お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱
ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。

「公共放送」と名乗っている局や態勢迎合の低俗局、大手新聞社等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

災害列島ジャパン自衛せよ!

人と防災未来センター

八木下重義ー地震予兆研究センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*所有ドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄することにし、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*the world is coming to an end*



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2016年3月31日木曜日

安保法制抗議集会へ

ここ2週間近く信濃町を離れていて、その間にも雪が舞った日があったようですが、総じて温かくなって来ているようで、雪不足に悩まされたスキー場は数日前に早々と営業をやめた所もあるようです。 本来なら3月末日あるいは今週末までの営業予定であったでしょう。

さて、十分な論議を経ずに、また平和憲法を無視し、無理やり成立させてしまった、憲法違反の安保法制が29日に施行されました。 これに抗議する集会が国会議事堂周辺であるというので、東京へでかけて来ました。


議事堂周辺へ出かけるのは数十年ぶりでしょう、大きな集会の時には近くの地下鉄駅は閉鎖されてしまうというので、青山から歩きましたが、「お上りさん」は道を間違え、あちこちの交番で道を聞きながら、それでも6時前には議事堂正門前に到着。
時間が早かったため、お立ち台に近い生け垣に自分の場所を見つけました。

日本山妙法寺のお坊さんが打つ団扇太鼓の音が、平静を装う自分の心に、
「戦争をする国」、
「あまたの艱難辛苦、人的災害を強要する国」
 に日本を変えようとする政治家への怒り、憤りがムラムラと沸き起こって来るのを感じました。


いよいよ集会が始まるかなという頃、播磨屋助次郎の白いトレラーが3台通りすぎて行きました。


(みなさん、安倍政治を糾弾している播磨屋の美味しいおかきを買いましょう!)

本日現在の播磨屋HPから

6時半、まず戦争法に反対する国会議員の挨拶があり、民進党枝野、共産党山下、社民党吉田、生活党玉城の各氏でしたが、山下氏と玉城氏の挨拶が実に明快で、他の二人より一歩も二歩も抜きん出ていたように思います。


以降の方々はよく聞き取れなかったのですが、宮城県から来たという若い女性の話も明確で良かった。

合間、合間に、ラップ調のシュプレヒコール。

「安保法制ただちに廃案」
「安倍ただちに退陣」
「安倍から日本を守れ」
「自衛隊(員)を守れ」
「税金を国民に使え?」 等など

サンケイなどは、「安倍」と呼び捨てていることに失礼だと盛んに彼らを非難する記事を書いていますが、人殺し部隊を創成して、国民を蔑ろにし、増税や社会保障劣化、TPPなどなどアメリカ(政府もしくは特定の勢力)べったりの政策、そして政治家や大企業のための政策を展開している以上、「アベ」と吐き捨てている方が正当なのです。

8時半になり、一部と二部が終了。 照明やマイク設備の撤去というか、設備の縮小がはかられ、まだ集会は続くようでしたが、身動きできない状況(直立不動)で疲れてしまい、我々は集会を後にすることにしました。 ネット検索すると、学者先生方などの挨拶など、その後も色々な方が登壇されていたようです。

会場近くで、色々なチラシをもらいましたが、こういったものを見ても、日本の軍国化はすぐそこに来ていると感じられます。 その軍国化は市民を守るためでなく、政治家や大企業の利権ためだけなのです。
次の国政選挙では18歳からの投票が可能になるとのことです。

戦争国家に邁進している、自民党と公明党の政治家を、まず落とすことが緊急の課題。

アベから始まって大臣の経歴詐称、賄賂、政策費の飲食やホステスへの流用。 パンツ大臣と揶揄されている政治家もいるのです。

自民党が次の選挙に出そうとしている、今井とか乙武とか、相変わらず醜聞が絶えません。 戦前戦後を通じてその実態がないのに、日本共産党を暴力政党だと言う自民党には物事の道理が通じない、メチャクチャで自分たちが正しいというだけの思考しかないのです。

二号、三号を侍らせるのも権力者の能力だと考えるのは昔。 今や、清廉潔白な人物が政治家に求められているのです。 山本太郎君のような、日本の将来を真摯に憂う人を政治の舞台に登壇させるべきなのです。

戦争は、軍需産業を富ませるだけで、自衛隊員が海外で人殺し活動をし、その結果、荒んだ心を持つ隊員は帰国してから、戦地での自分の行為に苛まれ自殺したり、犯罪行為をするかもしれません。
アメリカの海兵隊は、自分の頭で判断せずに、直感で相手を殺すよう教育されているそうで、その結果、アメリカでは元海兵隊員による犯罪が急増しているとも聞きます。

敗戦直後、駐留アメリカ兵に日本政府は(慰安)女性を提供したそうで、日本の安全を保障しているのだからレイプしても問題ないという意識がアメリカ兵の中に未だあるのでしょう、先日沖縄の女性がアメリカ兵によってレイプされていた、そんな社会不安が日本のそこかしこでも起こる可能性を秘めているのです。 海外派兵は国内、一般社会にも混乱を招くだけです。 戦争法はあってはなりません。
自衛隊は国内に視点をおいた、自衛のための組織・活動に徹底すべきなのです。







2016年3月22日火曜日

佐藤初女さんのインタビュー番組が期間限定で聞くことができます

先月亡くなられた、森のイスキアを主宰されていた佐藤初女さんは、岩木山の麓で縁を結べための「おむすび」指導など、心を病んだ人々への手助けをされていました。

YouTubeなどでも、初女さんの生前の姿や声に接することができますが、次のサイトでも10数年前に放送されたインタビュー音声を1時間番組で聞くことができます。


ただし、4月10日までの期間限定となっています。

キリスト教放送局日本FEBC

2016年3月15日火曜日

なごり雪もそろそろ終りかな?

未明から雪が降り出していたようで、朝方外を見ると一面の銀世界で、積雪10〜15cm。
この所雪はどんどん溶けて、所々で除雪の山がわずかに残っていた程度であったのに、再び真っ白な光景に、屋根から軋みながら積もった雪が落ちる様を見て、いつになったら雪降りは終わるのであろうかとちょっとため息。

というのは、今季は雪降りが少ないし、もう大降りはないであろうと、家屋にかかる冬囲いや植木を縛っていた雪囲いをすでに外していたのでした。 ブルーベリーやラズベリーなどは剪定までしていたので、今日はどこまで雪が積もるか気がかりでした。

でも昼には止んで陽射しが出て春の雪はどんどんとけて、夕方には道路の雪はほとんど消え路面は乾いていました。
早晩溶けるのは分かっていたのでしょう、もう町の除雪ブルが来るようなこともありません。





2016年3月13日日曜日

播磨屋のおかきを買う

時々思い出したように播磨屋のおかきを買っています。


ここのおかきは安くて美味しく、ちょっとした土産にもなると、かなり以前から買っていたのですが、届いた箱には商品と一緒に店主の主張というか能書きが必ず一枚入っているのでした。
「皇室一番」の店主がその時に思うことを認めているのですが、何か右翼っぽさが感じられて遠のいていました。

しかし、第二次安倍政権が誕生し、日本の政治をめちゃくちゃにしはじめた頃から、この播磨屋が「世直し特別広報隊」と称してボルボのトレラーに安倍政治を糾弾する文言を表示させ都内などを走らせていると知り、その心意気に感じ、少しでも助力になればと再び商品を注文するようになったのです。



東京を中心に店舗展開している城南信用金庫は、福島原発の事故後、「原発に頼らないエネルギー政策」「脱原発」を早い時期から求める活動を行っています。(小泉純一郎と歩調を合わせている所はちょっと?ですが)

播磨屋城南信用金庫のように、企業も経済団体の求めに応じて政府に盲従するのではなく、国民の健やかな生活と安全を守るために何が出来るか主張すべきでしょう。

もともと日本人は思ったことを言わず、右にも左にも行けるような、どっちつかずの態様を取る人がほとんどで、その結果集団になると、とんでもない方向に流れてしまいます。
日本軍が朝鮮や中国へ渡り侵攻、侵略していった、かつての戦争行為からも分かりますし、中国人捕虜を医療の試験台にしたマルタ、鉱山や工場への徴用、慰安婦問題なども、一人ひとりが歴史を紐解いていけば、当時の大方の実態は分かるもので、戦争はそのようなマイナス要因を産むものであると考えを及ぼす必要があろうと思います。

付和雷同であってはいけないのです。

とにもかくにも、税金や社会保障など、色々な局面で国が国民を騙し、国民から収奪していこうとしている今の政策を変える必要があるのです。

税金は上がる、年金受給額は年々下がる、医療費の負担は増える、生活保護や母子手当などはなかなか受けられない、津波被災者や福島原発周辺の住民は捨ておかれ、小児ガンが増えている実態を公にしない。
逆に法人税や消費税などでは大企業優遇政策。
これだけ国民をバカにし、苦しめているのに、政権与党を支援するなんて、それこそ「愚の骨頂 」。 「自虐行為」としか言いようがない。

次の選挙からは18歳から投票できるようになるとのこと。 若者が自分たちの将来を決めるのだという明確な認識を持ってほしいし、年寄りは体制に迎合するのではなく、子々孫々にどんな日本を残していけば良いか、よく考えて選挙に臨んでほしいものです。

と、播磨屋の美味しいおかきを食べながら思った一日でした。

2016年3月11日金曜日

5年目の3.11に思う

東日本大震災が起きて早5年が経ちました。
今日、あの地震が発生した午後2時46分に政府主催の追悼式が行われたということですが、今だ見つからない2千数百名の方々を含め津波被災者や結果起きた福島原発事故に伴い苦しむ被災者の心に響く救済が現実に行われていないことに、実に残念だし、ある意味腹立たしい思いを感じてしまいます。


5年前のあの日、大きな揺れが収まって、地震情報を知ろうとインターネットを見るも情報は少なく、ラジオをつけました。 でも、ラジオ情報は被害の大きさは感じられるものの断片的で詳細が分からず、ご近所の家にうかがい、テレビ報道を見させてもらいました。
そこには驚愕といえるような光景が見られ、災害の大きさをまじまじと知らされたのでした。

自分がこの世に生を受け、水害などの災害はしばしば見聞きしてきましたが、阪神淡路大震災そしてニューヨークの9.11につづく大きな災害の映像でした。
もっともアメリカの9.11はアメリカが海外派兵するための大義名分を集めるための自作自演であったという要素もあったようで、被災させてはいけない企業や人物には事前の通知があったような情報もあり、震災のような災害とは言えないかもしれません。

津波被害の大きさに加え、福島原発の原子炉溶解が報道される中で、ヨーロッパに駐在していた息子は留守家族のことが心配になり、会社とどう折り合いをつけたかは分かりませんがすぐに帰国。 また東京にいる息子は同僚の外国人がシンガポールなどに避難していると知り、幼子への被ばくが心配と、九州へ疎開させていました。

私達家族は災害の大きさに翻弄されたもののトラブルはなく、被災地へのボランティア活動をされている団体へわずかながらの物資を送ったり、家内は発生2ヶ月後に食事班としての手助けをして行って来ました。
そして1年後被災者の心が少しでもやすまればと、作家三浦綾子さんの小説を被災住宅へ配布する活動にも参画。
2013年には被災地の小中学生を元気づけようと信濃町からの被災地支援活動に参加。 その後も福島原発地域に住む子供たちの保養プログラムへの支援も行ってきました。

しかし、この5年を振り返って総じて言えることは、日本政府の被災者への救済は形だけで本来の救助活動を行っておらず、その多くの復興事業はゼネコンなどの企業を儲けさせるためだけのものになっています。

安倍政権になってからは、消費増税や社会保障の劣化などの結果、国民からの収奪が大きくなり国民の生活はひどくなる反面、国民の1%だけが富むような社会状況になっているのです。

日本の過去の戦争について、中国人を試験台にしたマルタ、鉱山や工場への強制徴用、慰安婦などを問題にした歴史研究者に対し、「自虐史観」だと攻める勢力が台頭して来ていましたが、苦しい生活を余儀なくされた国民が収奪する今の政権を支えているなんて、それこそ「自虐行為」としか言いようがありません。

戦後70年、アメリカの指導の結果、ソ連(ロシア)、中国、北朝鮮などの共産主義国家は危険なものだという認識を日本政府は国民に対し行ってきました。
戦後の労働運動や学生運動の結果、活動をする者達は危険な思想の持ち主だという植え付けをしばしば行っており、今でも警察は「過激者に注意」と喧伝したり「過激者」とおぼしき写真の配布を行っており、そこには非常に作為的な行為を行っていると感じられるのです。

反面、日本の同盟国であるアメリカに視点を移した時、彼らは何をしてきたでしょう。 日本の侵略が一因ではありますが、朝鮮半島分断をし、ベトナム、イラン、イラク、アフガンなど、その時の状況に応じた一方的な理由付けをし戦闘活動を続けたきたのです。
その結果平和がもたらされるのではなく、さらなる混迷をもたらし、侵攻したアメリカ兵の中にも大きな精神的な疾病が出たり、総じてみるとその作戦活動には何の意味も意義もなかったのです。 強いていえば、アメリカの軍需産業への協力であったのでしょう。

今の安倍政権は、そんなアメリカに協力して自衛隊員を戦場に出そうとしており、それは日本を守るのではなく、自衛隊員である日本人を苦しめることになると同時に、対戦国とした国から攻められる危険性を孕む結果となってしまうのです。 既に兵站活動に出た自衛隊員のかなりの数で自殺者が出ているとか、アメリカ兵による傷害が発生したものの、日本政府はその自衛隊員への救済も行っていない由。
国は自衛隊員ですら守ってくれないのです。


津波や原発事故から国民を守らず救済しない日本政府の実態を認識し、自分と自分の家族だけは自分で守るのだという気構えを持つ必要があるでしょう。
政府も行政も警察も何も信用できないのです。 悲しいことですが、税金を払い、国民としての各種の義務を課せながら、行政が信じられない、何の手助けを受けられない、そういう現実を強く認識した上で、これから我々を何を為すべき考えて行きたいと思います。


実に嘆かわしいですが、こんな動きをする人達もいるんですね。






 

2016年3月10日木曜日

霧氷の袴岳へスノーウォーク

今日は、信濃町ひとときの会が主催した「袴岳スノーシューウォーク」に出掛けてきました。
はじめ、このアナウンスを知った時、「袴岳」って、どこ? という素朴な疑問。
信濃町に来て25年を越えて、その場所を知らなかったのです。
斑尾山にはなんどか登っているのですが、それ以外に斑尾高原より北側のエリアに足を踏み入れたことがなく、その周辺にあることなど知らず全く縁がなかったのです。


道の駅しなのの駐車場に集まってから、主催者の車に便乗。 久しぶりに古海の集落へと入り、東急タングラムを過ぎてしばらく行き、途中から左におれて赤池方面へと進み、4台ほど車が止まれる登山口へ。


装備をすませ、少し登った広場で説明を聞き準備体操。 その周辺は霧氷の傘の中にいるような、一種幻想的な空間を見せてくれていました。

これを「霧氷」というのか、「樹氷」というのかわからなかったのですが、後刻調べたら、濃霧やマイナス気温などが重なって空気中の水分が木々などに着氷する現象を言うようで、「霧氷」がその総称、「霧氷」がその生じ方によってさらに樹氷、粗氷、樹霜と分かれる由。 今回見たのは「樹氷」でしょう。



袴岳と袴湿原の分岐点までは平坦にちかい道で、ここからが本格的な登り。 溶けて固まった雪にわずかな新雪があり、スノーシューが雪に食い込まず滑り気味。 でも数日前までは30cm近い積雪があり、ラッセル・ウォークはかなり大変であったらしい。



枝についた霧氷は、風の流れや枝の形で千差万別。 風上に向かって羽毛のように延びている様が実に不思議でした。


2回下っては登って、11時半無事に1135mの山頂へ到着、標高差は200mほどか?。 登山口から2.5kmほどの距離のようで、夏でしたら散歩コースのような山なのでしょう、ここから赤池へ降りられるようです。
また、山頂から妙高山と黒姫山が一望できるとのことですが、今回はあいにくの曇天でした。



それでも、流れる雲の間から一瞬妙高山の山頂がのぞめました。


帰りは、みなさん”ケツ橇”を楽しんでいましたが、老体が怪我をしたでは済まされないので、私は静かに一歩一歩降りてきました。
空が少し明るくなった時、山頂方向を振り向いたら霧氷が輝いていました。


東急タングラムのゲレンデをのぞむ。


2016年3月8日火曜日

ここ十数年(もしくは数十年)で一番積雪の少ない年になりそうです

今朝は曇っていたこともあるのでしょう、外気温は7度、室内は20度と暖かく、しばしば靄が出ていました。
家の周囲に積もった雪はどんどん溶けて、これから降ったとしてもたいした量ではないであろうと、家屋に立てかけた雪囲いを外してしまいました。 これまでで1ヶ月も早い作業です。

畑も日当たりの良い場所の雪はとけて、除雪でたまった雪だけがかろうじて残っています。


そして庭の一角を見たら、福寿草の黄色い花が二輪、フキ玉より先に出ています。


さらにスイセンの芽が日増しに伸びています。


畑に目を移すと、ルバーブの芽が今にも開きそうな感じになっています。


明日は降雪予報ですが、まあ春の雪ですから積もるほどにはならないでしょう。
スキー場は、一部滑走不可としたゲレンデがあったり、雪面が今にも茶色に変わりそうな所もあって、月末までの営業はなかなか難しいのではと案じられます。 ウインタースポーツ関係者にとって今冬の雪不足によるダメージは大きいことでしょう。

因みに、ここ数年の3月10日頃に撮った写真を載せておきます。 例年の今頃はまだまだたいそうな雪が残っていたのに、やはり今年は異常を感じざるをえません。

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2016年3月2日水曜日

涌井スキー場ってどこに?

JR東日本の信越本線が第三セクターのしなの鉄道北しなの線に変わって、間もなく1年になります。 昨年はJR(国鉄)の歴史が閉じられると、鉄道ファンがそこかしこに群がって列車の写真を撮っていましたが、その熱も冷めてしまったのか、いつものお立ち台には人影がありません。

さて、以前よりはしなの鉄道を利用することが多くなり、今まで黒姫駅で乗り降りすることが多かったのですが、駐車場から直結している古間駅も至便(跨線橋を渡る必要がない)だと利用するようになりました。(職員が常駐していないのは不便ですが)


その古間駅のホームに名所案内という、たぶん国鉄時代のものであろう看板があり、その下段を見ると白く塗られて文字が消えています。


でも経年変化でしょうか、じっくり見ていると、右半分に「バス20分」という文字が浮かんでくるのです。
さらによく見ると左半分に「涌井スキー場」とあります。

「涌井」という地名は、信濃町荒瀬原から飯山市(旧豊田村)に下る途中の所で、「涌井せんたあ」という蕎麦所でもよく知られています。
あんな谷間のような所にスキー場がかつてあったのかと訝りながら、そのあった場所を訪ねてみたくなりました。 でもやはり分かりません。

涌井から斑尾高原へ抜ける道筋、「斑尾の湯」の手前に大池がありますが、ここに一時飯山市の運送会社が開いた豊田スキー場がありました。 開業して数年で閉鎖していましたが、ひょっとしてここがかつての「涌井スキー場」かなと思うものの、やっぱり違うようで、涌井のお蕎麦屋さんがならぶ一角にあったようです。


因みに、かつての豊田スキー場は、現在では大阪の「星光」か「聖光」とかいう名の学校法人が持っているようです。

涌井スキー場は1968年に閉鎖したようですが、信濃町役場の裏側にも「伊勢見山スキー場」という旧いスキー場があって、1993年頃まで営業していたようですが、高速道路(上信越道)の工事開始とともに廃業したようです。

信濃町に来てスキーをはじめた時、昔の紙でできたバス回数券のような形をした回数券に、ともに町役場がかかわっていたのでしょう、前山スキー場と伊勢見山スキー場が併記され、切り離して使っていたように記憶しています。

以前は、伊勢見山にのぼる林道のような道があって、車で登ったことがありましたが、今や雑草や立ち木が伸びて、車を傷つけるし眺望もきかないのでこの10数年足を踏み入れたことはありません。