お知らせ

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2016年9月11日日曜日

しなの鉄道北しなの線開業1週年記念イベントに行って来ました

(追記、訂正?09/13)
 信濃町役場HPに掲載されている町政要覧によると

昭和41年10月、信越線の電化
昭和43年11月、国鉄柏原駅を黒姫駅に改称
         古間駅開設40週年記念式典
昭和55年 9月、国鉄黒姫駅〜妙高高原駅間複線化完成
平成20年11月、信越線軽井沢ー関山間開業120週年 JR長野〜黒姫間をD51が疾走

と記されています。

因みに、2008年(H20)11月、試運転2日営業運転2日と計4日間黒姫でSLを見ることができました。

そして少し遡って1994年11月、確かアップル号という銘板をつけたSLが黒姫にやってきました。(あの頃はデジカメがなくて、こちらは8ミリビデオで撮った動画からの静止画変換。カシオの最初のデジカメQC-10は翌年5月に発売)

(追記了)


今日は町内で町民運動会(スポーツイベント?)が行われていたので、人出が二分されるのではないかと思ってましたが、黒姫駅前広場での開業記念イベントにはたくさんの方が来られていました。


先般の投稿にも書きましたが、私の関心は戸草トンネル転車台(ターンテーブル)
古間駅では高専の学生さん達のお手伝いもあり、こんなパンフをいただきました。


古間駅からの一回目の案内には、総勢30名弱の参加のようで、徒歩で戸草トンネル(隧道)へ。


トンネル下部の大谷石?は近くの薬師岳から切り出されたものらしく、また上部から天井をおおうレンガは旧三水村の赤塩で焼かれたものとのこと。
明治20年頃、これだけの石やレンガをどうやって運んできたのであろう?という素朴な質問が参加者の中から出ていました。


実際に、どんな機関車、どんな車両がこのトンネルを通ったのかお聞きしたのですが、そこまでは分からない由。 また現在の戸草トンネルに切り替わった時期について聞き損ねました。

参加者から単線、信号の話が出て、昔はタブレットが使われていたと思いだし、今日、「タブレット」と言うと、スマフォやPC類に分類されてしまい、グーグル検索しても鉄道のタブレットは出て来ません。 「鉄道+タブレット」で検索して、あの閉塞器の話題や写真が出てきます。 時代は変わったものですね。


夏場ですと、ひんやりとした風が流れる天然クーラーの場所なのですが、外気温が下がっているので、涼感はあまりありませんでした。


牟礼駅側にもう一つ同じようなトンネルがあるという話で、電車の中からその存在には気づいていたので、折角だからと見学の一団から離れ、その大廻(おおまがり)トンネルを目指しました。

道は、今春、田植えの手伝いで通っていましたので、おおよその検討はついていました。
大廻トンネルへの道は、農作業や保線作業などで自然に出来たのでしょう、線路脇の道を牟礼へ向かって歩きます。(電車が来るとちょっと怖そう) 車でも行けますが、今は茅など雑草で覆われ、ほとんど車の通らない道ですが、行き違いが出来ませんので徒歩の方が懸命です。

大廻トンネルは、戸草トンネルから徒歩で10分少々。
ともに土木遺産に指定されていると、銘板が貼ってありました。




こちらのトンネルは、利用者がほとんどいないので舗装も照明もありません。 でも道はぬかってはいませんでした。


しかし崩落の恐れがあるのでしょうか、一部こんな工事の跡がありました。


新大廻トンネル(隧道)の工事銘板がありました。 これを見ると現在のトンネルが出来たのは1966年でしょうか? 和暦ですと昭和41年。 ということは旧トンネルは80年間も使われていたのかな?


ちょうど列車が新大廻トンネルを出て長野駅へ向かって行きました。



今度は、下り列車を、6〜7月はホタル観察で賑わう芋川用水から黄色く色づいてきた稲田と一緒に撮り鉄しました。



次に、転車台(ターンテーブル)への案内がある黒姫駅へ。
ちょうど駅前広場では東京音大の学生さんによる演奏が行われていました。


そして駅構内の土産&地元野菜の販売所。 どれだけ売られているのか分かりませんが、なかなか利いているなと個人的には思っています。


ヘルメットをかぶり、反射ベルト?を着て、一路転車台(ターンテーブル)へ。
鉄道ファンクラブの方が詳しく説明をされていましたが、メモを取りそこね、記憶だけで書いていますが、転車台が現存しているのは長野県内で2ヶ所、もう1ヶ所は信濃大町駅。
(黒姫駅+転車台、信濃大町+転車台でグーグルの画像検索をすると色んな写真が見られます)
飯山駅にもあったが、新幹線駅設置・旧駅移設によりなくなった由。
 
黒姫駅の転車台は、D51型がぎりぎり乗れた大きさで、
冬場は雪よけのため(転車台内部に雪が入らないように)平板を置いてあったそうです。 もっと小型の蒸気が転回していたと思っていたのですが、D51と聞いてびっくり。

完成後10年ほど飯山線?で使われてから黒姫(柏原)駅に移設されたとか。

信越線の電化により、1971年にSLの営業運転が終わり、この転車台の利用も終了。
その後、イベント列車や国鉄長野機関区にSLの補修管理する部署があり、長野・黒姫間での試運転などで使用。 「ムーミン」と愛称されたEF55型電気機関車は運転席が一方しかないため、やはりこの転車台で方向転換していたとのことでした。

ネット検索で入手した写真ですが、黒姫駅に停車中の「ムーミン」。


遠くに、ファンクラブの会長さんが昔の写真を掲げてくれましたが、もっと近場で見たかった。


転車台上のレールとの固定方法が意外に簡単でした。


転車台の脇に銘板があるのですが、判読は難しそう。


碓氷峠で使われたかもしれないアプト式レールの一部が転がっていました。 文鎮代わりに使われたのでしょうが、実に意外な物があるんですね。


見学を終えて駅前を通ると、駅そばに外まで続く長蛇の列。 こんな風景を見るなんて初めて。 信濃屋さんの駐車場も空きがないほど混んでいました。



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