お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

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*the world is coming to an end*



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2014年9月30日火曜日

9月も最終日となって今年も残す所3ヶ月となりました

先日、Google Chromeを開いたら、こんなGoogleアイコンが現れました。 Googleにログインしている家人の誕生日だったんですね。 こんなちょっとした気遣いがGoogleファンを増やしているのでしょう。


一昨日、家内の遠方に住む縁戚から御嶽山の噴火事故を心配した電話がありました。 信濃町は伊那や王滝村とはそうとうに離れている場所なので全く影響はないのですが、遠隔地に住む人達にとっては長野県と聞くと、被災地がすぐそこにあるように思ってしまうのでしょう。

私達が若い時には装備を十分にして、グループで先導者のもとに山に登ったものですが、今や登山がブームとなり、しかも途中まで車で上れたり、ロープウエイが利用でき、一人登りもできて、運動靴や普段の軽装で山頂に辿り着ける所が多くなっています。
重装備の要らない手軽な山登りという流行が大きな惨事の一因につながっているかもしれません。
それにしても、日本は火山国であり地震国であり、台風などの大雨による浸水・土砂崩れ・土石流などが毎年のように起きており、自然災害は人間の叡智を越えているようにも思われます。
そんな日本にあって、未来永劫へ禍根を残すような原子力発電を容認してはなりません。 日本経済の高度成長のためには原発は必須であるとよく言う人がいますが、高度経済成長というのは一部大資本家や政治家の私腹を肥やすことであり、市民からの搾取なのです。 放射線量の基準値を上げておきながら、基準内だから大丈夫だという欺瞞、誤魔化しを国がやっているのです。 消費税率を上げておきながら、政治家の報酬や公務員給与をあげ、海外支援という形の大企業や政治家への資金還流、アメリカ国債購入や米軍払い下げによる軍備増強に使われいるだけなのです。
高齢化や非正規雇用で年金資金は枯渇の一途をたどっているのに、相変わらず市場運用で目減りさせているのでしょう。 社会保険料や諸税の値上げ、年金給付額のさらなる減少、スーパーへ行けば野菜の値段の高さ、値上げ、バターなどの量の減少、製品の品質劣化、生産地偽装など偽装食品のオンパレード、国民にとって良いことは何もないのです。
福島の原発周辺の住民が捨て置かれている事象を見るだけでも、自然災害が二次災害、三次災害を呼び起こすものだと国民一人ひとりが、今のままではダメだという認識を持ち、ちっぽけであっても何らかの政治への意思表示をすべきだと思うのです。

さて、信濃町ではこの11月に町長選挙があるそうで、立候補予定者陣営の後援会活動がだんだん目につくようになって来たようで、選挙公約の試案になるようなものが支持者などにも配られて来たようです。
でも選挙公約ってかなり芳しい美味しそうな美辞麗句の羅列なんですね。
過去3〜5回ほどの選挙に立候補された方の公約を、特に当選され町長になられた方の公約を一覧にして、町政がどのように変わった来たか、あるいは変わらなかったのか精査したら良いと思います。
そこから次の選挙では自ずとどの候補者に一票を入れたら良いかの判断ができるのではないかと思うのです。

信濃町がかかえる問題は、住民の高齢化、人口減少、総合病院の維持(建替え)、観光、農業、交通など種々あると思われますが、選挙の中で一番甘い飴となるのは「病院の建替え問題」で、どの候補者も第一にこれを公約にあげています。
しかし財源をどうするのか、増大するであろう建替え後の維持費をどうするのか、詳細な検討や計画がないまま美辞麗句だけが飛び交っているようにも思えます。

医師を確保するために住宅整備をするという話もあるようです。
でも、私がこの25年の間に治療を受けた際の印象や知り合いから聞いた声からすると、建物の建替えというハード面ではなく、人材の活用や管理などソフト面での対応が不十分なように思われます。
確かに住民の健康診断などでは診断以後のフォローなど手篤い体制が整っているようで感心することも多いです。 ただ、医師や職員の入れ替わりがしばしばあるというのは管理面など、ソフト面での対応が不十分なのではないかということです。

経験のある地元に住む看護士や介護士を排斥し採用せずに職員募集を行っていたり、いい医師が来たかなと思いきや数年で他の病院へ移ってしまうのです。 職員にとって働きやすい環境作りが、患者にとっても良い病院であり、健全な病院経営となるはずでしょう。
町長や院長など、病院経営に関わり重要な判断をされる立場の方々を含めた、経営方針、あるいは日々の経営態度など、ソフト面での改善が望まれているようにも感じます。

さて、我が家では、この2ヶ月のあいだ色々な花模様を楽しませてくれていたコスモスが、秋風に揺れて倒れそうになるものが出たりして紐で支えたりしています。 でも倒れてもコスモスの花って健気に咲き続けているんですね。 それも来月中頃まででしょう。 これから種をしっかりと取っておき、来年はもっと広いコスモス園?を作ろうと思っています。


夏、実をつけていたカボチャやキュウリなど、早々に片付けてしまった畑もあるようですが、我が家では花がついていると、何気にかわいそうで、そのままにしています。
そうしたら時々ズッキーニやキュウリ、ゴーヤが採れるんですね。 ミニトマトも実は小さいですが多量に取れています。 ミニトマトは野菜サラダに利用していましたが、たくさん取れる時はジュースにすると良いと聞き早速試しました。 新鮮なトマトジュースも美味しいです。

地生えのキュウリはあまり大きくならないようだし、ルバーブは酸味が少なくなってきて、エゴマの葉、紫蘇の実、バジルなどをとったら菜園からの今年の収穫はお終いかもしれません。

2014年9月28日日曜日

上橋菜穂子講演会へ

雲が残るものの今日も良い天気で、まず、近くで行われていた埋立地の事業説明に出かけました。 参加者の中からは大規模な埋め立てで雨水などが浸透して、それにより周辺地域へどんな影響があり、安全面が損なわれるか心配だという話がありましたが、事業者からは明確な回答はなく、諸点については今後つめ確認し暫時地元に説明される由。
我が家がある場所とは直に接していませんので心配はありませんが、積雪や大雨によって影響が出る地域はあるかもしれません。 それにしてもこんな広大な土地を何に使われるのでしょう?


さて、信濃小中学校で開かれた上橋菜穂子さんの「野尻湖の夢、私の夢 ー遥かな人々に思いを馳せてー」講演会に出かけて来ました。


野尻湖ナウマンゾウ博物館開館30周年の記念事業の一環だそうで、我々は上橋さんなる人物のことを知らず、はじめはあまり関心がなかったのですが、家内がネットで色々な作品を出されている人物だと知り出かけることとなったのでした。


上橋さんは幼少の頃、野尻湖にあった叔母さんの山荘で育ち、その自然環境で身につけた空気、感覚、関わり、そんなものが作家としての原点になっているとのこと。
話題はあちこちに飛んで、まとまりのないような話になると思いきや、饒舌な話に聴衆を飽きさせない工夫をされていて、野尻湖に始まって、最後に野尻湖で終わるという、話の上手さも感じられました。

講演後の質問で若い人たちが質問に立っていましたが、それにも真摯に簡潔に応えておられ、その姿勢にも好感が持てました。
できうれば、冒頭の町長や来賓挨拶などという無用な話はやめて、質問の時間、あるいは若者と上橋さんが交流できる時間設定があれば良かったかなと思いました。 折角、学校施設を利用しているわけで、たくさんの若者に聞いてもらい、若者を育てるという視点で講演会が行われれば、もっと意義深いものになったと思うのです。

講演と質問の中で、上橋さんは「英語を学ぶこと」と「多民族と関わりや多面的な思考の必要性」を仰っていました。 ダライ・ラマ法王の講演でも「若者が英語を学び海外に出かけて色々な人々と話し合う」ことの大切さをたびたび話されています。
多様な考えができる若者を育てること、とりもなおさず社会性を学ぶということにもつながるわけです。

在特会など極右思考に心酔する日本の政治屋(政治ゴロ)、そして日本の国政も、「井の中の蛙、大海を知らず」で、「世界」を知らないです。 彼らこそもっと海外に出て、多様な民族や社会を知り、その中で日本という国をどうするのか模索するべきなのです。
上橋さんのような多様な思考ができる人、それもアンデルセン賞受賞という世界が認める人の存在に、日本人として一筋の希望を見た思いがします。

でも著作の内容・対象からすると、私はたぶん読まないでしょう。

2014年9月27日土曜日

実りの秋とクラフト展

今日は朝から快晴の天気となり、今週末は田んぼの刈り入れが始まるのではと思い、仁の倉線を走っていたら、コンバインが働く様子が見られました。 そして自然乾燥をする田では稲架が掛っていました。 先日出かけた上越高田ではすでに取り入れが終わり、店先には新米が並んでいましたので、高地である信濃町は2〜3週間遅いですね。




そして黒姫童話館前庭では恒例のクラフト展が開かれていました。 色々な工芸品などが展示即売され、興味をそそられるブースが多かったですが、高額なものはなかなか手が出せません。
クラフト展は今日と明日開催されますので、明日はまた異なった展示があるかもしれません。 今回、駐車場が前山ゲレンデの駐車場と指定されシャトルバスで会場を往復されていましたが、我々は久しぶりに雪のない前山ゲレンデを横切って会場へ向かいました。

黒姫や妙高の山頂付近はどことなく紅葉が始まっているように見受けられました。






ゲレンデの一角で見つけた、アザミ、そしてワレモコウ(吾亦紅)を積んできました。

2014年9月26日金曜日

災害にもつよいおれたちのまちづくりを考える集い

今日は、隣の飯綱町で開かれた「災害にもつよいおれたちのまちづくりを考える集い」に出かけて来ました。
第一部では、「生命のことづけ」と題した東日本大震災で被災した障害者にスポットをあてた短編映画を見ました。 この映画で、一般健常者以上に障害を持つゆえに助からなかったとか、避難してからのご苦労もなみなみならぬものがあったことがわかりました。

映画の後は、「東日本大震災から学ぶ災害につよい地域づくり 〜 被災当事者が語る震災の記憶 現在そして未来へ〜」と題して、ご自身も障害を持ち障害者団体(きょうさんれん宮城支部事務局長)で活動しながら全国で講演されているという、鷲見(すみ)俊雄さんの講演を聞きました。
東日本大震災での障害者の死亡率は健常者の2倍以上の由。 障害者がおかれる様々な問題や教訓を生かすためには何をすればいいか? 被災当事者を置き去りにした復興は真の復興ではないと、自助、共助、公助の3本柱で動かなければいけないと締めくくっておられました。

障害を持つ家庭の気持ちを推し量ることは大変難しいですが、日本の場合えてして障害をを隠そうとしたり表に出さないようにする傾向が多いでしょう。 そのため、どの家に障害を持つ人がいるのか地域の人々が知らないことが多いです。
障害という言葉から見る人間としての機能の欠如ではなく、一つの特性として見て、もっとオープンな存在として認識することが我々には必要ではなかろうかと思いました。
昔、山下清という放浪画家がいました。 彼は知恵遅れでしたが、素晴らしい切り絵を残しています。
 障害者の存在が地域に広く知られていることで災害の時にすばやい救済が可能になると思われます。

鷲見さんの講演のあとは、飯綱ボランティア協会の岩手・山田町での支援活動の報告、いいづなみつばちの会の福島ツアー報告会の事前アナウンス、飯綱中学校の生徒による「ひまわり里親プロジェクト」活動報告、そして北部高校の被災地への修学旅行の紹介などがありました。


地元の中学と高校が被災地とつながり、生徒さん達が社会を学んでいる姿に驚くというか、素晴らしいなと思いました。 たぶん先生など職員や教育委員などの支援があるのでしょう。 経済活動(大企業)優先の形骸化した国や県の救済活動、未曾有の事故を起こしながら責任を問われない東京電力、放射線量基準値を上げることで安全としたり不安な原発再稼働を目論む国のあり方などがあるために、 現在東北や福島での被災が風化しつつあるわけで、そんな中での飯綱町の取り組みの一旦を知り、個人として何ができるかなともう一度考えなおそうと思いました。


さて、飯綱町における被災地支援に対し、隣町である信濃町は何をしているのかな?と思い、信濃町にも災害支援の会という任意組織があることは知っていましたが、町としての動きが気になりました。
でも、帰りの駐車場で、信濃町と記された車があることに気づきました。 たぶん信濃町の職員の方も今日の講演会に来られていたのでしょう。 「災害はいつかは来る」という前提のもと、自助、共助、公助というスクラムで、被災を限りなくミニマムにする取り組みはどこの自治体でも大きなテーマなのです。

2014年9月25日木曜日

一茶ゆかりの地をたずねる

一茶記念館が主催した「一茶ゆかりの地を訪ねて(千曲市)」に出かけて来ました。
台風からかわった低気圧が日本海を北上する中、朝は雨があがりそうな気配で、高速道路を走行中には西に虹が見えていました。 ただ虹は短く太くて山の峰すれすれに発生していてアーチ型のきれいな虹ではありませんでした。
最初の訪問地である姨捨文学館に到着し長楽寺周辺の塚や句碑の説明が始まる頃には切れた雲の間から強い日差しが現れてTシャツ1枚でも暑いほど。 しかし午後からは曇って、森将軍塚古墳を訪ねる頃には重い雲がたれこめ、帰路は再び雨の中でした。

おばすて文学館で現地のボランティガイドお二人が紹介され、順番に塚の説明をされ、そして姨石の上に立ち、善光寺平を俯瞰しました。

越智越人随行塚
参加者が姨石から善光寺平を見る
かろうじて棚田が見えました

それから宝ヶ池、樹齢千年という桂の木のわきに立つ白い円柱形の「白雄居士之遺趾」、月見堂前の「芭蕉翁面影塚」、長楽寺本堂中庭の種々の碑などなど。 途中、ガイドさんの謡曲「姨捨? or 田毎の月?」を拝聴。


桂の木脇に立つ白雄居士之遺趾
葉はハート型

芭蕉翁面影塚

観音堂






最後は階段を上って観音堂へお参りしてから文学館へ。
一茶が姨捨をたずねたのは2度とも3度とも言われているそうですが、現在一茶の句碑は姨捨にはないそうです。






次にたずねたのは、森獏郎さんの「杏の里板画館」。
棟方志功と同様に木版画をとくに板画(ばんが)と言っているそうで、森獏郎さんの作品は、道の駅・天望館や一茶記念館でよくみていたものの、特段の印象を持っていませんでしたが、ご自宅を兼ねた板画館で30分ほど森さんのお話をうかがい、 一変でそのお人柄に感じるものがありました。
お名前(ペンネーム)の「獏」には大変な意味があるそうで、この11月には森獏郎さんの講演会を一茶記念館で行うよう準備されているとのことでした。





隠し部屋があった場所を説明されている所
刀で彫ったというキリスト像
三本足のカラス(八咫烏?)

ご自宅のわきに立つ千本松で、この家は昔漢方医の家であったそうです



この杏の里板画館No.13の裏面に、杏花村誌という獏郎さんの編集後記が載っています。 これをみて獏郎さんのことがもっと好きになってしまいました。

最後にたずねたのは「森将軍古墳塚」で風雪による傷みがあると修復中でした。 一人のための墓であった由。 豪族かシャーマンのような人物か、あるいは渡来人によるものか、盗掘にあってしまい、塚の詳細をあきらかにするものはないそうです。
「森」というのは、以前「森村」があったなど周辺地域の名称だそうです。 また「将軍」という言葉も、「偉い人、優れている人」などという意味で使われた由。 歴史や社会の教科書に掲載されるほど日本で有数の古墳とのこと。


内部の石棺があった場所をレンガのようなもので示していました

再び善光寺平を俯瞰しました。 千曲川、新幹線、長野道、上信越道なども見えます。

当方、受験では苦手な科目である国語がない学部を選んだほどで、当然作句などは難しくてなかなか近づきがたい存在ですが、一茶記念館の講座で一茶の生き方に触れたり、このような企画で稀有な人々に会えることはこの上のない喜びとなっています。
これからも一茶記念館ばかりでなく、町内の色々な企画に参加し見聞を深めていきたいと思った、今日の「一茶をたずねる旅」でした。