ出かけた

 先日、小樽文学館へ出かけたと記したが、その展示で知った黒岩比佐子さんのブログで、東京・雑司が谷の鬼子母神へ至る参道というか商店街の中で、路上古本市「みちくさ市」が開かれると知り昨日は出かけた。 家内は黒岩さんに会えることを期待していたのだが、まだ開店したばかりで、午後のトークイベントの時間に合わせて来られるとのことで、残念ながらお会いすることは出来なかった。

みちくさ市

 

みちくさ市

 

みちくさ市

 店舗前の僅かな空きスペースや駐車場などで、フリーマケットのように古本を展示し、数名でたくさん出されている店も、一人でダンボール1箱ほどしか置いていない小さな店も、またブックカバーや栞、民芸調の草履の店もありました。 最初に、黒岩比佐子堂へ出かけ、黒岩さんから出されたものやその他の古本を購入。 次から次へと見ているうちに、100円200円で購入した本が20冊以上に増え、用意した買い物用袋に一杯になってしまいました。

 その中で見つけた一番嬉しい本は、「落ち葉の美術館」。 600円と一番の高額商品^^;でした。

 黒姫・山桑近くの林の中に住む平山さんご夫婦が、毎年11月3日に開いていた「落葉美術館」を1997年に書籍にされたもので、購入しようかと思いつつ買いそびれ、そのうちご夫婦が高齢になられたとかで落葉美術館は閉館してしまったのでした。

みちくさ市

 

みちくさ市

 その他には、岡部伊都子さんの自責の念を記した「沖縄の骨」やベトナム戦争の真っ只中に立たられた石川文洋さんの「戦場カメラマン」などなど、昔を感じさせない本ばかりでした。

みちくさ市

 

みちくさ市

 

みちくさ市

 初めて鬼子母神堂へ行きましたが、境内で「てづくり市」が開かれていてごった返していました。 こちらの出店も色々見ているうちに、鬼子母神へのお参りも鬼子母神の謂れ(子宝・安産の宮だそうです)も知らずにあとにしてしまいました。

 古本三昧のあとは、近くの(副都心線で1駅の)池袋の東武百貨店で開かれている北海道展へ出かけ、知り合いの店を回って買い物。 三連休の真ん中であったのでしょう、大変な混雑で皆互いに体をぶっつけながら商品を見たり、行列に並んでいました。 聞く所によると、先日も書きましたが、東京のお客さんは商品の中味を十分に理解せずに衝動買いをけっこうするようです。 催事はデパートにとって儲け柱の一つなんですね。

北海道展


2010年9月18日土曜日

菅直人の空っぽ改造内閣がはじまった

 菅改造内閣が始まった。 種々のブログを見ていると、民主党党首選そのものに大いなる疑義が感じられ、手練手管の異様な操作が行われたと思われ、そういう操作に民主党議員も確かな眼を持たずに、私欲に根ざした投票をしたようだった。 その疑惑工作の中心にいるのが官房長官の仙石らしい。 アメリカに隷属するばかりの前原が外務大臣というのも最悪だ。 アメリカや官僚の利権を守るために、鈴木宗男氏や小沢一郎氏を葬り去ろうと、政界、司法、官僚、マスゴミがこぞって排除キャンペーンを張ったのが、今回の党首選であった。 インチキそのものである。

 前回のアメリカ大統領選(民主党の代表選)で口汚く罵り合ったオバマとクリントンは選挙が終わってみれば、クリントンを国務長官として重要なポストに迎えている。 もし今回の党首選がまともなものであったなら、小沢一郎氏のみならず、小沢派の議員もそれなりの数を閣僚に入れていたであろう。 全て排除したというのは、都合の悪い物には全て蓋をしてしまえという、アメリカや官僚の意向を受けた菅直人の所作なのである。

 かつてのバブルを煽った海江田万里が経済財政担当相だと、またアメリカに隷属し国民の税金を貢ごうとする前原が外務大臣など、笑止千万な人選なのである。 これで沖縄の辺野古問題などアメリカ軍基地問題の解消は遠のき、郵貯資金などを貢物としてアメリカに差し出す所作が行われることになろう。 ワーキングプアを引き起こした小泉・竹中政権の汚点が最近になってやっと顕在化し皆がそれを認識するようになった。 有言実行などと軽口をたたく菅直人の政治は中味がなく、それは全てアメリカや財界、官僚のためであることを国民は認識し、これから改造内閣が行う政治を注意深く見て行かなければならない。

 それにしても野党に落ちた自民党の三役も、石原の息子や横柄な小池百合子、石破など、ここにも人材に欠ける印象を受ける。 民主党も自民党も、政治をきちんと学んで、国民を思う真の政治家が存在しない所に、日本の政治の貧弱さを感じる。 アメリカに貶められた田中角栄のような人物が輩出しない限り、日本の政治は良くならないかもしれない。 中国も小沢内閣であれば一目を置いたと思うが、菅では一層中国首脳に相手にされない馬鹿にされた外交政策を日本に対して行うであろう。 昨今の尖閣諸島事件を見ても分かる。

 日本の経済力が世界第二位だと喜んでいるのも束の間、日本企業や資本、大都会の高層ビル、山間の資源など全てがアメリカや中国資本によって買い漁られ、気がついてみたら日本人は裸同然の何も持たない、ただの人だけの社会になってしまうことでしょう。 それが分かって創価学会の長や竹中などは資産を海外へ移しているのです。 在特会などは、在日朝鮮人や在日中国人などを本国に帰れと一方的に吠え騒いでいるが、そのうち中国人に使われる日本になるかもしれないことに彼らは気づいていない。 そういう眼で日本の社会や政治を見ずにいると、孫子の時代にはとんでもないことが起きることになると思う。 政権を負う能力のない政治家、私利私欲にかられた官僚や司法(検察・裁判所)、あくどい財界、そういった一蓮托生に協力するマスゴミ。 改造内閣への支持率が60%強というのも信じられる数字ではない。 八方塞がりの日本社会をどこで打破するか、心ある人々の輪の広がりが望まれる。



アクセスカウンターが10万を越えました

counter

 今朝、当ブログを開いたら、未明にアクセスカウンターが10万を越えたことに気づきました。
 黒姫高原コム開設後(10年ほど前から)、ブログという日記スタイルというネットページがあることを知り、形を変えて2005年5月からブログサイトを細々と運営して来たのですが、半年前位からでしょうか、徐々にアクセス数が増え、1日50件程度のアクセスであったものが、300件を越える日もあるという状況になりました。
 自分が好き勝手に書いているもので、内容的にはすこぶるお粗末で、文体も日によって異なったり、「てにをは」が変であったりと見苦しい限りですが、自分が考えていることが少しでも伝わり、観ておられる方の心の隅に残ってくださればと思っています。 「そんな馬鹿な!」という意見や感想もあるでしょう。 それはそれでいいのです。 思考のきっかけになるだけで十分だと思っています。
 当ブログにお訪ね下さり有難うございます。 今後もよろしくお願いします。

 さて、黒姫を離れている現在、黒姫で何が起きているのか皆目見当がつかないのですが、確か今日は秋祭の日だと思います。 区毎に開催日が決められておりますが、今日はたぶん柏原と古間で行われていることでしょう。 各組では、午前中にリヤカーの上に神楽を組み立て(大獅子や龍の組もあります)、午後からは神楽を引きながら区内を笛と太鼓とお囃子で練り回し、「おめでとうございます」と声を掛けながら各戸の繁栄を願います。 そして夜7時頃になると各組の神楽がかつての(古間)本宿跡近くにあつまり、一斉に古間神社の坂を登るのです。 その頃には花火も上がります。

 夜9時か10時頃でしょうか、古間神社の神殿では、神主さんのお祓い他司式のような行事が行われ、後半は、各組の奉納舞が舞われます。 例年この時期にはとうに秋が訪れ、冬の装いをしていないと寒さで震えてしまいます。 特に奉納舞が深夜に渡ると、寒さで震えてしまい最後まで観れない時がありました。 暑い真夏日が続いている今年はそういうこともなく、たぶんゆっくり観られることだと思います。



2010年9月17日金曜日

横川まさともさんを何故応援するか

横川まさとも講演会だよりから

 当ブログでは、11月に予定されている信濃町町長選に出馬予定の横川正知さんを応援するバナーを先月からトップに掲載しております。

 外から来た者に何が分かるのだと疑問に思われている町民の方も居られることでしょう。 そこで私がここに応援バナーを掲載することに決めた経緯を記しておこうと思います。

 私達は20年以上前に、都会に住むのではなく自然環境にあふれ畑地からの生業で生きる生活をしたいと望み、1989年にたまたま知人の紹介で信濃町という地域を知り、棲み家を設けました。 ただ別荘のようにして山林の中に住むのではなく、そ こに住 む人々との関わりを求めていました。 そのため請われるままに家内は我が家や総合会館でパンや料理教室を開き、毎月上野駅から旧あさまに乗って信濃町を往復していたのでした。 そこには町内のみならず戸隠や三水、牟礼からも教室に通う方が居られましたし、出稽古で町外の施設でも行っておりました。

 かつて童話作家の矢川澄子さんが町に多大な借金を残すと反対した黒姫童話館の設置、野尻湖桟橋条例に違反した大型観光船問題、最近では新潟県境の山林に作ろうとする産業廃棄物最終処分場計画など、町内に発生した諸問題を見聞きして来ました。 住むに従いそのように見えなくてよいものが一 杯見えてきたのでした。 相変わらず箱物行政が感じられ、種々の計画や住民参加の委員会もとにかく心地良いアドバルーンを上げることに皆の目が向いていたように思えました。 そして住民は、我田引水のように利を得ることや末梢的な事項に心を奪われ、豊かな町を作ろうとする気概が少ないように感じたのでした。

 自然環境や農業生産物など町の豊かな資 源が十分に昇華され ずに、一片の観光用キャッチになっているだけの態様に何かもどかしさも感じ、町の大 事な宝物を溝に捨てているようで実に勿体無い思いをしていたのでし た。 町政 は基本的に町民が行うものですが、やはりリーダーである町長が指針を示すべきで、町長の熱意や人柄、理念 が大きく影響するものだと思うのです。

 私は現および前任の町長しか知らず、それも遠くからその存在を見ているだけで すので、きちんとした理解が出来ていないとは思います。 でも、彼らのこ れまで の対応に非力さ、町政への熱意の少なさを感じて来ました。(町議会報の質疑応答内容を読むとよく分かります) 今の時代は、どんな 組織でもひな壇に座っているリーダーではあってはならず、市民 や町民ととも に、一緒に汗をかいて働き決断するリーダーが求められていると思うのです。 町民の声に耳を かたむけ気持ちに触れ、今出来ること出来ないこと、将来 の子供達に残す町を どうすれば良いのか、一緒に考え対話し決断し行動する町長の存在が大事なのです。

 5年以上前からでしょうか、横川正知さんの役場内でのこれまでの仕事振りを町民の方々からたびたびう かがい、信濃町の将来をより具体的に標榜した姿勢を感じ、以前から 自分な りに再び町政に参画されることを期待していたのでした。

 町民も役場職員も町長 も能動的に働く町政が、輝かしい未来があり豊かな信濃町を作っていくも のだと思うの です。 そのような経緯の中で、今回、横川正知さんが出馬すると知り、これまでとは全く異なった町政への道が開かれるのではと期待し、遠くから応援することにしたのでした。



2010年9月16日木曜日

ネットワーク・ハードディスクを購入

 パソコンを使うようになってから、散逸していた家族の写真(ほぼ40年間の)などをきちんと保存しておきたいとフィルムスキャナーでイメージ化をはかり、パソコンのハードディスクに残して来ました。 デジカメを使うようになってからはその量も膨大になってきて、データのバックアップ用に外付けのハードディスクを利用するようになりました。 しかし外付けハードディスクでは接続しているパソコンだけでしか利用できないので、家内に置いて全てのパソコンでバックアップや閲覧作業が出来るようにと、数年前に同一Lan内で使用できるネットワーク・ハードディスクを購入し使って来ました。 しかし、データ量はどんどん増え続け、もともと300Gと少ない容量のディスクであったため、そのネットワークドライブに外付けディスクをUSB接続して、更にバック用ドライブを増設していたのでした。

 所が、この夏の異常な暑さに負けてしまったのか、エラーを表示するようになって、ネットワークから見ることができなくなったのです。

 ネットワークドライブ内の基板、あるいは電源、はたまたディスクが故障したのか、筐体を開けてみたのですが原因を特定できず、あれこれ対策を考えるより、今パソコンショップの店頭にある新しいディスクを購入した方が便法だろうと、新しいネットワークドライブを購入することにしました。

 製品は、バッファローのLink Station LS-CH2.0TL というディスク容量2テラで、アマゾンで22千円という価格でした。 旧ドライブの時は、背面にUSB接続口が2つあり、本体に加え2台のドライブを接続し、本体+ドライブ1+ドライブ2と3ヶ所のディスクに同一ファイルを残していたのですが、今回はUSB口が1つしかなく、本体+ドライブ1という構成になってしまいました。

Network HardDisk
左(故障した旧Network Drive)・中(新Network Drive)・右(増設ドライブ)

 旧製品では常時電源オンにしていましたので、その分ディスクの消耗が激しかったかもしれません。 今回購入したネットワークドライブは、ネットワークに接続しているパソコンの電源を落とすと、しばらくしてドライブの方も落ち、パソコンの電源をいれると自動的にドライブがオンになるもので、前よりは電源投入時間が短くなり長持ちするかもしれません。

 また、購入したネットワークドライブは、MacのTime Machine対象ドライブにもなるし、外部インターネットからアクセスすることが出来るので多様な使い方ができるようです。

 ただ、USB接続のバックアップドライブから新ネットワークドライブへデータをコピーする際に、ファイル容量が小さい場合は問題ないのですが、写真ファイルのように大きなファイルを多量にコピーしようとするとエラーになるケースが見られます。 仕方なく現在は一階層のフォルダ単位にコピーするようにしていますが、LAN接続内でのファイル複写ではたぶん問題ないと思います。

(追記2010.09.18)
 ネットワーク・ハードディスクの入れ替えにあたって、ウインドウズME時代から使っていたXPパソコンでネットワークドライブへのデータコピーをしていてエラー続出だったのですが、もう少しましなパソコンに替えると同時にOS動作の軽量化(regeditやキャッシュ設定など)を図った後は、総容量10G以上、ファイル数5000以上のコピー操作をしても全くエラーが発生しなくなりました。 ネット検索してUSB接続の致命傷だとか、またネットワークドライブのドライブ番号割り当てにxやzなど最後尾にしたら良いというページなどを見つけましたが、結果としてそういう操作は不要だということが分かりました。



2010年9月15日水曜日

塩狩峠?3

 層雲峡の黒岳から降りて来た後、ロープウエイ駅内の展示室で開かれていた、移動展「綾子の青春時代」「綾子の療養時代」を見学しました。 こちらでも光世さんから当時のお話をうかがいました。

移動展会場にて

 綾子さんの教員時代の写真も掲げられておりました。 家内は私と結婚する前は短い期間でしたが教員をしており、この写真の綾子さんの姿が自分にそっくりだと何度もカメラのシャッターを押していました。

移動展会場にて

 展示を見終わった所で、病床の綾子さんを信仰の道に導いた前川正さんの写真を肌身離さず持っておられると光世さんが上着のポケットから出して見せて下さいました。 光世さんは前川さんの死後に綾子さんと出会ったわけですが、お二人の姿、顔貌があまりにも似ているので、参加者の皆さんは驚いていました。 森下先生の話しの中にもありましたが、光世さんは綾子さんの心の中にある前川さんを含めた綾子さん全体を愛しておられていることがよく分かりました。 光世さんは、話しながらボケ老人とたびたび仰っておりましたが、非常に謙遜で真の信仰者であることがよく分かりました。

前川さんの写真を見せて下さった

 層雲峡のあとは一路旭川へ戻ったのですが、途中光世さんの秘書をされている方が元はバスガイドであったとかで、層雲峡の双璧を詳しく説明されていました。 そして旅の最後にはクイズタイムが用意されていて、森下先生のそれまでの説明や展示されていた内容から、色々質問され回答者には北海道のスイーツでしょうか賞品が配られていました。 綾子ファンの方が多くて皆さん身を乗り出して答えておりましたが、私の後席の方などは前席に座る私の体を含め掴んで腰を起こして一心に答えていました。 おかげで私の体にはしばらく鈍痛らしきものが残ってしまいました。

 我々は自信もなく答えられず、参加者の9割ほどの方が賞品をいただいていたのですが、最後には三浦家からのプレゼントがあったのです。 光世さんが番号を引かれていたのですが、数少ないプレゼントの中から、家内は光世さんの色紙が、私は光世さんのサイン入りの著作「綾子へ」を頂いてしまったのでした。 やはり嬉しいですね。

 最後は、光世さんと参加者で唱歌「夕焼け小焼け」「赤い靴」「叱られて」を歌いました。 光世さんは86歳だとか、しっかりした声で歌われておりましたが、元々歌がお好きだとかで綾子さんともカラオケへ行ったというような話もうかがったように記憶しています。

 4時前に旭川の三浦綾子記念文学館に到着してから、再び館内の展示を、特に小林多喜二の母セキさんを主題にした特別展はじっくりと観ることができました。 そんな間にも、光世さんは売店で購入した書籍にサインをして下さると、家内は友達にもあげたいと文庫本を色々購入しサインしていただいていました。

三浦綾子文学記念館にて

 5時少し前にいよいよツアーは終了ということで散会となり、旭川駅へ向かう参加者は光世さんやスタッフの見送りを受けて記念館をあとにしました。

お別れ

 頂いた光世さんの色紙です。 「忍ぶ心」を肝に銘じたいと思います。

色紙

 そして頂いた「綾子へ」。 頂いたその日の晩から家内は読んでいましたが、光世さんの綾子さんに対する自戒の念がそこかしこに描かれているそうです。

綾子へ

 

「綾子へ」サイン

 このツアーの中で、光世さん、森下先生から啓示を受け、もう一度じっくりと「塩狩峠」を読んでみたいと思います。 たぶん、この氷点の地には再び訪ねることになるでしょう。



2010年9月14日火曜日

塩狩峠?2

 塩狩峠記念館(三浦商店)の二階の居間が、三浦綾子さんが「氷点」を書かれた部屋だそうで、当時のテーブルやゴミ入れ、本棚などが、一部は移動したようですがそのまま置いてありました。

塩狩峠記念館

 「氷点」の懸賞は1千万円でしたが、450万円が税金支払となり、残額は教会への寄付や入院費用などの立替に使われたと光世さんから説明があり、一切自分のために使わなかったそうです。 綾子さんはテレビがほしいと望まれたそうですが、光世さんが自分たちのために使ってはいけないとおっしゃり、綾子さんはそれに従ったとのことでした。 この辺りの話しは森下先生からうかがいました。

塩狩峠記念館

 氷点と同様に、塩狩峠も映画化されたようです。 新克利、佐藤オリエ、滝田裕介など懐かしい俳優の名前がありました。

塩狩峠記念館

 線路脇に長野政雄さんの記念碑がありました。 殉職された2月28日には、ここでロウソクの火が灯され慰霊の会が催されているようです。 坂本龍馬の甥である坂本直寛は高知でキリスト教の洗礼を受け旭川に伝道に来て、長野政雄とも親交があったと説明を受けました。

塩狩峠記念館

 名寄方向へ1kmほどでしょうか下った所が鉄道事故の現場のようです。

塩狩峠記念館

 塩狩峠をあとにして上川町に立ち寄り、ここで二手に分かれて地元の食堂に入り、昼食にラーメンをいただきました。 豚骨ベースですがしつっこさがなく海産物の香りがして、前日旭川市内で食べたラーメンより素朴ですが美味しかったです。

塩狩峠記念館

 昼食後は層雲峡を訪ねました。 確か中学三年の修学旅行で来ましたので、半世紀ぶりに訪ねたことになります。 ロープウエイで黒岳展望台へ上がりましたが、まだ紅葉の時期には早かったものの、雄大な北海の峰々を眺望することが出来ました。 でもけっこう風が強くて、風が一定の強さ以上になるとゴンドラは止まり弱まるのを待つのでした。 あまりいい気持ちがしませんでした。

塩狩峠記念館